秘密
「長谷部くん! 今度の土曜日、一緒に海でも行きませんか?」
夏真っただ中の、屋上での昼飯。カンカンに照りつける太陽に若干イラつく。そんないつもの日常。
「……。いきなりどうしたんだよ」
今まで、そこまで深い要求はしてこなかったのに。
「だって、私達って少しも夏らしいことしてないじゃないですか! ……それに、思い出作りとかしたいし……」
「何だよそれ。別に思い出なんていらねえだろ」
「……そうですよね……」
そう言った彼女は、今まで見た事もない顔をしていた。淋しくて、切なくて、だけど真っ直ぐな。そんな瞳は、太陽に照らされて――光っているように、見えた。
「――天宮……?」
「あ……ごめんなさい。何でもないですっ!」
何でもないワケない。直感でそう思った。
「あ……俺」
海行ってやってもいいよ、そう言おうとしたその時だった。
「長谷部くん。来世では結婚しましょうね!」
「……は?」
何を言ってるんだ。結婚の話ですら意味が分からなかったのに、来世って何だよ。「来世」って。
「じゃあ、今日は失礼します!」
「……お、おう……」
妙に変な感じだ。どうしたんだと引き留めようとしたけれど、初めて見る天宮の表情が、俺の足を動かさなかった。どこか冷たくて、話しかけられる雰囲気。今までは天宮が壊していた、見えない2人の壁が出来たような、そんな時間だった。
翌日。俺は移動教室の時に、A組の教室をさりげなく覗いてみた。昨日の天宮の様子が、どうも気になる。天宮は教室にいるだろうか。……いなさそうだな……。そう思って、教室を後にしようとしたその時――
信じられない言葉と、そして信じられない光景が目と耳を支配した。
「あー、これは天宮ちゃん泣いちゃうね~!」
「うわっ汚い」
「はは、大丈夫だよ。だって天宮自体が汚いもん」
「あはは、お前、それは言いすぎ~!」
そんな会話と共に、誰かの机の上にゴミ箱の中身が乗せられていく。誰かが飲んだ牛乳パックのゴミ。使い古された雑巾。ぐしゃぐしゃになった紙のクズ。
――え?
今、“天宮”って言ったよな。そうよくある名字じゃない。まさか……。
「てか最近さー、あの子どこ行ってるの? 全然教室いないじゃん」
「逃げてるだけだろ」
「自殺する場所でも探してんじゃないのー?」
「ははっ、言えてる」
意地の汚い笑顔で笑う連中は、天宮が使っていると思われる机を更に汚していく。
ちょっと待てよ。
「おい、お前ら何やってんの?」
考えるより先に、口が動いていた。
「は? 誰? お前」
ゴミ箱を使っていた、いかにもガラの悪そうな男がこちらを向いた。鋭い目つきで俺を睨む。
「何やってんのかって聞いてんだよ!!」
人生でこんなに大声を出したのは初めてだ、というくらい、俺は怒鳴り散らかした。
「……は? な、何なんだよ」
「お前ら……、天宮のこと、いじめてんの?」
「……そうだよ。見りゃ分かんだろ。馬鹿じゃねえの?」
ピキっと、俺の中で何かが切れた。――こいつら全員殺してやる。俺は、ゴミ箱を持っていた男の胸倉を勢いよく掴んだ。ゴミ箱がガコンッと床に落ちる。こいつとさっきまで一緒に騒いでいた連中も、クラスメイトも遠巻きに見ているだけ。――所詮、そんなもんだよ。
“長谷部くん!”
その時だった。天宮の声が聞こえたような気がしたのは。
教室を見渡してもあいつの姿はない。――天宮……。
――そうだ。俺は、こいつらを殴ったところで、天宮を救うことなんて出来ない。今は、こんなことをするべきじゃない。
俺は男の胸倉を掴んだ手を、そっと離した。さっきまであんなにイキっていたこいつも、涙目になりながら俺を見上げた。
「――もしも、またあいつをいじめたら容赦しねえぞ」
脅しの文句を言い残して、俺は勢いよく駆け出した。生きてきた中で、一番風を切ったと思う。体が痛いほど。きっとこれからも、これ以上速く走ることは出来ないだろう。
俺は、馬鹿だ。
――どうして気付かなかったんだろう。いかにも友達の多そうなあいつが、いつも俺と昼飯を食う理由。あいつが“思い出を作りたい”と言った理由。そして、“来世”と意味深な言葉を使った理由。
あの日、本当に死のうとしていたのは――天宮の方だったんじゃないのか。