覚醒
このあと腹痛を催すのか気になるところだが、ひとまず状況を整理しよう。
イエティに襲われかけた直後、俺の腕から七色の光が放たれた。
おそらくあれがイエティのいう『不思議な力』というやつなのだろう。
「状況から判断すると、俺の加護が覚醒した以外考えられないな」
魔獣を取り込み、その能力や知識を吸収してしまったのだとしたら、無能どころかかなりレアな加護を授かったということになる。
引っかかるのは、イエティを取り込んでしまったという点に関して。
取り込んだなどという言葉で濁すのはよくない。
「つまり俺が殺してしまったってことだよな……」
罪悪感を抱きながら呟く。
そんな俺のことを温かい眼差しで見つめながら、イエティは首を横に振った。
――貴方様がしてくださったことは、私に唯一与えられた救いでございました。あの恐ろしい病から解放してくれたのですから。
「……そういえば奇病にかかって苦しんでいたと言っていたな」
見るも無残な姿になっていたのも、その病のせいだという話だった。
「いったいどんな病だったんだ?」
――ある日、この地底窟に住む魔獣たちの間に謎の病が流行りはじめました。病に感染した魔獣は、怒りに飲み込まれ、ひたすら破壊を繰り返します。恐ろしいことはそれだけではありませんでした。爛れて腐敗した体はひどく痛み、のたうち回るほどの苦しみに襲われるのでございます。目が溶け、鼻がもげて、水も食べ物も喉を通らなくなりました。どろどろの体でひたすらに暴れまわることしかできない。……病によって身も心も化け物になり果てるのです。あのような状態では生きているなどとはとても言えません。
「……」
それほどまでに恐ろしい病、聞いたことがない。
――しかしです。奇妙なことに、どれほど体が腐敗しようが、命が尽きる時が一向に訪れないのです。私だけでなく、奇病に侵された魔獣たちは、どうやら皆同じように不死化したようでございました。
「不死化……」
――苦しみしか与えてくれない腐った体に縛り付けられたまま、死ねずに破壊を繰り返す。そんな地獄から、貴方様が私を救ってくださったのです。
イエティは憑き物が落ちたような顔でにっこりと微笑んだが、俺は返す言葉を見つけられなかった。
腐乱した体を襲う強烈な痛みと、破壊衝動に苦しめられ続ける。
どれほど辛かったか、想像もつかない。
――一度不死化してしまった生物は、二度と生を取り戻すことはできません。ですから不死者に与えられる唯一の安らぎは、死のみなのでございます。
闇魔法を使って不死者を生み出すような種族が、大陸のどこかに存在しているという話は聞いたことがある。
俺が不死に関して持っている知識はせいぜいその程度だったが、おそらくイエティの言っていることは正しいのだろう。
――貴方様はずっと私のため、心を痛めてくださっております。なんとお優しい方なのでしょう……。しかし、どうかもう気に病まれないでくださいませ。肉体は消滅しましたが、この通り私の魂は貴方様とともに存在させてもらっております。
「イエティ……」
――ああ、ですが許可なく貴方様の心の中に住み着く結果になってしまいました。申し訳ございません……。
「それは構わない。というか、むしろ魔獣好きな俺からしたら、君とこんなふうに頭の中で会話できるなんて最高な状況だし……あっ、いや、すまない。最高っていうのは不謹慎だった。悪かった」
慌てながら謝るとイエティが低くて心地いい笑い声をたてた。
――私は貴方様のことをとても好きになりました。これからご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします、ご主人様。
俺の中に取り込まれてしまったイエティが、気持ちを切り替えて明るく接してくれているのだ。
いつまでも湿った空気を出してはいられない。
「ああ、こちらこそよろしく」
俺が手を差し出すと、イエティはその手を握り返すような動きを見せてくれた。
幽霊のような存在になったイエティが、俺に触れることはない。
でも不思議なことに、掌にかすかな温もりを感じたような気がした。
◇◇◇
「さてと、まずはここから脱出しないとだな」
言いながら崖の上を見上げる。
まさに断崖絶壁という感じで、素手でよじ登っていくなんて到底不可能だ。
――僭越ながら、私が得意とする氷魔法を利用されれば造作もないことかと。不死化の間は、なぜか氷魔法を含め、すべての能力を使えなくなってしまっていたのですが……。私を吸収なさったことで、私の魂だけでなく、知識や能力もご主人様の内に取り込まれたことを感じます。今のご主人様であれば、私が生前所持していた魔法を発動させられるのではないでしょうか?
イエティの言うとおり、実は彼のことを取り込んだそのときから、俺の中にはひんやりとした強力なエネルギーが満ちていた。
感覚でわかる。
自分が氷魔法を使えるようになったのだと。
「試してみるよ。氷魔法の使い方を教えてくれ」
――かしこまりました。まずは手を伸ばし、氷魔法をイメージなさってくださいませ。
「わかった」
すうっと息を吸い、氷魔法をイメージする。
それに呼応するようにして、体の内側で冷たいエネルギーが揺れ動く。
それまで隣に存在を感じていたイエティが、自分の中にずいっと入り込んでくるような気配がした。
イエティの強大な魔力に包まれながら、彼と一体化したような感覚だ。
その直後、俺の掌から猛烈な勢いで氷の渦が放たれた。
「……驚いた。本当に氷魔法を使えるとは」
やはりイエティを取り込んだことによって、彼の持っていた能力を引き継げたらしい。
「……となると俺がイエティと話せているのも」
――ええ、おそらく私が生じしていた魔獣語の知識を共有できたためでしょう。さあ、氷魔法を発動できさえすれば後は簡単です。魔法を操ってみて下さいませ。
「ああ」
氷魔法の操作方法も、いつの間にか知識として知っている。
「地上に戻るならこういう感じか」
指先を振り、氷魔法を自由自在に操る。
氷魔法は硬質な音を響かせながら、俺がイメージした通りの形に変形していった。
そうして現れたのは、地上まで続く氷の階段だ。
「イエティ、君の魔法はすごいな」
光り輝く透明な階段を見上げながら呟く。
一般的な冒険者が氷魔法を放った場合、せいぜい水を凍らせるぐらいだと聞いたことがある。
それに比べてA級ランクの魔獣であるイエティが放つ氷魔法は、とんでもなく強力だ。
イエティは穏やかな声で、『私の(・・)魔法ではありません。この力はすでにディオ様のものでございます』と言った。
◇◇◇
「やっと着いた……」
息を切らして呟いた俺は、そのまま地面に座り込んだ。
果てしなく思えた氷の階段を登り続け、ついに地上へと辿り着いたのだ。
さすがに何時間も階段を上り続けた足はガクガクしている。
「魔獣使いになるために筋トレもしてきたけど、全然足りなかったみたいだ」
――わたくしの所持している魔法の中に、飛行系のものがあればよかったのですが……。ご主人様の加護を用いて、飛行能力を持つ魔獣を取り込んでみてはいかがでしょうか?
確かに飛行系魔法を所持していれば便利だとは思う。
だが……。
「苦しみから救う唯一の手立てでない限り、魔獣を取り込むようなことはしたくない。……というか、魔獣が可哀相過ぎてできるわけがない。無理だ、無理無理っ!!」
魔獣への余りある愛情が炸裂した俺は、全力で首を横に振った。
取り込むという言い方でごまかしたところで、あの力が魔獣の命を奪うことに変わりはないのだ。
そんな俺を見たイエティは、胸の前で両手を組み合わせた。
――ご主人様……! なんとお優しい……! わたくし感動いたしました。
じーんとした目で見つめられ、興奮していた俺はハタと我に返った。
またやってしまった。どうしても魔獣のこととなると我を忘れてしまう。
恥ずかしくてコホッと咳をする。
「優しいなんて大げさだ。ただ単に好きなものを傷つけたくないだけだから」
――いえいえ、そんなことはありません! 私たち魔獣は知っております。ほとんどの人間にとって魔獣は狩りの対象であり、利用する道具でしかないことを。
「それは……」
魔獣好きの俺としてはとても情けないことだが、イエティの言うとおりだ。
長い間、魔獣は人間によってひどい目に遭わされてきた。
各地にある魔法研究所は、捕えた魔獣を実験に利用し命を奪い続けているし、五年前の戦争では、兵器の代わりに投入された魔獣たちが数えきれないほど犠牲になった。
そのすべてが合法なのだ。
この国には、というか恐らく世界中ほとんどの国で、魔獣を守るための法律は存在しない。
戦後、魔獣愛護団体が設立されたが、魔獣を巡る環境を改善するために動き出したばかり、というのが現状だ。
――ご主人様、これからどうなさいますか? というかご主人様はそもそもなにゆえ、地上からあの奈落へ降っていらっしゃったのでしょうか?
「あー……実を言うと――……」
家を追放された挙句、義兄に殺されかけたことを打ち明けると、イエティは憤慨した。
――命を奪おうとした義兄上も、理不尽な理由でご主人様を追放なさった義父上も、正しく
罰せられるべきでございます!
「家族に殺されそうになったなんて、情けないよな」
――何をおっしゃいます。恥じ入るべきはご主人様の義兄上でございます! 僭越ながら、わたくしはご主人様を崖に落とした義兄上を、氷漬けにして差しあげるべきではないかと思うのですが。
イエティが大真面目に物騒なことを言い出す。
俺は苦笑を返した。
俺が義父と義兄に対して冷静な気持ちでいられるのは、イエティが俺の代わりに怒ってくれたからだと思う。
「とはいえあの二人はなんとかしないとだめだろうな」
家に帰れば、間違いなく義父と義兄と対峙することになるだろう。
殺害を企てた相手が生還したと知ったら、今度は全力で命を狙ってくるかもしれない。
迎え撃つことになる可能性も考慮すると、自分の加護についてしっかり理解しておきたい。
そのためにもまずは義兄に買収され、偽の加護結果を俺に言い渡した神官ではなく、まともな神官に加護を再鑑定してもらう必要がある。
「よし、まずは神殿に向かおう」
◇◇◇
俺が偽りの鑑定結果を告げられたアッカルド神殿は、俺が育った町ダフォードの北側に広がる林の中に建っている。
神殿内の一部は常に解放されているので、俺は中へ入っていった。
まだ時間が早いこともあり、他に人の姿はない。
ちょうど祭壇の火に油を指すため神官が現れた。
あの人に再鑑定の申し出をしてみよう。
そう考えて近づいていくと――。
「ん? あれは――」
「ああっ、君は……!?」
義兄に買収された神官だった。
「ブライス家の次男坊!? こんなところで何をしているのですか……!?」
めちゃくちゃ動揺しまくった声で神官が叫ぶ。
俺は冷たい目で神官を見下つめた。
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