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実家から追放された

毎日複数話更新中です

 五百年前。

 邪悪な力に飲み込まれつつあった世界を一人の男が救った。

 最強と謳われた英雄オレアン。

 その圧倒的な強さを前に、太刀打ちできる敵はただの一人もいなかった。

 誰もが英雄に感謝しオレアンを崇めた。

 しかし人々は知らなかった。

 救世のため力を使うごとに、オレアンの体が闇に蝕まれていっていることを。

 人々のために戦い続けたオレアンは、やがて身も心も底なしの暗黒に飲み込まれ、見るも無惨な姿に変貌してしまった。

 異形の者になったオレアンの最期は、いかなる文献にも残されていない――。


◇◇◇


「この無駄飯ぐらいの役立たずが!」

 唾液をまき散らしながら、義父が俺を殴り飛ばす。

 義父の目には怒りと失望、それから十五年分の恩を仇で返しやがってという憎悪が浮かんでいた。

 理由はわかっている。

 十五歳になったら必ず受けさせられる【加護鑑定の儀】。

 その儀式の場で俺ディオ・ブライスは、『加護なしの無能』と言い渡されてしまったのだ。

 加護とは、生まれたときに神から与えられる特殊能力のことで、加護の系統によって使用できる魔法も異なってくる。

 この世界の人間は皆魔力を持っている。

 だが加護が覚醒していなければ、魔法を使うことはできない。

「ごく稀に加護なしの無能が現れるとは聞いていたが、まったく冗談ではない!!」

 一発殴るだけでは足りなかったらしく、義父は短い足を振り上げて何度も俺を蹴りつけた。

 こんな暴力は日常茶飯事だったので、いつもどおり背を丸めて内臓を庇う。

 気が短い義父は、少しでも気いらないことがあると手が出る人間なのだ。

 赤ん坊の頃、救貧院の前に捨てられていた俺は、この義父に引き取ってもらった立場なので、楯突くことができない。

 栄養失調を引き起こす食生活と不衛生で劣悪な環境から、救貧院の死亡率はとんでもなく高い。

 あの場所に戻されれば死ぬ未来が待っていることを思えば、理不尽な理由で殴られているほうがまだましだ。

 義父は俺が抵抗できないのをわかったうえで、暴力を振るい続けてきたわけだが、幸い俺は痛みに強い。

 そのうえひどい言葉で貶されようが、右から左へ聞き流されるという図太い神経の持ち主だった。

「我がブライス家は何代にも渡って、優れた賢者を輩出してきたというのに……! 長男がぱっとしないから、弟のほうこそはと思って期待をかけてやったものを……!!」

 義父の隣で、長男であるアダムが肩を竦める。

 アダムは成人に当たる十八歳という年齢をすでに超えている。ところが与えられた加護【弱火魔法使い】が凡庸なものだという理由から、家督を継がせてもらえないでいる。

 義父は俺の加護がアダムのものより価値あるものだった場合、俺に家を継がせようと考えていたのだ。

「ディオ、おまえには心底がっかりさせられた。加護なしの無能に、ブライスの家名を名乗らせるものか! おまえなど今日限りで、我がブライス家から追放してやる! すぐさま荷物をまとめて出ていけ!」

 ここエイベル王国では、十八歳未満の行動はかなり制限されている。

 仕事を探すにも、宿に泊まるにも、すべて後見人の許可がいるのだ。

 家を追い出された十五歳が、自力で生きていくのにどれだけの苦労が付きまとうのか。正直、想像もつかない。

 しかも加護なしの無能を雇ってくれる仕事先なんて、聞いたことがなかった。

 アダムが家を継ぎたがっているのは知っていたし、実子である長男を差し置いて家督相続をしたいなんて思ってはいない。

 けれどこのまま家を追放されれば、間違いなく路頭に迷って、野垂れ死ぬことになるだろう。

「待ってください、義父さん。せめて里親に出すか、どこかの門徒になれるよう力を貸してもらえませんか?」

「この期に及んでまだ親を頼ろうとは……! とことん図々しい奴だ! だいたい、なぜ私がおまえの未来を案じてやらねばならん。これまで育ててもらっただけでもありがたく思え。さっさと失せろ、この出来損ないが!」

 忌々しそうに義父が地面に唾を吐く。

 その態度からも、聞く耳を持ってもらえないことは伝わってきた。

「……わかりました。義父さん、今までお世話になりました」

 そう伝えて頭を下げる。

 義父はもう俺のほうをちらりとも見なかった。


 ◇◇◇


 自室で荷物をまとめながら溜息を吐く。

 家を追放されたことも問題だが、それ以上に加護なしという事実が重くのしかかってくる。

 加護がなければ、冒険者になることは叶わない。

 加護で得た能力を使って、資格試験を受験し合格すること。

 それが冒険者になるための第一条件なのだ。

「冒険者になれなければ、魔獣使いのライセンスも取得できないな……」

 幼い頃、森で遭難しているところを、珍しい見た目のワーウルフに助けられて以来、熱狂的な魔獣ファンになった俺は、魔獣と関わる仕事につくことを夢見てきた。

 魔獣使いになるための努力は惜しまなかった。

 体を鍛え、知識もがむしゃらに詰め込んだ。

 その夢を加護なしだったせいで、諦めなければいけないという事実が辛い。

「くぅーん……」

 必死に溜めた書籍が並ぶ本棚を見上げてぼんやりしていると、飼い犬のルーシーが鼻面で俺の足をつついてきた。

「……っ! ルーシーっ!! なんていい子なんだ……! 励ましてくれてるんだな!?」

 ルーシーが愛しすぎて思わずガバッと抱きつく。

『バ、バウッ!?』

「っと、ごめん。愛情が暴走して力強く抱きしめ過ぎた……!」

『ば、ばぅー』

 力は緩めるが、ルーシーのことは抱きしめたまま、スーハスーハーと犬吸いをする。

「……はぁ、落ち着く……。嫌なこと全部吹き飛ぶな……」

 死んだ目をして義父に殴られていた人間とは別人のような態度だと自分でも思う。

 子供の頃にゴミ捨て場で拾ったルーシーは、いつだって俺に寄り添い続けてくれてきた。

 義父や義兄よりずっと、家族だと思える存在だ。

 家から追放されることになり、真っ先に頭に浮かんだのがルーシーのことだった。

 年老いたルーシーは、耳が遠く、目もほとんど見えていない。

 長い旅に耐えられるような健康状態では到底なかった。

「離れている間の面倒は、メイドのエマが見てくれることになっている。だから何も心配いらない」

 本当はルーシーを連れていきたい。

 でもそうすればルーシーを苦しめることになる。

「……」

 俺はやるせない気持ちで拳を握りしめた。

 エマはとても優しい少女で、日頃からルーシーを可愛がってくれている。

 だからエマに任せれば安心だ。

 これから先は使用人たちの暮らす建物のほうでルーシーも生活することになるので、父の目に触れて追い出されるような心配もない。

 そもそも父がルーシーに関心を示したことなど一度もないし、俺がルーシーを飼っていることさえ知っていたのかどうか怪しいのだ。

 目の前に膝をついて、ルーシーと視線を合わせる。

 ルーシーは無邪気な目で、俺のことをじっと見つめてきた。

 口はニパッと開いている。

 おばあちゃん犬になっても、底なしに明るい性格は変わらない。

「もしも運よく仕事を見つけられて、ルーシーを養えるようなら、すぐに馬車で迎えにくるから。そしたらずっと一緒に暮らそうな」

 未成年なうえ、加護なしの俺が仕事を見つけられる可能性はゼロに等しい。

 運が良くても、日雇いで食いつなぐその日暮らし。

 高確率で餓死するさだめにある。

 食べ物にありつけない苦しみを老犬のルーシーに強いるなんてとてもできない。

 一度ルーシーを強く抱きしめた俺は、未練を断ち切るように身を起こした。

「ルーシー、元気で長生きしてくれ」


◇◇◇


 加護なしでは街で仕事を見つけるのも難しいだろうし、いっそ魔獣たちのいる山で自給自足の生活を目指してみるか?

 いや、魔獣の中には凶暴で攻撃的なものも少なくない。

 それこそ加護なしでは、瞬殺されて終わりだ。

 魔獣との生活を諦めないためには、どうすべきか。

 答えが出ないまま、少ない荷物をまとめ終わって屋敷を出ると、エントランスに横づけした馬車の上から、義兄のアダムが合図を送ってきた。

「神殿があるだけの田舎町じゃ仕事も見つからないだろ。馬車で半日ほど行けば港湾都市ギャレットに着く。そこまで送ってやるよ」

 正直驚いた。

 これまでアダムはずっと、俺に対して当たりが強かったので、なぜ急に親切にされたのか理由がわからなかったのだ。

 俺が魔物好きになったきっかけ――遭難して魔獣に助けられた一件だって、そもそもはアダムに裏切られて森の中に置き去りにされたことが原因だったし、その類の嫌がらせは日常的に行われていた。

 アダムから濡れ衣を着せられて、義父に折檻されたことだって何度もある。

 義父がことあるごとに『家はディオに継がせることになるだろう』と言ってきたため、アダムは俺の存在が疎ましくて仕方なかったのだ。

 そんなアダムの中で、いったいどんな心境の変化があったのだろう。

 結果的に自分が家を継げることになったので、俺へのわだかまりが一切消えたのか。

 それともこれで今生の別れになるかもしれないし、同情心を抱いたのだろうか?

「何をしてる、ディオ。早く乗れって」

 今思えば、このときの俺は世間知らず過ぎた。

 人間は簡単には変わらない。

 クズな振る舞いをしてきた奴が突然愛想笑いを浮かべて近づいてきたときには、必ずウラがある。

 それを理解できていなかったのだ。

 戸惑いつつもアダムの隣の御者席に上がろうとしたら、客車のほうを顎で示された。

「おまえは後ろに乗れ。父上が窓から見ているかもしれないから。おまえを家の馬車で送ったことがバレると厄介だ」

 たしかに兄の言うとおりだ。

「わかった。迷惑をかけてごめん、義兄さん」

「気にするな。俺もあの父親に苦しまされてきたからな。おまえの辛さはよくわかるよ」

 アダムが励ますように俺の肩を叩く。

 今までのアダムの態度とはあまりに違いすぎて、どう反応したらいいのかわからない。

 ひとまずアダムにお礼を言って、客車に乗り込む。

 唐突なアダムの優しさに戸惑っている俺を乗せて、馬車は軽快に走り出した。


◇◇◇


 ――それから半日ほど経った頃。

 休憩を取るつもりなのか、前触れなく馬車が止まった。

 途中からかなり道が悪くなっていたので、おそらくここは森の中だ。

 魔獣が現れる可能性のある森の中で、馬車を止めて休んでも大丈夫なのだろうか?

 訝りつつ外に出る。

 馬車が止められている場所は、断崖絶壁のすぐ傍だった。

 谷は深すぎて底が見えない。

 港湾都市に向かうのに、わざわざこんな危険な場所を通る必要があるとは思えない。

 そのうえ振り返っても、まともな道などなかった。

「義兄さん、迷ったのか?」

「なぁ、ディオ。知っているか? ここは【奈落の谷】と呼ばれる場所だ。時々この谷の中から危険度の高いA級ランクの魔獣が現れるから、この周囲の森は立ち入り禁止区域に指定されてるんだってよ。いったい崖の下はどうなっているんだろうなあ?」

 にやにやと笑いながらアダムがこちらを振り返る。

 そういう顔をしていると、アダムは義父そっくりだ。

「ここが【奈落の谷】……」

 魔獣使いを目指して勉強してきたのだから、当然【奈落の谷】の存在は知っている。

 アダムが言うとおり禁止区域に指定されているため、資格を有する上位の冒険者以外は決して近づかない場所だ。

「……なんでこんなところに連れてきたんだ」

「決まってるだろ。こうするためだよ……!!」

 アダムは叫びながら、俺を全力で突き飛ばした。

 もちろん警戒はしていた。

 でもまさか、家族と思っていた相手に殺意を向けられるとは思っていなかった。

 その甘さが隙となったのだろう。

 バランスを崩して谷底へ落ちそうになった俺は、それでもなんとか崖のくぼみに両手をかけた。

「……っ」

 宙ぶらりんの状態で崖にしがみつく俺を見下ろすアダムの目は、追放を宣言した義父と同じぐらい冷たい。

「実をいうとな、ディオ。『加護なしの無能』と言われたおまえの鑑定結果、あれは俺が仕組んだものだったんだよ」

「……なんだって?」

「神官を買収して、どんな結果が出ても『能力が低くて加護が覚醒しない』と言うよう命じておいたんだ。おまえに跡継ぎの座を奪われるなんてごめんだからな」

「跡継ぎの座なんて、俺は望んでない」

「おまえが望んでいようがいまいが、父上はそのつもりだっただろ! だいたいおまえを見てるとムカつくんだよ! どれだけ痛めつけようが平然とした態度でスカしてやがって! 腹の中では俺のことをずっと馬鹿にしてたんだろッ!」

 言いがかりの言葉を叫びながら、アダムが俺の指をぐりぐりと踏みつけてくる。

「くっ……」

「ふはははっ! 痛いかぁ、ディオ? でも無理して持ち堪えたところで無意味だよ。おまえの人生はここで終わりだ。てわけで、あの世で幸せに暮らせよ。じゃーな!!」

 気力だけでしがみついていた俺の指先目掛けて、アダムが思いっきり踵を落とす。

「……!」

 だめだ。

 もたない。

 落下する瞬間、歪んだ顔で笑っているアダムの姿が見えた。


◇◇◇


 猛烈なスピードで奈落の底へと落ちていく。

 ぶるぶると頬の皮が震える。

 息がまともにできない。

 地上の光がどんどん遠ざかっていく。

 衝撃を覚悟したそのとき――。

 ――ぼよよーん。

「…………………………は?」

 弾力性のある柔らかいものの上に落ちた俺は、そのままぼよよんぼよよんとバウンドを繰り返した。

 なんだかわからないが助かった?

 ところが安堵したのも束の間。

 柔らかい地面が、突然グラグラと揺れ動きだした。

「……!」

 これは地面じゃない。

 生き物だ。

 俺はすぐさま揺れる地面の上から飛び降りた。

『グゥオオオオオッッッ』

 唸り声を耳にして振り返る。

 地上から届くわずか光を頼りに目を凝らすと、そこには全身を白い毛に覆われた巨大な魔獣の後ろ姿があった。

 このシルエットには見覚えがある。

 古本屋で手に入れた魔獣図鑑。

 白い体毛に覆われた特徴的な姿は、挿絵で描かれていたものとそっくりだ。

 これは――危険度A級ランクの魔獣イエティだ。

「夢みたいだ」

 真っ先にその言葉が口をついて出た。

 俺の住んでいた地域は安全区画内だったため、日常で遭遇するのはF級ランクからD級ランクの魔獣がほとんどだった。

 だから危険度Aランクの魔獣を目にすることなんて、生まれて初めてなのだ。

「図鑑で眺めていたときとは比べものにもならない迫力だな……! すごい……。すごすぎる……!」

 子供の頃から動じることがほどんとなかったため、義父からは気味の悪いガキだとよく言われてきた。

 自分でも喜怒哀楽の感情が薄いという自覚を持っている。

 そんな俺だったが、魔獣が絡むとつい我を忘れて興奮してしまう。

 現に今も自分が置かれている状況をすっかり忘れてはしゃいでいる。

「だって本物のイエティだぞ……。感動しないなんて無理がある」

 危険度ランクが上がれば上がるほど、当然遭遇した側は命の危険が増える。

 A級ランクといえば、並の冒険者ではまったく太刀打ちが行かないほど危険な存在だ。

 それでも出会えたことがうれしかった。

「というか俺、おまえの腹をクッション代わりにしちゃっただな。ごめん。怪我しなかったか?」

 軋むような音を立てながら、イエティがゆっくりとこちらを振り返る。

「…………………………え?」

 イエティとまともに対峙した俺は、衝撃のあまり目を見開かずにはいられなかった。

「……どうなってる」

 毛の抜け落ちた腕や、腹、それに顔中に、小さな丸い穴がびっしりと開いていて、そこからドロドロとした膿が溢れ出ている。

 腐った目玉が顎の辺りまで垂れ下がり、空洞になった眼球には、代わりに何か黒いものがもぞもぞと蠢いていた。

 それがびっちりと張り付いた蛆虫だと気づくまでに、数秒かかった。

「……っ」

 怖気を感じて、鳥肌が立つ。

 このイエティ、体中が腐敗し、蛆虫の餌食になっているのだ。

『ウグッグガァアアア……』

 怒りと苦しみの混じったような声をあげたイエティが、両手をこちらに向かって伸ばしてくる。

 溶けかけている皮膚から流れ出る液体が地面に落ちると、嫌な臭いとともに白い煙が上がった。

『グォオオオオオアアアッッ』

 叫びながらイエティが拳を振り下ろす。

 間一髪のところでなんとか攻撃を躱すことができたが、俺の代わりに殴りつけられた地面は抉れてしまった。

「イエティ、俺はおまえと戦うつもりはないぞ」

 一応そう声をかけてみるが、イエティの行動に変化は見られない。

 次々繰り出される攻撃を、後退しながらなんとか避ける。

 横をすり抜けて逃げ出すほどの隙はない。

 イエティがなぜか魔法攻撃を仕掛けてこないことだけが救いだ。

 本来イエティは氷魔法を得意とする。

 もしそんなものを使われていたら、俺はひとたまりもなかっただろう。

 とはいえ巨大な魔獣とちっぽけな人間では、運動能力に差がありすぎた。

 必死で奮闘したが、ついに俺は壁際まで追い詰められてしまった。

 逃げ場所はないし、俺には戦う術もない。

 加護なしという鑑定結果が偽りだったにせよ、加護を発動させるためにはそれ相応の訓練が必要だ。

 もちろん逃げ続けながら、加護の力を発動させられないかは試してみた。

 しかし自分の中から特別な力が湧き上がってくるようなことはなかった。

 万事休すだ。

「……でもまあ、義兄に突き飛ばされて転落死するって終わり方より、大好きな魔獣に殺される最期のほうが全然ましか」

 腹を括った俺は、迫り来るイエティをじっと見つめたまま体の力を抜いた。

 苦しみの咆哮を上げ、イエティが腕を振り上げる。

 その瞳がきらりと光った。

 あれは……涙?

 気づいた瞬間、胸が抉られるように痛んだ。

「おまえ、苦しいのか……?」

 そう問いかけたとき、イエティがほんの束の間動きを止めた。

 勘違いかもしれない。

 でも俺にはそれがイエティからのメッセージに思えた。

 苦しい、助けてほしいというメッセージに……。

 再びイエティが呻き声を上げる。

 がむしゃらに頭を振って腐った体を振り回す。

 イエティの両目から涙が流れ落ちるのを、今度ははっきりと見た。

 やはり錯覚などではない。

 あのイエティは間違いなく苦しんでいる。

「くそ……」

 あんなに辛そうなのに、俺には何もしてやれないのか?

 潔く死んで終わり、俺はそれでいいが、このイエティの苦しみは俺が死んだ後も続く。

 そう思った途端、死んでいる場合じゃないと思ってしまった。

 何かイエティのためにできることはないのか?

 どうにかして救ってやりたい。

 そのためだったらなんだってする。

 何か……何か俺にできることは……!

 心の底からそう望んだとき――。

 突然、俺の腕から七色の光が放たれた。

 と同時にこれまで感じたことのない強烈な飢餓感を覚えた。

「……!」

 眩い光は激しく輝きながら、まるで大蛇のような動きでイエティの体を絡めとっていく。

 唸りながらイエティが藻掻くが、効果はない。

「……って、おい、なんだあれは」

 さらに信じられないことが起こった。

 ぐるぐると絡みついている光の先端に、突然口のような穴がぽかっと開いたのだ。

 その穴はまるでごちそうに食らいつくかのように、あーーんと大口を開けて――。

 シュボオオオッ!

 猛烈な吸水音とともに、いっきにイエティを吸い込んでしまった。

「……!」

 手首が燃えるように熱い。

 その部分にこれまではなかった黒い痣のようなものができている。

 しかし驚いている間もなく、俺の体に不可思議な変化が起こりはじめた。

 光が放たれた直後に感じた飢餓感が満たされている。

 それが原因かどうかはわからないが、体の内側から今まで感じたこともないような冷たい力が湧き上がってくる。

 それと共に脳みそを引っ搔き回されるような感覚がして、イエティに関する膨大な情報が押し寄せてきた。

 図鑑にも書かれていなかったようなイエティの生態に関する知識や、イエティが習得している『氷魔法』の魔法式と扱い方――。

 先ほどまで知らなかったはずの情報が、いつの間にか頭の中に存在している。

「……何が起きたんだ……」

 呆然としながら呟く。

 ――あなたの力によって、私の存在そのものが吸収されたようでございます。

 突然どこからか返事があった。

 俺以外誰もいないはずだが。

 周囲を確認するが、誰の姿も見当たらない。

 奇妙なこと尽くしだ。

「いったいなんなんだ……?」

 というかさっきの声……明らかに頭の中から響いてきたような……?

 ――仰るとおりでございます。私は貴方様の中に取り込まれましたので、貴方様の頭に直接語り掛けさせていただいております。

 口に出さず、脳内だけで考えた疑問に対して、先ほどの声がそう伝えてくる。

「……取り込まれたって……。……まさかおまえ、さっきのイエティなのか?」

 ――ええ、私はイエティでございます。

「……!」

 夢みたいだ。まさか魔獣と会話できるなんて。

 普通だったら驚くべきなのは、イエティを取り込んでしまったことのほうだろうが、魔獣好きの俺にとって重要なのはそっちじゃない。

 動物と人間が言葉をかわせないように、当然ながら魔獣と人間だって喋ることなどできない。

 そのはずなのに、なぜか俺は今大好きな魔獣とコミュニケーションをとれている。

「す……すごい……! 最高だ!」

 こんな奇跡があるだろうか。

 生まれて初めてこんなはしゃいだ声を上げた。

 ――私もこれまでの長い魔獣生の中で、会話ができた人間は貴方様がはじめてでございます。このように会話をかわせるおかげで、貴方様へ感謝の気持ちを伝えることができます。不死化する奇病にかかったことにより、体中が腐乱し、逃れようのない苦しみに襲われていたのですが、貴方様が私を食べてくださったことで、ようやく解放されました。本当に感謝しております。

 不思議なことに、イエティと会話を続けているうちに、半透明のイエティの姿が見えはじめた。

 脳が見せている幻なのかなんなのかはわからない。

 幽霊のようなイエティは、さきほどまでの腐乱した姿ではなく、図鑑で見たとおりの姿をしていた。

 真っ白くて巨大なふわふわの獣という感じである。

 イエティと話せる喜びはまだ尾を引いているが、さすがに浮かれてばかりもいられない。

「食べたって……俺の手から出た謎の力のことだよな?」

 ――はい。貴方様は見たこともない不思議な力を使って、私をパクッと丸呑みなさいました。食べられた私は、能力や知識のすべてを貴方様に吸収され、貴方様に取り込まれた模様でございます。感覚でわかります。

「感覚って……」

 突然発動された謎の力。

 恐らく俺の加護が土壇場で覚醒したという可能性が高い。

 ただ他者の知識や能力を丸呑みにしてしまい、さらには意識を共有できるようになるなんて力聞いたことがない。

 ――私、一点だけ心配事がございまして……私はそのぉかなり醗酵しておりましたので……貴方様のおなかは大丈夫でございましょうか……?

「え」

 イエティに言われて自分の腹を思わず見る。

 腐乱しているイエティを吸収したのに腹を下すだけで済むのなら、結果としては悪くないような気もしたが。

本日、あと五話更新します。


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