◇赤色(1)
明粋という苗字は、少なくともこの十年ともう少しの人生の中で自分の家族以外に出会ったことは無い。マコという響きで真心と書く名前も少し珍しいように思う。成績も人より少し上で、小学生の頃は読書感想文や図工で書いた絵が何かしらの賞をとることも少なくなかった。その分自分が人間関係を円滑に築くことが苦手であることも、大人の顔色ばかり見ているだけの性格であるということもよく理解していた。いろいろな要素から、同級生に特別視されていることも知っていたが、それをどう否定するべきなのかわからない。そういう風にそれまでは過ごしてきた。
「明粋ちゃんて、実はバカだよね」
あっけらかんとそう言ってのける友人と出会ったのは、中学一年の夏前である。生都辺蓮花という名前の彼女はこの後も長い付き合いになる相手だった。初対面とも言えたこの時、なんて失礼な奴なんだと怒るべきだったのだろう。けれど、そんなことを言われたのは初めてで、どうしても彼女ともっと話してみたいと思った。
「どうしてそう思うの?」
夕暮れの教室は赤く染まった空の色が入ってくる。クラスにはもう自分と彼女だけで、窓から入ってくる空気は夏休みも間近なこともあり夕方と言え汗ばむほど暑かった。彼女は下敷きを片手に煽ぎながら前の席の机に腰かけた。真心の手元には英語の教材がある。その右手は小指側の側面が真っ黒だった。
「勉強できるって言っても、めっちゃ勉強してるし。才能というよりは努力しただけでしょ? その分、ほんとはなんも出来ないの頑張って隠してるっていうか、そのせいで凄い絡みにくいオーラ出してるし」
なんか、無理してるとこがバカっぽい。本来その言葉は、あまりに強い暴言であり他人に言うべき言葉ではないことは明白だったが、何故だか彼女の口から発せられたそれは、あまりそういう印象は無く真心の心に響いた。聞きなれない言葉だっただけなのかもしれない。
少なくとも彼女の目は蔑んだような色はしておらず、あくまで思ったことをそのまま行っただけである様子だった。そう言った様子が今まで出会った誰とも違うように思ったのである。
「生都辺さんって面白いね」
栗毛のショートカットに印象的な大きな黒目、総合して彼女の顔は一見整っているのだが、歩き方が少しガニ股で不格好だった。関わってみると思いのほか残念なクラスメイトはこの日から長い付き合いを続けることになる友人となった。
中学三年になった現在はクラスも別れてしまい、時間がある日だけ一緒に帰っている。彼女は普段、別の友人と下校するのだがその相手が塾通いであるため、塾がある日はそのまま行ってしまうのだという。彼女自身は習い事や委員会も部活動にも属しておらず、本当に自由に過ごしているという印象だった。真心は手芸部に属しているものの、その実態は幽霊部員であるためほとんど顔を出さない。放課後は毎日こうして遅くまで勉強をしてから帰宅するという行動を繰り返していた。
「蓮花って名前可愛いよね」
「名前のインパクト強すぎてキャラ負けしてるよ」
相手のことを褒める方が良いのかと思って発した言葉だったが、相手の反応が読めない。喜んでいるというよりはあまり興味がないらしい。やはり人間関係を保つのは難しい。顰めた顔を見られたくなくてうつむく。そういう態度はしたものの、真心はお世辞ではなく本当に彼女の生都辺蓮花という名前が好きだった。可愛らしく女の子らしい名前だと本気で思ってその気持ちを言いたかったのだが、蓮花には伝わっていないようで悲しかった。
「まあでも、ありがと」
少し間をおいてから続いた言葉に沈んだ気持ちが上昇する。顔を上げると蓮花は少し前を歩いていたため小走りにならなければならなかったが、ニヤけた顔を隠すにはちょうど良かった。
通学路の途中、ちょうど蓮花と真心の家から中間ほどに交差点がある。正式な名前は知らないが、地元の人間は茜河という河の近くにあるため、茜河交差点と呼ばれている。茜河は夕方になると綺麗に茜に染まり、秋になれば川沿いに植えられた紅葉で染まる。この茜河という呼び方も正式なものではないため、地元の人間のみに伝わる言葉である。
「もう日が沈んじゃったから夕焼けの茜河は見れなかったね」
「そんなの明日でも見れるでしょ」
蓮花は移りゆく茜河の景色よりも、今晩の夕飯のメニューが気になるらしい。真心は鞄の奥底に隠してあったデジタルカメラを取り出して一枚、日の落ちた茜河の姿を収めた。考え事をしていた蓮花も何も言わずに待ってくれる。真心は下校する際、必ずこの行動を欠かさず日課にしていた。それを初めて見た時の蓮花はあまり好意的ではない様子だったと真心は思っている。それも三年近く過ぎれば慣れたらしく、今では表情からは不快なのかも読み取れなくなってしまった。
「さ、帰ろ」
「うん。ありがとう」
待っていてくれたことに礼を言うと、「何が?」と蓮花は不思議そうに首を傾げる。その姿が空の淡い色に染まり真心の瞳に綺麗に映ったため、この時間がこぼれないように一枚収めた。




