序章
階段を駆け登る、二人の少女がいた。
弧を描く、長い螺旋階段である。見張りのために建てられた数十メートルに及ぶこの円錐型の石塔は最上階以外に部屋は無く、そこに辿り着くまではただ階段だけが存在している。
少女達は、その塔の頂上を目指していた。
二人とも、まだ年端もいかない少女である。階段を一歩上るのにも大股で踏み出す必要があるほどに、小さく、幼い。胸が焼け付く様に痛み、息も絶え絶えになりながら、二人は必死に走り続けていた。
泣きじゃくる少女の手を、早く前に進むよう促しながらもう一人の少女が引っ張っている。その少女はあどけなさの残る面持ちを持ちつつも、今置かれている現状を理解した、決して油断の無い鋭い目つきをしていた。短いブロンドの髪は土埃で薄汚れて、元は綺麗であったろう装飾物の散りばめられた純白のドレスは見る影も無くボロボロだ。靴は片方しかなく、右足の裏は皮がずるずるに擦りむけ、血の染みを点々と階段に残している。
もう一人の少女。同じブロンドの髪に同じ顔つきだが、おっとりとした目元をしている。その少女も隣の少女と同様の服装をしていて、同じ様に汚れていた。
しかし、こちらの少女には怪我などは一切見あたらない。靴もちゃんと履いている。
姉は護り、妹は護られていた。双子の少女達は、塔を登り続ける。
時々、泣き出しそうになる妹を叱り飛ばした。痛みに挫けそうになった時は歯を食いしばった。こんなことが上手くいくわけがないと、歩む足が鈍くなった。
……いつのまにか、妹が手を引っ張ってくれていた。
そして遂に、最上階まで辿り着いた。大きな木製の扉を二人で押し開け、窓が一つだけしかない殺風景な部屋へと飛び込む。すぐに錠を掛け、扉を固く閉ざした。
気休め程度だと理解している。もうとっくに私達の脱走はばれているだろう。あいつらがここへ来れば、こんな扉なんてすぐ打ち破られる。もし、連れ戻されれば今後脱走の可能性など微塵も残さない為に、私達は遠くへ隔離され、厳しく管理される。きっと、もう、一生外には出られない。
だから、早く飛ばなきゃ。
姉は窓から眼前の景色を一望した。この見張り塔は城の隅に建てられており、城壁の先には大きな河川と広大な森林が見える。地上から城壁の向こうに行くことはどう足掻いても不可能だった。だけど、ここからなら越えられる。
姉は不安げに表情をすくませる妹の頭を撫で、抱きしめるように体を引き寄せた。妹は目をつむり、全てを託すかの様に姉の体をきつく抱き返した。
数十メートルの高さから、河川への飛び込み。高い城壁と外敵用の堀に囲まれたこの要塞から抜け出すには、この方法しか無かった。むろん、並の人間が同じ真似をすれば、この高さだ。水面とはいえ凄まじい衝撃を生み、まず生きてはいられない。
そう、生きてはいられない。
「お姉ちゃん……?」
ゆらゆらと揺れる姉の体に当惑し、妹は不安の声を上げた。
覚悟を決めていた……そのはずだった。
姉は震える両肩を握りしめ、崩れ落ちそうな膝を必死に制止しようとする。沸き上がる恐怖心を懸命に押さえつけようとした。体中を無数の虫が這い回り、心臓を浸蝕されているような悪寒が襲いかかっていた。
本当に、助かる……? 私達なら助かる、そう信じてここまで来た。 けど、それは本当に信じれること? 私達の中に宿るアレが発現すれば、きっと助かる。 でも……これまでどれだけ望んでもアレは起こらなかった。 今だけ、アレが都合良く起こるなんて、そんな不明確を信じてもいいの……?
命を賭けさえすれば、アレは起こってくれるの……?
………………うん。
…………そう、だったね。
……私は、私を信じる必要なんて、無かったんだ。
……信じてるよ。
……お母さん。
どん、と衝撃音が聞こえた。それとともに激しい殴打音が鳴り響き、厚手の扉がぎりぎりと内側へ変形していく。ぐずぐずしている間に追いつかれてしまった。もう一刻の猶予も無い。
「行こう」
「……うん」
姉はよりいっそう、妹の手を強く握り、空へと駆けだした。