36.アイドルスター伝説(女性アイドルシミュレーション)<3>
大きな建物を俺は見上げる。すると、視界に文字情報が表示された。
スターオオタケ芸能プロダクション。テレビタレントから映画役者、歌手まで様々な芸能人を抱えている総合的な大手プロダクションらしい。
俺が建物の中に入ると、受付の横に大竹プロデューサーが立っていた。
『よく来てくれたね。僕達の城へ案内しよう』
彼に案内され、廊下を進む。途中、何人もの人とすれ違うが、視界に表示される情報で、役者とか子役が混ざっているのが判る。ただの演出としての背景キャラなのか、主要NPCなのか判断がつかないな。
そして、廊下の突き当たりまで進むと、『アイドル課』と上にプレートが掲げられた扉を開けて、大竹プロデューサーは俺を部屋の中へと招いた。
『狭くてすまないね。アイドル事業は斜陽だから、こんな隅っこに押し込められているんだ』
そこは、一軒家の居間を一回り広くしたくらいの部屋だった。
部屋の中では、三十代くらいの中年の女性と、中学生くらいの少女が椅子に座っていた。
『二人とも、紹介するよ。新しいアイドル候補生のヨシムネさん。期待の新人だよ』
大竹プロデューサーの台詞の後、中年の女性が立ち上がり、こちらへと近づいてくる。
『ヨシムネさん。こちら、音楽プロデューサーの小里谷薫さん。なんとあの有名な歌劇団出身なんだ』
『小里谷だ。よろしく』
「よろしく。歌劇団出身かぁ。道理で背筋がシュッと伸びているわけだ」
どこか凜としているから、男役をやっていたのかな。
それよりも一つ、気になることがある。
「音楽プロデューサーと芸能プロデューサーって、何が違うんだ?」
『小里谷さんが君に相応しい楽曲を考え、作詞作曲をして、レコーディングを主導する。僕が君に相応しいアイドルとしての売り方を考え、宣伝し、外から仕事を取ってくる。そういう役割分担さ。もちろん、曲と売り方は合致していないといけないから、よく話し合うけどね』
「なるほどなー」
よし、小里谷音楽P、大竹芸能Pとそれぞれ呼ぶとしよう。
『そんなことより、私を紹介してよ!』
椅子に座っていた少女がそう言って立ち上がり、こちらに近づいてくる。
『ああ、彼女は盾小百合さん』
『あなたと同じアイドル候補生よ! よろしくしてあげるわ!』
黒髪をツーサイドアップにした美少女が、元気に挨拶をしてくる。
「ああ、よろしくな」
『もしかしたらユニットを組むかもしれないし、特別に小百合って呼ぶのを許してあげる!』
可愛いキャラだな。さすがアイドル候補生っていうだけある。
と、そこでヒスイさんからのコメントが来た。
『ヨシムネ様、その子の好感度を上げすぎないよう注意してください。デビュー前に好感度を上げすぎると、二人でアイドルユニットを組み芸能界に進出する、〝蘇る昭和のアイドルユニット〟ルートに入ってしまいます』
何それ気になる。他にどんなルートがあるの、ヒスイさん。
『そのプロダクション所属ですと、音楽プロデューサーとヒットチャートの頂点を目指す、〝平成の歌姫〟ルート、芸能プロデューサーと二人三脚でアイドルとして大成する〝時代遅れのスーパースター〟ルート、事務所の企画で多人数ユニットを組む〝受け継がれるアイドルグループ〟ルートがあります』
うわー、どれもどんな展開になるか気になるな。
21世紀にいた頃は、アイドル事務所のプロデューサーになってアイドルを育成するゲームもやっていた。そのシリーズの中でも特に、プロデューサーではなくアイドル本人が主人公になる、外伝的作品が一番好きだったんだ。
ヒスイさんとの脳内会話の最中にも、シナリオは進む。
大竹芸能Pとの会話を終えた小里谷音楽Pが、こちらを真っ直ぐ見て言ってくる。
『では、ヨシムネ。君がどんな歌を歌うのか、早速聞かせてもらうとしよう』
そういうことになったので、部屋を移動してトレーニングルームへ案内された。
事務所内にこんな設備があるとか、さすが大手だなぁ。
『それじゃあ、歌ってもらうよ。曲は学園祭のときと同じでいいかな?』
『アイドルスター!』だな。俺はそれで構わないと答え、部屋に据え付けられた機材へ大竹芸能Pがどこから取り出したのか、CDをセットする。
伴奏が流れたので、俺は視界に表示される歌詞に従い、『アイドルスター!』を熱唱する。
歌い終わると、大竹芸能Pが拍手をしてくれた。だが、大竹芸能P以外の二人の表情は、明るくない。
『音痴ね! 大丈夫かしら、これ』
レッスンルームまで付いてきていた小百合が、はっきりとそう感想を述べてきた。
まあ、解っていたことだ。その批難は素直に受け止めよう。
『発声はしっかりしているが、音程が取れていないな』
小里谷音楽Pがそうコメントをする。
ふむ、発声は、学生時代の演劇部でつちかった、昔取った杵柄ってやつだな。衰えていないようで何よりだ。
『ボイストレーニングは最小限にして、ボーカルトレーニングを徹底的にやらせよう。ダンスはそれが上手くいってからだ』
『ダンスもおそらく素人だから、練習をおろそかにはできないんだけどねぇ』
二人のプロデューサーが、そう今後の方針について話し合う。
ダンス、ダンスかぁ。そうだよな。アイドルといえば踊るよなぁ。
昭和の初期アイドルならともかく、この時代の男性アイドルグループといえば、魅せる派手なダンスがセットだ。女性アイドルにもダンスは必要だろう。
さすがに、ローラースケート履いて踊れとは言ってこないだろうが。
『では、今日から早速始めていくぞ』
そうして俺は、ボーカルトレーナーさんを紹介され、歌のトレーニングを開始することになった。
小百合が一緒にやりたがったが、好感度を上げないためにそれは断った。
一日三時間の厳しいトレーニング。それが終わると、家に帰り休憩をとった後に寝て、またプロダクションに行ってトレーニングという日々を送る。
学校パートは省略されているようだ。まあ、アイドルに学校は関係ないしな。
芸能人がいっぱい在籍している学校に転校して、同業者の生徒と交流というのもゲーム的にありだと思うが。あ、売れっ子は仕事で学校休んでいるだろうから、交流は無理か。
トレーニングの日々。正直よく続けられるなと、我ながら思う。
だが、これも全て、音痴が少しずつ改善していっているという、結果がついてきているからだ。
あと、ゲーム内の商店街でゲーム機を購入して、懐かしのゲームソフトで遊んだりして、適度にストレスを発散していたりする。ゲーム内でゲームをする、一般的未来人のような行為をとうとう俺も行なうようになったか……。
そうしてトレーニングにただひたすら明け暮れること、ゲーム内で二ヶ月間。
俺は、その日も確かな上達を感じながら、トレーニングを終え家に帰っていた。
「おかえりなさいませ」
ヒスイさんがエプロン姿で迎えてくれる。うーん、この新婚生活感よ。実態は親子なのだが。
ヒスイさんの夫の座は、俺ではなく未だに姿を見せていない父親NPCの物だ。
「ただいま。そういえばヒスイさん、父親NPCっていないのか」
「単身赴任をしているという設定です。ヨシムネ様は、チェーホフの銃という言葉をご存じですか?」
なんちゃらの銃? 聞いたことないな。
「いや、知らない。何それ」
「ストーリー上に存在する要素は、全て後の話の展開で使うべきだという、劇作のテクニックです」
「うーん、つまり?」
「父親というキャラクターを出すなら、そのキャラはストーリー上何かしらの役割を負っているべきだということですね。逆説的に言うと、父親がいないということはストーリー上に父親は必要とされていないということです」
「えー。でも、にぎやかしは居た方が楽しいだろ。そりゃあ、俺も演劇やっていたから、不要なキャラはいないほうが話がスッキリするのは解る。でも、これゲームだぞ? いた方が雰囲気出るだろ。実際、事務所でも、通行人に芸能人が混ざっているし」
「この家は、プレイヤーが毎日帰ってくるスポットです。そこで好感度を稼いでもシナリオになんら影響を与えないキャラクターがいると、プレイヤーの行動を無駄にしてしまうのですよ」
「なるほどなー。あれ、ということは、母親はシナリオに影響のあるキャラってこと?」
「はい、母親の好感度を優先的に上げることで、〝受け継がれる意志〟ルートに入ります。実は主人公の母親は、元アイドルなのです」
「マジで!?」
ヒスイさん元アイドル説。いや、元アイドルキャラを乗っ取っているだけなのだが。
「主人公が昭和のアイドルに憧れているのは、母親がアイドルをしていたからです」
そんな設定が、母親に成り代わったヒスイさんから告げられる。
「うわ、覚えのある展開だな。娘が人気になってきたら、元大人気アイドルの母親が再デビューして娘の前に好敵手として立ち塞がる展開か!?」
国民的人気アイドルだった母親が、アイドルになった娘と歌で競い合う。俺が好きなアイドルゲームには、そんなシナリオがある。
「いえ、母親は現役時代売れないアイドルで、こころざし半ばで引退しています。その母親が歌っていた楽曲を今度こそ人々に知らしめたいと、奮起するのが〝受け継がれる意志〟ルートとなります」
「なるほどなー。で、ヒスイさんがその母親に成り代わっているということは……」
「キャラクターの乗っ取りにより、母親の好感度が変動しなくなっています。ゆえに、初心者プレイヤーが最初に行きやすいこのルートには分岐しません。安心して私に甘えてください」
「いや、とりあえず寝るわ」
俺はずっと立ったままだった玄関から靴を脱いで上がり、二階の私室に向かおうとする。
「ずっとトレーニングを続けていてお疲れでしょう。たまには食事を取りませんか?」
「……いただこうか」
そうして、俺は音痴を直すためのトレーニングをひたすらに積み重ねていくのであった。
音程は少しずつ取れるようになってきている。音痴は直るのだ。
ゲーム一本購入するだけで、21世紀だと高いお金を取られたであろうボーカルトレーニングを継続して受けられるとか、未来の世界は相変わらずすごいなと、俺は感心するばかりであった。