30.Stella(MMORPG)<8>
日はすっかり暮れ、夜の帳が下りる。
空は一面の星の海。焚き火や光魔法の照明があるため、闇夜に浮かぶ完璧な星空とは言えないが、それでも美しかった。
きっと、地上の明かり量の関係で俺がかつていた21世紀とは、見える星の規模が違うんだろうな。いや、ゲームの中で、しかも地球じゃないから比較は無理か。
ちなみにこの時代の地球は、地上にある建物がほとんど撤去され、自然が復活しているという。
だから、ヨコハマ・アーコロジーから出て見える星空もきっと、綺麗なんだろうなぁ。
「はー、いい星空だねぇ。日の入りも見応えがあったし、山っていいね」
食事をしながら山頂から見た日暮れの風景は、なかなかの物だった。ここは北の山なので、南方向を向くと草原と森が広がっているのだが、雲間から見えるその森に赤い夕日が落ちていったのだ。
南方向に太陽が見えてたってことは、ここは北半球か。いやまあ、世界移動したときに見えたのは、巨大な亀の上に載った半球で、曲面の方が下になった平らな大地だったのだが。
「亀の上に乗った大地なのに、空には星が瞬いているんだなぁ」
「天動説が採用された『星』のようですね。この次元の宇宙では、この大地が宇宙の中心です」
ヒスイさんがそう解説しながら、俺に山羊乳のホットココアが入ったマグカップを差し出してくる。
寝る前の一服か。いいね。いただきます。
「はー、落ち着くわぁ」
『落ち着きすぎて眠くなってきた……』『静かな配信だ』『見所は少ないけどな』『今回はヨシちゃんを愛でる配信』『のほほんとしているけど、ヨシちゃんは変わらずビキニアーマー』『寒そう』
「ビキニアーマーのことは言わんといてくれ……」
アウトドア中に半裸とか、いつ本格派ブッシュクラフト動画撮影を始めるんだって感じだ。
ふう。ココア美味しい。
少しずつ飲んでいたが、いつの間にかマグカップが空になってしまった。
「さて、寝るか」
「はい」
俺はヒスイさんと一緒にテントの中へと入った。二人用なので、さほど広くはない。うーん、三人用にしたほうがよかったかな。
俺はテントの片隅に置いておいたリュックサックから、寝袋を取り出し、マットの上に広げる。ヒスイさんも自分の分をインベントリから取り出している。
さらにヒスイさんは毛布をインベントリから取り出し、並んだ二つの寝袋の上にそっと被せた。
そして、俺達は無言で寝袋の中に入った。
テントの中はカンテラで照らされている。俺達はその小さな光の中で、ただぼんやりと寝袋に包まれて寝転がっていた。
そして、ふと思ったことを口にする。
「山頂だから寒いと思ったけど、意外とそうでもないな」
それこそビキニアーマーしか着けていないのに。
「結界を張ってくださった方の聖魔法のスキルレベルが高かったのでしょうね。結界内部の環境が快適に保たれています」
「そっか。厳しい山頂の環境というのにも興味あったけど、テント泊初心者としてはありがたいことだわ」
『どういたしまして』『あんたが結界張ったのか』『有能』『名誉ヨシ民の称号をやろう』『ヨシ民って何!?』
「はあ、視聴者のみんなも元気だなぁ。あと、名誉市民とかけた日本語のダジャレなんだろうけど、ヨシ民はねーわ」
『さーせん』『ヨシ民不採用』『実際のところ、こういう視聴者の呼び名とか決めないの?』『閣下なんかは視聴者を下僕って呼んでるぞ』
閣下って誰だろう。文脈からして、多分、有名配信者の一人かな。
「あー、視聴者の呼び名は特に決めないよ。決めたら、なんか配信の方向性が固定されそうでな。これからも俺は好き勝手やっていくぞ」
これからも視聴者のみんなは視聴者って呼び方のままってことだ。
変に名前つけて内輪の集まりっぽくなってしまったら、新規の視聴者を逃してしまうかもしれないし。
「それじゃあ、ヒスイさんおやすみ」
「はい、カンテラ消しますね。おやすみなさいませ」
そうして、テントの中は暗くなった。
テントの外からは、まだ参加者達が起きているのか、人の声が漏れ聞こえてくる。夜通し酒を飲んで騒ぐつもりなのかもしれない。俺とヒスイさんは健康的に寝るけどな!
ゲーム内で寝るのも、『-TOUMA-』での生活ですっかり慣れてしまったなぁ。あのときはゲーム内一日で一時間ずつの睡眠だったけど。
『sheep and sleep』で寝る姿も撮影したし、俺の配信、寝てばっかりだな。
ともあれ、明日も早いしおやすみなさい。
◆◇◆◇◆
すんなりと目が覚めた。
これはゲームなので起床時間を設定できる。そのため、寝過ごすということはない。そういえばリアルでも、ガイノイドのボディになってからというもの、寝過ごしたり朝が辛くなったりとかすることはなくなった。
寝袋の中から出ると、ヒスイさんも同時に起き出したようだ。
「おはようヒスイさん」
「おはようございます」
ヒスイさんが丁寧に挨拶を返してくれる。この光景にも慣れたものだ。具体的に言うと、『-TOUMA-』の中で二十年分ほどやった。
「視聴者のみんなもおはよう」
「皆様おはようございます」
『ヨシちゃんおはようー』『こっちは夜だ。おはよう』『ヨシちゃんの寝顔、堪能しました』『寝袋から顔だけ出ていて面白かった』『名誉ミイラ』『寝袋姿ってあんま可愛くないのな』
朝からこやつらは、好き勝手いいよる。
俺達は寝袋を丸めてそれぞれしまうと、テントの中から外に出た。テントの中は窮屈感があったので、やっぱり三人用テントが欲しいな。
外はまだ薄暗いが、あらかじめ起床時間を知らせていたためか、参加者達はすでに起き始めている。中には徹夜したプレイヤーもいるかもしれない。
『Stella』はゲーム内で長時間睡眠を取らなかったりログアウトしなかったりすると、寝不足というバッドステータスが付くらしい。でも、元のステータスに優れた熟練者的には、一晩の徹夜程度なんともないのかもしれない。
「みんなおはよー!」
俺は、周囲に向かって朝の挨拶をした。
「ヨシちゃんおはよー!」
そして、元気な挨拶が返ってくる。うむ、よろしい。
「日の出を見るぞー! 南東方面に急げー!」
「わぁい!」
そうして俺達は山頂の端ぎりぎりに場所を移した。
眼下に広がるのは薄い雲。そしてその下に広大な草原。目をこらしてよく見てみれば、所々に村があったり、畑があったり、川があったりと、いろいろな景色が楽しめた。
そして、地平線の向こう。少しずつ空が白んできて、太陽がその頭頂部をゆっくりと見せ始めていた。
大自然の中で見る、日の出である。
「はー、観光客って感じがしてきたわぁ」
『俺の知ってる観光客と違う』『観光ってこう、他所のスペースコロニーに訪れて施設見て的な……』『惑星テラ住みだけど自然観光ツアーに手が出せない』『惑星在住でもそうなんですね』『惑星マルス観光は安いよ。植生特殊だけど』
惑星マルスは火星のことだったかな?
環境を地球化するテラフォーミングが進んでいるとヒスイさんから聞いたことがある気がするが、進んでいるといっても自転速度や太陽からの距離が地球とは違うから、一日の日照時間や昼夜の気温差など、技術ではどうしようもない部分もあるだろう。地球と同じ植生というわけにはいかないだろうな。
「ゲームの中の自然をこうして気にしたことがなかったなぁ」
そんなことを呟く参加者が、中にはいた。
このゲームはなかなかの作り込みがなされた大作だと思う。だから、俺の配信を通じて、自分のやっているゲームのよさに気づいてもらえたなら、こんな企画を立てた甲斐があるってものだな。
やがて、日は完全に顔を出し、本格的な朝が訪れた。
「さて、朝食にするかー!」
「おおー!」
俺は参加者の元気な返事を確認すると、テントの並ぶ場所まで戻ってきた。
さて、今日の朝食は簡単に済ますつもりだ。市場にドライフルーツ入りのグラノーラが売っていたので、それにミルクをかけるだけ。なんとも簡単である。
自分達でグラノーラを作ることもできたのだが、そうなると小分けに材料を買うことになってかえって高く付きそうだったので、出来合いのグラノーラだ。
グラノーラを用意している間に、ヒスイさんが料理スキルを最大限に駆使してコーヒーを淹れてくれる。
モーニングコーヒーとは洒落ているね。俺はグラノーラの入った布袋を脇に置いて、コーヒーをゆっくりと飲み始める。
はー、目が覚めるわぁ。元から気分はばっちりだったけどさ。
さて、コーヒーで気力もチャージしたので、朝食の準備を進めよう。とは言っても、二つの器にグラノーラを盛り、山羊乳をかけるだけだ。
「よし、できた! 今日の朝食はグラノーラだ!」
『いいね!』『昨夜と比べて簡単すぎる』『味、気になります!』『簡単な料理だけど、ロケーション考えると最高なんだろうな』
「みんなも、ゲームの中でキャンプとかやってみるといいよ。アクティブモンスターいないところでな!」
市場で安値だった木のスプーンを用意して、俺とヒスイさんは朝食を開始した。
当然、嗅覚と味覚を視聴者と共有しながらだ。
『あんまーい』『楽しい味だな』『ヨシちゃんみたいに優しい味』『ヒスイさんは苛烈』『フルーツがアクセントになっていていいね』
視聴者達が食レポを代行してくれる。便利な奴らだ。もう俺が喋らなくていいじゃないか。
でも、グラノーラはやっぱり美味い。この味を知ると、コーンフレークには戻れないね!
「ヨシちゃーん、グラノーラくださーい!」
と、そんな俺達の食事を邪魔するように、ハイテンションな少年PCが現れた。
グラノーラのことを知っていたということは、きっとライブ配信を見ていたのだろう。
だが、今日の朝食は、昨夜のようにみんなに分け与えることはできない。
「すまんな。今朝は二人分しか用意していないんだ」
「一口! 一口だけでいいから! ほら、ホットサンドあげますから!」
「ええ……しょうがないにゃあ」
俺は木のスプーンにグラノーラをすくい、少年PCに向けて差し出した。
それに彼は、ぱくりと食いつく。
満足そうな顔をした彼は、俺にホットサンドを渡して戻っていった。
『あーんだと……!』『ヨシちゃんのあーん!』『ガタッ!』『私もいかねば』『俺はヒスイさんがいい!』
「あーんじゃねえよ! それと、グラノーラはもう売り切れ! 売り切れです!」
そう宣言して、俺はホットサンドに食いつく。むむっ、チーズとポテトとベーコンが挟んであるな。うまうま。
半分食べたところで、俺はヒスイさんにホットサンドを渡す。
「ありがとうございます」
ホットサンドを受け取ったヒスイさんは、はむはむと食べ始めた。
美味しそうに食うなぁ。ヒスイさんとリアルで一緒に食事を取り始めた四ヶ月前は、俺の提案だからとりあえず従うって感じで淡々と食事をしていたものだが。食事に対する正しいリアクションの取り方を学んだってことだな。
そうして俺達は朝食を全て平らげた。
この後の予定は下山なので、ヒスイさんはテントの撤去を始めた。
一方俺は、まだ食事を続けている周囲に向けて言う。
「朝食終わったら、各自テント片付けなー! ゴミは全部回収するように!」
その言葉に、「うーい」だの「へーい」だのだらけた声が返ってくる。
まだ下山が残っているので、気が滅入っているのだろうか。この場は、登山そのものが好きな人間が集まっているわけではないからな。俺も含めて。
登りは知らない風景を見ながら、楽しみながら登れた。高地で咲く花やノンアクティブの動物など、いろいろな発見があった。しかし、下りも同じ道を進むので、新鮮さは失われてしまっているだろう。
だけど、帰るまでが登山だ。頑張ろう。
やがて、テントの撤去も全て終わり、下山開始となるはずだったのだが……。
「あいつら何しているんだ?」
こちらに集まらず、テントを張っていた広間の中央で何かをしている参加者達がいた。
置いていくわけにもいかず、様子を見にいこうかと思ったその瞬間。
『サウザンドドラゴンが召喚されました』
そんなシステム音声が告げられ、壮大なBGMが鳴り響き始めた。
そして、上空から飛来する影。
俺は思わず叫ぶ。
「あいつらレイドボス呼びやがった!」
『マジか』『ここにきてまさかの展開』『誰かやると思ってた』『テント撤去してからやるあたり、まだ理性がある』『ヨシちゃん、攻撃の余波が届いた瞬間死ぬな……』『盛り上がってまいりました!』『戦おうぜ!』『まさか逃げるとは言うまいね』
「くっ、やってやるさ! 皆の者、俺に続けー!」
そうして唐突に始まったレイドボス戦を挟み、俺達のテント泊登山は無事に終了した。
レイドボス戦の疲れもあってか、下山中は本当にへとへとになったのだが、それでも気力で麓まで下りきることができた。
町まで戻るために羊を召喚した瞬間、緊張の糸が切れて俺は羊のふわふわした毛に全力ダイブをかましてしまったりした。
そんな参加者達の暴走もあったが、一応、企画は成功を収めたと言えるだろう。参加者達も口々に楽しかった、次回もあれば参加したいと言っていたので、また絶景を求めてどこかに集まるのも悪くないだろう。
その日まで、このよわよわな天の民PCをちまちまと鍛えておかないとなぁ、と今更ながらに縛りプレイの困難さを噛みしめているのであった。