191.ヨシムネ宇宙へ
ヨコハマ・スペースポート。高度10000キロメートルに存在する宇宙港だ。
10000というのは、切りがいいからこの数字なのかな、と思ったが、違った。
ヒスイさんが、宇宙港の通路を歩きながら説明を入れてくれる。
「高度10000キロメートルは、惑星テラの外気圏と宇宙空間のちょうど境目となります。大気圏、という言葉をご存じでしょうか?」
「ああ、大気圏突入とかよく言うね」
「その大気圏は、地表から見て順に対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、外気圏と分かれます。大気圏突入、という場合は、このうちの熱圏のある層、高度120キロメートルまで下った場合を言いますね」
「大気圏突入なのに、一番外の外気圏じゃなくて熱圏なんだ」
「そうですね。先ほど宇宙空間の境目は高度10000キロメートルにあると言いましたが、一般的に宇宙は、高度100キロメートルから上を指します。大気の強い影響があるのは、このあたりからです」
「ややこしいな!」
「21世紀に存在した国際宇宙ステーションは、高度400キロメートルに位置していました。大気の層があっても、宇宙は宇宙なのです」
「ふむふむ。でも、高度100キロメートルからはもう宇宙で、宇宙ステーションが400キロメートルなら、なんで軌道リングはそのあたりの高さに設置されていないんだ? わざわざ高度10000キロメートルなんかに作ったら、惑星テラを一周させるリングの全長が膨大な長さにならない?」
「その答えを出すには、まず軌道エレベーターの存在理由から考えなければなりません」
存在理由?
ええと、軌道エレベーターは地上から宇宙まで荷物や人を運ぶための施設だ。
なぜわざわざそんな施設を用意するかというと、地上から宇宙まで宇宙船で移動するのは大変だからだ。大気圏を突破、突入するには、宇宙船に強度と熱耐性が求められる。
他にも、惑星テラの重力を振り切るには、相応のエネルギーが必要だ。この時代だと、核融合炉や縮退炉が存在するので、そんな問題にはならないかもしれないが。
一方、軌道エレベーターがある場合。宇宙船は惑星テラの地表まで行く必要はないので、宇宙船に強度は求められないし、エネルギーも大量消費しない。移動にいちいち時間をかけてなくとも、宇宙にある軌道エレベーターの宇宙港で物資や人のやりとりをすれば、それで済む。
「はい。そこで、高度400キロメートルで考えてみると、この高さはまだ惑星テラの重力の影響が強く残っています。さらに大気も高度100キロメートルほどではないですが存在しているので、宇宙船の運航に支障が出る場合があります。高度10000キロメートルまで行けば、重力の影響も少なく、大気も存在しないので、宇宙港を運用しやすいのです」
「なるほどなー」
そんないつもとは違う、インテリじみたやりとりをしているうちに、俺達は宇宙港の目的地に着いた。
宇宙船搭乗口。俺達が乗りこむ予定の宇宙船はすでにこの宇宙港へ到着している。ここからその宇宙船が見えるのだが、その外観はというと……。
「くじらっぽい」
「ギャラクシーホエール号です。アメリカ国区の宇宙造船業者が製作した、最新の中型宇宙船ですね。メイン動力は縮退炉一基、サブ動力は核融合炉四基。推進方式は反重力。搭乗可能人数は520名です」
「本当にくじらさんでしたか……」
航空旅客機を越える大きさの宇宙船を見上げながら、俺達は搭乗口をくぐり抜けた。
◆◇◆◇◆
宇宙船内部に待っていたのは、ギターケースを背負ったノブちゃんだった。
「どうしたのさ、ノブちゃん。ロックにでも目覚めた?」
「え……? あ、いえ。記念祭で、歌うだけでなく、演奏もしようと、思いまして」
「へー、ノブちゃん、ギター弾けたんだ」
「弾けたと言いますか……練習してきたんです。吟遊詩人になって、世界を旅するオープンワールドゲームで、時間加速機能を使って、一年間過ごしてきました」
「一年間!? ガチ過ぎる……」
「楽しかった、ですよ?」
「そりゃあ、なによりだけど……ちょっと喋りが流暢になった気がするのは、その一年間のおかげかな?」
「トークが、上手になったのなら、嬉しいですね……!」
しかし、ノブちゃんがギターか。『We Are The World』のギターアレンジ。絶対格好いいぞ、それ。
「それで、ええと、ヨシちゃんにお願いしたいことが、あるのですが……」
「おう、なんだ? 簡単なことならいくらでも言ってくれていいが」
「『We Are The World』のサビのコーラスをヨシちゃんとグリーンウッド閣下に、頼みたいんです。グリーンウッド閣下は、了承して、くださいました」
「そんなことか。おっけー、頼まれた」
「ありがとうございます……!」
しかし、一年間の特訓かぁ。俺も何かしてきた方がよかったんだろうか。
ううむ、向こうにVRゲーム環境はあるのだろうか。異星人にゲームを教えるって話があったから、ソウルコネクトチェアくらいはあると思うのだが。
そんなことを考えていると、今度は閣下とラットリーさんがこちらにやってきた。
「ふう、挨拶回りとか面倒じゃったのじゃ……やっと一息つけるのう」
「おう、おつかれ?」
「疲れたのじゃ。惑星テラで名士になどなるものではないな」
「本当におつかれの様子だな……」
「この船は惑星テラ関係者しか乗っていないから、まだましなのかのう……そうそう、ヨシムネ。ヨシノブのコーラスの話は聞いたか?」
「ああ、さっき了承したところだ」
「それなんじゃが、私とヨシムネとヨシノブ、それにヒスイとラットリーで、バンドでも組まんかの?」
「バンドー? 急すぎないか?」
「練習時間は、向こうでソウルコネクトして時間加速すれば確保できる。設備はあるそうじゃ。それより、ヨシノブがせっかくギターを弾くというのじゃ。私達もコーラスだけでなく演奏で参加しようではないか」
「うーん、それって、ノブちゃんの『We Are the World』だけ?」
「そうじゃな。私が歌うのは300年前のバラード曲じゃ。そして、そなたの伴奏はアンドロイド楽団に頼むのじゃろう?」
「ああ、楽器演奏は、人間じゃなくてアンドロイド達がやるって聞いたからな。オーケストラでいけるっていうから、それに頼むことにした」
「私のピアノ伴奏とはえらい違いじゃなあ。私も楽団に頼むかの……。で、どうじゃ、ヨシノブ。バンドはありかの?」
閣下が、ぼんやりと話を聞いていたノブちゃんに尋ねる。
「あ、え、その、お願いできるなら、すごく嬉しいです……」
「そうかそうか。決まりじゃの。それでは、パート決めをしようか」
と、閣下が話を続けようとしたところで、船内アナウンスが鳴る。
『搭乗確認が終わりましたので、出発いたします。惑星テラの全ての宇宙港を回り終えましたので、ただいまより惑星ガルンガトトル・ララーシへと向かいます。まずは惑星テラと距離を取った後、テレポーテーションで対象星系まで直接転移いたします』
フローライトさんの声だ。この宇宙船に乗っていたんだな。
『星系到着後、惑星ガルンガトトル・ララーシの軌道上にある宇宙ステーションに停泊し、皆様にそこで一旦降りていただきます。その後、宇宙ステーション内のテレポーター施設で、惑星地表に建設済みの人類用基地まで再度転移します』
宇宙船で直接惑星に降り立つわけじゃないんだな。
『宇宙ステーションへの到着は、二時間後を予定しております。皆様、ご自由にお過ごしください』
と、そこまでアナウンスが入ったところで、閣下が話を再開させた。
「で、ヨシノブ以外に楽器の経験がある者は?」
「全くなし。コーラスするなら、ドラムはちょっと厳しそうかな」
と、俺。
「楽器演奏プログラムをダウンロード済みですので、なんでもお任せください。『Stella』でもヨシムネ様の聖歌スキルの伴奏を担当しております」
と、ヒスイさん。
「同じくプログラムがあるのでどれでもいけますよー」
と、ラットリーさん。
「なるほど。私はピアノとヴァイオリンとヴィオラを300年前に習っておったので、キーボードでも担当するかの」
と、閣下。
そこで、俺はふと気づく。
「楽器は用意してもらえるのか?」
「向こうにたんまり予備があるようじゃの。では、ドラムはヒスイかラットリーに任せるとして、ヨシムネはベースギターかリードギターじゃな。サイドギター担当は、ボーカルのヨシノブじゃな」
なるほど、楽器の心配はしなくていいと。
「じゃあ俺は、ベースをやってみるかな」
「了解じゃ。ドラムはヒスイとラットリーのどちらがやるかの?」
すると、ラットリーさんが手を上げた。
「はいはい! 私、リードギターやりたいですー」
「では、私がドラムということで」
ラットリーさんの立候補を受けて、ヒスイさんはドラム担当になった。
それを見た閣下は満足そうにうなずき、言った。
「うむうむ。どうじゃ、ヨシノブ。そなたのバックバンドができたぞ。しかも、歌に合わせて、20世紀風のバンド構成じゃ」
「ありがとうございます……! 感激です!」
うん、善意の押しつけになっていないようならよかった。
その後、俺達はどのように練習していくかを話し合い、時間は過ぎていった。
宇宙船はいつの間にかテレポーテーションを完了していたらしく、壁に映し出される宇宙船の外の様子は、すっかりと様変わりしていた。
外の映像には、一つの惑星が映し出されている。
それは、雲がかかった青い美しい星。
これが惑星ガルンガトトル・ララーシか。この青さは、地球と同じく海でも存在するのだろうか。
宇宙船は惑星に少しずつ近づいていき、やがて宇宙ステーションらしき葉巻型の建築物が映像に映った。
『皆様、まもなく目的地に到着いたします』
そうして俺達は、宇宙ステーションに無事降り立つことができたのだった。