167.21世紀おじさん少女のブリタニア旅行<1>
「それじゃあ、留守番頼むぞ」
玄関で靴を履きながら、俺はそう言い放った。
本日は待ちに待った旅行当日。ちょうど今、準備万端で出かけるところだ。
まあ、準備万端といっても、着替えも持たず手鏡とブラシとハンカチといった、ちょっとした手荷物を小さな肩掛け鞄に詰めただけなのだが。
『お任せください。いってらっしゃいませ』
そう言葉を返してきたのは、フリルの付いた執事服を着た男性。
家事ロボット用の簡易AIを積んだ、アンドロイドのホムくんだ。
俺とヒスイさんの住むこの部屋には、ガーデニングがあったり、ペットロボットのイノウエさんがいたりするので、旅行の間誰かに留守番を任せる必要がある。そのため、久しぶりに留守番役のホムくんを起動したのだ。
俺がセンサーで開閉する部屋の扉をくぐると、続けてヒスイさんも扉をくぐり、外に出る。
ヒスイさんも、小さな肩掛け鞄を身につけているのみで、とても二泊三日の旅行に行く姿には見えない。
これから向かうブリタニア国区の宿泊先ホテルには、衣装を自由に着せ替えできるマイクロドレッサーが備え付けられているらしく、着替えは下着類も含めて一切持ち出していない。
正直、荷物が少なくて済むのは非常にありがたい。この時代のお金であるクレジットは電子マネーなので、財布すら持たなくていいから気楽である。
海外旅行で財布の心配をしなくていいのは、本当に助かるよな。
と、ヒスイさんに遅れて、カメラロボットであるキューブくんがふよふよと宙に浮きながら部屋から出てきた。
旅行の様子はライブ配信する予定なので、カメラ役のキューブくんも今回は同行することになっている。積まれているのは簡易AIなので、人格は存在しないが、彼も立派な旅の仲間だ。
「イノウエさんは大丈夫でしょうか……」
ロックがかかった部屋の扉を振り返りながら、ヒスイさんが心配そうに言う。
猫のペットロボットであるイノウエさんは、当然ながら旅行に同行はしない。ホムくんに全てのお世話を任せることになっている。
「心配なら、スリープモードにしてしまっておけばよかっただろうに」
俺がそう言うと、ヒスイさんは「とんでもない」と首を横に振った。
「スリープモードにするなんて、かわいそうではないですか」
「ロボットなんだから、スリープモードくらいいいじゃん」
「本物の猫に近い精神性を持たせてあるので、長期のスリープは混乱の元です」
うーん、ヒスイさんって、イノウエさんのことを猫ロボットではなく本物の猫と思っている節があるよな。稼働に必要なエネルギー量は変わらないのに餌にこだわってみたり、たいしてエネルギーにならないおやつを舐めさせてみたり。
まあ、ペットの扱い方は、飼い主の好き好きに任せればいいか。元々、ヒスイさんに渡したプレゼントなのだし。
とりあえず、ホムくんを信じるようヒスイさんをさとして、俺達は移動するために自動運転の公共交通機関のキャリアーに乗りこんだ。
この時代、公道を進むのは全て自動運転の乗り物だ。
なので、事故の心配も一切なく、進む速度も速い。
やがて、数十分後、俺達はヨコハマ・アーコロジーの郊外にある、軌道エレベーター前に到着していた。
「では、配信を開始します。準備はよろしいですか?」
「完璧」
公衆の面前でヒスイさんにブラシで髪をとかしてもらい、カメラに映る準備はOK。
俺は、よそ行きのファッショナブルな服にシワが寄っていないことを確認し、キューブくんの方を見つめた。
「3、2、1……」
「どうもー、21世紀おじさん少女だよー」
キューブくんの撮影中を知らせるランプが点灯し、俺はカメラの向こうの視聴者達に向けていつもの挨拶をした。
「今日は、待ちに待った旅行当日! 今日から三日間、ゲーム配信をお休みしてリアルの風景を流していくぞ!」
『わこつ』『わこたろう』『待ってた』『リアルヨシちゃんだー!』『三日間付き合う所存』
「旅行先は、惑星テラのブリタニア国区。ウェンブリー・アーコロジーにあるウェンブリー・グリーンパークだ。グリーンウッド閣下が俺達を待っている!」
『惑星テラ旅行とか豪勢だなぁ』『いや、実はウェンブリー・グリーンパークは安く行ける』『マジか』『アーコロジーの中だけで完結する旅行パックだから、かなり安め』『アーコロジー旅行って意外と安いのな』
「そうですね。一応、今回の旅は、二級市民の皆様でも問題なく行ける旅行プランになっています。とは言いましても、クレジットのほとんどをゲームに費やして、貯蓄がほとんどないという方には無理がありますが。……挨拶が遅れました。今回、ヨシムネ様の旅に同行する、助手のヒスイです」
『おおっと、貯蓄の話はしてくれるな』『私達はその日一日を精一杯生きているんだ』『宵越しの銭は持たぬ』『借金が許されていない社会制度でよかったと、本当に実感するコメントだ……』
刹那的な生き物が多いなぁ、二級市民の人達。
もし俺がこの時代に生まれた二級市民だったら、貯蓄をしてアンドロイドに魂をインストールして、死後もリアルで生き続ける老後のプランを練っていただろう。21世紀にいた頃だって、真面目に国民年金や各種保険料を払っていたしな。
「というわけで、俺とヒスイさんの二人と、カメラ役のキューブくんとで、今回の旅行配信を行なっていくぞ! まず、やってきたのはヨコハマ・スペースエレベーター前だ」
俺がそう言うと、ヒスイさんが引き継いで解説を行なってくれる。
「ヨコハマ・スペースエレベーターの地上部には、惑星テラの各地に跳ぶためのテレポーターが存在します。ソウルエネルギーとテレポーテーション能力を使って、瞬時に別の場所へ移動できる施設ですね。ヨコハマ・アーコロジー内には、このヨコハマ・スペースエレベーターにしかテレポーターは存在しません」
「ヨコハマ港には、テレポーターっていうのはないんだ?」
「はい。ヨコハマ港は貨物港であり、娯楽用旅客船はほとんど立ち寄らないため、テレポーターは設置されていません」
「ヨコハマへの人の行き来は、ほとんどこの軌道エレベーターで行なわれているってことだな」
そんなヨコハマ・スペースエレベーター、実のところ、中に入るのは初めてだ。今まで、建物の前に来たことは何度もあるのだが……。
「では、中に向かいましょうか」
ヒスイさんに促され、軌道エレベーター施設の内部へと入る。
中は……広々としていて、人が複数行き交っているな。おっ、お土産屋さんが並んでいるぞ。
うーん、なんというか……。
「21世紀の空港を思わせる内装だな」
学生時代に利用した羽田空港のロビーをどことなく彷彿とさせた。
俺がそんな感想を述べると、ヒスイさんが応える。
「機能的に似ているところがあるのでしょうね。エレベーターの利用も、テレポーターの利用も、どちらも予約制で、予約の時刻まで建物内で暇を潰す必要があります」
『テレポーターは使ったことあるが、軌道エレベーターには縁がないな……』『テレポーターすら使ったことねえ』『旅行好きでもないと、だいたい生まれたコロニーから出ないもんだ』『でも生身がある間に、一度くらいは惑星旅行ってしてみたいですね』
「これら移動施設の利用自体は、そこまでクレジットがかかりません。宇宙の星系間での長距離テレポート利用には、相応のクレジットが必要ですが」
「確かに安いな。今回のブリタニア国区行きだと、21世紀の俺がいた時代の日本円にして、ヒスイさんと俺の二人で5000円くらいの感覚だな」
『いや判らんわ』『いきなり21世紀の貨幣で換算されましても……』『昔のお金って数十年ですぐに価値が変わるから、歴史創作作るときにややこしいんだよ!』『クレジットは価値変動しないからなぁ』
あー、江戸時代の時代小説書こうとすると、時代によって一両の価値が激変するから調べるのが大変だって聞いたことあるな。
さて、そんなやりとりを視聴者としている間に、俺はヒスイさんに連れられて壁際の長ベンチに向かった。
そして、ヒスイさんはベンチに座り「少々お待ちください」と言って、空中に操作パネルを出現させて操作し始めた。
ううむ、今回の旅行プランは全てヒスイさんに任せたので、何をやっているか判らない。テレポーターのチェックインか何かかな?
「そういえば、今更だけど施設内の撮影許可って出ているのかな?」
「もちろん、出ていますよー。じゃんじゃん映していってください!」
俺の疑問に、ヒスイさんではなく、横から別の人が答えた。
それは、聞き覚えのある声だった。しかも、最近聞いた声だ。
俺は、声がした方向へと振り向く。すると、そこにいたのは意外な人物だった。
「どうも、ヨシちゃん、視聴者の方々。みんなの舞台監督、トキワですよー」
最近ずっと『シリウスのごとく』の中で顔を合わせていた、ミドリシリーズのトキワさんだ。
「おう、トキワさんじゃないか。どうしたんだ、こんなところに」
「あれ、ヒスイからは何も聞いていない感じです?」
「何も聞いていない感じだな」
「ではでは、あらためまして。わたくし、惑星テラの移動施設アテンダントをしております、ガイノイドのトキワと申します。ウェンブリー・アーコロジーに向かうまでの短い間ですが、よろしくお願いいたします」
おおー。アテンダントか。古い言い方だとスチュワーデス。なるほど、旅客機が存在しないこの時代でも、そういう役職が残っているのか。
「テレポーターまで案内したり、軌道エレベーター内のお店を案内したりが業務内容ですねー。人間にも憧れる方が多い、結構な人気職なんですよ。でも、惑星テラ中をあちこち飛び回ると時差で時間感覚がめちゃくちゃになるので、アテンダントのほとんどがAIで占められていますねー」
『トキワってアテンダントさんだったのか』『案内の仕事中に舞台の練習もこなしていたってこと?』『業務用アンドロイドは処理能力高いから、働きながらゲームで遊んでいるとか普通にやってる』『マルチタスクやなぁ……』『うらやましい能力だ』
そんなやりとりをしていると、いつの間にかパネルを消して立ち上がっていたヒスイさんが、こちらに視線を向けていたことに気づいた。
「よろしいでしょうか。ウェンブリー・アーコロジー行きのテレポーターは、日本時間で20時の便になります。アテンダントも来たようですし、それまで夕食でも取りましょうか」
「はいはーい、それじゃあ、トキワさんオススメのヨコハマ・スペースエレベーター地上部の飲食店に案内しますよ。食べたい物はありますかー?」
「飲食店もそろっているのか。いよいよ空港っぽいなー」
そんな俺の感想に、視聴者コメントは意外な盛り上がりを見せる。
『空港って、昔の移動施設か』『当時の飛行機は重力制御されていないから、普通に墜落していたと聞くが……』『何それ怖すぎない?』『人が運転する車による事故の方が、頻度高くて怖いぞ』『自動運転なかった頃は、人間が手動で運転していたんだよな……怖……』『MMOやっているとしょっちゅう接触事故起きるから、それがリアルで起きるとなると……』『リアルの事故で死ぬって事実が、ちょっと信じられない』
「そうは言うが、俺がこの時代にやってきたのは、時空観測実験の影響による超能力暴走事故が原因だぞ……」
どんなに頻度が減っても、事故というのは起きるものだと思う。
と、そんな話題で視聴者と盛り上がりつつ、トキワさんに釜飯料理の店へ案内してもらう。
釜飯を選んだ理由は、日本食であること。海外で三日間も過ごすなら、お米が恋しくなるかもしれないからな。
そうして俺達は、テレポーターの利用時間が来るまで、出来立ての釜飯を堪能しながらのんびりと時間を潰すのであった。