146.最果ての迷宮(ローグライク)<2>
かつて、一人の戦士がいた。その戦士は数多くの魔物を退治し、戦争で勝利を収め、英雄と呼ばれるようになった。
栄華を極めた戦士は、一つの願望を持つようになる。
それは、不老不死。
数多くの権力者達が捕らわれてきたその妄執に、英雄となった戦士もまた、魅了される。
だが、ただの権力者とその戦士には違いがあった。戦士は強く、困難に打ち勝つ力を持っていたのだ。
戦士は世界中を巡り、伝説を探り、秘境を旅した。そして、ついに戦士は伝説の不死鳥を見つける。
不死鳥を捕まえ、その生き血をすすった戦士は、とうとう不老不死の力を手にした。
それから戦士は、武術を極め、そして魔法も極めた。
世界最強の魔法戦士とうたわれた戦士は、歴史にその名を残した。
やがて数百年も経つうちに、戦士は世俗に興味を失い、辺境の地でただ己を鍛えることだけを求めるようになる。
さらに幾星霜を重ね、戦士は辺境で穏やかな生活を過ごすようになった。そして戦士は、新たな願望を持つようになる。
それは、己の死。
死別の辛さを幾度となく経験し、剣も魔法も極めきった戦士は、人生の終わりを考えるようになっていた。
不老不死は不死鳥に与えられた神の祝福であり、そして戦士に与えられた不死鳥の呪いでもあった。
祝福と呪いを兼ね備えたこの力は、魔法を極めた戦士でも解くことは叶わない。
高位の神官にも、深遠を覗いた呪術師にも、これを解くことは不可能であった。
そこで、戦士はかつて世界を巡った時に知った、一つの伝説を思い出す。
それは、最果ての世界にあるという願いの迷宮の伝説。
世界中に点在する試練の洞窟から鍵を持ち帰り、全ての鍵を天に捧げることで、幻想の生物たちが集う最果ての世界に行くことができる。そして、その世界に存在する迷宮の最奥には、あらゆる願いを叶えてくれる秘宝が存在するのだという。
戦士はこれをただの作り話とは考えていなかった。それぞれ1から99まで重複することのない数字が入口に彫られた試練の迷宮が、今まで発見されている。そして、最果ての世界の迷宮は100番目の迷宮だと、伝説には語られていた。
試練の迷宮は足を踏み入れた瞬間、一時的に魔法を忘れ、武術を忘れ、鍛えた肉体が衰えてしまうという呪いがかかった、踏破した者がほとんどいない難所である。
だが、戦士は不老不死。迷宮で死しても死体は灰になり、己が拠点と定めた場所でよみがえる。困難を極める迷宮であっても、いつの日か全ての鍵を持ち帰ることができるであろう。
まだ誰も見たことのない最果ての世界に行くために、戦士は数百年ぶりに活力を取り戻し、試練の迷宮に挑むのであった。
「と、長いオープニングだったが、ゲームを始めていくぞー!」
『呪いにかかったの自業自得やん』『でも、何百年も生きたら活力失うのは、ちょっと解る』『対戦ゲームのランキング上位とか、若い人多いもんな』『300歳超えているのに『MARS』でマスターエースやっている閣下の例もあるので、一概には言えないですが』『サンダーバード博士もスノーフィールド博士も、未だにばりばり研究者やっているし』『死別が辛くて自分も死にたくなるという感覚が、いまいちピンとこない』
ふむふむ。今後何百年も活動的に生きられるかと問われると、俺の場合だと正直どうだろうと答えてしまうだろうな。
ずっと現役で働き続けるとか、すごい。
『でも私達はいつでも消滅を選べる自殺の権利があるけど、こいつは死にたくても死ねないんだよね』『あー、それは大きな違いか』『魂の消滅まで行くケースは、生き疲れではなくて人間関係のトラブルからの逃避がおおよその原因ですよ』『魂の消滅じゃなくて長期スリープを選んでおけよ……』
自殺の権利なんてあるのか。まあ、ソウルサーバに魂をインストールしたら、死のうと思っても死ねないだろうから、それが辛いという人も出てくるか。
しかし、はっきりと自殺が権利として認められているって、すごいな。21世紀でも安楽死が認められている国と、いない国があったが。
さて、オープニングデモの感想はそこまでだ。黒い背景に無数の鍵が輝いている印象的なタイトル画面で、ニューゲームを選び、ゲームを始めることにした。
ゲームが開始されると、キャラクターメイキング画面に切り替わったので、いつもの通り現実準拠の姿にする。服装を選ぶことができるようだが……どれも簡素なファンタジー世界の田舎娘といった感じの服しかない。
「ファッションもう少しどうにかならんのか……」
『迷宮から金貨を持ち帰り、その金貨で新しい服を購入できます』
俺のぼやきに、この場にいないヒスイさんからの返答が届く。
「あー、ファッションも、やりこみ要素の一つってわけね」
『伝説の英雄がずいぶんとみすぼらしい格好に……』『お金貯めてないのかこの元英雄』『英雄(村娘)』『こんな格好でもミドリシリーズの美少女っぷりは衰えないので、大丈夫だって!』
そうしてキャラクターメイクが終わると、俺はどこかの部屋に出現した。テーブルがあり、レンガ組みの暖炉がある木造の部屋だ。その部屋を見回すと、視界に『自宅』との文字が表示された。歴史に名を残した英雄の家にしてはずいぶんとまあ、お金の匂いを感じさせない家だこと。
家電の類は見えないので、中世とか近世とか近代とかの世界観なのだろうか。
部屋には扉が一つ存在し、視界に文字が表示されて扉の先を知らせてくれる。『廊下』らしい。
この部屋には特に何もないので、俺は廊下の扉を開ける。廊下に出てから今開けた扉を見ると、『居間』となっていた。
そして、しばらく廊下を探索すると、台所、寝室、風呂場、書斎、魔法工房が存在することが判った。トイレはない。魔法工房には、迷宮に向かうための転移門が設置されていた。ここは後でいいな。
風呂場を見てみると、何やら魔法の道具で湯が沸かせるらしかった。家電の代わりを発見だ。
「このゲーム、お風呂入れるのか。そういえば、今の時代に来てからリアルでお風呂入ってないなぁ」
『今はナノマシン洗浄があるからな』『趣味人向けの風呂系レジャー施設が、どこかのコロニーに一個あるらしいけどね』『惑星テラの温泉はちょっと憧れる』『風呂場って言ってもこれ健全ゲームだろ? 着衣のまま入るのか?』
「あー、着衣で風呂はないよなぁ。そこんとこどうなの、ヒスイさん」
『バスタオルを身体に巻いた状態で入ることになります』
虚空からそんなヒスイさんの声が届く。
「バスタオルか。『ダンジョン前の雑貨屋さん』でもそうだったな。まあ、俺は特にお風呂好きってわけじゃないから、この風呂場を使うことはないな」
そう言って俺は風呂場を後にし、廊下を歩いて玄関まで向かう。
そして、玄関の扉を開いて、外へと出た。
すると、視点が切り替わり、空から地上を見下ろす第三者視点になった。
眼下に見えるのは、周囲を畑に囲まれた、小さな村だった。
十数軒の家が、石組みの壁に囲まれている。道は意外なことに石畳が敷かれており、家々の屋根もカラフルに塗装されていた。
みすぼらしい村って感じではないな、と思うと視界の隅に『辺境の町』と表示された。
「町なのか。ああ、そうか。ゲーム特有の、十数軒しか家がないのに町扱いな、あれか」
『リアルなスケールで作っても、移動が面倒なだけだもんな』『あー、確かに』『たまにガチで町を作り込んでいるMMOあるけど、移動はほとんどテレポーターを使うはめになる』『ゲーム側が町と主張すれば、それが町になるんだよ!』
そんな会話をしている間に、視点が元に戻る。俺がいるのは、自宅から外に出た地点だ。
さて、町にはどんな建物があるのか、と考えると、視界の右上の方に、『!』とエクスクラメーションマークの描かれた四角いアイコンが表示された。それに注意を向けると、目の前に大きく町のMAPが開く。
「酒場に食料品店、武具屋に服屋、そして雑貨屋か。一通りの店はそろっているな」
MAPを見ながらそう言うと、ヒスイさんの声が届いてくる。
『現在の所持金は0ですので、何も買えません。迷宮から金貨を持ち帰りましょう』
「本当になんなのこの主人公……」
最強の魔法戦士が無一文とかどうなっているんだ。
俺は、今、町でできることは何もないと考え、自宅に戻り、家の中にある魔法工房へと向かうことにした。
魔法工房の扉を開き、中へと入る。
「で、これが99の迷宮につながる転移門なわけね」
ごちゃごちゃと器材が置かれた工房。その工房の壁に、何やら怪しい枠がはめこまれており、枠の内側は光が歪んだ怪しい空間となっていた。いかにも転移のためのゲートって感じだ。
『魔法を極めた主人公が作りだした、世界中に点在する試練の迷宮へとつながる転移門です』
その転移門には1から99までの数字が振られたダイヤルがつけられており、今は『1』に合わされている。
そして、ダイヤルの下にパネルが存在し、そこには『入門者の迷宮』と書かれていた。
その文字を注視すると、目の前に説明画面が開いた。
「ええと、全五階の最も簡単な試練の迷宮で、特別なルールは何一つないオーソドックスな迷宮になっている、と。服以外の持ち物の持ちこみは不可」
『いわゆるチュートリアル迷宮ですね』
そんなヒスイさんの補足のコメントが聞こえる。
『全五階か』『楽勝やん?』『まさかこれで死ぬとは言わないよな?』『死んだら恥』
「……ローグライクよく知らんから、なんとも言えん」
まあ、ここでうだうだとしていても、しょうがない。さっさとチュートリアルをクリアしにいくこととしよう。
俺は転移門の枠内の歪んだ空間に気合いを入れて飛びこんだ。
すると、一瞬の浮遊感を感じ、俺は石造りの迷宮に辿り着いていた。
『よく来てくれたね、ヨシムネ。『入門者の迷宮』へ、ようこそ』
そんな男とも女とも判別のつかない不思議な声が、どこからともなく聞こえてきた。
前置きなしにいきなりの開始のようだ。視界の下方には、ステータスが表示されている。
階層:1 HP:12(12) 攻撃:16(16) 防御:5 レベル:1/0 Gold:0
ふうむ、簡素だな。RPGにありがちな、DEXだのLUKだのといった、細かいステータス値はないようだ。
俺は周囲を見回し、今の状況を確認する。
石造りの床は、1メートルほどの幅で線が引かれた正方形のマス目状になっている。マス目の間隔が1メートルだとしたら、今いる部屋は4メートル×12メートルの部屋だ。部屋には閉じた扉が一つ存在している。
そして、部屋の中には、緑肌をした人型のモンスターが一匹いる。手には木でできた棍棒を持っており、その頭上には、ゴブリンと表示されていた。
モンスターか。武器はあるのか、と思ったら、俺はいつの間にか自分の格好が変わっていることに気づく。
服の上に、なにやら鎧を着ている。まじまじと見つめると、リングメイルと視界に表示された。そして、腰には武器が吊り下げられており、それも見つめると短剣と表示された。
「いつの間にこんな装備を……入門者セット的な?」
『深く考えてはいけない』『素手でモンスターとやりあうわけにはいかないですしね』『ヨシちゃんなら空手でどうにかなる』『ローグライクだぞ。そんなにアクション性高いゲームなのか?』
まあ、近くにゴブリンがいるんだ。戦闘を試してみよう。
俺は、石造りの床を踏みしめ、枠線を越え一歩前に進んだ。すると、再び不思議な声が響く。
『床を1マス移動するごとに、1ターンが経過するよ。ヨシムネが1ターン行動すると、モンスター達も1ターン行動する。もっとも、そこのゴブリンはヨシムネの存在に気づいていないようだけどね』
ふむふむ。今回のゲームのチュートリアルさんは丁寧だな。
俺はゴブリンに近づいていき、その隣に立った。すると、ゴブリンは俺に気づき、俺の方を見て「キー!」と叫び声をあげた。
さあ、戦闘だ!
短剣を手に持ち、ゴブリンに思いっきり突き入れる。
だが、その攻撃はあっさりとゴブリンに回避された。
「ありゃ?」
次にゴブリンがこちらに攻撃をしかけてくる。その間、俺の身体は動かない。
ゴブリンの棍棒は、俺の鎧に命中した。ステータスのHPの数値が少し減る。
『攻撃行動を取ると、1ターンが経過するよ。そして、敵のターンでは君は一切の行動を取れない』
不思議な声にそう告げられ、俺は愕然とした。
「あああああ……。VRなのにアクション性が、全くない! ここは、回避率と命中率が支配する世界だ!」
『ヨシちゃんピンチ!』『そういうものだ。だって、ローグライクだもの』『ソウルコネクトゲームが、全部アクション性高いと思いこんでいたヨシちゃん可愛い』『ようこそ、運と経験が全てを支配する世界へ……』『ローグライクってこういうゲームなのか』
「くそう、ゴブリンごときにやられてたまるか!」
今度は短剣の一撃がゴブリンをとらえる。そして、ゴブリンの反撃は、勝手に動いた俺の身体が回避した。
さらに次の攻撃。短剣はゴブリンの頭蓋に命中。すると、ゴブリンの身体は砂のように崩れ去り、やがてその場から跡形もなく消えた。
『ゴブリンを倒した』
そんな文字が視界に表示され、ステータスのレベルの欄が『レベル:1/0』から『レベル:1/3』に上昇した。経験値が溜まったようだ。
「ふいー、なんとかなった……」
俺は汗もかいていないのに、左手で思わず額をぬぐってしまう。
すると、ヒスイさんの声が虚空から届いた。
『ヨシムネ様。この迷宮はターン制のルールに支配されています。急がずあせらず、じっくり次取るべき行動を考えていきましょう』
「ああ、ターン制ってことは、俺が何か行動を取るまで、相手は何もしないのか……」
俺は落ち着きを取り戻し、その場で深呼吸をした。
「思えば、この時代にやってきてからというもの……、VRといえばアクション性があるものだと考えて、ターン制のRPGをやったことがなかったな。うーん、知らず知らずのうちにプレイするゲームが偏っていたのか」
『ヨシちゃんの配信は、確かにアクションゲーム多いよね』『それだけアクションが得意だってことですよ』『『アイドルスター伝説』みたいな変わったゲームも期待しているよ』『今日は好きなゲームをヨシちゃんに紹介していいのか!?』
「ゲームの紹介はまた今度な……とりあえず要領はつかめたし、全五階層制覇してやるぞ!」
俺はそう気合いを入れて、『入門者の迷宮』攻略に向けて動き出すのであった。