エピソード5:背水の奇策
「アリスが負けた!?」
「ええ、そうよ」
ヴァイスラント邸。
トップ決闘者の屋敷は、その威光を誇るかのように立派だ。その客間、窓際に置かれたテーブルをはさみ、ライゼル・アズールとアリス・ヴァイスラントがお茶を飲んでいた。
「昨日、帰りに野良試合で」
「野良試合……」
「言っておくけれど、私は非公式戦だからといって手を抜いたつもりはないわ。全力で戦って、及ばなかった」
「及ばない、って。お前が?」
「そうね……。たぶん、何度も戦えば、勝ちもするし負けもすると思う。けど、心意気は別よ。私の心は、あいつには勝てなかった」
そう言って、アリスは紅茶を口に含む。甘酸っぱい香りが満ちる。
「あいつは決闘に対して真摯に向き合っている。伸びるわよ。あなたもうかうかしていられないわね」
「僕は……」
「今年が勝負でしょう?」
アリスの言葉に、ライゼルは反論できない。
「……別に、あなたを追い詰めるつもりはないわ。あなたの夢、知らないわけじゃない。でも、夢には期限があるわ」
「わかっているさ」
小さく頷くライゼル。
その真剣な眼差しに、アリスはなんと声をかけるべきか、わからなかった。
◇ ◇ ◇
翌週末、アストラルサイド。
再び指導プロはカンナ・ヴィオレッテだった。今日は実戦の前に、カンナの講義が入る。
「さて、そろそろプロ試験が近づいてきましたね。ランキング戦ですが、途中参加のヴァンを除いてかなり固まってきています。上位の二人は、アリス・ヴァイスラントさんとライゼル・アズールさん。ただし、今後の結果次第では揺るぐこともありえますので、気を抜かないように」
それと、とカンナは続ける。
「先週まではその日の面々次第で対戦相手を決定していましたが、そろそろ終盤ですので、リーグ戦の相手はあらかじめ決定します。これが今日と明日の対戦表です」
地面から見慣れた石板がせり出してくる。ヴァンだけは試合数が多いが、これは途中参加により試合数が稼げていないための処置だ。
ヴァンにとって、対戦相手の名前は見てもわからない。奨励会員たちの顔と名前も、まだ一致しきっていない。名前をただ流し見ていると、
「お、ライゼル」
覚えのある名前を見つけた。ライゼル・アズール。対戦日は明日、朝一番。
「やあ、ヴァン君」
「あ、ライゼル」
爽やかな青年の顔を見て、ヴァンも相好を崩す。
ライゼルの装備は杖にゆったりとした貫頭衣。さながら神官のような格好だ。
「変わった装備だな、それ」
「そうかい? 一応、古典的というか、昔からあるスタイルだよ」
「へえ、そうなのか」
「それより、明日、対戦だね」
「ああ。負けねえぜ!」
「……ああ。僕も負けられない。お手柔らかに頼むよ」
ぽん、とヴァンの肩を叩き、ライゼルは去って行った。
「おい、ヴァン」
「ん? ああ、ゼルか」
振り返れば、今度はゼル・ロッシェがいつもの武道家装備で立っている。
「お前、先輩となんか話したのか?」
「ああ、明日、対戦だなーって」
「……そっか」
なにやら浮かない顔のゼルに、ヴァンは首をかしげる。
「なんかあるのか?」
「いや……。先輩は、なんていうか、あぶねえから」
「危ない?」
「そうさ。お前もプロ試験とかプロ制度はわかるよな?」
「えー、と、なんとなく」
嘆息し、ゼルは続ける。
「プロ決闘者ってのは、決闘連盟が発行するプロ資格を得た人のこと。公式手合に出る権利が得られるわけだな。で、そのプロになるために必要なのがプロ試験。年に1回、1ヵ月くらいかけて戦って、成績上位3人がプロになる」
「要するに勝てばいいんだろ?」
「そうだけど、それだけじゃない。プロ試験には予選リーグと決勝リーグってのがあって、普通に参加すると、予選を勝ち抜かなきゃいけない。けど、奨励会員には特別枠があって、成績上位2名は予選をすっ飛ばして決勝リーグから始められるんだよ。予選リーグで1ヵ月も勝ち続けるより、はるかにプロになれる可能性が高くなる」
「そりゃお得だな」
「そうさ、だから誰だって奨励会枠は取りたい。だけど、そのためには成績上位になんなきゃいけねえ。先輩は今のところ枠を取ってるけど……、もしお前に負けたら、順位が変動する恐れがある」
「枠が取れなくなる、ってことか?」
「そういうことだ。それとな、プロ試験には受験できる年齢に上限があるんだ。26歳。で、先輩も今年で26になる」
「……じゃあ、今年プロになれなかったら、もうプロにはなれねえってことか」
「そういうことだ。だから、先輩はなんとしても奨励会枠が欲しいんだよ。枠を取ったからってプロになれるわけじゃねえが、予選を勝ち抜くよりは遥かに可能性が高い」
「そういうことか……」
頷くヴァンに、ゼルは続ける。
「別に、お前に手心を加えろって言ってるんじゃねえさ。けど、先輩が危ない状況だってのは、奨励会員ならみんな知っている。知ってはいるが、みんなだって枠は欲しい……。そういう、ピリピリした状況なんだ。変なこと言って、かき乱すんじゃねえぞ」
「ああ、わかったよ」
「本当にわかってんのかよ……」
「……わかってるって」
小さく答えたヴァンは、くるりと肩を回した。
◇ ◇ ◇
夕刻、手合の予定を全て消化した後は、指導プロの総括があっておしまいとなる。
めいめい散っていく中で、ヴァンはカンナに呼ばれた。
「そういえば、あなたの歓迎会をまだしていませんでしたね」
「歓迎会?」
「ええ。奨励会は互いにライバル。とはいえ、決闘という同じものを好きになった、同好の士でもあります。それに、決闘界は狭いですから。プロになれば、全員が顔見知りとなるでしょう。今の間にプライベートでも親睦を深めておくことは悪くありません」
「はあ、ま、カンナがそう言うなら」
「大丈夫ですよ、あなたにお金を出せとは言いませんから。シルビナ、ゼル。あなたたちも参加なさい」
「はい、わかりました」
「了解っす」
頷く門下生たちに、カンナは満足そうに頷く。そして、残っていた奨励会の面々にも声をかけた。
「一緒に行きませんか?」
「はいはーい、あたし行くー」
元気に手をあげたのはツインテールのフリフリした可愛らしい少女。プリム・ローゼンだ。
「お前は本当に門下とか気にしねえな。いいのか?」
「いいじゃん? だいたい、カンナ先生だって門下以外に声かけてるじゃない」
「うちの師匠は変わり者なんだよ」
「決闘者なんかみんな変わり者でしょ」
プリムの言うことはもっともなので、ゼルも何も言えない。
カンナはにこにこと笑いながら顔を上げ、
「アリス・ヴァイスラントさん。あなたも参加しませんか」
と、まだ残っていた光輝のお嬢様に声をかけた。アリスはびくりと肩を震わせ、
「な、なんで私が」
「慣れ合いもまた、決闘者には必要ですよ」
「……。ヴァン・レクサスの歓迎会、なのよね?」
「ええ、その通りです」
「じゃあ、仕方ないから参加してあげるわ。借りもあるもの」
「あ? オレ、なんか貸したっけ?」
「い、いいのよ! 追求しなくて!」
顔を赤くするアリスに、ヴァンは首をかしげるばかり。
アリスは顔を赤くしたままきょろきょろと見渡し、
「あ、ライゼル! あなたは?」
通りかかった兄弟子に声をかけた。ライゼルは笑っているような泣いているような、なんとも苦慮する表情となる。
「僕もかい?」
「お願い、ライゼル」
「お、お願い!?」
「……何よ、そんなに驚かなくても」
「いや、驚くけど……。わかった、妹弟子の頼みとあれば仕方ないね」
室にはすでに他の決闘者はいなかった。では、とカンナも立ち上がる。
「では、この7人で行きましょうか」
にこりと笑い、頷いた。
◇ ◇ ◇
7人で移動したのはこじんまりとした茶屋だった。
テーブルがいくつかあるだけ。だが、全体的に落ち着いた雰囲気で、居心地は良い。テーブルにはお茶のポットが運ばれ、爽やかな香りの漂うカップが皆の前に並んでいる。
「本来ならば親睦の場というとお酒を用意するものですが、奨励会員はほとんど未成年ですから、こういう店の方がいいかと」
招集をかけたカンナは、奥の席に座るヴァンの方に顔を向ける。
「では、ヴァン。まずは軽く自己紹介でも」
「何を言えばいいんだ?」
「では、あなたの好きなことや夢のことを話してみてください」
「夢か。夢ならあるぜ。オレはアルウェズと一緒に、最強の決闘者になる。みんなが憧れるような、すっげー決闘者になるんだ」
なあ、とヴァンが声をかけると、背中に隠れていた小さな少女が少しだけ顔を出す。
「それがあなたの妖精? かっわいー!」
プリムが大きな声を出すと、とたん、アルウェズはヴァンのかげに隠れた。そして再び、ちょこっとだけ顔を出す。
「何これ超可愛いんですけど!」
「プリム、落ち着いて。アルウェズが怖がってるから」
「ふふ、いいでしょう。では、みんな、ヴァンにならって夢を語りますか?」
そうなると、順番的には隣に座るゼルだ。
「お、俺の夢か? 夢ってほどじゃねえけど、やっぱプロになれたらなー、なんて思ってる」
「何それふつー」
「んだよ! じゃあプリム、お前はどうなんだ!」
「え、あたしー? あたしはねー、愛され系決闘者になること、かなっ」
きらりん、と輝く笑顔。堂々とそんなことを言える少女に、ゼルはもはや脱帽だ。
「ほんと、お前の根性だけはすげーよ……」
「ふっふーん。ほら、次はアリスだよ」
「わ、私? 私は、当然タイトルホルダーよ。お父様の名人は私が継ぐわ」
「アリスの場合、それが本気で出来そうなのがアレよねー」
「どれよ」
「ふふふ。あ、ライゼル先輩は?」
「僕? 僕は……、まあ、プロになること、かな」
「あ……」
ライゼルの回答に、プリムも少しだけおとなしくなった。
ゼルのプロになりたいという言葉とは意味合いが違う。もちろんゼルとて必ずプロになれるわけではないが、彼にはまだ猶予がある。
一方で、ライゼルには――。
「ね、ねえ、じゃあシルビナ! シルビナはどうなのー?」
「私? 私は……」
シルビナはちらりとヴァンを見やり、
「夢というほどのもの、ではないけれど。最近は前より決闘が楽しくなってきた気がする、わ」
「お? おおお? なんだか甘酸っぱい香りー! ねえねえ、実際のところ、ヴァンとシルビナってどうなのどうなの!?」
「ど、どうって何のことよ」
「どうはどうに決まってるじゃーん! だってシルビナ、ヴァンと手合をした後からぜんっぜん変わったじゃない! 具体的には笑うようになったし!」
「そ、そんなことないわ。ねえ、ゼル?」
「いや、実際に表情は柔らかくなったんじゃねーの?」
「ゼ、ゼル!」
「いやあ、熱い、熱いですなー。ねえアリスー?」
「だからなんで私に聞くの!? 知らないわよ!」
「シルビナ、何の話してんだ?」
「私に聞かないで……」
少しだけ頬の赤いシルビナに、ヴァンは首をかしげている。カンナはそんな様子が見えているわけでもないだろうが、実に楽しそうだった。
と、ヴァンの前に置かれたカップが空になっていることに気づいたシルビナが、ポットに手を伸ばす。
「注ぐ?」
「お、すまねえな」
コポコポと注がれる紅色のお茶。ヴァンはカップを手に取り、すする。
「なんというか、意外ね。あなたがこういうお茶を飲むなんて」
「そうかー? 田舎じゃこういうお茶は普通だぞ。オレも好きなんだ」
「そ、そうなの。好きなら、言ってくれればいくらでも淹れてあげるわ」
「お、本当か。ありがとな、シルビナ」
「ま、まだ実際に淹れたわけじゃないし……」
ヴァンとシルビナのやり取りに、プリムは実に楽しそうににまにまと笑う。
「いやあ、青春、青春ですなー。ねえアリスー?」
「だ、か、ら! なんで! 私に聞くの!!」
「わー、アリスが怒ったー」
きゃっきゃと楽しむ面々。その中で一人、鋭い眼差しを向けている人物がいる。
そのことに、ヴァンは気付いていた。
◇ ◇ ◇
田舎と違い、都市は夜半でも完全には眠らない。
夜中でも営業している商店や、夜が本番の呑み屋。夜中まで仕事し、ようよう帰路につく者。
往来が減るとはいえ、完全になくなるわけではない。そんな中を、ライゼル・アズールは一人、歩いていた。
裏通りに入る。日がな一日、営業している薬局がそこにあった。
置いてある薬は、体調不良によく利く類が主だが、お茶や酒も売っている。
ライゼルが店に入った時、他に客の姿はなかった。深夜なのだから当然かもしれない。ライゼルは棚に並んだ商品の中から、茶葉と薬の小瓶を手に取った。
手の中に納まった小瓶を眺め、ライゼルはわずか、逡巡する。表書きをじっと見つめ、
「でも……、もう、僕には、これしか」
声を漏らしたライゼルは、意を決し、瓶を握りしめた。
店員に金を払い、店を出る。そして、嘆息した。
「よう」
瞬間、どきんと心臓が跳ねる。
振り返れば、そこには最も見たくなかった相手の顔。
「夜中に散歩か?」
「……ヴァン」
ヴァン・レクサス。奨励会に突如として現れた、天才級のルーキー。
終わった。頭の中に一瞬だけよぎった言葉は、続くヴァンの言葉にかき消される。
「散歩ならオレと一緒に行こうぜ」
返事も待たず、ヴァンはすたすたと行ってしまう。少しだけ逡巡したライゼルは、ついて行くことにした。
◇ ◇ ◇
ヴァンは、ライゼルを奨励会館横の公園まで案内した。
「他の場所、あんま知らねーからよ」
そう言って笑ったヴァンは、樹の根元に座る。ライゼルも、並んで座った。
「……どうして僕が出歩いているってわかったんだい?」
「そういう目、してたからな」
「目……?」
そんなことで。
驚くライゼルに、ヴァンは笑う。
「決闘ん時とかのさ、なんか仕掛ける直前の、やってやるって意志。わかるんだ、オレ」
「君は……、本当に」
本当の、天才だ。
あれだけ雑多な空気。その中にいて、ほんの一瞬だけ漏らしてしまった気配を見逃さず、しかもそれを追求する。
自分の感覚を信頼していなければできない所業だ。
「……なあ、ライゼル。あんた、なんのために決闘してるんだ?」
「なんのために?」
「そうさ。オレは最強の決闘者になる。さっきも言っただろ? それがオレの夢なんだよ」
「それは……、僕に対するあてつけかな」
ポケットに手を当てる。そこには、市販品の茶葉と一緒に――下剤の小瓶が入っている。
茶に混ぜて飲んでいれば、猛烈な下痢に襲われるだろう。現世での体調不良はアストラルサイドでも影響する。
ライゼルは、ヴァンを嵌めようとしたのだ。今のままでヴァンに勝てる可能性は五分。だが、一勝が惜しいライゼルの現状では、五分など確率にもならない。
必勝。そのために、ライゼルは手段を選ぶ余裕がなく、そんなライゼルのことを、ヴァンは見抜いていたのだ。
「今年が最後なんだ。今年を逃せば、もう僕はプロになれない。ずっと続けてきた決闘から、見放されてしまうんだ……」
うつむくライゼルに、ヴァンは首をかしげる。
「なんでそうなんだ? 負けたら、もう決闘できねーのかよ」
「君は僕の現状をわかっているのか?」
「わかってるつもりだけどさ。たとえばなんだけど……、オレは、プロってのになれなくても、決闘はやめないぜ」
ヴァンの言葉に、ライゼルは眉をひそめた。
「どういうことだ」
「だからさ、オレがなりたいのは最強なんだって。プロになりたいわけじゃない。そりゃ、プロになったほうが強くなれるかもしれねえけど、最強になる道はそれだけじゃねえだろ。アマチュアだって強いやつは強い、そうじゃねえの?」
「それは……、そうかもしれないが」
アマチュアの強豪は、時にプロ決闘者を破ることもある。
もちろん、プロの方が全般的に強い。だが、そういうアマ強豪に憧れる人がいることも事実だ。実際、奨励会に入ったきっかけは、アマ強豪の決闘を見たから、という者もいる。
「オレにとっては、強くなることだけが目標なんだ。それ以外は、割とどうでもいい」
「……」
不思議に思えた。
強くなる。それは、普通ならば手段だ。
勝つために。プロになるために。それこそが強さを求める理由だ。
なのに、ヴァンはひたすら強いことだけを求めている。それが、ライゼルには不思議だった。
そして、その疑問を、ぶつけてみたくなった。
「ヴァン。君は、どうしてそこまで、強くなろうと思うんだ?」
問いかけに、ヴァンはにやりと笑う。
「恩返し、なんだ。アルウェズには返せないほどの恩がある」
「アルウェズ?」
名前を呼ばれ、ヴァンの懐から小さな少女が顔を出した。ヴァンを見上げ、にこりと笑う。
「アルウェズは決闘が好きなんだ。頑張って、戦って、強くなって。怪我して、苦しんで、それでも成し遂げる。そういう努力が好きなんだ。だから、オレは決闘を選んだ。ライゼルは、どうなんだ?」
「僕、は」
思い返す。
まだ子供の頃。もう20年近く前のことだ。プロ決闘者の手合を初めて見て、その強さと凛々しさに憧れて。
真似をして、友達と決闘を繰り返すようになって。友達はすぐに飽きてしまったけど、自分はやめられなくて。
決闘相手を求め、憧れのプロに弟子入りを申し出て。やがて、奨励会に入り、妹弟子もできて――。
いつの間にか、忘れてしまっていた過去。
「そう、僕は、決闘が好きだったんだ」
相手の隙を伺う緊張感。
勝った時に得られる高揚感。
そして、何より、自分が賢明に考えた戦略で相手を出し抜く、あのわくわくした気持ち――。
「忘れていたな」
もう20年も前のことだ。思い返すことさえなくなってしまい、最近は、ただ勝つことだけを考えていた。
決闘は、当たり前だけれど、勝ったり負けたりする。今まで何度も惜しいところでプロの切符を逃していたせいで、いつしか、プロになることだけを考えてしまっていた。
きっと、昔の自分が今の自分を見たら、笑われてしまうだろう。
「……ヴァン。その、ありがとう」
「オレは何もしてないぜ」
「いや。目が覚めた」
ズボンについた埃を払い、空を見上げる。
今日は星がきれいに見えていた。そういえば、星を見る余裕さえ、いつしかなくしていた。そんな自分に気付く。
「もう大丈夫か?」
「ああ。すまない」
ライゼルは、歩き始めた。
見つけたゴミ捨て場に、ポケットの小瓶を放り投げる。
「ヴァン・レクサスか」
きっと自分は、彼に敵わないだろう。
あのアリスが負けたということも理解できる。あれだけ意地っ張りだった彼女のことだ、感情を御しきれなかったのだろう。
思えば、ヴァンと決闘した後のアリスは、少しだけ丸くなった。兄弟子として、少しだけ嬉しい。
彼は、本当に不思議な少年だ。
それが、ライゼルには嬉しく思えた。
◇ ◇ ◇
翌日、夕刻。
ライゼル・アズールは休憩所でお茶を飲んでいた。そこで、ふと顔を上げる。
「ミーナさん」
「あ、はい?」
よくできた受付嬢は、パッと笑顔を向ける。
「奨励会の事務員って、どうすればなれるんですか?」
「え? 一応、採用試験とか募集とかありますけど……。どうしたんですか、ライゼルさん?」
「実は今日、ヴァンに負けちゃいまして」
「……あ」
ライゼルの現状はミーナも知っている。それだけに、言葉に詰まる。
そんな相手に、思わずライゼルは笑えてしまった。
「いいんです、別に。確かにプロになるのは少しだけ難しくなったかもしれませんが、ただそれだけです。可能性がなくなったわけじゃありません」
「それは、そうかもしれませんが」
心苦しそうに言うミーナに、ライゼルは続ける。
「それに……、僕、やっぱり決闘が好きなんです。やめられないくらいに。まあ、人生の大半を捧げたものですからね。当然かもしれませんが」
そう、たった26年の人生。だが、その大半は決闘に捧げてきたのだ。
今さら、プロになれるかどうかなど、苦慮したところで仕方ない。どうせ自分には、決闘しかないのだ。
「僕は決闘が好きです。だから、決闘に関わり続ける限り、夢は終わらない。そんな気がするんです」
笑うライゼルに、ミーナは少しだけ表情を緩めた。
「そうですか。実は事務員、手が足りないんですよね。ライゼルさんが入ってくれるなら助かります」
「まだわかりませんよ。プロになるかもしれませんから」
「ふふ、そうでしたね」
くすくすと笑う女性事務員のかたわらで、ライゼルは窓の外を見た。
明るい日差しが差し込んでいる。目を向ければ、光はそこにある。
その事実が、たまらなく感動的で。ライゼル・アズールは、こっそりと目元をぬぐった。




