「水の衣」<エンドリア物語外伝94>
桃海亭のドアから入ってきたのは見慣れたアレン皇太子。
右腕に箱を抱えている。
「いらっしゃいませ」
カウンターにいるオレの前にやってくると、手に持った箱をカウンターにドンと置いた。
目測で、幅50センチ、奥行80センチ、高さ20センチ。木製。かなりの年代物だが、大切に保存されていたらしく、表面に傷はついていない。
アレン皇太子がニヤリとした。
「やる」
「はい?」
「いま、この瞬間から、この箱と箱の中身は桃海亭のものだ」
「いりません!」
答えたのは、桃海亭の店員シュデル。
食堂で片づけをしていたはずだが、すごい勢いで店に飛び込んできた。
「お持ち帰りください!」
「もう遅い」
「持ち帰らないというのでしたら、こちらにも覚悟があります!」
怒鳴ったシュデルの目がつり上がっている。
アレン皇太子は背を伸ばすと、腕を組んだ。
「皇太子を脅す気か」
「皇太子ならば、何をやってもいいと言われるのですか!」
「いいに決…………」
アレン皇太子が言葉に詰まった。
アレン皇太子は、小国エンドリアの皇太子。
シュデルは、大国ロラムの王子。
『いい』と断言すると、自分の首を絞めかねない。
「お持ち帰りください」
アレン皇太子の額に汗がにじんだ。
箱を持ち帰れない理由があるらしい。
こういうとき、オレは自分がとるべき行動をわかっている。
店の奥にある扉を抜けて、食堂に移動した。
「はぁ」
ためていた息を吐いた。
「困るんだよな」
「そうだ。困るのだ」
オレの後ろの張り付くようにしてアレン皇太子が言った。
「なんで、オレについてくるんですか。店にいてくださいよ」
「私にシュデルを説得できると思うのか?」
「頑張ってください」
オレが言い終わるより早く、扉が開いた。
「持って帰ってください!」
「ネクロマンサーなのだから、処理してくれてもいいだろう」
シュデルの額に、ピキッと怒りマークが浮かび上がった。
「死霊の担当は教会です!」
シュデルの様子に、アレン皇太子は矛先をオレに変えた。
「頼む。引き取ってくれ」
「いま、シュデルが『死霊』と言いましたよね?」
「ネクロマンサーがいるのだから、死霊がついていても問題ないだろう」
「オレも勘違いしていたんですが、ネクロマンサーは死霊を祓えないみたいですよ」
アレン皇太子がシュデルを見た。
アレン皇太子にも、シュデルの背後に立ち上る、怒りのオーラが見えたらしい。
慌ててオレに小声で言った。
「なんとかしてくれ」
この様子だと逃げても、また追いかけてくるだろう。
オレは渋々言った。
「事情を話してください」
アレン皇太子はうなずくと、事情を一気に話してくれた。
先月、ルブクス大陸の西にある小国の懇親会があり、エンドリア国王も出席した。会議の後の園遊会で【問題のある魔法道具があったらどうするか】という話題が出た。魔法協会に頼んで処理するのが高額だが安全だ。もし、魔法協会がそれを保管していたら、危険ではないだろうか。魔法協会に悪用されたら困る。でも、他にいい方法がない。
その時『桃海亭ならば処理してくれるのではないか』という問いがエンドリア国王になされた。思慮深いエンドリア国王は『桃海亭は魔法研究所でも教会でもなく、ただの古魔法道具店です』と、笑顔で答えたそうだ。
ところが、何を勘違いしたのか、その時参加した小国のひとつが、今回の箱をエンドリア王国の王宮に送りつけてきたのだ。
手紙が着いており、長年、この箱に苦しめられてきた。桃海亭で処理して欲しい。と、書かれていた。
王様も桃海亭に押しつけるのは心苦しいとニダウの教会に持ち込んだのだが、死霊が強すぎて手に負えないと断られた。次に老舗の古魔法道具店を営んでいるロイドさんのところに持ち込んだのだが、すぐに桃海亭に持って行くよう言われたらしい。
『当店では引き取れないが、桃海亭ならば問題ない』
言われるままに、アレン皇太子が桃海亭に持ってきたらしい。
「頼む。なんとかしてくれ」
「オレにできることはありません」
「それはわかっている。ここは店主という特権を振りかざして、命令してもらえれば」
オレの胸がジーンと熱くなった。
「覚えてくれていたんですね。オレが店主だということを」
シュデルは覚えているが、最近のオレへの扱いは、オーナー店長から雇われ店長レベルに落ちている。
ニダウの町の人々にいたっては、ハニマン爺さんが桃海亭のオーナーで、オレは爺さんに雇われた店員だと思っている人間が多い。
「もちろんだとも。さあ、頼む」
アレン皇太子が目でシュデルを指した。
「無理です」
「店主だろう!」
「だから、ネクロマンサーに死霊を祓うことはできないみたいです。オレもよくわからないんですけど」
「ムーは、どうだ?」
「ニダウがどうなってもいいのなら」
魔力調節の苦手なムーが除霊した場合、ニダウ全体が除霊されてしまう可能性がある。一見、問題なさそうだが、実は色々な場面で様々な霊を使用している。生活基盤に多大な影響を引き起こす可能性がある。
「まだ、調節できないのか!」
「オレに言われても」
「なんとかしろ!」
バン!
テーブルを叩いたのは、シュデルだった。
「カウンターに置かれている【水の衣】はお持ち帰りください」
「【水の衣】なのか?」
アレン皇太子をが聞き返した。
「はい。売り物になりませんんから、お持ち帰りください」
「【水の衣】って、なんだ?」
オレの問いに、シュデルが冷たい視線を飛ばしてきた。
「500年前頃に作られた魔法の服です。店長が考えているようなものではありません」
「オレは、何も考えていないぞ」
「店長、顔がにやけています」
慌てて顔を引き締めた。
「店長が思い浮かべたのは、全裸の美女が透明な水で出来た衣をまとっている、とかではありませんか?」
オレは力強くうなずいた。
豊満な胸、くびれたウエスト、赤い唇をした妖艶な美女が、薄い水を身体にまとわりつかせているイメージだ。
「店長」
「なんだよ」
「【水の衣】は全裸で着なければいけません」
「だよな」
夢が膨らむ。
「店長が思っているような物でしたら、今も残っていると思いませんか?」
「そうだよなぁ、って、今は作られていないのか?」
「はい、遺物です。実物を見ていただければわかると思います」
シュデルに連れられて店に戻った。アレン皇太子も一緒だ。
「箱を開けてもよろしいでしょうか?」
アレン皇太子がうなずくと、シュデルは蓋をあけた。
「げっ!」
「これは………すごいな」
オレと皇太子は驚いた。
箱の中にあったのは、封印の紙が何十枚と貼られた木の箱だ。封印の紙は変色して破れかけているものから、真新しい紙まで様々なものがあり、長い間にわたって封印されていたのがわかる。
「剥がします」
「待て!」
「何をする!」
封印の紙に指をかけたシュデルに、オレと皇太子の制止がかった。
シュデルは封印の紙に指をかけたまま、平然としていた。
「封印の役割を果たしていません。代々、王家に仕えている魔術師の一族が作られたようですね。彼らを雇う金があるなら、ムーさんにお願いすれば、1枚で500年は楽に封印を維持できる符を作ってもらえるのに。もったいないです」
そう言うと、アレン皇太子の了解を得ず、封印の紙をビリビリと剥がし始めた。
「【水の衣】が作られたのは、約500年前です。当時の魔法技術では現在のように、涼しくなる、という魔法を服にかけることができませんでした。そこで考え出されたのが【水の衣】です」
「聞いていいか?」
「なんですか?」
「いま、涼しくなる魔法を服にかけることができる、と聞こえた。そんな魔法あるのか?」
「あります。裕福な王侯貴族は使っています。それでなければ、真夏に厚手の豪奢な服を何枚も重ね着できるはずがありません」
「オレの服に、その魔法をかけてもらってもいいかな?」
秋も終わりだが、ニダウでは暑い日も多い。
「桃海亭にはかけられる魔術師がいません」
バッサリと切られた。
「考え方は簡単です。水は冷たい。だから、水で衣を作れば、冷たい衣になるだろう。水を魔法で肌に密着するようにしました」
話しながらも、シュデルの手は封印の紙を次々と剥がしている。
「薄い水で肌を覆ったところ、水はすぐに蒸発しました」
剥がした紙を丁寧に積み重ねている。焚き付けにでも使うのだろう。
「次に水で衣を作りました。着物という形に閉じこめたため、水は蒸発することができませんでした。水は暖まり、お湯の衣になりました」
湯船に浸かった状態で移動する。
着る必要があるのかわからない衣だ。
「最後に完成したのが、この箱にある【水の衣】です」
封印の紙をすべて剥がすと、同じような木の箱がでてきた。その箱の蓋をシュデルが持ち上げた。
「これが【水の衣】か」
感嘆っぽい、声をアレン皇太子があげた。
感嘆しなければいけない場面だけれど、感嘆できないというのが声ににじみ出ている。
「いかがですか、店長」
オレは箱の中をマジマジと見た。
「水だな」
「はい、【水の衣】ですから」
箱の半分くらいまで水が入っている。薄い透明な布で出来た着物を想像していたので拍子抜けした。
「一定の温度を保つ【水の衣】でしたが、すぐに作られなくなりました」
「冷たい温度に設定すれば………そうか」
「はい、人は低温の服を長時間着ることができません。長時間着るならば、暖かい温度でなければいけません。【水の衣】である意味がないのです」
シュデルが水を持ち上げた。
指に透明な膜がのった。薄い。シャボン玉の膜と変わらない。
「温度以外の問題もありました。水は布と違い、重いのです。軽量化とデザイン性を追求した結果、このように非常に薄い膜となりました」
指を静かにおろした。水が箱の中に戻る。
「一時期、踊り子や享楽主義者が買い求めましたが、実用に耐えられる強度がなかったため作られなくなりました」
シュデルは箱の蓋を閉めた。
「これには女性の霊がついています。陽の光がある今はでてきませんが、夜になればでてきます」
「悪霊か?」
「悪霊にはなっていませんが、問題ある行動をします。どうか、お持ち帰りください」
シュデルは箱をアレン皇太子の前に押しやった。
アレン皇太子は箱を見下ろした。
「出てくる女性は若いのか?」
「100歳を過ぎています」
「処分を頼む」
「僕の話を聞いていなかったのですか?」
「聞いていたから言えるのだ。ムーに封印の護符を書いてもらい、張り付けるだけだろう」
シュデルが手の平を出した。
「金貨20枚です」
「何を言っているのだ?」
「ムーさんの護符は1枚金貨20枚です。護符代を払っていってください」
「自国の王族から金を取るのか!」
「王だろうが、皇太子だろうが、必要経費はいただきます」
アレン皇太子とシュデルがにらみ合った。
「水を差して悪いんだが………」
話しかけたオレを、シュデルと皇太子が睨んだ。
オレは右手をヒラヒラさせた。
「ムーは、しばらくは護符が書けない」
「そうでした。右手に包帯を巻いていました」
シュデルが意味深に微笑んだ。
アレン皇太子が疑いの目でオレ達をみた。
「何をしたのだ」
「鍋のソーセージを盗み食いしようとしただけです」
シュデルが奮発して買った特製ソーセージを、こっそり食べようとして鍋に指を突っ込んだのだ。フォークで刺せばいいものを、熱いスープに指を突っ込めば火傷をするくらい天才でなくてもわかるはずだ。
「しかたありません。金貨20枚を手に入れるチャンスでしたが、あきらめます」
シュデルは箱を持ち上げると、アレン皇太子の胸にグイと押しつけた。
「お持ち帰りください」
アレン皇太子は箱を受け取ると、オレに押しつけた。
「処分してくれ」
「オレにはできません」
「頼んだぞ」
オレが受け取っていないのに、皇太子は箱から手を離した。
落ちそうになって、慌てて受け止めた。
「あの、オレ…………」
扉から飛び出していく皇太子の後ろ姿が見えた。
シュデルがオレの手にある箱を取り上げた。
「お金になりませんでした」
残念そうに言うと、カウンターに乗せた。
「おい、どうするんだ」
「死霊に問題行動はありますが、桃海亭ではさほど問題になりません。ムーさんの手が治ったら、護符を書いてもらいます。封印が終わったら、倉庫の片隅に放り込んでおきます」
「それだと【水の衣】についた死霊が昇天できないだろ?」
シュデルが顔をズイッと近づけた。
「店長、お人好しもいい加減にしてください。人間、空気だけでは生きていけないのです」
オレは身体を反らせて言った。
「店に置くなら、死霊が問題行動を教えてくれ。何か準備がいるか?」
「深夜に話しをするだけのようです。なぜ話すのか、僕にはわかりません。意志の疎通がとれれば聞いてみます」
「本当にそれだけなのか?」
困って、他国に送りつけるような品物だとは思えない。
「僕の影響を受けていない品物なので、詳しいことまではわかりません。深夜になればわかると思います」
強い口調でシュデルは話を切った。
〈寂しいよぅ………〉
品物は店内。
それなのに死霊はオレの枕元に出た。
働く人間に睡眠は必須だ。
オレは無視した。
〈寂しいよぅ………〉
100歳にしては声が若々しい。
目を薄く開けた。
「ぶっ!」
慌てて鼻と口を押さえた。
青少年には目の毒な光景が広がっていた。
17、8歳くらいの美少女が全裸に水の衣を着ていたのだ。
〈寂しいよぅ…………〉
オレはベッドをはいずって、扉までたどりついた。振り向きたい誘惑と戦いながら、扉を開けた。
「シュデル、シュデル、なんとかしてくれ!」
大声で叫ぶと、3つ先にある扉が開いた。
「店長、うるさいです」
ローブを着たシュデルが、不機嫌な顔で出てきた。
「死霊が出ると僕は言いましたよね?」
「死霊が、若いんだ。若い女だ」
「見かけだけです。100歳を越える女魔術師です」
「わかったから、なんとかしてくれ」
オレが部屋から出て、シュデルがオレの部屋に入った。
「うるさいしゅ」
ムーが目をこすりながら、自分の部屋から出てきた。オレが説明しようとしたが、その前にシュデルがオレの部屋から出てきた。
「話を聞いて欲しいそうです」
「誰に?」
「誰でもいいそうです」
「頼む」
「店長が………」
そこでシュデルが、ムーがいることに気がついた。
「ムーさん、500年前の魔術師がいます。話をされますか?」
「するしゅ」
「お願いします」
ムーがオレの部屋に入り、シュデルが自分の部屋に戻り、オレは階下の店で寝ることにした。商品の長椅子に横たわったところで声が聞こえた。
〈寂しいようぅ………〉
オレは目をつぶったまま答えた。
「ムーに聞いてもらってくれ」
〈聞いてもらっているよぅ〉
「なら、いいだろ」
〈あなたも聞いてよぅ〉
「おやすみ」
〈500年前、私は南の国に産まれた。陽射しが焼けるように熱くて、熱くて、服を着るのが嫌いだった〉
先ほど、女が裸だったことを思い出した。
ソッと薄目を開けた。
「ぶっ!」
口を押さえた。
〈私は服を着なくてもいい方法を一生懸命に考えた〉
「服を着ろ!」
〈【水の衣】ならば涼しいと思った〉
「話を聞いて欲しければ、服を着やがれ!」
全裸で【水の衣】着ているのは、シワだらけの婆さんだった。100歳は楽に越えているだろう。顔はシワだらけ、手も足も皮があまっている。しぼんだ胸が垂れている。身体は痩せてガリガリなのに、腹だけがぷっくらと膨れている。
〈【水の衣】は既に廃れはじめていた。私は【水の衣】を実用的に……〉
オレは指を耳に突っ込んだ。
目を堅く閉じると、疲れのせいで、すぐに眠りに落ちた。
昼過ぎ、寝坊していたムーが店内に入ってきた。
「ぶっ!」
「な、なんですか!」
オレとシュデルは驚きの声を上げた。
ムーが【水の衣】を着ていたのだ。
幼児の裸は、実年齢ならば可愛いかもしれないが、年齢詐称の幼児体型は怪しげで目に痛い。
「お姉しゃん、キレイだったしゅ」
頬をポッと赤らめた。
ムーは綺麗なお姉さんバージョンしか見てないが、オレは婆さんバージョンも見ている。ムーもあれを見ていれば、【水の衣】を着なかっただろう。
「どうしゅ?」
「どうかと聞かれましても」
シュデルは言葉を濁した。
オレは遠慮なく言った。
「目がつぶれそうだ」
ムーが【水の衣】の前を押さえた。
「もれそうしゅ。おしっこしてくるしゅ」
「それでか?」
頭から被るドレスのような作りの服だ。チビのムーは、裾を引きずっている。おまけに、火傷をした右手には包帯がグルグル巻かれている。
「大丈夫しゅ」
気にする様子もなく、トイレに向かったが、1分もしないうちに声がした。
「しもうたしゅ!」
声はそれで終わりではなかった。
「あ、だしゅ」「ほよよしゅ」「げろっしゅ」
店内まで届く声をあげながら、10分ほどかけてトイレをすませたムーが戻ってきた。
「大丈夫だったか?」
「破いたしゅ」
服の正面が、縦に破れている。
「【水の衣】の耐久性が悪いんだしゅ。ボクしゃんがひっぱっただけで破れたしゅ」
ムーは破れた端をつまむと「ブッヒョィ」と笑った。
「シュデル、修理できるか?」
「できません。もし、直すのでしたら魔法道具の工房にお願いするしかありませんが、金貨3枚は必要だと思います」
「【水の衣】は破棄だな」
困りものとして押しつけられたものだ。元手はゼロ円だから、捨てても惜しくない。
「店長、死霊の問題が残っています」
「そういえば、そうだな。今夜出てきたら、捨ててもいいか聞いておく」
「修理して欲しいと言われたら、どうしますか?」
「桃海亭の財政を説明する」
「納得していただけでしょうか?」
「とにかく、話してみるさ」
笑顔でシュデルに言った後、ムーに言った。
「さっさと脱げ。そろそろ、吐きそうだ」
深夜になると同じように死霊がでてきたが、説得する必要はなかった。
【水の衣】を着てでてきた死霊は絶叫した。ムーは破いただけでなく、汚してもいたのだ。
泣きながら恨み言を言うと、【水の衣】を脱ぎ捨てて昇天した。残された【水の衣】は、ムーに川に捨てさせた。
【水の衣】の始末はついたが、オレには疑問が残った。
「シュデル、【水の衣】の何が問題だったんだ?」
死霊はついていたが、愚痴を垂れるだけなら、わざわざ他国に送りつける必要があるとは思えない。
シュデルが小さく息を吐いた。
「店長、僕はいいましたよね?桃海亭では問題ないと」
「ああ、言っていた」
「夜中に延々と会話する死霊は、その存在だけで恐怖の対象です。普通の人々は、害をなさないとわかっていても、死霊がついている品物を邸内に置いておきたくないのです。それなのに……」
シュデルがカウンターを拳で叩いた。
カウンターに置かれていた魔法道具の健康手帳が跳ね上がった。
「死霊のついた服を着ますか?トイレに行って汚して、破いて、笑っていられますか?」
「そ、そうか」
「そこです!その店長のいい加減な態度も問題だと思います。通常、死霊つきの品物は、古魔法道具店では扱いません。教会で払ってもらってから買い取りをするか、有益な死霊であることを確認してから買い取りです。皇太子に押しつけられて、無料で引き受けるなどとことはあってはならないことなのです。それなのに………」
シュデルが悔しそうに顔を歪めた。
「店長もムーさんも、非常識すぎです。いままでは、運が良かったのです。店長が図太い神経と適当な判断で桃海亭を経営していることはわかっています。ムーさんが分別のない暴走魔術師であることもわかっています」
シュデルが両手を組んで、祈りのポーズをオレに向けた。
「お願いです。どうか、非常識はやめて、桃海亭が平穏な日々になるようにしていただけませんでしょうか?」
反論はあった。
トラブルが多い店であるのは間違いないが、わざとやっているわけじゃない。むしろ、穏やかな日々がオレの望みだ。
だが、反論するとややこしくなる可能性がある。オレは素直にうなずいた。
「非常識はやめよう」
オレの答えに満足したようで、シュデルは笑みを浮かべた。
魔法道具と話すことができ、記憶とも話せる。存在自体が非常識な人物は、笑顔でカウンターに置かれた魔法道具の健康手帳を書き始めた。