8話
魔界と人界は、世界の果てにある、神の庭で繋がっている。
正確には、人界にある人神フーマの庭と、魔界にある魔神デイフォの庭が、空間を歪めて繋がっている。
一行は、勇者一行が苦難の果てに辿り着いた人神フーマの庭に、転移魔法で一瞬にしてたどり着いた。
そこは、まさに楽園だった。
四季の花々が咲き乱れ、小川はせせらぎ、見たこともない極彩色の鳥がさえずっている。
晴天はいつまでも曇ることを知らず、風が吹きすさぶ事も無ければ大地が揺れることもない。
そんな奇跡の庭園の中心に、悠久の時を経てなおそこにあることを感じさせる、厳かな祭壇があった。
祭壇の中心に、石造りの門がある。だが、門と言っても、向こう側になにか建物があるわけではない。こちら側と同じように、庭園が広がるばかりだ。
その門を半円状に囲むように、腰の高さほどの円柱が三つ立っている。
その円柱形をした三つの台座には、既に供えられるべき神器が鎮座している。
創世神クリウの涙が形になったとされる、洗礼の勾玉。
人神フーマが生み出した永久氷からなるとされる、導きの鏡。
魔神デイフォが手ずから鍛え上げたとされる、闇裂の魔剣。
その三つだ。
それらは言うまでもなく、勇者が魔界へと渡るために見つけ出し、供えたものだった。
三つの神器の力によって、本来魔界に足を踏み入れることが許されない人間の身で、空間を歪めて渡ることが可能になるのだ。
四人は顔を見合わせると、決心と共に一つ頷いた末に、門へと足を進める。
馬車もない。ドラッヘも居ない。
勇者に残された四人が今、勇者を追って魔界へと足を踏み入れる。
門の境界を越えた瞬間、世界が一変した。
最初に感じたのは、荒涼と吹きすさぶ風のよそよそしさ。
視界に広がるのは、毒の色をした空と枯れ果てた大地。
その境界に、翼竜や怪鳥、巨大羽虫が跋扈している。
「ひぇ……」
戦士ルイが、小さく悲鳴を上げた。
侍セキでさえ、眉を険しくしている。
しかし、一行を率いる立場である賢者イオナにとって、魔界の光景は、まったくもって想定の範囲内だった。
「さてと」
事もなげに一人呟きながら、転移の呪文を唱えてみる。
勇者代行の権限を与えられている賢者イオナには、勇者が訪れた土地への転移が可能になる。
それは、魔界であっても例外ではないと賢者イオナは見立てていた。
そして、その見立ては、見事に的中していた。
「よし、行くわよ」
口にした賢者イオナの声音は、敵地魔界にあって、軽く弾んですら聞こえた。
転移の直後、肌を舐めるようなねっとりとした風に、一行は体をこわばらせた。
だが、視界が回復した途端、今度は困惑することになる。
そこは、村だった。
しかも、目の前を歩むのは、どう見ても、魔物でも魔人でもない。人だった。
「ど、どういうことで御座るか?」
戸惑う侍セキに、賢者イオナは肩をすくめる。
「さぁ。地名は、勇者クラウディアの奇跡というみたいだけれど。クラウディアと言えば、先代の勇者よね。先代の冒険の書には特別なことは書かれていなかった気がするけれど、ここで何か、偉業を成し遂げたようね」
人界に魔物が居るように、魔界にも人間は生存している。しかし、魔界における人間は、魔物や魔人の食料か家畜でしかなく、人権など存在しないというのが通説だった。自治された村があるとは、転移の呪文を使った賢者イオナでさえ驚きだった。
そんな中、魔物使いだけは、難しい顔をしながら鼻をひくひくさせている。
「この匂い……温泉でもあるのかな」
「温泉!」
誰よりも鼻がきく魔物使いヌランの言葉に、戦士ルイが嬌声を上げる。
「とにかく、様子を見ましょ」
言いながら、賢者イオナが足を進め始めた。
村の入り口付近に、畑が広がっている。魔界には四季もなければ昼夜もない。毒々しい色の葉を広げる植物の味は未知だが、けして日光も土壌の栄養分も充分とは言えないであろうこの地で息づくのだから、賢者イオナとしては感嘆するところだった。
その畑で一人黙々と作業する、質素な身なりの若者に、賢者イオナは歩み寄って声をかける。
「あなた、私の言葉、わかる?」
色黒の顔を振り向かせた若者は、賢者イオナを見つめて、首をかしげる。
「なんだい。ずいぶん馬鹿にした物言いだね」
若者の高く澄んだ声は、訛りさえ感じさせない、紛れもない人界共通言語、フリック語だった。
「いえ、気を悪くしたなら謝罪するわ。なにぶん、魔界には来たところだから勝手が分からないのよ。これからも気に障ることを言うかもしれないけれど、大目に見てね」
「全然謝罪になってないし。まぁいいさ。人界からわざわざやって来たってことは、あんたらも勇者の仲間かなにかかい?」
鍬にもたれ掛かりながら問う若者に、一行は一歩にじり寄る。
「あなた、勇者に会ったの?」
賢者イオナに詰め寄られても、若者は物怖じしない。
「三週間くらい前かな。四人でふらりとやって来たよ。一晩だけ温泉宿に泊まって、次の日には出て行ったから、ろくに話さなかったけどね」
「勇者は、あなたたちに何も訊ねず、体だけ休めて旅に戻った、と言うこと?」
「少なくともあたしは何もしゃべってないね。でも、温泉じじいなら、なにかしゃべってたかもね」
「あなたは、突然現れた勇者に興味を引かれなかったの? 魔界の脅威から人間を守るために、旅をしているのよ?」
「人間を守るって、そりゃ人界の人間のことだろ? 魔界で生まれ育ったあたしらは、どうあったってここの生活からは解放されない。あたしらにとっての勇者は、クラウディア様だけさ。他のどの勇者も、魔界のあたしらの為には、なにもしてくれなかったからね」
言って、ニヒルに頬を歪める若者に、賢者イオナはつい口調を荒げてしまう。
「だったらあなたたちは、何を望んでいるというの?」
「何も望んでないね。ただ、今の生活が続けられればそれでいいさ。それ以上の幸せが、この魔界のどこにあるってんだ」
「じゃあ、勇者のことで突っかかるのは筋違いじゃないかしら」
「おいおい、突っかかってるのはどっちだ? 熱くなるなよ」
指摘されて、賢者イオナは、はっと息を飲む。若者は言葉を続ける。
「あんたらは、あたしたちの今の生活を脅かしてるんだよ。頼むから、何もしないでくれよ」
そこまで言うと、若者は肩を一つ竦めてみせてから、鍬を持ち上げた。
それ以後、若者は一行の視線を一切無視して、畑仕事に戻った。
賢者イオナは、やりきれない思いを胸に、村の奥へと足を進める。
戦士ルイが賢者イオナの肩に手を伸ばしかけて、掛ける言葉を見つけ出せないまま、所在なさげに下ろした。
思い空気が四人を包む。
沈黙のまま進むにつれ、魔物使いヌランの鼻に届く硫黄臭はより一層強まった。
そして遂に、一行は最奥の丸太小屋に辿り着き、その木戸を叩く。
しばらく待って出てきた老爺は、一行を見るや、しょぼくれた目を見開いた。
「勇者とやらがやって来たのはいつじゃったかの……お主ら、あやつらの知り合いか?」
風体を見て察したのだろう。賢者イオナは頷き返すと、老爺に問う。
「この村の住人は、勇者を歓迎しなかったようだけど、なぜなの?」
「なぜとな。なぜなら、わしらには関係ないからじゃ。勇者が魔王を倒そうが、敗れようがな」
老爺の言葉は単純だったが、それだけに、それが全ての答えだと知れた。
言い返せない賢者イオナに大儀そうに肩をすくめて見せて、老爺はうっそりと提案する。
「疲れているじゃろう。温泉に浸かっていきなされ」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
「一人千ゴールドじゃからな」
「たかっ」
反射的に不平が口を突いて出た魔物使いヌランのことなど意にも介さず、老爺は賢者イオナの手から有無を言わさず集金した。




