7話
「次はどうするでござるか?」
侍セキが、生まれ変わったかのように鋭気満ちあふれた様子で問う。
そんな調子の良い侍セキに細めた視線を投げかけながら、賢者イオナは腕を組む。
「セキの防具を探しに行く、って言いたいところだけれど、潮時ね。もう十日よ」
「じゃあ、いよいよ魔界へ行くんだね」
言いながら、魔物使いヌランはブラックドラゴンのドラッヘの腹部を撫でている。
魔界へ向かうとなると、ドラッヘをはじめとする仲間モンスターとは離ればなれになる。
「そうね。でも、最後にしておくことが残っているでしょう?」
ヌランの顔をじっと見つめると、賢者イオナは一つうなずいた。
「行くわよ」
転移の光から視界を取り戻すと、魔物使いヌランは、頬を撫でる優しい風に、人知れず心を震わせた。
そこは、魔物使いヌラン専用のモンスター牧場だった。
牧場主の姿に気付いた放牧中のモンスター達が、一斉に駆け寄ってきた。
事情を知らない者が同じ目に遭ったら卒倒必至の光景だが、魔物使いヌランはじめ、一行は、砂塵撒き散らしながらやって来る数十のモンスターに怯むことはない。
どのモンスターの表情も、野生の凶暴化したそれとは全く別物なのだ。
モンスター達は魔物使いヌランを輪になって囲むと、ただじっと彼を見つめた。
しっぽを振っているモンスター、宙を漂っているモンスター、姿が見えないモンスターなど多種多様だが、皆、魔物使いヌランを唯一の主人として崇拝している点で、繋がっている。
そんなモンスターらに、魔物使いヌランが一歩歩み寄った。
「みんな、久しぶり。元気してた?」
魔物使いヌランの問いかけに、皆鼻を鳴らしたり、体を揺らしたりして応える。
魔物使いヌランは硬い表情で頷くと、改めて口を開く。
「あのね、僕、魔界に行くことになったから。今日はみんなに、お別れを言いに来た」
どよめく一同はそのままに、言葉を続ける。
「でもね、僕、必ず戻ってくるから。それまで、大人しくしてるんだよ」
その時、魔物使いヌランの瞳から、涙が流れた。
涙はあとからあとから溢れ出て、とどまることを知らない。
モンスターらがすり寄って、魔物使いヌランは完全に埋もれた。
彼らの慟哭は、夕日が沈む頃まで響き続いた。
その日の夜、賢者イオナと戦士ルイは、女二人でパーティを抜け出して、街を歩いていた。
その街は不夜城ベガス。かつて賢者イオナが遊び明かした歓楽街だ。
賑わうカジノを尻目に、二人は薄汚い脇道に入る。
ごろつきが値踏みするような目を二人に向けるが、声をかけてくるようなことはない。
戦士ルイは慣れない視線に自然と早足になる。
ボディガードを請われた身としては情けない気持ちになるが、賢者イオナとしてはそれも織り込み済みだ。戦士ルイの重厚な武装だけで、充分にごろつきを退ける役割を果たした。
賢者イオナが足を踏み入れたのは、うらぶれた酒場だった。
二人が店内に足を踏み入れると、一人グラスを磨く白髪交じりの男が、何気ない視線で出迎える。
客は誰もいない。
「冷えたミルクを一つ。マスターのおごりで」
カウンターに歩み寄って賢者イオナがそう口にすると、男は唇の端を持ち上げた。
「トイレはあっちだ」
「どうも」
賢者イオナは肩をすくめると、戦士ルイに振り返る。
「ちょっと行ってくるから、ここで待ってて」
「う、うん。行ってらっしゃい」
戦士ルイはカウンターの椅子を引いて腰掛ける。
どこか張り詰めた賢者イオナの背中に、言葉が口をついて出る。
「あの、気をつけてね!」
その言葉に、賢者イオナは振り返ることなく片手をあげて応えた。
賢者イオナの背中がトイレと案内された個室に消えて、戦士ルイは暖かいミルクを注文する。
ほどなく出てきたカップの熱を両手で確かめながら思い起こす。
賢者イオナは、今夜のベガス訪問を仲間達にこう語った。
習得しそびれた奥義を、マスターしに行くと。
他の仲間は、きっととびきりの魔法を習得して帰ってくるものだと期待していることだろう。
だが、彼女の前職を知っている戦士ルイは、向かう先がベガスだと聞いて、違う想像をした。
賢者イオナは、二人きりの道すがら、こう言った。
「みんなの期待には応えられないかもしれないけれど」
なんとも形容しがたい渋い顔で、そう切り出した。
「賢者になった今だからわかるのよ。あれもこれも、無駄じゃなかったって」
そうして、戦士ルイの物問いたげな視線に、鋭い横目をキッと向けた。
「だから、最後まできっちり、極めておきたいの」
戦士ルイはトイレと案内された個室の方を見つめて、賢者イオナの帰りを待つ。
きっとあの個室の奥には部屋がある。いや、部屋どころか、そこそこの規模のホールかもしれない。一人や二人ではない人数の気配が感じられるのだ。
暗号を知る者なのか、裏の社会に通じる者なのかわからないが、限られた人間のための社交場が、そこにある。
戦士ルイは、賢者イオナがそういう場所に少なからず出入りしていた事を知っている。
だが、そこでどのような方法で、どんな奥義を修得するのかは全くわからない。
そして、ここに来るときに仲間たちに語られなかった以上、賢者イオナがそれについて説明することはないだろう。永遠に。
ミルクが冷え切った頃、個室から静かに出てきた賢者イオナの表情は、何とも形容しがたい渋いものだった。
「奥義、習得できた?」
「うん、まぁね」
煮え切らない返事の賢者イオナは、自分の体を抱きしめるように、両手を自分の体に回していた。
戦士ルイは何も言わず、そんな賢者イオナの冷えた肩を抱き寄せて、守るように酒場を後にした。




