33話
魔王は玉座からゆっくりと浮上を始める。
魔王自身は存外に小男だったが、見上げねばならない高さまで上昇して、停滞した。
そしてそのまま、呪文の詠唱無しに、前触れ無く魔法を放った。
瞬時にして、地獄の炎が舐めるように広がる。
前衛の侍セキは神龍の加護で、戦士ルイは英雄の盾で防ごうとするが、全てを防ぎきることは到底不可能だった。皮膚を憎悪の灼熱で焼かれながらも、その火の手は後列にも襲いかかる。
魔法耐性がこの世で最も高い悠久の羽衣を装備している賢者イオナや魔族であるイザベラはまだいい。魔物使いヌランはその炎に抗する術を持たない。
だが、最初の一撃で膝をつくようでは勇者代行一行の名が廃る。
侍セキが地上からの斬り上げを試み、イザベラが跳躍からのツメの振り下ろしを敢行する中、魔物使いヌランは火傷を負いつつも、指示通り速度向上呪文、スピーディを唱えていた。
「同じのをもう一発くらったら危ないわね……」
賢者イオナが唱えたのもスピーディだ。だが、速度向上呪文を重ねがけしても、魔王より先に賢者イオナが回復の呪文を唱えられるかどうかは際どいところだ。
「その時は、僕のことは見捨てたらいいよ。パーティの中での重要性は最低だしね」
その台詞に、賢者イオナは目をひんむいて怒る。
「何勘違いしてるのよ! このパーティに欠けて良い人なんていないのはわかってるでしょ! そんなこと言ってるくらいならもっと働いて!」
賢者イオナの剣幕に、いつもドライな魔物使いヌランも、火傷の痛みも忘れてたじろぐ。
「う、うんそうだね、ごめん」
「誰一人欠けることなく! こいつを屠るわよ!」
賢者イオナとしては、夜の王戦で魔物使いヌランの戦闘不能からの復帰よりも攻勢を優先した引け目からの発言だったが、謝られてしまっては、はぐらかすしかなかった。
ともあれ、そのかけ声に合わせて、緊迫の第二手の口火を侍セキが切った。
魔王めがけて跳ねて、そのまま袈裟に斬りかかる。その刃は確かに魔王を捉えたかに見えた。だが、捉えたはずの魔王の姿はかき消えて、その後ろに実態を再生させる。
「まぼろし!」
空中でつんのめる侍セキを、魔王の魔手が捕まえる。そのまま真下に投げつけられて、侍セキは見えない床に叩き付けられる。石畳などよりずっと堅い床は、神龍の加護を度外視して、全身を軋ませる。
追撃するイザベラの腕も容易く魔王に捕まれて、今度は漆黒の空めがけて投擲される。急激な気圧変化に血管や臓器を膨張させられて、イザベラは身体の内側から破壊されそうになるが、限界高度ぎりぎりのところで落下に転じる。魔王は降ってきたイザベラに蹴りを放って、魔物使いヌランに激突させる。
そこでようやく賢者イオナはミスティックミストを発動させる。初手及び今し方受けたダメージの全てを、癒やしの霧が帳消しにする。
「セキの竜眼で捉えられないとなると見境無く爆撃したくなるけど、きっと魔法は通じないでしょうね」
苦笑と共に冷や汗を垂らす賢者イオナに、側を守る戦士ルイは可愛らしく唸る。
「うーんどうすればいいんだろ。このままじゃやられっぱなしになるよ」
その言葉に、思わぬ所から返事があった。
「ルイ、その盾を掲げてみろ」
声をかけられて振り返った先にいたのは、勇者だった。感情を伺わせない眼差しは、魔王を見つめて離さない。だが、その口は戦士ルイに説明を続ける。
「その盾は、勇者が使えば魔王の幻術を打ち消すと言われている。ルイは戦士だけれど、僕の装備を全て使いこなしているんだから、もしかしたら」
「やってみる!」
勇者の台詞に大きく頷いた戦士ルイは、一歩踏み出して英雄の盾を掲げる。
だが、何も起こらない。
駄目か、と諦めかけた時、魔王の顔色が変わる。
次の瞬間、英雄の盾から魔王に向けて、一筋の淡い光りが伸びた。
その光りは魔王の脳天を刺し、程なくして消える。
起こったことは、ただそれだけだった。だが、魔王の表情から余裕が消えた。
「お前……戦士の分際で勇者の力を操るとは!」
くわっと見開いた目で射貫かれても、戦士ルイが怯むことはない。
「これでいいの? 勇者様」
問う戦士ルイに、勇者は唇を曲げて頷いた。
「上出来だルイ。魔王との戦いにおける勇者の仕事はそれだけだから、もう何も恐れることはないよ」
まるで自らの存在意義はもうないとでも言いたげな発言に賢者イオナは振り返るが、勇者が切っ先を制して言う。
「さあここからだ。もう魔王は容赦しない。イオナ、攻防一体の、最善手で魔王を詰ませてみせてくれ!」
勇者にあるまじき無責任極まりない注文に、応じる義理は無い。
賢者イオナは、ただ行動で示すのみだ。
魔王がなにもない中空から取り出した剣を構えるのを見るや、侍セキと戦士ルイの二人で魔王と切り結ぶ布陣に移行する。イザベラと魔物使いヌランには中列からのサポートを命じ、賢者イオナは単身、呪文を唱え続ける。
魔物使いヌランの九頭竜鞭とイザベラの変幻自在のツメが殺到するのをかいくぐりながら、魔王は侍セキと戦士ルイの相手をする。その口元は不機嫌に引き結ばれ、余裕と共に一切の油断を断ち切っている。魔王の剣と打ち合って、ミストルティンが火花を迸らせる。侍セキの刀、海骸とて、名刀とはいえ、使い方を間違えればひとたまりもなく砕けるだろう。そう感じさせるだけの禍々しさが、魔王の剣にはあった。
そしてその剣の滑らかなひと薙ぎが、舞い落ちる落ち葉を滑らかに分断するがごとく、戦士ルイの胴体を切った。
戦士ルイが声も出せずに目を見開いたのと同時に、淡い光りが彼女を包む。みるみるうちに、分断されたはずの腹部で繋がる。
「痛い目に遭うかも知れないけど、攻め続けて!」
誰に魔手が襲いかかるかわからないため、賢者イオナは精神力の配分をかなぐり捨てて、徹頭徹尾ミスティックミストを唱え続ける。その賢者イオナがノーガードなのだから、魔王はこれを潰せば勝敗は決する。だが、英雄の盾に光を当てられてからというもの、魔王の目が賢者イオナに向けられることはない。いや、賢者イオナだけではない。魔物使いヌランもイザベラも、戦士ルイを斬ったときでさえ、魔王が目で追っているのはただ一人、侍セキだった。
「妙ね……」
詠唱の合間で、つい賢者イオナは呟いた。侍セキは一行の最大戦力だ。魔王がその侍セキとの切り結びに応じてくれるのは、戦略を立てる上では大変有り難い。だからこそ、賢者イオナには不気味に映る。
初手で見せた地獄の炎なりで戦線を崩壊させてから落ち着いて侍セキを処理する。
若しくは真っ先に賢者イオナを潰して短期決戦でけりを付ける。
そうするほうが、どう考えても合理的ではないか。
「何も妙なことなどないぞ、我が后」
ぶすっとした唇の端で、魔王は妙に通る声で話す。
「魔王というのはな、力で頂点に立つものなんだ。俺はこの剣一本で、この玉座に上り詰めた」
そう口にする魔王には、相変わらず表情はないし、油断も隙も無い。だが、その瞳は爛々と輝いている。
「わかるか? 俺は剣で常勝無敗。その目の前に、まぁ出来る奴が現れたんだ。策などいらん。圧倒的な力でねじ伏せて、改めて魔王の証を立てるまでだ」
「筋金入りの筋肉馬鹿ってわけね」
そう強がってみたものの、賢者イオナは内心ぞっとしていた。だからこそこいつは魔王なのだと思い知らされた気分だった。そして、賢者イオナの目にも、違う光りが宿る。
「ヌラン! セキに、アクティヴィ!」
「わかった!」
一歩引いた魔物使いヌランが、侍セキに筋力と敏捷力を高める魔法、アクティヴィをかける。個人を対象にした魔法なので、その効果は絶大だ。だが、それが仇となる。
「ぬ」
通常、強化の魔法はそのまま運動能力の向上という好条件をもたらす。だが、変化が良い方にばかり転ぶわけではない。その変調に慣れる一瞬の間、侍セキの動きが乱れたのだ。
そしてその隙を逃す魔王ではない。
魔王の剣は、侍セキの首を分断した。
侍セキは、回転する視界の中に、宙に放り出された自分の体を見た。
その真ん前に、喜色満面の魔王が居る。
それだけ確かめて、しかし、その視界は真っ黒に染まる。
「……まだよっ!」
侍セキの首をキャッチした賢者イオナは、そのまま侍セキの胴体向けて走り込む。戦士ルイが、阿吽の呼吸で魔王に斬りかかり、時間を稼ぐ。
賢者イオナは、侍セキの胴体が倒れる直前に、その首を胴体に引っ付けて、詠唱を終える。
途端に侍セキの体を優しい光りが包み、その首の切れ目も繋がる。復活の呪文ではない、ミスティックミストだ。死の直前に、体力を回復させたのだ。よって、侍セキにかけられていたアクティヴィは継続する。
だが、これで精神力が枯渇した。その耳元に、賢者イオナが最後の作戦を囁きかける。
戦士ルイが斬り払われるのを見た侍セキが、魔王の後方に飛んで、死角から渾身の一撃を繰り出そうと、空中で身体を引き絞りつつ、抜刀体勢になる。
魔王は、侍セキの斬撃を受けるために身構えた。
それは、賢者イオナが作った一瞬の隙だった。
その後の一部始終を、勇者とダイスは後ろから目撃した。
その隙を突いたのは、前衛の魔物使いヌランやイザベラでは無い。
それまで後衛に徹していた賢者イオナ自身が飛び出して、その胸に魔王を抱いた。
そして、あろうことか。
魔王に対して。
ぱふぱふを始めたのだ。
「ぱふぱふぱふ……ぱふぱふぱふぱふぱふぱふぱふ……」
「なっ……」
絶句したのは魔王だけではなかった。
イザベラも魔物使いヌランも、突然の淑女による破廉恥に目をひん剥いた。
強烈な一撃を放つつもりだった侍セキも、あまりの衝撃に、空中から落下した。
だが、賢者イオナの奥の手、遊び人としての奥義を予期していた者が一人だけいた。
勇者を除くと賢者イオナの黒歴史を知る唯一の初期メンバー、戦士ルイだ。
賢者イオナのあられもない姿に構うことなく、
神器ミストルティンを大上段に構え、
躊躇無く魔王の脳天に振り下ろした。
――賢者イオナの谷間を、光の筋が迸った。
そうして魔王は、昇天した。




