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勇者の二軍  作者: せき
第四章 勇者と二軍
29/34

29話

 その瞬間はあっけなく訪れた。

 セントラルパレスの地下最奥部の突き当たり。そこに設えられた鉄格子の向こう側。

 仄暗い灯りに照らされた青年は、一行が探し求めた勇者その人だった。

 鉄格子まで一歩というところで、一行は整列する。勇者はその様を、虚ろな目で見てはいる。だが、立てた足を抱えたまま微動だにせず、口を開こうともしない。その手は、何かを強く握りしめている。


「勇者、迎えに来たわ」


 賢者イオナの声は、かすれていた。その一言に、万感の思いが込められていた。

 しかし、賢者イオナを見る勇者の瞳は冷たかった。そして、その口は未だ固く閉ざされている。


「ほら、勇者わかる? エリスよ。ずいぶん様変わりしているでしょう? 魔界四天王になっていたんだけれど、ヌランの力で仲間になったの。救出できたのよ」


 その言葉に、勇者はちらりとイザベラに視線を向けた。エリスだった頃よりもずっと豊満になった胸を片腕で支えながら、もう片方の手を小さく振る。だが、イザベラに対する視線は冷たく、とても血縁者を見るような目ではなかった。むしろその目が、先ほどまでより影を濃くしたのに、賢者イオナは気付いた。そして悟る。

 すべてはもう、取り返しの付かないことなのだと。

 賢者イオナに視線を戻した勇者が、ゆっくりと口を開く。


「そう。そいつはもう、僕が愛したエリスじゃない。あの可愛らしかった僕のエリスは、もうどこにも居ないんだ」


 絞り出すように言葉を吐き出した勇者は、一行に背中を向けた。そしてその手に握りしめていたロケットを開く。写真の中のエリスが、勇者に笑顔を向けていた。

 勇者の背中は、世界を背負うにはあまりにもありきたりでちっぽけな、妹を思う一人の青年のものに過ぎなかった。

 だが魔物使いヌランにとっては、そんなことはどうでも良かった。


「だからなんなのさ、幻滅させないでよね。魔王を倒すのがあんたの役目でしょ?」


 魔物使いヌランの言葉に、勇者はかすかに首を振る。


「そうさ、勇者は魔王を倒す存在だ。でも僕は違う。魔界に足を踏み入れるために、勇者になった。エリスを助けるためだけに、ね。僕はエリスを助けるためなら何でもしたさ。知ってるでしょ、僕が立ち向かった困難の数々を」


「じゃあなぜ、真っ先にウエストパレスに向かわなかったのよ!」


「行けるはずないじゃないか! モンスターになったエリスと僕が、再会するわけにはいかないだろ?! もしそうなれば、勇者は魔界四天王を倒さなくちゃいけない。それだけは、絶対に出来なかった!」


 勇者の叫びは、賢者イオナにとっては予想通りだった。そして、吐露される顛末を、一行は黙って聞くことしか出来ない。


「僕は一直線にここ、セントラルパレスに向かった。どこかでエリスに会うわけには行かないし、エリスを人間に戻すための希望があるとすれば、ここ以外には考えられなかった。そう、僕は冷静じゃなかった。でも、そんな僕を、みんなは止めなかった。一致団結して謁見の間へ続く大広間まで駆け抜けて、そこで、僕らは魔王を守護する魔人と戦った。そいつを倒したときには、生き残っていたのは僕一人だった」


 その戦いで、ロビンもクリスもギィガも、息絶えたのだ。

 戦士ルイが、嗚咽を漏らす。賢者イオナは、唇を噛む。だが、勇者の話はまだ終わってはいない。


「僕は一人で、剣を抜いたまま謁見の間に乗り込んだ。破れかぶれで突撃する覚悟だったさ。だけど魔王は、玉座にゆったりと腰をかけたまま、僕に言ったんだ。無駄だ、何をやってもお前の妹は元には戻らない、と」


 勇者は、ちらりとイザベラを見やってから、すぐに目をそらす。目元のほくろや顔立ちが同じだろうが関係ない。そこにいるのは最早、勇者にとって、妹エリスとは全く他人の、ただの魔人にしか見えなかった。


「それでも僕は希望を捨てなかった。魔王を倒せば、モンスターは解放されると、そう信じていた。だけど、僕は、魔王を玉座から立ち上がらせることすら出来なかった……!」


 ロケットを握りしめた手のひらから、血がしたたり落ちる。震える肩は鉄格子越しで、誰も手をかけてやることは出来ない。


「疲弊して立てなくなった僕を、魔王は哀れむように見下していた。僕は怪我一つ負っていなかった。一つも攻撃を受けないまま、僕は魔王に屈服した。勇者としての義務を果たせないのなら、死して次代の勇者に全てを託そうと、僕は剣を自分の喉元に突きつけた。でもそれさえも、魔王に阻止された。僕はその時、魔王の提案を受け入れた。それが勇者として、してはいけない決断だって分かってた。だけど、僕には、その提案を拒否することは出来なかった。それは、君たちが目の前に来た今でも変わらない」


「魔王の、提案……?」


 勇者は一つ頷いて、口を開く。


「お前は死んではならない。なぜなら、まだ妹が生きているのだから。お前は、モンスターとなった妹が魔界で一人生きていくのを放っておくのか、ってね」


 突然、笑い声が空洞に響き渡った。それは、まさに話題の中心である、元エリスたるイザベラが発した嘲笑だった。


「妾を見守るために生きながらえる? 馬鹿な。妾はもはや人間だったころの自分に未練など無い。お主もエリスの事など忘れて好きなようにすれば良い。エリスなど亡霊じゃ。妾は何者にも縛られることなく生きていく」


 そんなイザベラに、勇者は一瞥さえくれることなく、ぼそりと呟く。


「そう、エリスはもういない。でも、確かに、お前はエリスだったんだ。だから僕は死ねない。お前が生きている限り、僕は死ぬわけにはいかない」


「とんだ戯けじゃの」


 言って、イザベラは魔物使いヌランに頬をすり寄せる。


「こやつなどより、よほどそなたやイオナ殿の方が勇者らしいぞい?」


 賢者イオナは、じっと勇者を見つめてから、口を開く。


「勇者、これは僥倖よ。魔王はミスを犯したわ。私たちと勇者、あなたがいれば、魔王の首はもらったも同然。さあ、行きましょう」


 淡々と、賢者イオナにとっては至極真っ当なことを言った。それなのに、勇者は信じられないものを見るかのような目で賢者イオナを見上げる。


「僕は魔王と契約したんだ。エリスが死ぬまで、魔王に従ってここで生きながらえるって。僕は、敗者なんだぞ」


「私たちがここに来た時点で、あなたは解放されたのよ。そんな口約束は、魔王を倒せばそれまでよ」


「馬鹿な……イオナ、君は僕のことをよく知ってるだろう?」


 賢者イオナは、我が意を得たりとばかりに唇の端で笑う。


「勇者こそ、私のことはよーく知ってるでしょ?」


 賢者イオナの有無を言わせぬ瞳に言葉を飲み込んだ勇者だったが、目をそらして呟く。


「無理だ。この鉄格子は決して開けられない」


 聞くや、賢者イオナが侍セキに目配せする。

 直後、侍セキが、目にもとまらぬ速さで刀を抜いた。

 微かな金属音と共に、侍セキの刀は鞘に収められていた。


「勇者殿の言葉通りでござる」


 神龍の力を宿した一撃でも断ち切れないとあれば、鍵を開けるしかあるまい。だが、この鉄格子には、肝心の鍵穴がどこにも存在していなかった。


「この鉄格子は、魔王自らが魔法により施錠している。魔王を倒す以外に、この鉄格子を開ける手立てはない」


「本当にそうかしら?」


 邪悪な笑みを浮かべた賢者イオナは、皆の視線を集めながら、呪文を唱え始めた。

 まずは魔法攻撃力倍加の法を。

 続いて唱えるは、賢者イオナの最大火力呪文、コスメティックバースト。

 皆が伏せる中、解き放たれたコスメティックバーストは、鉄格子の真横の壁を大きく穿った。


「魔王って抜けてるわね。さ、勇者、行きましょう」


 土煙舞うセントラルパレスの最奥で、それでも勇者は座して動かない。


「魔王との、約束がある」


「私との約束は、破るっていうの!」


 賢者イオナの怒声に、勇者はその顔を跳ね上げた。不安げに見つめる勇者の表情から、賢者イオナは何かを読み取って眉を怒らせる。


「まさか、忘れたとは言わせないわよ!」


 益々語調が強くなる賢者イオナに、勇者は首をすぼめる。


「いやその、ごめん。いつのこと?」


 そんな勇者の態度に、賢者イオナは怒りで身を震わせる。


「あなたはっ! わたしにっ! 言ったじゃないの! 世界は僕が守る。もちろんお前も、みーんな守る、約束するって! それで、したじゃないの、指切りを!」


 顔を真っ赤にして激怒する賢者イオナに、勇者は決まり悪そうに頬を掻きながら弁明する。


「ああ、あれのことか。確かに言ってたな、勇者になるまでは。子供のままごとだったけどね」


 その台詞で、賢者イオナは噴火した。


「子供の! ままごと!」


 つかつかと先ほどこしらえた穴から牢に踏み込んで、勇者の胸ぐらをつかむ。そのまま自分よりも一回り身長の高い勇者を持ち上げると、壁に押しつける。


「ハリセンボン、飲ませるわよ!!」


 それでも勇者は、賢者イオナに詫びることはなかった。

 険悪な沈黙を打ち破ったのは、魔物使いヌランだった。


「いいじゃんイオナ。とにかく先に進もう」


 その言葉に、賢者イオナは鋭い視線と共に舌鋒を飛ばす。


「私たちの使命は勇者様の奪還! 奪還すべきはふぬけじゃない、勇者でなきゃ駄目なの!」


「それは無理だよ、目を見りゃわかる。もう、勇者に覇気はない。とてももう一度魔王に挑むなんて無理だよ。だからさ、僕らでやっちゃお、魔王退治。それから勇者を連れて帰れば、結果的には万々歳だよ」


「魔王討伐は勇者の使命! 私たちは、あくまで勇者一行の一員でしかないのよ!」


「そう、僕らは勇者一行だ。たとえ控えの二軍だとしてもね。魔王を討つ資格は充分にある」


 魔物使いヌランの目は真剣そのものだ。賢者イオナは徐々に冷静さを取り戻す。


「魔王討伐するなら、リーダーは勇者よ。でも、今のままではそれは無理」


「リーダーは引き続きイオナだよ。腑抜けの勇者をパーティーに加えるより、ここまで共に旅をしてきた四人とイザベラで挑んだ方が、ずっと上手くいくよ。勇者には、別パーティー扱いで後ろから見届けてもらえば良い」


「そんな……」


 言葉を失う賢者イオナだったが、思わぬ所から口が挟まれる。


「拙者は、ヌラン殿の意見に賛成で御座る」


「わたしも、かな」


 侍セキと戦士ルイの発言に、賢者イオナは呆然と何故と問う。


「魔王を討って故郷に錦を飾るのは拙者の念願。ここまで来てこのまま引き返す手は御座らん」


「そうだよ。わたしだって、憎くて憎くてたまらないモンスターの親玉をやっつけるために、今までがんばってきたんだよ」


「みんな……でも、私たちは勇者一行の控えで」


「何を逃げ道をこさえておるのじゃ」


 腕を組んで賢者イオナを睥睨するのはイザベラだった。


「お主のようなふてこいおなごは他に知らんが、今更殊勝になりおって。勇者がへたれたと言うのなら、お主がその尻拭うてやればよかろうに。勇者にばかり責任を押しつけるのはやめい」


 そこまで眉を怒らせて宣ったイザベラは、表情を和らげて、賢者イオナの肩を叩く。


「なに、妾も手伝ってやる。人間の底力、たんと見せておくれ」


 賢者イオナは、イザベラの瞳を見つめたまま、やがてひとつ頷いた。

 一同の視線が自分に集中していることに気付くと、賢者イオナは壁際に押さえつけていた勇者を突き放して告げる。


「ほら、行くわよ、魔王のところへ!」


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