26話
魔界の東側は、いくつもの山脈が折り重なるように連なっている。
陰気な森を注意深く着実に進む一行の先導役は、ダイスが買って出た。
ダイスは魔界の西側生まれなので、土地勘はない。だが、圧倒的な視野角と動体への反応は、神龍の力を宿した侍セキと比較しても、こと森林に於いては上を行っていた。
多種多様な魔物に幾度となく遭遇するが、不意打ちや先制攻撃を受けることは無いまま、山を越え谷を渡り、着実に高度を上げつつ西の果てに迫っていた。
そして遂に、魔界最大の頂を目の前に見上げる。
「この山のどこかに、イーストパレスがあると考えて良いのかしら」
「見て下さい。ここに獣道があります」
ダイスが指し示すあたりは大きな岩がごろごろ転がっているばかりだ。凝視したところで賢者イオナは眉を寄せて首をかしげるしかない。草木や土があるならいざ知らず、高度を増した砂礫の山にあって、その痕跡は判別がつかない。
「ためらうことはないでしょ。他に頼りは無いんだから、行ってみようよ」
魔物使いヌランが促すまでも無く、一行はダイスに従って果ての山を登り始める。かわりに、イザベラは激しく揺れる馬車の中で、あられもない格好で惰眠を貪っている。
歩き始めて一刻もした頃。額の汗を握り拳で拭いながら、賢者イオナが誰に対してともなくごちる。
「この山、ちょっとおかしくない?」
「ん、どうかしたでござるか?」
「いや、そりゃ神龍の加護のあるあんたはどうもしないでしょうけどさ」
賢者イオナの目線が魔物使いヌランに向く。虎の毛皮そのものの防具、ワイルドレザーの襟元を伸ばして歩く魔物使いヌランの頬は火照っている。
「うん、おかしい。こんなに高くまで登っているのに、暑くなるとかあり得ないでしょ」
「た、たしかに!」
合点とばかりに手を合わせる戦士ルイの肌は、汗が浮いて艶のある光沢を放っている。
「着実に空気は薄くなってきているから、なにかの幻覚で登っているつもりが実は下りている、なんてことはないはず。となると……」
「となると?」
戦士ルイが顎に人差し指を添えて賢者イオナを覗き込むが、肩を竦めるに留める。
「さてね。ぱっと思いつくのは三つくらいだけれど、今は進むだけよ」
それだけ口にすると、賢者イオナは話は終わりとばかりに前を見据えた。
山の中腹で一晩キャンプして、翌朝から山頂へのアタックを開始した一行は、気温上昇の答えを得た。
山の頂上に、太陽の如き光を放つ巨鳥が一羽。
伝説の火の鳥、不死鳥である。
不死鳥は、両足を鎖に繋がれている。鎖は山頂から少し下ったところにある洞穴の前に括り付けられていた。
「ええと、あの鳥が、四天王?」
賢者イオナは馬車の中で寝そべる元四天王に問うが、イザベラは半眼で大儀そうに首を横に振る。
「いんや。東の魔界四天王は巨人の血を引いておる。鳥ではない」
その言葉を耳にして、ダイスはつかつかと歩み、洞穴の中を覗き込む。
「巨人が寝ています」
「もしかして、このただの洞穴がイーストパレスってこと?」
それに答えらえる者は一人もいないが、皆一様に顔を引きつらせている。
「寝てるってんなら、やるなら今でしょ」
九頭竜鞭をしならせながら口にした魔物使いヌランの物騒な物言いは、繋がれる不死鳥を気にかけてのことだ。
「ヌラン、ちょっと待って下さい。仕込みを私にさせて下さい」
「ちょっと、私の許可無く何する気よ」
ダイスが耳打ちすると、賢者イオナは肩で笑って親指を立てる。
「よろしくダイス」
その言葉を口火に、ダイスが洞穴内に胞子を蒔く。
まずはネムリホウシ。巨人をより深い眠りに誘う。
賢者イオナ、侍セキ、魔物使いヌラン、戦士ルイは、様子を見ている。
次にシビレホウシ。寝息のままに無防備に吸い込んで、その巨躯が痙攣する。
侍セキ、魔物使いヌラン、戦士ルイは、様子を見ている。
賢者イオナは、魔法攻撃力倍加の法を唱える。
仕上げはバクレツホウシ。身動きのとれない巨人の周りを、発火性の高い胞子が漂う。
お膳立ては、整った。
賢者イオナが、呪文を唱える。
密閉された洞穴に、コスメティックバーストが解き放たれる。
果ての山が、震えた。
おびただしい黒煙が吐き出されるのをしばらく見守ってから、一行は確認のために洞穴に足を踏み入れる。
「うげ」
賢者イオナは思わず顔をしかめて鼻をつまむ。そこは肉の焦げた臭いと、何から何までが燃えた臭いが混然一体となって、負のハーモニーを奏でていた。染みる目を微かに開けて、奥へと前進する。
灯りの呪文が照らし出す洞穴の側面は、巨人の肉片がこびりついており、非常にグロテスクなことになっている。ただし、骨格まで爆散させるには至らず、巨人の残骸は寝そべったままの形で残っていた。
「無事に討伐はできたようでござるな」
侍セキも鼻での呼吸を断念して、最小限の呼吸と共に言葉を吐き出す。
「内装もめちゃめちゃで、イーストパレスって感じはさっぱりしないね」
魔物使いヌランは臭いを意に介さず、ずんずんと前進する。灯りの呪文の適用範囲ギリギリを並んで進むダイスと共に、突き当たりで足を止める。
「イオナ、これ」
賢者イオナが遅れてやって来ると、それは充分な光を浴びて顕現した。
「剣? ここだけ爆風を避けたとでもいうのかしら」
イーストパレスの最奥。果ての山の中心。そこに、一振りの剣が突き刺さっていた。
刃は漆黒。鍔は三日月を背中合わせにしたかのようなあしらい。尋常な剣ではあり得ない、そんな雰囲気を醸し出している。
「えーっと、剣だったら、ルイの取り分よね」
口にしながらも、賢者イオナの視線は侍セキを見ている。今や神龍の加護を得た彼が装備した方が値打ちがあるのでは、という皮算用が働くのは無理もない。海骸も業物ではあるが、目の前の剣を識別したところ、神器ミストルティンと分かった。まさに彼にこそ相応しい。だいたい、神器ともなれば装備するのにかなりの技量が要求される。下級職である戦士ルイに装備できるかは、相当に怪しいところだ。
だが、侍セキはそんな賢者イオナの計算など意に介さない。
「うむ。さ、ルイ殿」
「う、うん。じゃあ抜くよ?」
賢者イオナの微妙な表情を覗いながらも、戦士ルイはミストルティンの前に立つと、その柄に手をかける。
「えいっ」
言葉と共に、戦士ルイはあっさりとミストルティンを引き抜いた。
一振り、二振りと軽々と振ってから、情けない顔を賢者イオナに向ける。
「イオナちゃん、どうしよう~っ」
「ど、どうしたのよ?」
装備できないと言い出したら侍セキに持たせようとしていた賢者イオナだったが、戦士ルイの次の一言で、その野望は打ち砕かれる。
「鞘がないと、持ち運びにくいよぅ~」
「ふ、ふふふ……あ~あ!」
呆れたかのように笑う賢者イオナを、一同は珍しいものを見るようなを向ける。それに気づいた賢者イオナは、ばつが悪そうに歯切れ悪く切り出す。
「いや、ルイも頑張って強くなったんだと思うと、ちょっと笑えてきてね」
「な、なんでわたしが強くなったら、笑っちゃうのよぅ~」
唇を尖らせる戦士ルイに、一同が微笑む中、一人真顔の侍セキが、
「うむ。笑う理由が分からぬ。ルイ殿は鍛錬を積まれて神器を手にする器にまで上り詰められた。賞賛こそすれ笑うのは失礼かと」
心底から口にする侍セキに、戦士ルイは顔を真っ赤にして、それから、目尻に涙を溜める。それを目にした侍セキは、慌てて言葉を繋ぐ。
「す、すまぬ。拙者風情が差し出がましいことを申した」
「そうじゃないよ、セキさん。その、ありがとうっ」
目尻を拭いながら、戦士ルイは晴れやかな笑顔で言った。
こうして神器ミストルティンは、戦士ルイのものとなった。
イーストパレスの出口から不死鳥に繋がれていた鎖は、ミストルティンの一太刀で断ち切られた。
解放された不死鳥は、一声鋭く鳴いて、その翼を広げた。
魔界の淀んだ空を、光が奔る。
あっという間に線から点となって消えるのを見届けると、魔物使いヌランは笑みを浮かべる。
「帰る場所に、帰ったのかな」
その言葉に答えられる者はいない。
「ルイ殿!」
一人不死鳥が鎮座していた山頂に登っていた侍セキが、手に細長い物を持って振っている。すぐに駆け下りてきて、戦士ルイにそれを示す。それは漆黒の、剣の鞘だった。
「如何で御座るか?」
侍セキが鞘の口を向けて、戦士ルイがそれに神器ミストルティンを入れる。すると、柄が澄んだ音を立てて、ぴったりと奥まで収まった。まさしくそれは、神器ミストルティンの鞘だった。
スパークリングブレイドと十字になるようの背中に据え、戦士ルイは頷いた。
「よかったぁ~」
と、空からちらり、と、白いものが振ってきた。
それは徐々に数を増やし、次第に肌寒くなってくる。
「……雪ね」
「不死鳥が去ったから、本来あるべき風景に戻るのかもね」
「忘れ物は無いわね。長居は無用、帰るわよ」
賢者イオナが転移の呪文を唱えた。
一行は、勇者クラウディアの奇跡に戻って、最後の温泉を味わった。
賢者イオナは村の入り口で不思議な地図を開く。魔界を、遂に隅から隅まで制覇した。
時は、満ちた。
「よし……セントラルパレスにガサ入れよっ!」




