14話
戦士ルイは、どうにも侍セキのことが気になって仕方がない。
転移の呪文で洞穴までひとっ飛びして、呪文の灯りを頼りに探索している最中も、ずっと侍セキの背中を目で追ってしまう。
いけない、周りに注意しないと、と思いはするものの、すぐに払うべき注意が侍セキに向く。パーティの守りの要がそんな様子では、前回の冒険を考えれば危険極まりないのだが、かろうじて命令に従える程度の賢さしかない戦士ルイには、酷な話かも知れない。
戦士ルイは、前々から侍セキのことが気になっていた。
群れないのに物腰柔らか、装備が無くても泰然自若、口にする言葉はまさに侍。
語彙に乏しい戦士ルイに語ることは難しいだろうが、かわりに語るならばこうだ。
また、容姿に関しては、彼女の表現で言えば、細い目、細い身体、細い指。
そんな彼の全てが、どうにも気になるのだ。
しかも前回の冒険で、必要に迫られてのこととはいえ、彼に口づけまでしてしまったのだ。
彼女はその感情が何なのかは知らない。
そちら方面に関して鈍感極まりない侍セキは、彼女の視線になど一切気付かない。
賢者イオナは全てを見通してはいるが、全てを余計なこととして処理している。
結果として気苦労をするのは、このパーティに於いては魔物使いヌラン一人の役目だった。
そんな思いなどよそに、賢者イオナは淡々と奥へ進む。幸い、前回リザードエンペラーが現れたあたりにもモンスターの影はない。戦士ルイが口づけのことを思い出して赤面する程度だ。
四人は静けさの中、最深部を目指して足を進める。
その足音が、心なしか徐々に、反響を大きくし始めていた。
そして唐突に、四人は巨大な洞穴空洞部に足を踏み入れることになる。
「これは……」
賢者イオナが二歩三歩と進むと、灯りが大空洞をぼんやりと照らし出す。
天井は闇が蔓延っており高さが把握できない。奥もまたしかりで、とにかく前に進まねば先の様子は窺えない。足下にはつらら状の鍾乳石がてらてらとした光沢感を伴って生えており、足下の堅い岩盤もうっすらと濡れている。大空洞はそんな岩盤が層を成してできており、先に進むにつれて階段状に高度を落としていく。
ここまで、モンスターどころか羽虫の一匹とも出くわさなかった。だからといって気が緩んでいたわけではなかろうが、神秘的な光景に目を奪われて、それに気付くのが遅れたのは事実だった。
小さく舌打ちして歩みを止めた賢者イオナに、三人も一斉に身構えた。
彼女が見つめるその先に、三人も絶句する。
岩盤三枚分下の左手にある、窪んで水溜まりになった場所。
そこに、リザードエンペラーが居た。
しかも、灯りが照らし出せる境界に、二体目の頭と三体目と思しき尻尾が覗いていた。
「ヌラン、どう思う?」
問われた魔物使いヌランは苦笑する。
「どうって。巣か、狩り場か、産卵所かだよね。ぱっと思いつくところでは。もっと居たりして」
前回の経験から考えれば、一度に複数はとても相手に出来ない。三体とも、先に苦戦を強いられた個体と変わらないだけの体長をしているのだから、甘く見積もれるような要素はない。
一番手前の一体は、じっとこちらを見つめている。だが、直ちに飛びかかってくるという気配は感じられない。じっと観察していた魔物使いヌランは、言葉を選びながら、慎重に発言する。
「どうも、自分たちのテリトリーに踏み込まれなかったら、あっちから襲ってくるって事はなさそうな雰囲気だね。あの目は、おびえてるよ。少なくとも、食べるために人を狩るようなモンスターじゃないんじゃないかな」
その分析に、賢者イオナは軽く頷く。
「よし、刺激しないように、この距離を保ったまま移動するわよ。あちらさんが動いたらすぐに逃げるから、ちゃんとついてきてよね」
「合点」
賢者イオナは返事のない戦士ルイを振り返る。戦士ルイは、侍セキのほうをぼんやりと見ていた。
「ルイ?」
「は、はいっ?」
声を裏返して飛び上がる戦士ルイに、賢者イオナは人差し指を口に当てて声を潜める。
「聞いてなかったの? リザードエンペラーを刺激しないように進む。やつらが動いたら、逃げる。オッケー?」
「が、合点!」
高い声で返事してから、顔を赤らめて侍セキのほうを見る様子に、魔物使いヌランは肩を竦める。
ともあれ、賢者イオナを先頭に慎重に進む。灯りの隅でリザードエンペラーを捉えながら、右側から大回りに行く。さらに右手には高さ不明の壁が切り立っていたが、幸い、左のリザードエンペラーから充分な距離が確保できるだけの余裕はあった。左後方に離れていくリザードエンペラーの群れは、灯りの端で最大五体まで確認できた。
群れがたむろしていたその先、イオナ達の左手向こう側には、蒼く澄んだ地底湖が広がっていた。
「よもや魔界に、これほど美しい場所がござったとは」
感嘆の声を上げる侍セキに、目を輝かせる戦士ルイ。侍セキとこの光景を眺められたことを胸に刻む。
「油断するんじゃないわよ。何が潜んでるか分からないんだから」
賢者イオナに景色を楽しむ余裕はない。
洞穴の様子が変わったということは、生態系などにも変化があると捉えてしかるべきだ。予想もしないような危険がいつ降りかかるか、わかったものではない。離脱の呪文を舌の上で転がしながら進んでいるというのが実際の所だった。
そんな賢者イオナの緊張感に反して、時折落ちる水音だけが、静寂を優しく揺らす。
結局一行は、何事もないまま大空洞の終着点に辿り着いた。
最奥で行く手を遮る高い壁には、入ってきたときと同じような洞穴が口を開けていた。
賢者イオナは迷わずその先に足を進める。
人一人は充分に入れるが、二人並ぶと窮屈。そういった大きさの横穴だった。
進むにつれて、耳元をざわつかせる音が徐々に強くなってくる。
「……風?」
気付くのとほぼ同時に、奥から吹き付けてくる風が賢者イオナの髪を揺らした。
僅かに遅れて、蛇行する洞穴の先に、急に光が溢れた。
はやる気持ちを抑えて、一行は光目指して突き進む。
遂に辿り着いた洞穴の果てで、賢者イオナは立ち尽くす。
そこから見える景色は、空と海の二つだけだった。
その双方が、どこまでも蒼い。
魔界にはあるまじき清らかな蒼。
洞穴から出た先は断崖絶壁で、これ以上進みようがない。
だが、それで終わりというわけではなかった。
一行に立ちはだかる存在が、空と海の狭間に浮遊している。
それは、今まで一度も見たことはないが、四人の本能はすぐに、それをそれと認めた。
大きさはそれほどでもない。とぐろを巻いているため全長となれば定かではないが、丸く収まっている限りは人の背丈とさほど変わらない。は虫類然とした独特のしなやかさを持った身体は、碧とも蒼ともつかない色に燦めいている。その頭部から伸びる二本の鋭い角と、その鉤爪が掴む宝玉を見れば、人界の誰もが伝え聞く、伝説の神龍を思い浮かべるのは自然な流れだった。
そしてその龍は、伝説の通り言葉を操った。
「よくここまで辿り着いたな人の子等よ」
龍の言葉は、四人の心に直接響いた。
それがあまりにも自然だったために、四人は龍の口が動かないまま発せられた言葉をそのまま受け入れた。
「あなたは、次元の狭間に存在すると言われる、神龍なの?」
賢者イオナの物怖じしない問いかけに、神龍は地響きのように笑う。
「我は常にここに在る。そして同時に、ここは我のためにのみ存在する。この空間と我は、一対なのだ」
洞穴の果ては、魔界でもなければ人界でもない、神龍のためだけの世界が構築されていた。
そしてその世界の主は、一行を歓迎していた。
「それ故、我は退屈しておる。ここは僻地。誰も足を踏み入れようとはしないのでな。まして意志ある生物となれば、そなたらの来訪はいつぶりのことか」
うれしがっているような、おもしろがっているような声が、四人の魂に響く。そしてそれに応えるのは、勇者代行たる賢者イオナの役目だ。
「私たちは、あなたの暇つぶしのために来たわけじゃないわ。魔界には、勇者様を探しに来ているの。早く勇者様を見つけたい。でも、急ごしらえパーティの私たちは実力不足。この問題を解決する糸口を探して、ここに辿り着いたの」
賢者イオナの言葉に、神龍はいよいよ瞳を輝かせて笑う。
「なんとふてぶてしい人の子よ。我に怖じけず、我を主張するか。良かろう、益々興が乗ってきよったわ」
言って、神龍は突然とぐろを巻いてた身体を伸ばして身構えた。
「人の子等よ、我と力比べだ。そなたらが我に力を示せたならば、願いを一つ、叶えてやろう」
その言葉に、一行は身構えながらも期待に胸を膨らませた。だが、神龍の次の言葉に全身をこわばらせることになる。
「しかしもし、そなたらが我を失望させた時は、その命、捧げて詫びるものとせよ!」
神龍の言葉と同時に、一行は空に投げ出された。
文字通り浮き足立つ一行だったが、それ自体は神龍の攻撃ではない。投げ出された中空に、あたかも透明な地面があるかのように、一行は空の平面上に着地した。
後ろを振り返っても、来たはずの断崖絶壁はない。
辺り一面、海の蒼と空の蒼のみが満たす、気の狂いそうな虚無の空間だった。
そして彼らの目線の先に、神龍が、有り余る存在感を得も言われぬ迫力に変えて、そこに在った。
「ようこそ我が蒼穹へ! さぁ、全てを捨ててかかってこい!」
神龍の一喝に全身を総毛立たせつつ、賢者イオナは一つ、舌打ちを返した。