12話
大陸北西部の探索は難航した。
拠点となる勇者クラウディアの奇跡からかなり離れる上、出現するモンスターもその凶暴さを増していた。
対して一行は、ダイスの加入とコスメティックバーストの習得こそあれ、装備は魔界突入時から何一つ変わらず、レベルはかろうじて二、三上がった程度。元々のレベルが勇者一行と比べて劣っているため、魔界を冒険する上ではまだまだ物足りない。
やはり、ウエストパレス攻略はまだ早い。賢者イオナは否応なくそう再認識させられた。
少し進んでは転移の呪文で集落に戻り、また進んでは戻りを繰り返すこと一週間。
一行はようやく地図の北西角に辿り着いた。
「ほんっとに、この垂直の崖は、一体どうやってできたんだろうね」
果てしなく伸びる灰色の断崖絶壁を見上げながら、今やダイスを乗り物代わりにしている魔物使いヌランが口にする。
不思議な地図が示す魔界の輪郭線は、今のところ、この不自然な天然の壁を示している。
「さぁね。ま、私たちの旅とは関係ないんじゃない?」
賢者らしからぬ知的好奇心を微塵も感じさせない発言にも、理由はある。
「それよりも、この穴よ」
賢者イオナが顎でしゃくる先を、皆が見つめる。
「相当、深そうでござるな」
岩山を刳り貫いたかのようにできた穴。
その縁から中をのぞき込みながら、侍セキが感嘆混じりに言う。
「どうするの、入っちゃうの?」
賢者イオナに訊ねるのは戦士ルイだ。高い身長に似合わず洞穴を満たす闇に恐怖心が沸いたのか、彼女の瞳は揺れている。
賢者イオナは腕組みして、魔物使いヌランに声をかける。
「ヌランはどう思う?」
問いかけに、ダイスの上であぐらをかいて、うーんと一つ唸ってから。
「イオナの精神力は半分くらい消費しているよね。奥がどうなっているのかわかんないけど、もしも閉じ込められたりしたら最悪だね。奥に潜んでるボスを倒すまで出られない、とかだったら、多分全滅するよ」
賢者イオナも同じ事を想定していたらしく、軽く頷きを返す。
「そうね、今日はここには入らない。迷うのは、ウエストパレスに行くのが先か、ここを覗くのを先にするか、なのよね」
「集落との位置関係からすると、ウエストパレスから行くのが定石では」
侍セキの言葉を、賢者イオナは否定はせずに頷いてから意見を口にする。
「ただ、この洞穴に、なにか宝物とか装備が隠されているのだとしたら、先に手に入れておきたいのよね。ウエストパレスに行けば、イザベラとかいう強そうなのと戦うことは避けられないだろうし」
そう口にする賢者イオナに、魔物使いヌランが鼻を鳴らす。
「もう決めてるんでしょ、イオナ。帰って、回復して、モンスターの目を盗んで精神力満タンのままここまで戻ってくる。んで、洞穴を一発で攻略する。そうしたいんでしょ?」
魔物使いヌランの聡さには、賢者であるイオナも苦笑するしかない。だからこそ、密かに参謀として頼りにしているのだ。賢者イオナはただ頷いて、一行に言い渡す。
「ヌランの言ったとおり、一旦集落に帰還し入浴後、すぐにここに戻ってくるわよ。各々、準備を怠らないこと!」
一行の返事に頷きを返して、賢者イオナはそそくさと転移の呪文を唱え始めた。
いくつかの敵との遭遇は避けられなかったものの、戦士ルイとダイスの体を張った守りのおかげで、改めて洞穴に戻ってきたときの賢者イオナの精神力の損耗はほぼ無かった。
準備万端で洞穴に第一歩を踏み込んだ賢者イオナは、すぐに呪文を唱え始める。
それは、ダンジョンから脱出するための呪文だった。
詠唱が終わるや、一瞬にして視界が変わった。転移できたのだ。
と言っても、そこは詠唱地点から十歩も離れていない、洞穴の入り口目の前だった。
「脱出の呪文は、問題なく使えるようね」
一行の表情に安堵の表情が浮かぶが、まだ探索は始まってもいない。
「気を抜ける要素は何もないわよ。退路が確保されただけなんだから。さ、行くわよ!」
改めて洞穴に足を踏み入れた賢者イオナは、また別の呪文を唱え始める。すると、すぐに一行を照らす明かりが、賢者イオナの頭上に灯った。灯りの下、不思議な地図を取り出してみると、ちょうど現在地の名称が浮き上がってくるところだった。
「古の竜穴、っていうみたいね、ここ」
「竜穴、でござるか。いかにも竜が潜んでいそうな地名でござるな」
「ま、とにかく進んでみましょ。今の私たちに必要なのは、経験値と装備。それが得られる可能性があるかぎり、時間の無駄にはならないわ」
「死なずに出れたらね」
「が、がんばろーっ!」
魔物使いヌランの言葉は分かりきったことであり、戦士ルイの激励はいわずもがなだ。
賢者イオナは軽く頷くだけで、洞穴の奥を見据えて歩を進める。
生暖かい風がねっとりと吹く外とは違い、洞穴内はひんやりとした空気に満たされている。湿り気を帯びた岩盤質の壁面はぬらりと光り、所々に苔むしている。不気味なほどの静けさは、逆に行く先の暗闇への警戒を濃くさせる。
そして予想通り、それは暗闇からぬっと姿を現した。
音もなく接近していたそれは、大人の腰の高さほどにもなる体高の巨大トカゲだった。全長は正面から見ると明かりが途切れて判然としないが、優に三メートルは超えている。
魔界一の巨大トカゲ、名を、リザードエンペラーと言う。
さっと前に出たのは最もタフな戦士ルイだ。その両翼に侍セキ、魔物使いヌランが展開し、賢者イオナを守る隊列を組む。道幅の限られた洞穴にあって、強固な守りと言えるかもしれないが、壁となる三人の損耗は激しくなる。そんなデメリットを差し引いても、賢者イオナを主軸にした隊列以外、一行に選択の余地はない。
先陣を切ったのは侍セキだ。
果敢な抜刀術でリザードエンペラーの頭部に斬り掛かる。
リザードエンペラーは、わずかに身を仰け反らせただけで、侍セキの斬撃をもろに顔面に食らった。鼻っ面に、深い傷が生まれているのだからクリーンヒットと言える。だが、当のリザードエンペラーは目をぱちくりさせただけで、怯む様子などは全くない。
「うひゃー……タフそうだね、やりづら」
言いながら次に動いたのは魔物使いヌランだ。
九頭竜鞭を振り上げて、これまたリザードエンペラーの顔面に叩き付ける。追い打ちをかけるダイスの攻撃も合わせて、その顔面に攻撃が見事に吸い込まれる。
ズタズタにされた顔をこちらに向けるリザードエンペラーを観察し続ける賢者イオナは、そのつぶらな瞳を覗き込んで鳥肌を立てる。
「嫌な予感しかしないわね。どんな攻撃が来ても、狼狽えないように!」
言いつつ、賢者イオナは魔法攻撃力倍加の法を詠唱する。
未知のモンスターを相手にする上では、とにかくどんな状況になったとしても最速で敵を全滅させることが賢者イオナが定めた鉄則だった。具体的には、前線がどれほどのダメージを負おうが見て見ぬふりで肉壁とし、自分は攻撃魔法を連発して敵を屠ることに集中するという作戦である。それを踏まえた賢者イオナの一手目が、魔法攻撃力倍加の法なのだ。一度唱えれば、以後約三回分の魔法攻撃力は倍増するのだから、二回以上攻撃魔法が必要とされる相手には効率が良いと言える。
魔法攻撃力倍加を示す赤い光が賢者イオナにまとわりつき始める最中も、リザードエンペラーは動かない。
先に、パーティーで最も重量級の戦士ルイが動く。
戦士ルイは、頭部への攻撃は有効打にはなっていないと見て、スパークリングブレイドを腰の高さで構えて、そのままリザードエンペラーに突進。突きをその喉笛に放った。
そんな急所への一撃ですら、リザードエンペラーはよけることをしなかった。
そしてやはり、有効打には至らない。
深く突かれた喉から緑色の粘液をしたたらせているものの、それだけなのだ。
これで、一行の一手目は出尽くした。
そして遂に、リザードエンペラーがその巨体を動かした。
それまで動きを見せなかったリザードエンペラーの一歩は大きく、その巨体からは信じられないほどの機敏さで、あっという間に間合いを詰めた。
向かう先は、真正面。戦士ルイのもとだ。
身構える戦士ルイのことなど意にも介さず、リザードエンペラーは身体を跳ね上げて、その真っ白な腹部をさらけ出した。
至ってシンプルな攻撃は、そのまま戦士ルイへのしかかるというものだった。
シンプルが故に、避けがたく、ダメージは計り知れない。
真っ白な腹部を目前に、戦士ルイは鳥肌を立てながらも、かろうじて盾を構える。
だが、抵抗むなしく、戦士ルイは盾ごと完全にリザードエンペラーの胴体の下敷きになった。
賢者イオナから、戦士ルイの安否は確認できない。
それは事実上、パーティの攻守の要が、完全に封殺されたことを意味した。
明らかに劣勢。しかし、状況を立て直すのは容易ではない。
「イオナ殿!」
侍セキの二手目は、リザードエンペラーの側面を斬り付ける以外に狙える場所がない。飛びかかりつつ体重をかけた一撃を放つも、やはり表皮に傷を負わせるだけでたいしたダメージには繋がらない。
続く魔物使いヌランはダイスに賢者イオナをかばうよう指示を出し、自らは防御強化の呪文を唱えて賢者イオナへの攻撃対策を施す。とにかく、防御力に乏しい賢者イオナが一撃でやられるようなことだけは避けねばなるまい。
リザードエンペラーに目と鼻の先で見つめられながら、賢者イオナは破壊力倍増のコスメティックバーストを解き放つ。至近距離での爆風に髪が流されるが、賢者イオナが自身の魔法で傷つくことはない。
「さぁ、これで……」
物理攻撃は効かなくても、さすがに魔法は通じるだろう。
そう考えていた賢者イオナは、爆炎が収まるにつれて、その表情をこわばらせる。
「どうなってるのよ……!」
悪態をつきながら、賢者イオナは飛びかかってくるリザードエンペラーの攻撃に対して後ろに跳ねた。
だが、リザードエンペラーの伸ばされた前足は、避けるにはあまりにも長かった。
ダイスが身を挺して間に入るが、簡単にはじき飛ばされる。賢者イオナには舌打ちする暇もない。
次の瞬間、リザードエンペラーの前足による一撃が、賢者イオナを後方へはじき飛ばした。
辛うじて片膝立ちで踏ん張れたのは、ダイスが勢いをそいだたまものかもしれない。だがその腹部は引き裂かれ、肋骨も無事か怪しいところだ。体力が激減したのは誰の目にも明らかだ。
「イオナ殿! ここは一旦退くでござるか!」
侍セキの進言を、手をさっと横に振って一蹴する。
「セキ! ヌラン! ルイ! みんな私の壁となって、身を守れ!」
賢者イオナとてこうも劣勢となれば撤退したいのが本音だ。しかしこの状況で敵に後ろを見せたとして、簡単に逃がしてもらえるのか。この狭く暗い洞穴の中で。賢者イオナには、とても簡単に逃げ切れるとは思えなかった。
だから、賢者イオナはリザードエンペラーから目を離さない。ここで倒して、切り抜けると。
リザードエンペラーの攻撃は確かに強力だったが、賢者イオナの倍加コスメティックバーストが効かなかったわけではない。粘膜質だった表皮から水分がすべて蒸発し、硬質化しているのはダメージの産物と見て良いだろう。
深手を負ったとは言え、魔法攻撃力倍加の法は効力を失ってはいない。三人を壁にして、コスメティックバーストを連発する。その方針を揺るがせる要素はなにもない。
そう自分に言い聞かせる。
侍セキと魔物使いヌランが歯がみしながらリザードエンペラーの鼻先で身を構える。
はね飛ばされたダイスもかさかさと前に出て、その身を壁にする。
下敷きになっていた戦士ルイは盾で隙間を作ってなんとか抜け出して立ち上がる。だが、リザードエンペラーの粘液に濡れて全身ぬめぬめの様相の上、盾を持つ左手はだらりと垂れ下がっている。
そこで呪文の詠唱を終わらせた賢者イオナが、二発目のコスメティックバーストを解き放つ。
洞穴中を揺るがすかのような爆発が、湿った空気を灼く。
しかし揺らめきの向こう側から現れるリザードエンペラーの瞳は、未だ生気を失ってはいない。
「さすが魔界最強のトカゲだけはあるわね!」
賢者イオナの賛辞に気を良くしたわけではなかろうが、リザードエンペラーは再びその巨体を持ち上げてのしかかり攻撃を敢行する。
その真下には、身構える魔物使いヌランと侍セキの二人が居た。
二人の役目はあくまで賢者イオナを守ることであって、必ずしも攻撃をその身で受けなければいけないというわけではない。のしかかり攻撃は賢者イオナから離れた位置で仕掛けられているのだから、二人は回避しても問題ない。
だがそれでも、リザードエンペラーが急に突進を再開すれば賢者イオナは今度こそ致命傷を負うことになる。そんな事態を未然に防ぐためにも、二人はそののしかかり攻撃が自分たちに向いていることをぎりぎりまで確認してから後ろに跳んだ。
しかし、ぎりぎりまで引きつけてからの退避では、あまりにも遅かった。
二人は左右の前足それぞれに跳ね飛ばされ、賢者イオナより後方の壁に激突した。
呻く二人を見て、賢者イオナは歯がみせざるを得ない。
魔物使いヌランは、頭部の裂傷により片眼の視界を奪われつつも、よろよろと立ち上がった。だが、侍セキはぴくりとも動かない。魔界の最奥部のモンスターによる攻撃は、ほぼ防御力のない侍セキの防具では、何の慰めにもならなかったのだ。
「くっ……ルイ、前線を死守! ヌラン、ルイの補助!」
返ってくるのは荒い呼吸ばかりで、二人に返事をする余裕はない。戦士ルイの盾を持つ左手は垂れ下がり、右手一本で両手剣のスパークリングブレイドを構えている。魔物使いヌランはダイスを戦士ルイの隣につかせて、前衛に向けて防御強化の呪文の重ねがけを試みる。
三度目のコスメティックバーストを発動させる直前、賢者イオナはリザードエンペラーをにらみ据えた。
そいつは一声も発さない。だが、ひび割れた表皮にあって唯一の輝きを放つ両の瞳は、怒りに爛々と燃えている。
手負いの猛獣ほど、危険なものはない。
いい加減、そろそろ仕留めないと、大変なことになる。
焦りと共に解き放った第三撃。
轟音と爆風を伴ってリザードエンペラーに直撃した。
薄れてゆく爆炎と共に、賢者イオナを包んでいた赤い光が消えていく。
魔法攻撃力倍加の法が切れたのだ。
賢者イオナは祈るような気持ちで前を見つめる。
だが、そこにはまだ、光りがあった。
爛々と輝く、二つの瞳が。
戦士ルイが、折れた左手を上げて懸命に守りの姿勢を取ろうとしたのが目に入ったが、結果としてその行動は、意味を成さなかった。
リザードエンペラーの怒りにまかせた一撃は、打撃ではなくブレスだったのだ。
それは、賢者イオナが三度解き放ったコスメティックバーストのような爆発は伴わない。
全てを焼き尽くす蒼き炎が、音も無く洞穴の中を真っ白に染めた。
人界では見たことのないような、まさに魔界の炎だった。
蒼炎は、戦士ルイとダイスを文字通り溶かした。
賢者イオナにまで炎が及ぶ間際、反射的に目を瞑ってしまう。
だが、炎は届かない。
「へ……へへ、やられ……たね」
魔物使いヌランがその身を擲って火除けにしたのだ。
焼け爛れた喉から絞り出された魔物使いヌランの台詞に、賢者イオナは返事をしている余裕はない。
どうする?
ひとりで、倒せるの?
それとも、逃げる?
そもそも、逃げ切れる?
わたしは、死ぬの?
自らのブレスで唇が爛れたリザードエンペラーの瞳から目を離せない。
もはや、指示を出す相手は居ない。
決断も、行動も、即ち自分の一挙手一投足。
リザードエンペラーの瞳は、怒りに燃えて、焦点を失っていた。
気付いたときには、呪文を唱え始めていた。
四度目の、コスメティックバースト。
ただし、既に魔法攻撃力倍加の法は切れている。
この一撃で仕留められなければ、
ブレスか、
のしかかりか、
ツメによる攻撃か、
それ以外の何らかの攻撃か、
いずれかによって、勇者の二軍は全滅する。
それでも、賢者イオナに不思議と迷いはなかった。
解き放ったコスメティックバーストが、暴発するのがスローモーションのように見えた。
補助のあった先の三発と、その最後の一発は様相を異にしていた。
それは、爆心がリザードエンペラーの体内にあった。
それは一瞬、色紙に囲まれた灯火のような、美しいオブジェだった。
だが、次の瞬間、ただの肉塊に変わる。
爆散する生暖かい肉が、賢者イオナの頬にべたりと張り付いて、落ちる。
生臭いにおいが、洞穴内を満たす。
だが、それだけだ。
もう、目の前に立ちふさがるリザードエンペラーは居ない。
強敵を倒した確かな手応えを感じつつも、賢者イオナは、立ち上がれないでいた。
側に横たわる魔物使いヌランが、引きつった笑みを浮かべて親指を立てていた。




