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順風満帆の脇道

作者: EO

作者はオフィスの内部事情をよく知らずに書いてます。

とりあえず成敗したく書きました。

誤字脱字の手直しはすると思いますがストーリーの手直しをするかは考えていません。

ひどい内容だと苦情が多く来た場合、削除する予定です。


誤字・脱字等の修正をいたしました。28.9.18

暫くしてからまた修正をしたいと思います。

 

「いい加減さ、意地はるのやめたら?高橋主任と同じ名前だからってあんた鬱陶しいのよ」


「あんたは『オバサン』で十分でしょ。結婚してるかどうかなんて本当にどーでもいいし」


「私、結婚してるんですぅーってイヤミ?そんなの見せびらかす余裕があるんならこの資料を明日までにまとめておいてよ」



 ばさりと勝手に私が専用として扱っているデスクに置く。


 心の中ではっきり言うが、それは課長がお前に頼んだヤツだぞ、と大声で訴えてやりたい。


 彼女たちの年は二十四~七と微妙なお年頃なわけで、結婚している平凡な顔の私が気にくわないらしい。


 最初の頃は一応ね、「本当です」とか「嘘は言っていない」と抵抗していたけど彼女たちの耳には都合のいい声と言葉しか聞こえないから反論なんて時間と労働の無駄。それなら私は残業を選ぶ。


 私の夫――高橋主任こと正喜には帰りが遅くなる事で御立腹だけどね。


 しかし彼も最近では主任なんかになってしまったので帰りが少しばかり遅い。


 メールや電話でやり取りをしているから帰りが一緒になる事もあってこれはこれでいいような気がしていたりする。


 私の名前は高橋なよみ。よく聞く高橋の名字に夏の宵に生まれたみさち(母)の子と言う意味でそれぞれ頭をとってな『なよみ』。


 十八で生んだ子どもは現在十一歳の息子と八歳の娘に五歳の息子の三人。子どもたちには共働きで夜と休日しか構ってあげられなくて悪いと思っている。


 でも、ほら。なぜか三年の間隔を空けて生んだから来年には上の子が中学校。その三年後には高校に上がって県立か私立かでお金が左右されるし娘が中学校に上がって下の子も小学校でやんちゃ三昧と考えると物入りが重なるからさすがにお金が、ね。


 お下がりは可哀想だし服とか色々……実は習い事もさせているとなればお金が、ね。世の中お金かっ!と突っ込みをいれたくもなる。


 正喜が狙ったとしか考えられない……それでも私たちは双方の両親に多大な迷惑をかけつつも愛情を貰ったり幸せだ。


 最初の頃なんかはお金の関係で両親の世話になりっぱなしで戦々恐々としていたのよね。


 育児の勉強をさせてもらえるのは有り難かったけどそれはまだ就職もしていない私たちにとってとても申し訳がなかった。


 子どものための準備を両家の親がすべてしてくれたのだから申し訳ない。


 高校卒業後にデキちゃった、だからね……親の唖然と固まってしまった顔が今でも忘れられないです。


 中絶をする話も出たけど結局は私たちが――私たちは生む事を決意したのだ。


 大学を取り止めにしてしまっても、親と縁を切られても、宿した命を絶ちたくはなかった。ましてや愛しい人との子どもだったからね。どうしても生みたかったのだ。


 その揺るがない私たちの決意を両家は言いたいこと飲み込んでもらい、色々と条件をつけて私たちは両家の実家を往復しながら三年の面倒を見てくれた。


 本当は中絶させる気でいたらしい。でも、宿った命を簡単に無くしたくはない。


 中絶するための費用もかかる。もっとも気にかけていたのは母親(私)への今後のリスク。けれど早すぎる孫がほしい。両家とも一人息子と娘だ。


 就職やお金、安定した日々を考えれば少なくとも孫は早くて六年も先である。その間に何が起こるかなど予測できるわけがない。


 なら、私たちには覚悟があるのか。子育てはその身にならなければ大変さが分からない。ただ生半可な思いで子どもを作ったのならば親として止める。


 親として、それがすべて正しいわけではない。しかし当事者は私たちだ。親の身になるのならその責任をしっかりと受け止め困難を乗り越えられるのか、私たちは試された。


 そして決断した私たちを真摯に受け止め支えてくれた両家の親たちに頭が上がらない。きっと親不孝な子どもだったら、私たちは三人の子どもに恵まれなかったのかもしれないね。


 生むことについて第一条件はもちろん、どんなに忙しくても生まれてくる子どもに愛情を注ぐこと。


 浮気と不倫はせず私だけを愛すこと。


 もし裏切るような事があったならば問答無用で去勢。親は本気と書いてマジだ。手作りの契約書まで書かせていたのだから、“もし”が起きたなら実行するのだろう。最後にはどんな手を使ってでもやりとげると念押しまでしていたからね。


 比較的に優等生の正喜は高卒でも入社できる某飲料会社の営業マンとして勤め、収入の内数万を子どものために出してくれた実家へ返済を続ける第二条件を日々こなす。転職なしの第三条件を守りつつ優秀な成績でトップを上り詰めて今では主任。


 高卒と言うのもあって今年で主任だ。このままトップで上り詰めたら係長に数年で昇進できるらしい。


 らしい、と言えるのは本人から聞いたから曖昧に言っているのではなく偶然にも私が同じ会社に勤める事になってそんな噂が流れているから。


 半年前、偶然にも私は正喜の勤める会社に転勤した。


 子育てをしていた私は孫にデロンデロンで会いたいと騒いでいる両家の実家を往復しながら愛情を注ぎ、第四条件の三年間まで実家暮らしを。


 マンションに移り住んでからは正喜と相談して息子の保育所を探したり妊娠が発覚したり。大変だったわね、あの頃……


 第五条件の月一で両親とさらに私が早く生んだことからまだまだ健康で活発な祖父母に会いに行ったりと毎日が忙しく、幸せに暮らしていた。


 正喜だけの収入ではカツカツなので子どもたちには寂しい思いをさせるけど、パソコンが得意な方の私は子育てママの支援が充実している事務所に働きだしたりして忙しい。


 けど、生活は苦しいと感じたことは正喜共々、ない。子どもたちも元気だ。


 上の子の勇喜はしっかりものの面倒見がいいお兄ちゃんに。我が家の真代と言うお姫様は我が儘だけど聞き分けのいい娘。いつも賑やかなでやんちゃな末っ子の輝喜はお兄ちゃん子で三人は仲良しに成長し何も文句などない。


 正喜が心配しすぎで友人に相談し幼い子どもでも習える柔道教室に防犯のためと習わせてみたら三人ともハマっちゃって少しばかり強くなっちゃった、とか……


 孫にデロンデロンであるお祖父ちゃんたちにたかるのがうまい、とか……


 怖いもの知らずで強面の方とか見知らぬ人に満面の笑みで真新しい玩具を自慢しようとする、とか……


 文句は、ないのよ。一応。ただヒヤッ、とするのよ。


 それでも幸せである。


 例え名字が被っているからと適当な名前で呼ばれようが、妄想で指輪をつけていると罵られようが、仕事を押し付けられていようが、たれ目のちょいイケメン夫の正喜に媚びられていようが(しっかり断ったりしているので信頼していますよ)なかなか昇進できない上司が私にネチネチと小言を言おうが!


 他の部署の人たちは優しいし家に帰れば頑張れる源があるので幸せなのだ。


 みんな気にくわないのだろうと安易に想像できるのでもう放置。


 さらに気に入らない要素は、私の転勤の仕方でしょう。会社の視察に来ていた会長に誘われたからここに来ているのだ。


 実は正喜が本社に勤めていて私は偶然にも同じ系列の子会社に勤めていたのは驚いたけど……


 子育てママ支援の条件はそのまま通っているし、正喜と夫婦である事も社長に報告済み。しっかりと話し合い段取りを踏んで営業三課の事務員としてやって来た。


 契約社員としてだから給料がこっちの方が少し高かったし仕事も変わらなくて何より会長が自ら私の事務能力を聞いて、見て、引き抜きたいと言われたから来たんだけどね。


 どこから会長の話が漏れたのか知らないけど、それが飛躍して私は普通で平凡な容姿を巧みに利用し会長をたぶらかして愛人になりコネ入社した事になっている。


 大学も行っていないのもこの営業三課の女性社員には受け付けられないらしい。もう半年は経つのに。



『お疲れさま。半年も経つと余裕が出てきて大体の仕事量とか個人の力量がわかるんだけどさ、仕事押し付けて定時にあがる正社員てどうなの?って思っちゃうんだけど。残業ですよ!正喜は大丈夫?』



 送信。今は五時。まだちらほらと人がいる。正喜は外回りで五時半頃に本社に戻るから……正喜の返事次第で輝喜のお迎えは優喜に任せるしかないかな。


 働きづめの親でごめんね、息子たちよっ。


 そんな事を思っていたら返信がきた。相変わらず早くて助かる。



『お疲れ。俺が口を挟めば火に油と分かっているから何も出来ないんだよな。ごめん。それとなく言ってもそっちには社長令嬢が揉み消しているみたいだし。後半年ほど我慢してくれ。俺も一時間残業だ。優喜には俺が連絡を入れておく』


『ありがとう。今からなら同じぐらいで終われると思う。優喜たちのお迎えは私が運転しようか?』


『ご飯はなよみしか作れないので俺が運転する。今日も美味しいご飯を頼みますよ、愛しの奥さん』



 そう言われると照れる。でもこの内容は日常化している会話なので私も『愛しの夫』と打ち込んで仕事を始めた。


 今思うと正喜って真面目だよねー。十年もてんやわんやで大変だったけど浮気も不倫もない。毎日の『愛してる』も言ってくれるし、息子たちにも分け隔てなく愛情を振り撒く夫。


 私ってばやっぱり幸福者じゃないか。こんな夫が現実にいるだなんて驚きだよ。いや、私の夫がまさにそれだけど!


 残業を頑張って終わらせ示し合わせたかのように待っていた正喜と夜道を並んで帰って。七時頃。


 帰ったら車を出して柔道教室で迎えを待つ優喜たちを乗せてスーパーに和気藹々と寄る。


 スーパーは賑やかに回って家に着いたらそれぞれお風呂組と調理組に別れて。


 今日も楽しく食べ終わりそれから輝喜が真っ先に寝付いたと思えば順番に子どもたちがお休みなさい。お腹も満たされお風呂でポカポカな体はいい眠りを誘っているのでしょうね。


 夫婦の私たちは二人の時間をもう少しだけ堪能してお休みなさい。


 なんて理想な家庭なのだろうか。と思ってしまうのは私たちの両親がしっかり教えてくれたからだろう。みんながいい子すぎて家族の絆が嬉しい。たまに喧嘩もするけど本当にいい子たちに育ってくれて私は鼻が高いぞ。


 時には厳しく、時には優しく。そんな曖昧なやり方はとても難しい。子どもたちの理解力が高くて少しだけ涙が出た。


「真面目さや優しさはきっと正喜に似たのね」


「素直で真っ直ぐ、気配り上手はなよみに似たな」



 順風満帆。


 それに満たされた私は翌日に起きた予期せぬ出来事が理解できなくて行動が躊躇われた。


 会社の出入り口から変だと思ったのよ。受け付けの挨拶は無視され配属された部署に近づくにつれヒソヒソと陰で何かを言われる。


 社長令嬢である黒川茉莉に目をつけられた時から私はほぼ女性社員に見えぬ壁を突きつけられた。


 黒川茉莉を取り巻く女性社員はその意向を尊重して私を邪険にする。


 理由は簡単。黒川茉莉が正喜に惚れてしまったからだ。正喜が頑なに黒川茉莉を拒み、妻を愛していると公言しているのにも関わらず。


 正喜の結婚指輪は女避けの偽物と決めつけ五年も黒川茉莉は正喜を想い続けている。こつこつと貯めて一年後にお揃いの結婚指輪を付けているから黒川茉莉が本社に入社した時はすでに着けていたのに……


 正喜がいる営業一課の人たちはちゃんと知っている。待受が私たち家族だしギャラリーにも一杯あるんだから愛宕課長に冷やかされているなんてしょっちゅうよ。


 本当は大々的に写真とか見せて遠ざけようとしたらしいけど相手は社長令嬢で何かされたら対処できないかもしれないからと思い、あえて見せていないらしい。それと正喜の本能が『見せたら厄介』と囁いたらしくそのまま五年も言い寄られている。


 両親に相談もしての対処。写真の事については見せたらきっと子どもたちと接触して言い含めるための出汁に使われるなんて想像ができたので見せるな、と厳命されている。


 諦めが悪いと言ってやりたいほどだ。五年も拒まれたら普通にこれはすごいと思う。ご自慢の色仕掛けが効かないんだから諦めてほしい。もう二十七なわけだしそろそろお見合いに本腰をにいれるって会長が言ってらっしゃったのに。


 同じ名前の既婚者である私が途中入社してきたから余計に黒川茉莉は騒ぎ立てるからやめてほしい。確かに正喜と私は夫婦だけど『高橋』なんて名字はいっぱいいるじゃない。


 この会社だけでも五人いるのよ?他に既婚者は四人もいるのに……


 ため息を飲み込んで色々と不審に思いながら自分のデスクに行こうとしたら身に覚えのない筆記用具が置いてあった。なんだろうと立ち止まっていたら若い女の子が自分のだと声をあげ小走りでこちらに来る。黒川茉莉を伴って。


 いつも始業時間ギリギリの彼女がこんな早く来るなんて珍しい。私は子どもたちを送った後に出社しても三十分前だ。本当に珍しい事もあるんだなーと思いつつ筆記用具を返そうとしたら止められた。



「あら、そこは美樹ちゃんのデスクよ?あなたのデスクはもうないわ」


「……意味がわからないのですが?」


「知らなかったの?貴方は昨日付けで契約は終わったの。ああ、邪魔だったものは捨てておいたわ。だから、帰ったらどう?」



 本当に、意味がわからない。


 私の契約は一年間。まだ半年しか経っていないし新人が営業三課にやって来るなんて聞いていない。



「引き継ぎもしていないのに急に言われても困ります。私は沼田課長や有田部長から何も聞いていませんよ?」


「前から言っていたのに貴方が聞いていなかっただけでしょう。私のせいにしないで。あんたの引き継ぎなんてなくても問題なんてこれっぽっちもないわよ」



 ふふん、と鼻で笑いどっか行けと片手であしらわれた。新人の子はおろおろと私と黒川茉莉を交互に見て困っているようだった。


 嫌われているのは知っている。ならばここでいがみ合っていても意味がない。最低限の礼儀で別れを告げて人事部へ。


 ヒソヒソしていたのはみんな知っていた、と言うこと。もう職員でもない人間が働きにきたから。


 退職の手続きが本人なしで行えたなんて社長令嬢の黒川茉莉が関わっているとしか思えない。社長は娘に甘かったはず。会長はこの半年で二十回も私用を混ぜてお話をさせてもらっている。嫌われていないと思っているのだけど……


 まだ会長だと知らなかった頃は私の手続きを会長が自ら作ってくれたと言っていたから……娘に甘い社長が判を捺したとしか考えられない。それとも黒川茉莉が?そう言えばこちらに転勤して指導担当してくれたのが黒川茉莉、だった。


 この様子だと私だけ?が知らなくて黒川茉莉、ひいては他者が知っている。


 嵌められた?犯人は黒川茉莉?そこまでして私は邪魔なのだろうか。



「あれ、どうした?」



 正喜……私、いつの間に正喜の前に移動していたの?


 人事部に行っていたつもりが営業一課の七階に行っていたらしい。人事部って三階なのに……でも今思えば人事部の人とちゃんと話ができるかわからないよね。


 無視されて調べられなかったら困るわ。それだと正喜もまずい、か。



「辞めさせられたんだけど」


「ん?なんだって?」


「まだ確認していないんだけど昨日付けで契約終了になっていたらしいの。正喜、誰かから聞いていたりする?」


「は?契約は一年だろう?なんでなよみが辞めさせられているの?」


「知らないわよ。引き継ぎも何もしていないし聞かされてもいない。今日、いきなりよ」


「誰が」


「あの社長令嬢に聞かされた。沼田課長からも何も聞かされていないわ。今日は出張だし、有田部長も午前中は余所で会議。給料日の三日前で退職させられるなんて考えられないんだけど」



 社長令嬢と言うだけですごいしかめっ面。家では見たこともない表情に。


 それより一年契約で退職金なんて出ない。ならば給料ぐらいはほしいでしょうよ!よりによってなぜ三日前なのよ!そもそもなぜ昨日で退職が決定しているの!?


 正喜と話していたら少し落ち着いてきたらしい。とりあえず人事部に行って調べてくる!


 と、駆け出そうとしたら正喜に止められた。私の現状を話していたので無視されるからと諭された。そうだった。


 なので、今年に入ってきたばかりの新人くんに行かせることにした。何事も経験だ、とかなんとか。使いっ走りにしか聞こえないが新人くんならなんとか言って取ってきてくれる気がするので任せることにした。


 私は総無視。正喜はちやほや。この差はなんなのかしら。優しいちょいイケメンのせいか。平々凡々はどうでもいいのか。分かりやすい会社だよね。



「おう、どうした。高橋夫婦が揃うなんて珍しいじゃないか」



 廊下で話していたからか営業一課の愛宕課長に声をかけられた。首をかしげる姿は中年のおじさんがやると可愛くもないが今はどうでもいい。


 愛宕課長は私が正喜の妻としてたまにからかいに来るフレンドリーな人。愛宕課長の家庭とも少なからず交流があるのでまだ慣れない私たちをよく気にかけてくれていたりした。


 愛宕課長なら信頼できるので今さっき起こった出来事を話す。


 だんだんと眉間にしわを寄せて聞く姿はまさに渋いおじさまだ。年々になって頭皮が薄くなってきたと悩みっぱなしなのにさらに私の事で悩ませて申し訳ない。今度お礼にリラックスできる何かを送ります。


 そんな人が眉間にしわをくっきりと残して重たいため息。言いたいこと、何となくわかりますよ。



「どう考えても茉莉嬢が関わっているだろうな。なよみさんがここに勤めてまだ半年だが勤務態度が悪いなど私は聞いたことがない。むしろ資料作りや事務処理能力も評判が高くて今では一課も二課も絶対に落としたくないプレゼンはなよみさんに頼もうとする奴がほとんどだぞ。これは、今日の営業三課は荒れるな」



 だからたまに細かい注文をしてくる資料作成の依頼がくるんですね?きっかけは正喜なんだけど。受け取った時にやたら笑顔なのはそのせいか。おかげで働いて最初の一ヶ月は男をたぶらかしていると変な噂が流れたんですが?そのおかげでたまに、になったけど。



「始業時間が後十分、か。倉多が戻って確認したらなよみは会長に連絡して今日はそのまま帰れ。繋がらなかったらこれ、秘書の寒田さんの連絡先。こっちに連絡な。今すぐに今日を覆すのはさすがに無理だ。今日のところは家でお留守番な」


「仕方ないわね……。ああ、先に言っておくけどたぶん酷くなるわよ?営業三課の事務処理も資料製作も電話対応もほぼ私は二人分をこなしていたから。茉莉嬢は私がいなくても当然の腕前をお持ちなのよね?」


「……」


「お前……だから残業が続いていたのか」


「昨日よりさらに前から言ったじゃない。仕事そこそこに正社員がギリギリになって契約社員に面倒そうな仕事を押し付けて定時で帰るのはどうなんだ、て」



 通りすがりの女性社員が目を丸くして私を見た。


 営業一課と二課の営業に出る女性社員は活発で物事をはっきりと決める人が多いので私は好き。


 彼女たちも私をそこまで邪険にしない。ただ黒川茉莉が女性社員を牛耳る事が当たり前なので人目を憚らないと近づけないのだ。


 女の争いって醜いですから。我が身が可愛いのも仕方がない。


 でも忙しい営業一課の女性社員はこっそり私を気にかけてくれるし、今のを聞いていたその人は「ありえない」と言って怒りを露にしてくれた。


 始業時間五分前でさっき行てくれた新人の倉多くんがどたばたと帰ってくる。焦っているようで回りなど気にせずにこちらに走ってきた。


 手に持っていた紙は少ししわくちゃだが証拠となる書類を持ってきてくれたらしい。お礼を言ってみんなで覗くと――



「無断欠勤による懲戒解雇?それに横領?お前の通帳は普通だったぞ」


「当たり前でしょう。そんな事、一度もしてないわよ。経理でもないのに横領なんて出来ないでしょ。やましい事をして子どもたちの何になるって言うの。お金だって貯金はしているし生活は厳しくないわよ。ちゃんとやりくりしてます。無断欠勤って……何週間でしたっけ?」


「なよみさんは頼もしいなあ。無断欠勤は二週間以上だ。しかもこれ、労働基準監督署の判だな。いい弁護士を紹介しよう。私の友人で勝算率は高いぞ」



 それはそれは。是非ともお願いします。


 もう時間なので仕方なく別れて私は外に出る。お昼に電話してくださるそうだからたまには一人でぶらつこうかしら?


 そのとも普段ではできない家の掃除をやってしまおうか……


 とにかくもう一度考えてみる。と言っても考える事なんてほぼないけど。


 横領はまったく身に覚えがない。無断欠勤は――あの会社は古くて未だに小型のタイムカードを自分で押して出勤確認するからどうせ黒川茉莉が作ったのでしょう。


 ちっさいやり方ね。それに杜撰すぎる。いつまで夢を見る気なのよっ。


 ああ、そう言えば今日の三時までにA社の資料製作をしなければいけなかったんだった。まあ、資料をまとめたデータは保存してあるし、一時間はかからない、わよね?


 いや、でも私の負担が黒川茉莉が受け持つと言うのだから無理な話かも……新人ちゃんが可哀想だな~と思いながら戻れるわけでもないので後ろ髪を引かれながら私は帰路につく。






「酷い有り様だった……」


「主任の奥さんて優秀な方だったんですね……あれをこなしていただなんて信じられませんよ」


「わ、私……あの人の下で働くんだったらもう辞めたい、です」


「……三人とも、お疲れさま」


 ただいま夜の十時。先に連絡をくれたので子どもたちは早々に寝かしつけて車で迎えに来たのだけど。


 文字通り今までより酷い有り様で助手席に乗った正喜はうんざりしたようにシートに身を預けた。すぐ後ろの後部座席に座っている倉多くんはげんなりと。その隣の私の代わりに入った新人の永瀬美樹ちゃんは泣きはらした目で意気消沈。


 正喜が死にかけの新人たちを捕まえて迎えに来たこの車に無理矢理だけど乗せた。ぶっちゃけ黒川茉莉から逃げてきたんだけどね。


 落ち着いた雰囲気の素敵な和食屋で軽く一服して話を聞くことにした。


 私が(不本意な)退職をしてからそれはもう、営業三課は酷かったらしい。なんとなく想像がつく。携帯がよく鳴っていましたから!


 明日の朝までお願いします、と渡していた書類がまだ来ないのだがどうしたと爽やかイケメンで有名な営業二課の職員が訪ねてきて、黒川茉莉が愛想よく可愛い子ぶりながら私を罵りつつ探したらしい。


 しかし見つからない。


 朝一で届けようとしたのよ。ごめんなさい、忘れていたわ。それどころではなかったのよ!


 普通にファイルに閉じていたので一番下の引き出しにしまっていたのだけどそれは見つけてもらえず――黒川茉莉の宣言通り私の私物は全て処分していたのを思い至ったのだろう。初めから無いものだと言う扱いになり私の罵りが一気に饒舌な語りとなった。


 全部を私の責任にし、さらに不快にさせた代わりに夕食のお誘いへと転じたらしい。お嬢様の思考、よくわかんないね。


 そんな黒川茉莉の話を聞き流しながら辛抱強く待っていた爽やかイケメンくんはその仮面を投げ捨て表情を一変させたけどね。


 誰もが初めて見る鬼の形相。マジのぶちギレっぷりに変貌して見せた。


 仕事をする気がないなら来るな!時間が惜しい!と踵を返してそのまま夫である正喜に直行だね。正喜経由で電話が来ましたとも。


 爽やかでイケメンで優しい、と社内で噂の彼が初めて怒鳴り散らすその姿。正喜も抵抗せずすぐに携帯を渡したぐらい、顔が怖かったって。


 永瀬さん曰く、営業三課はその瞬間から時間が止まっちゃったらしいよ。しばらく誰も動かずどうすればいいのか本当に困ったらしい。


 私は怖くてそれどころじゃなかったよ!


 正喜の携帯番号なのに誰で何で怒られているんだろうって思ったわ!


 なんとか落ち着いてもらい、事情を説明してようやくデスクの引き出しにあると教えたときの無言っぷり。荒々しく探す音がもう怖い怖い。居たたまれなかった。


 見つかったファイルにより溜飲が下がったのか丁寧な対応で電話を切られたけどさ。


 爽やかイケメンくんは黒川茉莉を睨み無言で去っていったそうだ。因みに彼は黒川茉莉を嫌っているらしい。イケメンを怒らせてはいけないね。


 ほら、黒川茉莉ってほとんどが婿探しで入社した奴とでしか認識されていないから。それが嘘でもなんでもないし、彼は真面目に働いていたから特に黒川茉莉を毛嫌いしていたのだとか。


 その後、憤慨した黒川茉莉はやはり私を悪者にしたいのか取り巻きによいしょしてもらってようやく部署の全体が動き出した。


 しかし、あれだけで騒動が収まるわけがなかったのでした……


 私が担当していたY社の伝票が足りず一人騒ぎだし、やはり私を悪者に攻め立てたり。いつも十一時に終わっているはずの事務処理が終わっていないと経理から再三と連絡が入ったりとてんやわんや。


 しかし黒川茉莉は毅然として新人教育しかやらず、その尻拭いは取り巻きが処理していく。


 他にも運送の方からも緊急連絡が入ったり社内電話がひっきりなしに鳴るが黒川茉莉は総無視で永瀬さんの教育に励んでいたとか。


 最初の爽やかイケメンくんの怒声ですでに萎縮していた永瀬さんはなんとか意識を繋ぎ止めて淡々と黒川茉莉の話を聞いていた、と。


 因みに内容は初歩の初歩。エクセルのやり方やら資料製作の作り方を少々と黒川茉莉はどんな人物でどんなに私が偉くて素晴らしいか。


 正喜への牽制と私への悪口に始まり最近の流行りやら会社と関係がない話までしていたとか。


 その頃には私の携帯に課内の四人(取り巻き以外。しかも彼らは営業が主軸)から電話がひっきりなしに来ましたとも。電話でしか力になれなくて私が申し訳なくなったよ。


 お昼頃には営業三課へ経理部長が「まだか!」と怒鳴りこんだりと本当に酷かったらしい。


 社長令嬢がいる事で強く出れなかった経理部長は誰も近寄らせない雰囲気で顔を怒りで真っ赤させ肩をも震わせながら本当に仕方なく引き下がった、と様子を見に来た倉多くん談。


 凄さ、なんとなく分かるよ。正喜経由で怒鳴られましたから……


 さすがに私も普段の半分しか終わっていないとなると電話越しでひたすら謝るしかない。倉多くんが取ってきてくれた書類と説明で納得してくれたみたいだったけど――別の怒りを聞かされましたがね!


 その場で電話をしていたらしいから営業一課にはすごく迷惑だっただろうね。経理の中谷部長って普通に喋っていても声が物凄く大きくてかなり迷惑だし。


 そして正喜はそのまま中谷部長に捕まってお昼は延々とどれだけ支障が出たかわざわざ会議室を一つ借りて聞かされたらしい。


 毎日の愛妻弁当で嬉しいはずが今日に限って味も何も分からず悔やんだそうな。なんかご愁傷さまで……


 そして午後に戻ってきた何も知らされていない有田部長がようやくとんでもない事態になっているとわかり、黒川茉莉のいいなりの係長と主任を叱りつけるが事態が変わるわけでもなく、仕事を振り分けて人事部などに確認をとって私が懲戒解雇されたと知る。


 もうね、この時の有田部長ってば私に直接電話をかけて今どんな有り様なのか愚痴で教えてくれましたとも。


 そんな事を私に言われても会長に電話をかけて事情を説明したら「今日はたまにの休日じゃ!」と言われたのだから仕方がないじゃない。



「まさか頼んだ資料を自分で作るはめになるとは……なよみがある程度まとめてくれなかったら会議に間に合わなかったよ」


「午後から私は有田部長に引きずられてずっと打ち込みです。黒川先輩がたまに声をかけてきて、でも有田部長が怒鳴り散らしたりもうやりにくくってやりにくくって……ご飯がすごく美味しいですっ……」


「僕も応援として呼び出されて隣で資料をまとめたり作ったり……社長令嬢なんだか知りませんけど本当にやめてほしかったですよ。何回もコーヒー頼まれたり猫撫でで仕事を手伝わせようとしたり鼻が曲がりそうでした……なんですかこの優しい味。僕、涙がっ……」


「たんと食え。奢るから」


「金曜日ならお酒も飲んでいたけどねー。明日からは少しだけでもまともになるんじゃない?」


「まだ水曜日……」


「本当だ。まだ水曜日……」



 よほど神経がすり減らされたらしい。まあその気持ちが分かるので私は普段は頼まないちょっとお高いお肉を頼む。


 女将さんもわかっているのかスッと出してサービスです、なんて言ってお持ち帰り用の羊羮をくれた。


 さあたんとお食べ、若者よ。お疲れな貴方たちに心優しい女将さんからデザートまでもらったから遠慮なくお食べなさい。



「なよみさんは戻ってこないんですかっ?」


「そんな懇願するように言われても……書類が通ってしまっているらしいから会長はそれを綺麗にすると言っていたけど明日すぐに復帰はさすがに難しいよ。どう足掻いても今週は無理だしたぶん本社に戻ることも出来ないと思う。元々は一年契約だったし」


「私……また黒川先輩の意味のない自慢話を聞かなきゃだめなんですか?」


「ああ、その事は大丈夫。永瀬さんは営業一課が引き取ったから明日はこっちに来て。倉多と一緒に面倒を見るよ」



 本当ですか!て二人ともキラキラした目で正喜を見る。心なしか正喜の鼻が少し高くなった気がするがあえて気にしない事にしよう。


 でも、よく営業一課に回せたね?どうしてそんな事が正喜に分かるのかな?



「帰り際に黒川茉莉の後ろから社長が青筋たてて来たから。呼び止めたところで逃げてきたんだよ。それと部長にも進言しておいたからたぶんこっちにくるはず」


「あれ社長だったんだ……写真で見る穏やかな顔が一切なかったからわかんなかった」


「あの人社長だったんですか!?全然違うじゃないですかっ……」



 と言うことは茉莉嬢の独断で私は懲戒解雇と言うわけですか。うわー。そこまでやる?


 ちょっと遠かったしあと半年もすれば更新せずに前の会社に戻ろうと思っていたのによくそこまで出来たもんだわ。


 社長も関わっているのかと思ったけど青筋たてて茉莉嬢を迎えに行ったのなら無関係だねぇ。じゃあ会長の言う通り綺麗にしてくれさえすれば平和に戻るねぇ。


 それからちょこちょこっと会社のやり方とか誰が頼りになって誰がすごいとかと言う話で盛り上がって時刻は十一時半。


 後はお風呂に入ってお休みとなったのでそれぞれを自宅に送って私たちも帰路に着く。


 そして翌日。正喜はいつも通りの時間に出ていき私はゆっくりとみんなの支度を手伝いながら勇喜と真代を見送り輝喜を保育園に送って自分の支度を整える。


 会長と会うのだから緊張するが仕方がない。なんでこんなに親しげになってんだろうとは思うけど自分の事なのでしっかりと聞いておかなければ。


 秘書の寒田さんに連れられて会長に会えばまず申し訳ないと謝られてこっちが恐縮してしまう。



「全部、私の孫の仕業だった」



 やっぱりそうですか。茉莉嬢しかいませんもんね。



「本当に申し訳ない。いったいどんな育て方をしたらああなったのか。人の旦那を略奪しようなどと黒川家の恥だ」


「私の夫は五年も茉莉嬢と攻防を続けていたようです。注意を促せなかったのですか?」


「孫の世話にわしが口を挟むものではない。今は全てを息子に委ねておる。会社も本社は息子に。各地支店の子会社は微力ながらわしが手助けを、とな」



 疲れました、と言わんばかりに肩の力を抜く。可愛かった孫が……と嘆いて会長に悲壮が漂う。



「――茉莉嬢はどうなりますか」


「なよみ殿が孫を訴えるのなら、国の采配に従わせるとしよう。しかしこれは明らかにわが社の悪評になる。交渉したいのじゃがどうだろうか」


「私は働いた分の正当なお金をもらえればそれでいいです」


「怒っていないのか?聞けばその五年に正喜殿に大変迷惑極まりない事をずっとやっていたようたが」


「そのわりには、社長令嬢と言う立場をそれほど使わなかったらしいんですよ。利用するのは強引に飲み会に参加させたりすり寄ったりするぐらいらしいです。夫は絶対に私を裏切りませんから、そちらは別にいいです。こう言ってはなんですけど、毎日愛されていると実感していますし夫と共に子育てが大変で大変で」


「五年前となると長男の勇喜くんが六歳で長女の真代ちゃんが三歳か」


「お腹に輝喜もいましたよ」


「それは大変でだな。夫の不倫どころではないか。しかし心配はあったであろう?」


「私たちには決して破ってはならない決まり事を作っています。もし夫の正喜が不倫をした場合それから一生涯、夫の子が出来ないような体にする決まりです」



 ちょっと勢いで言ってしまった。会長がひゅっと息を止めてしまったので空気がなんだか気まずくなってしまって私は勇喜を生んだ年齢と心配した親の話をする。


 それによって会長は感心する事になんとか持ち直して私の話は終わらせた。ごめんなさい。私も緊張をしているもので。


 話を元に戻して『交渉』と言う事だけど、私が懲戒解雇となった理由は無断欠勤と横領。


 これに関してだがまず労働基準署からの判が押された書類は証明書の一部をただ茉莉嬢がコピーしただけで正式に記された証明書が私の手元にないことから懲戒解雇はまだ成立していないらしい。


 あのコピーだけでは何も起こらないのだとか。コピーだからね。正式なものでもないし解雇に当たって保険等が色々が絡むから証明書がないかぎり成立はしない。


 それに元からこの無断欠勤と横領は間違いなく嘘なので、正式な書類を渡されてそれをそのまま受理させてしまっていたら私だけが損をするだけで終わる。


 無断欠勤のわりには私の使っているパソコンに使用したデータはしっかり残っているし、横領なんてまず私は経理に一切関わっていない。そして調べればすぐに犯人を割り当てられたらしい。


 犯人はあえて聞かないでくれ、と言われたので聞かないで置くことにした。大体は想像ができるし悲壮を背負っている会長がなんだか可哀想で……


 ちゃんと捕まえる、と言っていたので私は何も言わない。



「ここで交渉だ」


「ここで、ですか」


「わしで許されるならいくらでも頭を下げる。今回の騒ぎはわしの孫によるもの。祖父であるわしにも責任はあるだろう。白と黒をはっきりさせたい」



 冷めきったコーヒーを一口ふくみ喉を潤した。カップを置いて先を促す。



「懲戒解雇は正式に受理する前に納得がいかなかった場合において会社と『交渉』が出来る。どれも不当な処置なので懲戒解雇はなかった事にして早くて明日から復帰してもらえないだろうか……?来週からでも構わない。もちろん、今日中に書類は白紙にして綺麗にする。お金で解決とは言いたくはないが、少し給料を上乗せしよう」


「――茉莉嬢が本社にいる限り、私は戻りません」


「それについては今日で片が着く。寒田くん」



 スッと黒い板を持った秘書の寒田さんが後ろから出てきた。思わず驚いてしまった私は悪くないはずだ。


 そんな私の反応も気にせずに――黒い板はどうやらノートパソコンだったらしい。開いてカタカタと何かを打ち込んだと思えば見ていた画面を私に向けた。


 そこに写されているのは今では見知った場所だ。とあるビルの前で女性のレポーターがマイクをもって生中継をしている。


 画面の隅にはワイプが映っていてそこに映る人はニュースキャスターとして顔馴染みばかりだ。


 レポーターが言うにはここで横領問題が話題とされ今現在は取り調べ中。証拠検証。犯人の身柄確保。


 そして二人の警察官によって連れ出された犯人は抵抗したがすぐに車に押し込められ画面がレポーターを中心に変わる。中継は『逮捕されたようです』と後を繋ぎ犯人のあらましが綴られた。



「黒川、茉莉……?」


「今回の金は、手を付けていない。今回は、だったが過去に何回かやっていたことがわかり刑務所行きだ。横領罪になよみ殿の侮辱罪、詐欺罪、他にも色々と罪がかすっていてあげるだけできりがない」


「昨日の今日でよくすんなりと通りましたね」


「我々は会社のトップだ。社会で見れば一般より少し力があり裕福な暮らしをしている。その親族をただで放浪させるわけにはいかない。ある程度は把握していくものだ。それに伝はあるんだよ。息子は孫に甘いのは知っていたが何もしなかったとはな……なまじ良いところの学校を出てしっかり者だと思っていたのだが……」



 お疲れさまです。はっきり言って他人事なのでその辺は育て方を間違えましたね、と言うしかない。私も息子たちがいるのでほんの少しだけある意味で勉強になるが他所のお家事情に深く関わることはないでしょう。


 それにしてもなぜ私は正喜が勤めている会長とこうして会話しているのかが分からなくなってきた。


 普通に考えて会長とまで行くと一般家庭の私とは縁がないと思うんだけど。やはりあの時の偶然がこんなことなってしまったのかしら?


 すごい偶然だね。楽観視する自分が空しい……



「交渉、と言っていましたが私はてっきり茉莉嬢が可愛くて仕方がないのでなかった事にするのかと思っていました」


「孫は可愛い。しかしな、やり過ぎを庇うほどわしは甘やかすほどではない」



 お爺ちゃん、と言う年齢となれば家で孫にデレデレ。家から出ればしっかり取り締まる厳しい一面を持つとイメージが付く。


 だからなのだろう。会長と言う顔で孫を最短で警察に突き出したのだ。



「わしは見逃してくれ、と言うわけではなく元通りにする代わりに会社を辞めないでくれと引き留める交渉をしたいんだ」


「孫を刑務所行きにしてでもでしょうか」


「孫の事は、もういい……息子もこれで分かっただろう。いつまでたっても子どもは甘やかしてばかりではいけない事をな。それにな、わしは本当になよみ殿の実力を見て引き抜いたんだ。こんな終わり方でなよみ殿を失いたくはない。本音を言えば孫だけでも会社の体裁が悪くなったのに職員の扱いまでも他に知られて悪評が広がればわが社は地に堕ちる。それは避けたい」


 なるほど。確かに交渉ですね。もし私がそれを突っぱねても給料分は払うそう。つまりなんとしてでもいいように取り繕いたいと言うことでしょう。


 懲戒解雇の証明書が私の手元にないのだから私の方が無駄な足掻きになりそう。


 仕事は嫌いじゃない。人間関係に亀裂が入っているだけで私は別に問題と言うほどではない。女性社員には壁が健在するけど男性社員や他の部署とは普通に仕事として務めている。


 嫌がらせって言っても物がなくなったりはしていない。ただ嫌味という実害のない被害だからそこまでして騒ぎを起こすほどでもない、かな。


 何よりあそこには正喜が勤めている。何かがあっては困る――と言うのも、会長は考え付いているのかしら?



「金銭はボーナス付きでなかったことにします。明日からでも復帰しますね」


「ありがとう。ついでに社内の空気も少し変えておこうか。実は来月に――もう一週間後か。もう一人の孫が帰ってくることになってな」


「孫の慶吾さん、戻ってこられるんですか?」


「ああ。ようやく引き継ぐ事を決意したようだ。あちらで力を付けたようだから今後は海外に向けて発展するかもしれんな」


「大きくなりますね」


「だからわが社はここで挫けるわけにはいかんのだ。明日からよろしく頼む。もし残りの半年でなよみ殿がより良い活躍をしてくれるならば契約はそのままに子育て支援を充実させた社員登用を検討しよう」


「張り切ってしまいそうです。よろしくお願いします」



 すぐに出された右手を握って固く交わした約束。会長ってやはりすごい。黒川茉莉の報道ではすでに社長が自ら矢面にたち全てを処理したらしい。


 その処理がなんだとはさすがに聞けなかった。それよりも翌日に出社すれば質問攻めにあって黒川茉莉に関する事は消えてしまったからだ。


 嫌味より先に「何これ!詳しく!」と今までよそよそしかった女性社員が黒川茉莉と言う統率する者がいなくなった事により気安く声をかけてくれるようになったのだ。


 私は知らなかったのだが、昨日の逮捕により正喜は何か吹っ切れたようだ。お昼頃に社員メールで家族の写真を複数を添えつけて一斉送信したらしい。


『高橋なよみは俺のただ一人の妻で大事な家族』


 とタイトルを付けて。


 すごく微笑ましい顔で愛宕課長に背中を叩かれたのはそう言う意味だった。幸福者だねー!なんて声をかけてくるからなんだと思ったらこれだ。


 もう写真で悪用される心配もないだろうとアドレスを知っている社員全員に送ったらしい。話好きに送れば広まるからと。


 ただね、それは生まれた我が子の頬に二人してキスしている写真が一枚ずつで三枚。輝喜の七五三で家族五人が並んでいる物、押しくらまんじゅうしてはしゃいでる写真や極めつけは私の成人式の着物写真と写真だけ撮った正喜と並んだウエディングドレスを着たときのを送ったらしくて顔から火が吹くかと思った。


 恥ずかしくてちょっとだけ復帰を遅らせようか悩んだのは内緒だ。


 その写真がなぜか会長とお孫さんの慶吾さんにまで渡っていたのは誤算だったけどね!おかげでなぜか黒川家とほんの少しだけプライベートで交流を持つことになっちゃって顔がひきつる。


 いつか生まれて来るだろう曾孫の練習って……輝喜ってばすでに黒川与太郎会長のことを「よたじぃじ」って呼んで抱きつきついてんだけど……これ、どうやって正せばいいんだろうね?


 私も正喜も気が気じゃなくて意識が遠退きそうよ……


 会長ってばフレンドリーすぎ。老後生活なんだから気にするなとか言われても私は気にするから!


 いくらなんでも会長の連絡先を主任に上がったばかりの正喜が知るわけないと問いただして確認をさせたら寒田さんに送ってたとか。そういえば名刺……


 アドレスを全部、ばん!と張って送信したって正喜――送りつける人を確認しなさいよっ。写真を厳選するのに真剣だったとか悩むところが違うでしょ!?


 まあそのおかげで正喜の評判は愛妻家や家族愛の深さが知られて右肩あがり。なぜか外部にまで広まって取引先からも話題として持ち上がり円滑になっているらしい。そうなんだ……


 社長の息子、黒川慶吾が転勤してからはさらに活気づいて刑務所から当分は出られない事になっている黒川茉莉の存在はすでにない。


 新人教育もなぜか私まで巻き込まれて、でもいびられない邪魔されない忙しいし、たまにミスをしてしまう日々だけど毎日が楽しくてけっこう幸せな生活だ。


 それから半年後には見事、私の働きっぷりを認めてくださり本部で子育て支援を充実させた社員登用が活用される事になり正社員として勤める事になった。


 と言うより元々は支援を強化するつもりだったらしい。事務員を強化したかったのだとか。


 ちょっと契約社員より給料が少なくなったが育児支援に福利厚生支援も充実しているし、前より顔見知りのためにある程度の融通を聞いてくれるとなれば辞めるのも少しもったいないと思ったのだ。


 勇喜たちは数ヵ月後に入学式と学年が上がったりと忙しくなる。


 前もって連絡を入れれば休暇が取れるっていいわね!正喜か羨ましがっているけど主任は駄目でしょう、さすがに。


 共働きで申し訳ないと思うが子どもたちが家の事は任せて!と自信満々に言うので心配と言うのもあるけど勇喜はもう中学生。興味があるのならやらせてあげたいのが親でしょう。


 何かあってからでは遅い、と世間に言われてしまうかもしれないけど他所は他所。家は家。思春期に入るんだし我が子が率先してやりたいと言うのだから叶えてあげたい。


 代わりに習い事をしっかりさせる約束で防犯は物理的に強化。輝喜と真代にはGPS付きの防犯ブザーと勇喜には何かあったらすぐに連絡するために新しい携帯(もちろんGPS付き)を持たせて少しは子どもの顔を立ててあげる。



「そろそろ落ち着いてきたし……娘はもう一人ほしいよな」


「え」


「輝喜が妹がほしいと催促があってな」


「え」


「なよみ、今夜なんてどうだ?」



 な?て言いながら近づいてくるのはどうかと思う!しかし嫌じゃない私は断る理由が即座に思い付かなくて食べられた。


 子どもが増えるのは嬉しい。愛している人との子どもなのだからなおさら嬉しいに決まっている。


 しかしだね、物入りがきついと言っているじゃない!マンションに五人は手狭だねってこの前話したばかりじゃないっ!!


 え?一戸建て買うか借りるか検討中……?愛宕課長がいい物件を紹介してくれた!?友人価格で物件紹介!?仲介で割安ってなにそれ!?



「貯金もそこまでないってわけじゃないし。もう数年でこのままいけば係長就任で収入アップ。なよみが専業主婦になっても俺は頑張る」


「一人で背負わせるわけないでしょ。一蓮托生で頑張ろうって決めているでしょうが」


「と言うことで家族会議しよう。共働きで一番寂しい思いをさせるのは勇喜たちだ」



 と言うことで休日に家族会議が始まった。会議と言っても重々しくはない。会話が飛び交うだけ。今日は愛宕課長の家族と花見であるため準備が忙しい。


 勇喜と一緒にお弁当の支度をしながらみんなでドタバタ。正喜は真代と輝喜の支度で忙しいよう。


 よくすれなかったわね、我が子たちは。



「忙しくなるって言っても今さらでしょ?僕も中学に上がるし実は今料理にはまっているから家事も任せて。輝喜も僕が面倒を見るよ」


「なんていい子なの、勇喜っ!」


「輝喜のお世話は私がやるの!わかんなかったら勇兄に聞くもん!邪魔しちゃだめ!」


「あ!真代っ、あー……ちょ、」



 どうやら突然動き出した真代の髪を結ぶのに失敗したらしい。返事をした後、目の前をたたたーっと玩具を抱えてはしゃいで通る輝喜が気になったようで真代が正喜を振り切って追いかけたようだ。


 正喜は二人を捕まえるためにリビングは鬼ごっこで騒がしくなる。下の階に響きそうだから早く捕まえて、正喜!



「しかし、よ。これから授業料だって増えていくから勇喜にはのびのびと学生を謳歌してほしいのが母さんの意見なわけ。あとお友だちと遊びたいでしょう?あ、破れた」


「もう一回巻くからわかんないよ。毎日が頻繁に遊ぶ訳じゃないから僕は問題ないけどね。じゃあ母さんが駄目って言うなら勉強に専念するよ。まずはやらせて。ね?いいよね?」


「そうねー。まずはやってみない事には駄目って言えないわよね。勇喜が嫌じゃないのなら、ルールを付くって任せましょうか」


「嫌じゃないよ。ルールがあった方が母さんも心配はないし。それになんか頼られるってちょっと嬉しいんだ」



 おお?下の子を見ていてくれたからか勇喜は世話好きになってしまったのかもしれない。はにかみながら出来上がった卵焼きを食べやすい大きさに切っていく。


 共働きで寂しい思いをさせている。その埋め合わせは休日にめいいっぱい構って埋め合わせをしてきた。


 勇喜は楽しそうに料理を手伝ってくれるし、真代は好奇心旺盛で今は弟を構いたくて仕方がない。輝喜に至っては構ってくれるお姉ちゃんに見守ってくれるお兄ちゃんがいてのびのびとはしゃいでいる。


 本当に素直でいい子達に育ってくれて私は嬉しいよ。今度のゴールデンウィークはみんなでネズミの国に行こうかな。


 まだ三十路。もう三十路。子どもを生むと決断した時からずっとドタバタと走り続けて今がある。


 挫けそうになったこともある。不安になったこともある。必死だったしやらなきゃいけない使命感もあった。


 嫌なこともあったけどそれより幸せがたくさんあった。やっぱりあの時、決断してよかったと思う。


 愛しい夫と子どもたちの笑顔を間近でいつも見れるなら、どんな困難でも強く向き合える。



「よし完成。飲み物、お弁当、お皿にお箸にお手拭きともしものタオルケット。て、ああ!?のんびりしすぎた!もう出なきゃ遅刻よ!?みんな支度できた!?」


「え!?ああ!!ちょっ、勇喜!輝喜と真代を押さえててくれ!」


「やー!もってくー!!やーあ!」


「これは危ないから駄目!こっちのぬいぐるみで我慢だ!」



 これはまた難しい困難が立ち憚ったわ。輝喜が駄々をこねたらけっこう騒がしい。とくに輝喜は一番のやんちゃだ。


 さらに勇喜と真代と一緒に見よう見真似で柔道を一緒にやっているらしく、体を動かしているからか体力がわずかばかりついて暴れだす時間が長い。そして痛い。そう感じてしまう。


 これは大変ね……すでにごねて正喜に取り上げられたCレンジャーのレッドソードを奪取しようと暴れだしている。


 幸せだけど、この困難が一番難しいと思えてしまうのよね。


 さて……正喜に任せて車に荷物でも積もうかな。




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[良い点] 文章はすっきりとして読みやすかったです。 [一言] 浮気の際のペナルティが夫のみという契約はすごくリアルです。現実こんなものですし。 妊娠は片方の責任ではなく双方の責任で、不倫も双方あり得…
[良い点] とても読みやすかったです。やはり、対比ということでしょうか。どこかずれた悪役令嬢と優秀な令息。お金持ちの子供は必ずしも、ク・、ネジのはず・・、オバ・・・、どうしようもないわけじゃないという…
[良い点] 話はよくまとめられてあり、読みやすかったです [気になる点] 悪いというか、物足りない。 ラブラブよりな話で、タグにあった「とりあえずざまぁ」が本当にとりあえず感が強すぎでした。なので、物…
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