10 襲撃
生徒会室の扉に設けられた窓から明かりが消えた。
暗闇の中で、その光量の変化は、大きな変化だった。
扉が開き、人の出てくる気配がする。
扉を閉めようとする今がチャンスに思えた。
闇に身を潜めていた彼女は、その手にした角材を振り上げ走り出した。
音に気がついたのだろう。
扉の前にたたずむ人影が振り返る。
「危ないッ」
「きゃッ」
非常口への誘導灯が遠くからうっすらと照らす中、人影が入れ替わる。
2人居ることに驚いた。
振り下ろし始めていた角材は止まらない。
止めようかと躊躇もしたが、一瞬の気の迷いだった。
そのまま振り抜くと、ガツッと手に鈍い感触が残る。
「ぐッ」
「きゃぁぁぁッ」
人影が呻き声を上げ、頭を押さえるが倒れない。
このままでは、反撃されてしまう。
そう思い込んだ襲撃者は、角材を振り上げ――
「あンたがッ」
二度――
「いるカラッ」
三度と振り下ろす。
その度に角材を握っている手が痛んだが、どこか遠くの出来事のようだった。
再度、腕を振り上げ――
「消エろッ」
「いい加減にしろよッ」
再度、角材を振り下ろす直前で、腕を掴まれる。
「ヒッ」
訳も無く、殺されると思った。
この場を逃げ出さなければならない。
こんな所で掴まっている場合では無いのだ。
先ほどの悲鳴を聞きつけたのだろう。
背後――どこか遠くではあるが――宿直室の扉が開き、パタパタと掛けてくる音が響く。
「羽糸久さんッ!?」
誘導灯が、襲撃者の横顔をうっすらと照らしだし、それを見た月崎沙耶佳が、驚きと戸惑いをごちゃ混ぜにしたような声を上げた。
自身の名が呼ばれたことにより、身元が割れ、襲撃に失敗したことを悟った羽糸久紫兎里ではあったが、このまま大人しく掴まるつもりも無い。
掴まれた腕を振りほどこうと必死に抵抗する。
「何をやっているのッ」
背後から明かりがチラチラと揺れながら先生の声が聞こえる。
逃げ場を失ったことを悟ったのだろう。
羽糸久が脱力したかのように膝から崩れ落ちる。
輝一は、妙にゆったりとした時間の中、羽糸久の腕を掴みつつ、周囲が遠くに行ってしまったような錯覚に陥っていた。
殴られた頭部は、ズキンズキンと痛いが、それもどこか遠くのように感じる。
名前を呼ばれた気がしたので、ゆるりと首を動かした。
沙耶佳が、慌てふためいている。
大丈夫だ。慌てることは無い――と伝えようとして、何故か失敗した。
「今、救急車を呼んだから」
沙耶佳が、そう言いながらハンカチを手に、輝一の頭を押さえる。
ズキンズキンという痛みの奥で、じんわりと拡がっていくような痛みが重なった。
ふと、掴んでいた腕の感触が無くなっていた。
視線を戻すと、握っていたはずの手が、いつのまにか先生によって解かれていた。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
大事になってしまった――どこか他人事のように、そんなことを考えていた。
――その日、神奈木輝一は、頭部を5針縫う裂傷を負い、念のためと言うことで入院し経過観察をするという運びになった。
【◇】
神奈木輝一は、文化祭初日を――病室で過ごしていた。
留学生制度で紛れ込んだ異物という身ではあるが、一緒に準備を進めた文化祭である。
病院で過ごすというのは甚だ不本意であったが、医者が退院を許してくれなかった。
父親は、海外出張中のため顔を見せるのは不可能だが、母親が来てくれた――のだが――
その取り乱しようと言ったら無かった。
それでも、担当医の先生が懇切丁寧に説明してくれたため、落ち着きを取り戻した。
頭部のケガなので、見た目のインパクトがあるのだが、ケガ事態は大したことは無い。
明日には解放されて、文化祭に参加出来る予定だった。
昼前に院長先生――ここでいう院長先生は、病院ではなく学院の方――が、フルーツの盛り合わせと共にお見舞いに来てくれた。
経過観察のための入院なので、そこまでしてもらうのもいささかオーバーな気もしたのだが、手ぶらというのも難しいので無難なところなのだろう。
「神奈木さんには、大変申し訳ないことをしてしまいました。
謝って済む問題ではありませんが、まずは謝らせてください」
「いえいえ。院長先生に謝ってもらうことでは――」
「いいえ。これは当学院の落ち度です。
学院の落ち度は、その責任者である私が詫びなければいけません」
「は、はぁ。院長先生が、そう仰るのでしたら――」
開口一番、謝罪を口にされてしまい、輝一は、少し気圧されていた。
輝一の心情としては、悪いのは加害者――羽糸久紫兎里であり、学院側では無い。
まぁ、確かに――監督不行き届きという意味で、落ち度はあるのだが――
「それで、沙耶――月崎さんは無事なんですよね?」
「ええ、それはもちろんです。神奈木さんが護ってくれましたから」
「そうですか。――よかった」
まずは一安心と言ったところだった。
大きく息を吐く。
何か疲れ――の様な物も一緒に出て行くようであった。
「羽糸久さん――加害者の生徒には、事情を聞き、しばらくは自宅謹慎を言い渡しました」
「どういう動機だったんですか」
「彼女が言うには――月崎さんが憎かったようです」
「――憎かった?」
「ええ。月崎さんが姫――生徒会長なのが気に食わない。
周囲から姫と呼ばれているのが気に食わない。
成績優秀なのが気に食わない。
それに、神奈木さんと一緒にいるのもふしだらで気に食わなかったそうです」
「ふしだらって」
輝一の顔に苦笑が浮かぶ。
実際、ふしだらと言ったかはともかく――恐らくもっと直接的で下品な表現だったのだろうと察せられた――
兎にも角にも沙耶佳のことが気に食わなかったらしい。
それこそ息をしていることすら気に食わなかったに違いない。
気でも張っていたのだろうか――大きく息を吐きながら、腰に当てた枕へと沈み込むようにして背を預けた。
ずぶずぶと沈み込んでいく感じが、何とも心地よい。
「それで――誠に勝手なお願いなのですが――」
「はい?」
「被害届の提出は、ご勘弁願えないでしょうか」
「はぁ」
院長先生の真面目な顔付きに対して、どこか間の抜けたような返事を返す輝一であった。
確かに、校内での暴行事件――流血沙汰の事件だ。
被害届を出されても、なんらおかしくは無い。
輝一には、そこまで考えが至っていなかったが――
「学院としての外聞というのもあります。
羽糸久さんのご両親からも、治療費はもちろんのこと、心付けも用意があると――」
「心付け――言葉は悪いですが、口止め料と言うことですね」
「お詫びの印ということですが、まぁ、そういうことになります」
「まぁ、いいですよ。事を大きくする気はありませんし」
「そうですか。ありがとうございます」
輝一の返事を聞いて、院長先生の顔色も、どこか明るくなったような印象を受ける。
被害届を出すべきなのかも知れないが、クライアント――学院との関係もある。
輝一としては、雇われた身なのだ。
そこまで気を使って貰う必要も無いのに――と思っていた。
「詳細は、神奈木さんが回復してから――と言うことでよろしいですね」
「ええ。それで構いません」
「それでは、失礼します」
「わざわざ済みませんでした」
「いえ。こちらこそ、申し訳ありませんでした」
年上に――と言うには離れすぎているが――そこまで下手に出られてしまうと、実に居心地が悪い。
お嬢様学校としては、十分以上にスキャンダラスな事件で、慎重な対応が必要だった――と言うことなのだろう。
妙な気疲れを感じつつ――退院までの暇な時間をどうしたらいいのかと頭を悩ますのであった。
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