9 視線
日は落ち、暗くなった校舎から生徒の姿が消え、非常口への誘導灯と外の街灯が人気の無い廊下を照らす。
文化祭前日ともなると、下校時間を過ぎても作業を行うクラス、部活がいくらでも出てくる。
とは言え、女子校特有と言ってもいいかも知れない頭のお堅い先生方が徹夜作業を許すわけも無く――
21時を過ぎて校舎内から追い出されていった。
すっかり人の気配が無くなった校舎内――明かりが灯っているのは、職員室や用務員室、そして、生徒会室だった。
そんな生徒会室の扉が見て取れる階段脇――暗闇の中でうずくまるようにして扉を見続ける人影があった。
暗闇に慣れた目で見れば、それが女生徒だと解る。
ファンの出待ち――と言うには不釣り合いな角材を握りしめていた。
何かを確かめるように、何度も何度も握り直す。
「それじゃぁ、お先に失礼しますわ」
扉の開く音がし、暗闇の中に光の線が走り――そして消える。
ぱた、ぱた――ゆっくりと足音が響く。
闇にひそむ彼女の前を――ゆっくりと通過した。
非常口への誘導灯が歩行者を照らし出す。
生徒会副会長、鶴舞穂之香だった。
暗闇の中で穂之香を見つめる視線が動く。
穂之香は、暗闇の中の彼女に気がつくことも無く、下駄箱の方へと歩いて行った。
穂之香を追っていた視線が、再び生徒会室の方へと戻る。
「これで最後――」
暗闇の中で、小さく呟く。
穂之香の足音が消えた廊下では、そのとても小さい声ですら、はっきりと聞き取ることが出来た。
とは言え、彼女以外には、その声を聞く人は居なかったのだが――
彼女は最後と呟いた。
それがどういう意図であったかは、彼女自身にしか解らない。
生徒会室の外に、そんな女が伏せているとは、中に居る2人には解らない事であった。
「こんな遅くまで済みません」
「いえ――」
神奈木輝一は、月崎沙耶佳に、2人だけで話がしたいと呼び出されていた。
2人だけで話がしたいというのだから、依頼――霊障に関する話だろう――と当たりを付けてはいるのだが――
沙耶佳の態度がおかしい。
妙に硬いというか、緊張しているのだ。
ここのところ、特にそう感じられる。
「ご、ごめんなさいッ」
「――え?」
逡巡していたかと思ったら、急に深々と頭を下げ謝られた。
当然のことながら、何について謝っているのか輝一の側には思い当たる節は無い。
「えっと――その、説明――そう。説明して貰えますよね」
「はい。もちろんです」
顔を上げた沙耶佳は、どこか消え入りそうで――今にも泣き出しそうな声で――視線を彷徨わせながら、そう呟いた。
沙耶佳は、マグカップに手を伸ばし――かと言って飲むわけでも無く、カップをもてあそぶ。
意を決したのか、カタンッとカップを机に置く音が、静かな室内に響く。
「嘘をついていたんです」
「嘘?」
「はい。ごめんなさい」
「いえ、それはいいんですが――嘘とは?」
唐突な話だし、沙耶佳は涙声になっているし――混乱しそうになる頭を必死に落ち着かせながら、輝一は先を促した。
沙耶佳曰く、今回の足音がするという霊障は「嘘」なのだそうだ。
つまり、輝一がここ数日調べていたことは全くの無駄と言うことである。
何も手掛かりを掴めていなかった身としては、至極納得のいく結果ではあった。
安心なのか、呆れなのか――自分でもよく解らない溜息が出た。
「なんでまた、そんな嘘を――」
沙耶佳の身体が、びくッと震えた。
「そ、それは――」
「それは?」
「事件が無くなったら、神奈木さんが――帰っちゃう――から」
消え入りそうな声ではあるが、この静かな部屋の中で、その言葉はしかと輝一の耳に届いた。
沙耶佳は消えてしまいそうなほど縮こまっている。
俯いていて顔はよく見えないが、耳まで真っ赤になっているのが見て取れた。
「それは――」
輝一は、混乱した。
自意識過剰で無ければ、沙耶佳は自分に好意を――好意では生ぬるいかも知れないが。
そう考えた直後、彼女が俺に好意を寄せるなんて事があるのか――と否定した自分の意見が入る。
じゃぁ、あそこまで照れているのは何故なのか――
時間が止まったかのような錯覚を抱きつつ、思考が高速で――堂々巡りを繰り返した。
沙耶佳が、輝一の答えを聞こうとしてか、おずおずと――その真っ赤になった顔を上げてきた。
輝一の目に彼女の姿は、どこか不安に思いつつも期待に胸を躍らせているようにも見えた。
「また、お店に来て貰えれば会えますし――」
どこかしどろもどろになりつつも、口から出たのは、そんな言葉だった。
沙耶佳が、どこかほっとしつつも落胆しているのが手に取るように解る。
ああ、自分は今、答えの選択をミスしたのだ――そう感じ取れる反応だった。
「そう――ですよね」
「違う。そうじゃない」
「え?」
それほど大きな声では無かったのだが、静かな室内で、輝一の言葉は大きく響いた。
その声に驚き、沙耶佳が輝一を見上げる。
「お、俺も――沙耶佳さんと会えなくなるのは寂しいし」
そう言ってから、輝一は、自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
あまりにも急に頭に血が上った物だから、くらくらする錯覚に陥る。
沙耶佳は、きょとんとした表情を浮かべていたが、みるみる輝一に負けないくらい顔を真っ赤にした。
「ぇ、あの、えっと――ぉ、怒ってないんですか」
沙耶佳も混乱していた。
そのことは聞きたかったことに違いは無いが、今、真に確認したかったことではない。
なんで今、その質問に逃げたのかと、自己嫌悪に陥るところであった。
「怒ってないよ」
輝一が、優しい声音で、そう応える。
それを聞いて、ほっと一息吐くことが出来た。
「よかったです」
「その――沙耶佳さんの事が――好きだからね」
沙耶佳にしてみれば、一旦、落ち着き油断したところに、強烈な一撃が飛んできた。
それこそ、瞬間湯沸かし器のごとく顔が真っ赤になるのを感じた。
見れば、輝一も顔を真っ赤にし、視線を逸らしていた。
何かを言わなければと思うのだが、口がぱくぱくと動くばかりで、言葉は出てこない。
顔は真っ赤なのに頭の中は真っ白だった。
「ぅ、うれしい――です」
やっと出てきた言葉は、それだけだった。
他にもっと言い様があるだろうに――それだけじゃ思いが伝わったか怪しいではないかと自己嫌悪するが、他の言葉は出てこない。
輝一も、言葉が出てこないことに自己嫌悪していた。
勢いで――何がどうなったらそういう勢いになるのか、自分でも解っていなかったが、何せ勢いで好きだと言ってしまった。
シチュエーションも、言葉も、何もかもが告白には向いていなかった気がする。
心臓が激しく波打つ。
その音がやけに五月蠅く感じた。
好きだという言葉に対して、嬉しいという言葉を貰えた。
少なくとも、嫌われてはいないと言うこと。
つまり――恋人同士になったということか。
まてまて早まるな――と言うようなことをひたすら考えていた。
2人とも、何かを言おうと顔を上げて、視線がぶつかると顔を真っ赤にして下げる――そんなコントのようなことを繰り返す。
時計の針がかちりかちりと時を刻むが、2人の耳には自分の鼓動しか聞こえていなかった。
さすがに落ち着こうという話になり、一旦、紅茶で仕切り直しをする。
ここでの話題選びは、気をつけなければいけない。
下手な話題をチョイスすると、また、同じ状態に陥るからだ。
「えっと――霊障の音はしないんだよね?」
無難な選択なのかどうかは、自信が無かったが、輝一としては確認しておきたかった話題をチョイスしたつもりだった。
ところが、沙耶佳の様子がおかしい。
輝一が話題に触れた途端、硬直したように見えた。
沙耶佳が、どこか手探りのように口を開く――
「それが、嘘から出た実じゃないとは思うんですが――」
「何か起きてる――と」
「は、はい」
「詳しく聞かせてもらえるかな」
「し、信じてくれるんですか」
「もちろん」
輝一が、躊躇いも無く応えると、沙耶佳の顔に喜色が浮かぶ。
沙耶佳にしてみれば、嘘を吐いていた自分への信頼は地に落ちたと思っていただけに、救われた気がしたのだ。
沙耶佳は、どこか暖かくなるのを感じつつ、身に起こったことを説明し始める。
「ふむ――本当に足音が聞こえる、と」
「はい」
「1人じゃ無くても聞こえたんだね」
「そうです。――穂之香にも聞こえていたのかは解りませんけど」
輝一は、沙耶佳から話を聞き、顎に手をやりつつ黙り込む。
考え事を邪魔してはいけないと思い、沙耶佳も同じようにして黙り込む。
静まりかえった室内に、時計のコチリコチリという音だけが響いた。
幾ばくの時、そうしていただろうか。
さして多くの時間は経ってはいないが、輝一が時計の音に気がつき、時計を見やる。
針はもうすぐ21時半になろうかという時間を指し示していた。
「おっと。もうこんな時間ですね」
「え。本当ですね」
「こんな時間まで済みませんでした」
「ぃ、いえ。私の方が悪いので」
「送っていきますよ」
「え。いえいえいえ。そんな悪いです」
沙耶佳が顔を真っ赤にしつつ、俯いてしまう。
その様が、どこか微笑ましく、輝一は知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。
「まぁ、まずは出ましょう」
「そ、そうですね」
2人は席を立ち――沙耶佳などは、慌てて立ち上がった物だから、ガタッと大きな音を立て、それがまた恥ずかしく思えて、ますます顔を赤くするのだった。
Twitter @nekomihonpo




