4 机
月崎沙耶佳は、1人、生徒会室で書類と格闘していた。
他の役員も何だかんだと忙しく、校内を西へ東へと行き来している。
普段はここまで忙しくは無いのだが、さすがに文化祭が近いだけあって、各種申請書やパンフレットの原稿エトセトラエトセトラ――
書類が溜まっていく一方であった。
役員に手伝って貰っているとは言え、どうしても生徒会長で無ければならない仕事という物もあり、沙耶佳は生徒会室で軟禁状態となっている。
「ふぅ」
申請書のチェックが一段落し、軽く息を吐く。
今の申請書が最後の一枚だったようだ。
申請書の文書ケースが、やっと空っぽになる。
こう忙しくては、校内の見回りにも行けやしない。
校内の見回りという地味な仕事も、この時期の生徒会にとっては大事な仕事の一つだ。
今期は、輝一というイレギュラーが居てくれるため、見回りもなんとかこなすことが出来ている。
「私も見回りに行きたいのになぁ」
誰も居ない生徒会室で、沙耶佳は愚痴を漏らした。
そして、自分が言った内容に驚いたかのように跳ね上がったかと思うと、周囲を慌てて見回した。
当然のことながら、誰の姿も無い。
「ふぅ。何やってるんだろ」
自分のおかしさに苦笑してしまう。
とは言え、見回りに行きたいのは事実だった。
外部からのお客さん――と周囲には思われているが、本当は沙耶佳が依頼したから居るのだが――
なにせ、お客さん同然の輝一をこき使い見回りをさせているのは、心情的に落ち着かない。
せめて自分が一緒に回ることで、少しでも手伝いをし、苦労を分かち合いたかった。
時計を見やると17時になろうかという時刻だった。
背後から差し込んでいた夕焼けも、いつの間にか闇夜に取って代わろうとしていた。
窓の外を見やってから正面へと向き直る。
「ふぅ。皆が戻ってくるまでに、もう一仕事しちゃいますか」
自分のやる気を再度充填するべく、そんなことを呟いてから書類へと向かう。
最初の書類へサインをするべく、ペンを走らせ――
「痛ッ」
突然、手の甲に痛みが走る。
書きかけていたペンが、変な線を描きつつ、手から弾け飛んだ。
手を見ると、血は出ていないが、赤いスジが3本走っていた。
そして聞こえてくる「フゥゥゥゥッ」という低い獣の威嚇――
輝一に言われ、柑橘系のオーデコロンを使用し続けているが、薄かったのだろうか。
確かに、最初は恐怖から、少し強めに効かせていた。
数日して、慣れてきてからは、この臭いが少しキツイ気がして――多少弱めにしたことは否めない。
沙耶佳は、カバンの中から柑橘系の制汗剤を取りだし、周囲へと振りまいた。
「フギャッ」と声が聞こえたかと思うと、獣の声が遠ざかって行く。
しばらく、部屋の一方向に顔を向けたまま、周囲へと視線を泳がせる。
耳を澄ませるが、自身の呼吸音、鼓動がやけに五月蠅く、物音がしているのかよく解らなかった。
どれほどの時間が経過したのか――沙耶佳には解らなかったが、その後、変化が無い事から逃げたのだと判断を下す。
よほど緊張していたのだろう。
全身が弛緩し、その場に座り込んでしまった。
ギュッと握っていた制汗剤を離そうとしたが、指が思ったように動かない。
1本1本――ゆっくりと引き剥がしていった。
「はぁはぁはぁ――何なの――」
ゆっくりと周囲を見回す。
振りまいた制汗剤が香る。
他の役員が帰ってきたら何事かと――沙耶佳の正気を疑うだろうか。
どこか芯に疲れが残るような感覚を味わいながら、ゆっくりと立ち上がると、換気するために窓を開ける。
ひんやりとした空気が、沙耶佳のうっすら汗のにじんだ額から熱を奪っていく。
「神奈木さんに連絡しないと――」
その頃――その日も、神奈木輝一は、怪しい眼鏡を掛けて生徒会の見回りと称して校内をうろついていた。
「あれ、今日は、姫と一緒じゃ無いの?」
「いつまでも下っ端にかまけてるわけにもいかないでしょ」
「えーッ。絶対違うって」
「違うって、何がです?」
「ふふ~ん。姫には騎士様が必要ってことです」
どこか偉そうにふんぞり返りつつ、そんな事を言われた。
校内は、文化祭の準備に忙しく、賑やかで楽しそうでありながら、輝一だけが門外漢であるということを感じさせる。
当然と言えば当然なのだが、それは、少し寂しいという感情を抱かせた。
沙耶佳と一緒に歩いているときは、話の邪魔をしては悪いと思うのか、挨拶程度でしか無いのだが、1人で歩いていると、結構な頻度で挨拶以上に――主にからかいだが――話しかけられるのだった。
理想を言えば、1人でこそこそと校内を見て回りたいのだが、自由に歩き回れるだけマシと考えることにする。
「ここだったのか――」
黄色と赤がズレて滲んだように視界が歪む。
とてもじゃないが、目が疲れて正視していられなかった。
怪しい眼鏡――「霊鑁の闇吸」を外し、その奇妙な現象の中心たる机を見やる。
そこは、輝一の教室だった。
そして、沙耶佳の机――
灯台もと暗しと言うにしても、程度という物がある。
あまりの間抜けっぷりに膝から崩れ落ちそうな気分だった。
机に近づき表面を見やる。
木目以外の何か――うっすらと模様のような物が見えた――気がする。
窓に向かうようにして斜めから見つめ、ぐるりと回りつつ身を逸らしてみたり乗り出したりと机を観察する。
端から見れば怪しいことこの上ないのだが、幸いなことに教室には誰も居ない。
輝一のクラスは、運が良いことに、家庭科室の使用権を勝ち取り、喫茶店を出すことになっていた。
ほとんどのクラスメイトは、そちらで準備に勤しんでいることだろう。
だからこそ、輝一がこんな奇行に及ぶことが出来るわけだが――
模様のある所をすーっとなで回してみる。
特に怪しい手触りは無い。
だが、何か円形のような跡――ソレが何かまでは確証を得られなかった。
一旦、身を起こし、入口を見やる。
他の教室からの喧噪が漏れ聞こえてくるが、特に誰かに見られていると言うこともない。
輝一は、素早くカメラで机を撮り始めた。
パシャリ、パシャリと数枚――角度、向きを変え、更に撮影――
そうしてカメラを仕舞いつつ、誰にも見られていないことを再確認していると、タッタッタという足音が聞こえてきた。
「神奈木さんッ」
輝一が扉の方へと振り返ると、少し息を弾ませた沙耶佳が立っていた。
顔色が青白くなっている。
「どうしたんですか」
様子が尋常では無い。
そして、輝一に声を掛けてきたと言うことは、何かがあったということだろう――
沙耶佳が、すっと手を差し出してくる。
「これは――」
「書類整理をしているときに、痛みが走って」
「触ってもいいですか?」
「はい」
沙耶佳の手の甲に3本の赤いスジが走っていた。
切れているわけでは無い。
内出血というわけでも無さそうだった。
強く押さないように気をつけながらスジに触れる。
「んッ」
「――痛いですか?」
「いえ。違うんです。その、気にしないでください」
そう言われては、輝一としても追求できない。
再び、手の甲に意識を向ける。
輝一は気がつかなかったが、沙耶佳の顔が少し赤くなっていた。
何となく照れくさかったのだ。
変に勘ぐられなかったことに、ほっとしながら手を取る輝一を見やっていた。
結局の所、出血も無く、それどころか既に痛みも無い。
白い肌に痛々しくはあるが、いかんともしがたく――しばらく経過観察をせざるを得ない。
と言うのが2人の結論であった。
「ところで――どこかに余ってる机って、無いですかね」
手の傷と、沙耶佳の取った対処に関して話し終えた後、彼女に問うた。
「えっと、会議室の長い机でしょうか?」
「いえ、普通の学習机です」
「ありますけど――何か」
沙耶佳が聞き返すと、輝一は少し複雑そうな顔をしていた。
何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか――と、沙耶佳が不安になっていると、輝一が口を開く。
「今回の発生源と思われる――机を見付けました」
「机ですか」
「ええ。恐らく、そこで何らかの儀式をしたんだと思います」
「それで交換したい――と」
「そうなります」
発生源が見付かったことに安心すると共に、輝一の態度が気になった。
どこか沙耶佳に対し、話しづらそうな態度を取っている。
何らかの理由があってのことだろう――
「――私の、机――」
輝一の顔色をうかがいながら呟くように口に出してみる。
その輝一は、どこか気まずそうに視線を彷徨わせたまま顔を撫でつける。
「なんですね」
輝一を見上げるようにして、念押しをした。
輝一は、数瞬、視線を彷徨わせた後、観念したのか、目をつぶり沙耶佳へと向き直る。
「そうです。月崎さんの机です」
「そうなんですね――」
「いや、その。秘密にしておこうとか言う訳では無く――」
沙耶佳が、少し暗い声を出したからだろうか。
輝一が少し慌てたように言い訳を始める。
その豹変ぶりがおかしかったのか、沙耶佳はくすりと笑った。
輝一は、そんな沙耶佳を見て、意外だったのか言葉が止まる。
「大丈夫ですよ」
「え?」
「神奈木さんのこと、信用してますから」
「えっと――ありがとうございます?」
その様が、沙耶佳にはおかしかったのだろう。
くすくすと笑われた。
輝一は、もてあそばれた――と言う訳では無いのだが、どうにも恥ずかしく、顔が赤くなるのを自覚せざるを得なかった。
ひとしきり笑って気が済んだのか、沙耶佳が机へと向かう。
「毎日使ってたのに、何も気がつきませんでした」
「仕方ないですよ。ほら。こっから斜めに見ると」
そう言うと、輝一は、机の脇へと回り込み腰を落とす。
それに倣うようにして沙耶佳も移動する。
「――うっすらと焦げたような模様が見えませんか」
「えっと――ああ、見えました。大きく円を描くようにしてですね」
そう言って輝一の方へと振り返る。
沙耶佳の言葉に肯定の返事をし、沙耶佳の方へと首を動かす。
思った以上に近くにあった沙耶佳の顔に驚き、固まってしまう。
あまりにも近かったため、息を吐き出していいのかも解らなくなってしまった。
沙耶佳の方もここまで輝一の顔が近くにあったのは、想定していなかったのだろう。
少し輝一を見上げるような形で固まってしまっていた。
何かを言おうと、沙耶佳の口が動くが、言葉としては出てこなかった。
どれだけの時間が経っただろうか。
2人には、とてつもなく長い時間に思えたかも知れないが、1分にも満たない時間だったのかも知れない。
「えっと、机ですよね。机」
「ええ。そうです。机です」
「こ、こっちになります」
妙にギクシャクした動きで、教室の出入り口へと向かう。
お互い、そっぽを向いたまま出ようとしたため、ぶつかりそうになり――更にギクシャクしたりもするのだった。
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