1 儀式
すっかり薄暗くなった教室に、1人の女生徒が残っていた。
鞄の中に手を入れ、ごそごそと漁っていたかと思うと、小瓶を取り出した。
薄暗くなった教室で明かりを点けていないため、はっきりとは解らないが、内側を赤黒い色で塗り潰したかのようだった。
何かの解説ページを印刷したA4の紙、15cmほどのロウソクが3本、赤い模様の描かれたマッチ箱――
少しでも臭いを遠ざけたいのか、腕を突っ張ったままに小瓶の蓋をねじるようにして開く。
覗き込むと赤黒い液体――粘液とまでは言わないが、さらさらからほど遠い動きをする液体が、瓶の動きに追従するべくフチを舐める。
カバンからガサガサとビニール袋――駅前の100円ショップの袋を取り出し、中にあるマスカラブラシを掴むと――瓶の中に突き入れた。
ぐるぐると掻き回してから机の上にペチャリと置く。
紙に描かれた図形を、何度も紙を確認し、マスカラブラシを何度も瓶に浸しながら――机の上に踊らせた。
――紙には、自身の血を用い、指で描けと書いてあるのだが――
彼女は気にすること無く、マスカラブラシを用い、何の血なのか解らないが、少し濁った血で描き続けた。
それは西洋の物語にあるような魔法陣に見えたが、描かれている文字が梵字のようでもあり、その事を踏まえて全体を見直せば曼荼羅のようにも見えた。
慣れない道具、見慣れない模様を描くのに四苦八苦しながらも、紙に描かれた図形を写し終えた。
どこか一仕事終えた満足感を得つつ、3本のロウソクに火をともし、図形の周囲に立てていく。
すっかり暗くなった教室をロウソクの明かりが照らし出す。
ゆらりゆらりと揺れる灯りが、彼女を照らし、背後に巨大な影を作っていた。
その影もゆらりゆらりと揺れる。
カバンから一枚の写真を取り出した。
女性のスナップ写真だ。
彼女と同じ制服を着ている。
写真の中で微笑む彼女の上に、血で濡れたマスカラブラシを突き立てる。
そして、そのまま文字――彼女の名前を書いていった。
――月崎沙耶佳と――
その後、写真を魔法陣の中央に放り、何かをぶつぶつと呟き始めた。
その声はとても小さく、その声以外は物音がしない教室と言えど、はっきりと聞き取ることは出来なかった。
時たま、たれてくる髪を鬱陶しそうに後ろへと手で追いやりながらも、その呟きは途切れること無く続いた。
それから何分経っただろうか。
ロウソクの長さも3分の1ほどが煤となって消えた。
その間、彼女は呟き続けた。
同じ事の繰り返し、少しも減らないロウソク、写真の中で微笑む女性、すっかり暗くなった教室――
あらゆるモノが彼女のことを苛立たせていた。
今もまた、髪の毛が前に垂れてきて邪魔をする。
その髪をイライラしながら、後ろへと払った。
少し乱暴に払ったからか、髪の毛がロウソクの火をかすめる。
一瞬にして縮こまり、髪の毛を焼いた特有の臭いが立ちこめた。
「やだッ」
慌てて席を立ち、髪の毛の確認をする。
後ろへ払った髪の毛を追いかけるようにして自身も反転――
ガタンッとイスが派手な音を立てて倒れた。
その音に驚き、身体がビクンッと縮こまる。
縮こまった身体が、背後に回った机をドンッと押し――不安定だったロウソクが倒れる。
倒れ行くロウソクが、魔法陣の血に触れると一気に燃え上がった。
――陣に沿った形に炎が上がる。
そして不思議なことに、机は一切燃えていない――
そんな不可思議な現象に彼女は気がつく事は無かった。
机が背後にあると言うこともあるが、それどころでは無かったのだ。
ボウッという音と共に、先ほどより一層立ちこめる髪の毛が焼ける臭い――
背後にふわりと回った髪の毛に、魔法陣の炎が燃え移ってしまったのだ。
「――ッ!」
声にならない悲鳴、大声を上げることは無かった。
さすがにパニックになりかけはしたが、ギリギリで踏みとどまる。
手に火傷を負うこともいとわず、手で髪の毛をはたく、はたく、はたく。
その甲斐があって、火を消すことには成功する。
彼女の自慢の髪の毛を大きくちりぢりにした後ではあったが――
焼けてしまった部分は潤いも無く、ただただみすぼらしく――見ているだけで目眩のする思いだった。
ちりぢりになってしまった髪の毛を手に取る。
焼けて脆くなった髪の毛がハラハラと落ちていった。
自然とこぼれた涙を絞り出すかのように、目を硬くつぶる。
「これというのも――」
どうしてこんな事になったのか――全て全てあの女が悪い。
――そんな怨嗟の呟きが漏れる。
混乱した頭の中で、どうしてくれようかと考えていたが、ふと机の状況に思い至る。
机の上で燃え広がっていた炎は、どうなったのか。
放っておけば火事になり、自分のやったことが露見してしまう。
それは避けなければならない――
「そんな――」
机を見やれば、炎はすっかり消えていた。
むしろ、そんなことがあった形跡すら無い。
机の上には、燃え残ったロウソクのカスと魔法陣の形をなぞるかのような煤汚れだけだった。
何故そうなっているのかを考えるほどの余裕は無かったが、この儀式の片付けをしなければいけないという思考には辿り着いた。
掃除道具のロッカーへと向かい、雑巾を手に席に戻ると、机を一拭き――
そのたった一拭きで、机の上の煤は綺麗に取り除かれた。
うっすらと焦げ目が残っているようにも見えるが、血の跡も消え去る。
その不思議な現象を目の当たりにして、彼女の全身に怖気が走った。
ギャギャともギャオとも付かない獣の声が遠くから聞こえた気がした。
その声にビクンと身体を震わせ、思わず後ろを振り返る。
当然のことながら、獣の姿など見当たらなかった。
すぐにでも逃げ出したい――そんな風に心が挫けていた。
それでも片付けをしない訳にはいかず――おぼつかない手で掃除を続ける。
そして、こんな髪の毛の状況を人に見られるわけにも行かず、彼女は大急ぎでこの場を後にするのだった。
少し短いですが、切れの良いところなので。
Twitter @nekomihonpo




