3 護符
月崎沙耶佳は、家へと帰ると、早速、部屋に護符を貼り付けた。
念のために母親が勝手に剥がさないよう、お願いしておくことも忘れなかった。
その日、また異音が聞こえたらどうしようと心配しつつ布団に潜ったところまでは覚えているが、連日の疲れからか、ぐっすり眠れたことしか覚えていなかった。
あれから一週間、安眠を邪魔されること無く、平穏無事に過ごしていた。
課題をこなすため、深夜まで起きていたときのことだ。
そろそろ寝ようかと思い、部屋の電気を消し布団へ潜るときに、あの音が聞こえてきた。
かさかさかさ、ぎしぎしぎし――と。
両腕にぞわっと鳥肌が立ち、緊張で身体が動かなくなった。
沙耶佳にしてみれば、五分、十分という時間に感じられたが、実際は一分程度、そうしていた。
自分の意志と関わりなく研ぎ澄まされる聴覚――
だが、音は小さく――どこか遠くで鳴っているかのようであった。
結局のところ、音は消えてはいなかったが、護符が護ってくれているという事に安心し、眠りについた。
次の日、夜半、ふと意識が呼び戻された。
まだ、夜中であることを認識し、再度、夢の世界へと度立とうとしていたその時――
かさかさかりかり――という音が耳に入ってきた。
まどろんでいた沙耶佳の意識が、一気に覚醒する。
どこか遠く――では無く、極々近くに感じられた。
何か硬質な物が、紙でも引っ掻くような――かさかさかさかさ――と。
布団を被るようにして音を聞かないようにするが、一度気になってしまったモノは、どういう訳か耳に入ってきてしまう。
耳を澄ませる必要は無いのだが、布団越しに音を聞いてしまう。
かさかさかさかさ――
朝一で霊拝堂へ行かなければ――と思いながら、無理矢理――眠りにつくには一苦労も二苦労もせねばならなかった。
朝になって霊拝堂へと向かう道すがら、店員さんが学生服だったことを思い出した。
とは言え、念のため、店の前まで出向いたが――予想通り、開店していなかった。
すぐにでも相談したかったが、仕方なく学院へと向かった。
一応、優等生で通っている沙耶佳が、遅刻ギリギリに登校してきたことは、多少なりとも奇異の目で見られたりもした。
その日は、どういう訳か頼まれ事が多く、放課後になってもすぐには自由になれなかった。
すっかり遅くなった帰路で、店に寄っていくか迷った挙げ句、その日は家に帰ることにした。
特に門限があるわけでは無いのだが、生来の教育の賜物か、夜遅く出歩くということが出来ない質だった。
その夜、音は鳴るモノだという心構えが出来ているからか、音が鳴ってもそれほど驚きはしなかった。
かさかさかりかり――
心構えが出来ているからといって、音が聞こえてきたときは、ぞわっと鳥肌が立つ。
その音は、昨日よりも確実に大きくなっていた。
闇に包まれた部屋の中では、それこそ顔のすぐ側で鳴っているかのような錯覚に陥る。
起きて、部屋の明かりを点ける。
点けたところで、何かが解るわけでは無いのだが、暗闇の中では怖くて怖くて耐えられなかったのだ。
壁に貼られたお札をじ~っと見つめる。
かさかさかさ――
「ヒッ」
悲鳴を上げそうになったが、実際は息を吸い込むだけで終わってしまう。
それまでで、一番大きな音がしたかと思うと、沙耶佳の目の前で、お札に切れ目が入り――
がしゃりと何かを引っ掻くような音がしたかと思うと、青白い炎を出しつつ、お札が燃え尽きてしまった。
一瞬の出来事で、沙耶佳は思考が停止したかのようだった。
かさかさかさかさかさかさ――
お札が消え去ったからか、部屋の中を縦横無尽に「何か」が動き回る。
悲鳴を上げようにも、空気を求める魚のごとくに口が動くだけで声が出なかった。
呼吸が自然と荒くなり、胸の間を汗が流れ落ちる。
ベッドの上で座ったまま後ずさるが、ベッドの上は決して広くは無い。
顔は一方向を向きつつ、目だけはせわしなく周囲を見回す。
少しでも動くモノを見落とすまいと――
かさ――
その音と共に、むき出しの脚――足首からふくらはぎに掛けて違和感を感じた。
何かとがったモノが複数突き立てられ、しかもそれが交互に動く感覚――
そちらを見やり、自分の脚にぽつぽつぽつと「何か」の跡が付いているのが視界に入った瞬間――
沙耶佳の視界はフェードアウトした。
【◇】
翌日、沙耶佳は霊拝堂を訪れていた。
授業も何もかも放り出して、すぐにでも逃げ込みたかったが――
実際、ダメ元で朝一に訪れてみたのだが、当然閉店状態であった。
仕方なく登校し、顔色を悪くしたまま授業を受けた。
頭は混乱したままで、何の授業を受けていたかも定かでは無い。
あまりの顔色の悪さに友人どころか教職員にまで心配されたが、理由を話したところで信じて貰えるとも思えず、言葉を濁してやり過ごすしか無かった。
放課後になると、急用があると告げ委員会を欠席した。
そんな事を言うとは珍しい――と思われたが、それ以上に顔色が悪く、とがめる者はいなかった。
からんッ――
ドアに取り付けられたベルが、沙耶佳の動きに応じて店内に来客を告げる。
店の奥から足音が徐々に大きくなり――
「いらっしゃい」
この間と同じ男子学生が顔を出した。
沙耶佳は、その顔を見た途端、いい知れない安堵感、相談できる相手を見付けた開放感、全身から緊張が抜けていくような虚脱感――そう言った様々な感情が駆け抜けて行くのを感じた。
「月崎さん、どうされました?」
「お札が、お札が燃えてしまったんです」
あまりの安心感にか、感極まって、沙耶佳のその声は仕舞いに涙声へと変わっていた。
どうか落ち着いて――と、男子学生――神奈木輝一が席を勧め、沙耶佳は、力なく席へと着く。
輝一は、紅茶の用意をしつつ、沙耶佳の様子を伺った。
恐怖のためか、青白くなってしまった顔色、どこか緊張しつつ、縮こまった身体、何かに脅える仕草――
その様が折角の美人を台無しにしていた。
ふと、彼女の学生服が目に入る。
いや、目に入っていたのだが、それほど気にしていなかった。
白を基調としているが、蒼い糸を使っているためか、影の部分が灰色から蒼へと変わる。
白がぽやっとした雰囲気を与えつつ、その蒼が引き締まって見える制服だった。
どこか有名な学校のモノだと思ったが――そこまでの好事家では無いので解らない。
さしたる問題では無いので、紅茶の用意へと戻り、香り立つカップを持って彼女の前に座った。
「それで――お札が燃えたとのことですが――」
「は、はい。昨日の晩、燃えて無くなってしまったんです」
「燃えて――」
輝一は、考え込むようにして相づちを打った。
「一昨日の晩くらいから、かさかさかさ――って動き回る音が大きくなってきて――
切れ目が入ったかと思うと、青白い炎を出して燃えてしまったんです」
沙耶佳が自分の身体を抱くようにしてブルッと震える。
知らず知らずの内に呼吸が荒くなり、言葉を続けることができないでいた。
輝一は、大丈夫だから落ち着くようにと声を掛け、紅茶を勧める。
沙耶佳は、なんとかカップを取ると、こくりと一口、飲み下す。
「それで、わ、私の足に何かが突き刺すようにして登ってきて――でも、姿は見えなくて――」
その後は気を失ってしまったという沙耶佳に対し、輝一は、足を見せてくれないかとお願いをした。
えっと驚いた後、しばし逡巡――その後、おずおずと見せても良いと言ってくれた。
椅子に座ったまま、座面に足を掛け、するするとストッキングを下ろしていく。
黙り込んでいるために静かな店内に衣擦れの音が、妙に大きく聞こえる。
「は、恥ずかしいので、あまり見ないでください」
顔を真っ赤にしながら、沙耶佳がそんなことを言うモノだから、輝一は、何かいけないことをしているような錯覚に陥りそうになった。
あくまでも、現状の確認の為なのだと自分に言い聞かせ、気を取り直す。
「ああ、解った。気をつける」
緊張のためか、お客様用の言葉遣いでは無くなっていたが、輝一は気がつかなかった。
もっとも、沙耶佳の方にも、そんな余裕は微塵も無かったのでさしたる問題では無い。
ストッキングの下から現れた白い足には、白い包帯が巻かれていた。
しゅるしゅると包帯が解かれてゆく。
その様は、どこかしら背徳感を含んでいた。
輝一は、白い足、そして、見えそうで見えない絶妙な神の采配に気を揉みながらも、包帯の下へと注意を払う。
その足には、赤くポツポツと――何かが突き刺さったような跡が付いていた。
幅1センチ程度、間隔2ミリ程度で、平行に「何か」が移動したかのように上へと登っている。
その跡は、ふくらはぎの途中まで上がると、唐突に消えていた。
どれほどの時間が経ったのか、茹で上がりそうな頭の沙耶佳には解らなかった。
実際には一、二分程度であったのだが――しばし、輝一がじっと観察する。
あごに当てていた手を下ろしながら、ありがとうございました――と輝一が言った。
「は、はい」
ハッと我に返り、沙耶佳がいそいそと包帯を巻き、ストッキングをたくし上げ、居住まいを正す。
その間、輝一は、すっかり冷めて渋みが出始めていた紅茶を捨て、新しい紅茶を用意していた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
どこか緊張――と言うよりは、先ほどの行為が原因で落ち着かない沙耶佳は、気分を一新するため紅茶に手を伸ばした。
ふんわりと良い香りが鼻腔に漂ってくる。
口に含めば、その香りを裏切ることの無い心地よい味と暖かさが全身へと拡がっていくようであった。
「恐らく蟲毒だと思われます」
「こどく――ですか」
「ええ。そうです。多数の虫を一箇所に閉じ込め、互いを争わせ、呪いを集めていく古くから伝わる呪いの一種です」
多数の虫と聞いて、脚を登ってきた「何か」の感触がぶり返す。
沙耶佳の身体を悪寒が走った。
「恐らく、勝者が確定し、呪いが高まったのでしょう」
「ど、どうしたら――」
「大丈夫です。そうですね――これから月崎さんのお宅にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ぇ、は、はい。大丈夫です」
「お部屋にまでお邪魔することは無いかと思いますが――」
「は、はい」
沙耶佳の部屋まで入って来ないと聞いて、少し安心した。
汚くしているつもりは無かったが、それでもやはり知らない男性が入ってくるのは抵抗感があった。
いくら、超常現象の解明のためとは言え――だ。
その知らない男性たる輝一は、何やらごそごそと捜し物をしているようであった。
テーブルの上に並べられていく品々は、それぞれに曰くありげな物に見えた。
12角形の方位が描かれた板、黄色い粉や茶色い粒の入った小瓶、10センチ程度の焦げた棒が数本――
最後に、ごとりと置かれたソレは、どう見ても噴霧式の殺虫剤だった。
「殺虫剤?」
「ええ。よく効きますよ」
「これも霊的に何か曰くのある物なんですか?」
沙耶佳が、そう問い掛けると――意外そうな顔をしてから、さも可笑しいという顔で輝一が応える。
「いえいえ。近所のドラッグストアで1240円と中々に高価な部類の一般家庭用殺虫剤です」
「え?」
「害虫駆除にはもってこいなんですよ」
沙耶佳の驚いた顔が面白かったのか、くすくすと輝一が笑う。
それが妙に気恥ずかしくて、沙耶佳は顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。
その様が、また微笑ましくて輝一は笑みを浮かべていた。
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