「突然知らない物が増えたから、ちょっと警戒してたんだ」
小さなころ、一度は誰しも他の家のペットが気になるだろう。
それはほわほわの毛並みの犬か。
美しい声で無くインコか。
群れをなして泳ぐ熱帯魚か。
ちょこまか走り回るハムスターか。
そして友達で集まれば、自らの飼っているペットを自慢したくなるのは当然だろう。
私も小学校の頃、周りでそんなのが流行った時期があった。
「かわいいでしょー? 昨日、お店で買ってきたんだぁ」
マルチーズだったか白い子犬の写真を持ってきた女の子が、確か発端だった気がする。
クラス中にその写真は回覧され、放課後は何人もの有志が彼女の家へと遊びに行った。
次の日にはその遊びに行った子たちが、「かわいかったぁ~」と骨抜きにされているのを見て、また別の有志が。
その次の日も……といった具合にほぼ一週間、毎日子犬さん対面ツアーが決行された。
私も三日目のツアーには参加したし、クラスのほぼ全員が子犬さんを会ったころ。
「私のとこの猫。この前赤ちゃん産んだんだよっ」
そしてツアー決行。
「うちのハムスター、喧嘩してばっかなんだよ」
ツアー決行。
「おれの家、大型犬飼ってるんだけどカッコいいんだ」
ツアー決行。
クラス内でペット飼っている子が、次から次へと自慢を始め、そしてそれはほぼ毎日のツアー決行となった。
実際には十人もいなかったとは思うけれど、私は3軒目ぐらいから、幼馴染との付き合いのためという理由以外では、行く意欲が失せ始めていた。
家に帰れば私はすぐにチョロちゃんの水槽の側に張り付いて、ご飯を食べるとき以外はずっとチョロちゃんを見ては、ときどきため息をついていた。
お母さんに後で聞いたところによると、このころ私は友達の家から帰ってくると、随分浮かない顔をしていたと言っていた。
お父さんと二人で、私に元気がないので心配していたらしい。
「紗羅ちゃんも、おうちで何か飼ってるんでしょ?」
そんな時、お昼休みに給食を食べながら、同じ班の女の子が聞いてきた。
「うん、飼ってるよ」
「何を飼ってるの?」
「カナチョロ」
「? 何、それ? 犬の種類?」
「わたし知らな~い」
「なんか響き、可愛いね」
「犬じゃないよ。え~と……見に来る?」
「行く行く!」
「あ、わたしもー」
そのころ私は、カナヘビという言葉を知らなかった。
まだチョロちゃんを飼い始めたばかりの小学4年生の初夏。
お父さんがチョロちゃんを見て「カナチョロ」と呼んでいたので、そういう生き物なんだと思っていた。
ニホンカナヘビは各地でいろんな呼び方をされているらしくて、お父さんの言った「カナチョロ」も方言のようなものだったらしい。
ここまで聞けばだれでもわかるとおり、チョロちゃんは「カナチョロ」のチョロから名前をつけた。
他の子も「カナチョロ」が何かわかる子がいなくて、一体私が何を飼っているのかクラス中で話題になった。
「どんなの?」と聞かれて私が「とってもカッコいいよくて、いちいちポーズとるんだ。でもかわいくて、きょろきょろしてるとこなんか最高。ずっと見てても飽きなくて……」と延々と語ったので皆、余計に興味がわいたらしい。
ツアーが流行っていたこともあって、当日私の家へのツアーが組まれることに、なんの問題もなかった。
結局、数人の男子と比較的仲の良い女子とを合わせて十人ぐらいが、チョロちゃん対面ツアーの参加者となった。
皆を連れて帰ると、お母さんが驚いていた。
「先に言っといてくれたら、ジュースぐらい買ってきたのに」
と言いつつ、皆に家で沸かした麦茶のコップを配っていた。
私は皆をリビングで待たせておいて、別室のチョロちゃんの水槽の様子を見に行く。
だいぶ暖かくなってきたころで、チョロちゃんも春より活発に動くようになってきていた。
私を見て2、3度舌を出し入れしてからそっぽ向くチョロちゃんに、私は思わずニマニマする。
「紗羅ちゃん、まだ~?」
リビングからの催促に、私はちょっと待って、と声をかけてから準備にかかる。
金網のゲージの中の水飲みの水を確認する。日陰ができる配置に、ゲージの中の配置物をセットし直して、温度計の数字を見た。
よし、日光浴準備完了。
私は水槽に入れてある流木の横にいたチョロちゃんを掬うように捕まえると、ゲージにそっと入れた。
そしてゲージを底から慎重に持ち上げる。
チョロちゃんの日光浴用のゲージは、いちおう私一人でも持ち上げられる程度の重さだけれど、軽いわけではないので、あまり振動が起きないように丁寧にゆっくりと移動する。
リビングの窓は、そこから庭にも降りられるので、チョロちゃんの日光浴スポットだった。
爬虫類には紫外線を浴びないでいると体調を崩す種類が多く、チョロちゃんもそうだった。
暖かな日中にぽかぽかと気持ちよさそうに日を浴びているチョロちゃんの姿は、彼の魅力を伝えることができるに違いない。
来てくれたみんなには、そんなチョロちゃんを見てもらうつもりだ。
ゲージを抱えて部屋に戻ってきた私に、皆が期待の目を向ける。
「それがカナチョロ?」
「見せて見せてっ」
「ちょっと待って。窓の側に置くから」
声だけで制してから、私は衝撃を与えないように移動する。
ゲージの中でチョロちゃんが周囲を見回しているのが見えた。なんだかいつもと違うのに気付いたのかもしれない。
チョロちゃんの日光浴は、毎回私が準備をしていた。
とはいえ学校から帰ってきてからだと真夏はチョロちゃんには日差しが強すぎるので、もう少ししたら少しでも涼しい午前中にお母さんにお願いせざるを得ないのだけれど。
手馴れた手順で日の当たる場所にゲージを下ろし、窓を開けて日差しが部屋の中に入るようにする。
「よしっ、できた。 見ていいよ。でも手は出さないでね」
私の許可と同時に、皆がゲージを覗き込む。
あ、そんなに覗き込んだら日陰になって、日光浴にならないかも。
と平和に思っていると、一人の女子が悲鳴を上げた。
「なにこれっ気持ち悪いっ」
他意も悪意もあったわけじゃない、子供の素直な感想だった。
その声をあげた女の子は、ゲージから逃げるように離れ、何人かはそれに追従した。
「トカゲじゃん。カナチョロってトカゲのことだったんだな」
「お~、こっち見てるぞ」
男子は楽しそうにチョロちゃんを見ていたけど、逃げた女の子はゲージを心底嫌そうな顔をしてにらんでいた。
「皆月さん、それのどこがかわいいのよ」
「え、かわいいでしょ?」
「どこがよ、気持ち悪いじゃないっ」
周りの子に宥められながら、その子は荷物を奪うように持って、家から出て行ってしまった。
仲良しのグループの子たちも、その子を追って出ていく。
残された子たちはちょっと気まずい空気の中、とりあえず解散になった。
その晩、お父さんが帰ってくるまで、私はずっとチョロちゃんの水槽の前にいた。
じっとチョロちゃんを見つめていると、さっきのことが頭の中でリフレインする。
何人かは私を気遣ってくれたけれど、どうしてもさっきの強い否定が頭に残って離れなかった。
『なにこれっ気持ち悪いっ』
「気持ち悪くなんて……ないもんね」
チョロちゃんの側の水槽の壁を軽く叩く。
チョロちゃんはそれに気づいたのか、逃げるように流木の下に隠れてしまう。
私がそれにため息を吐いたとき、「紗羅?」とお父さんの声がした。
振り向くと、お父さんがスーツ姿のまま部屋の入り口から私を見ていた。
「どうかしたか?」
「…………」
私が黙ってうつむくと、お父さんが部屋に入ってきた。
「今日、お友達を連れてきたんだって?」
「……うん。」
私が返事すると、お父さんは私の頭を軽くポンポンと叩いた。
「チョロちゃんを見せたのか?」
「うん、見たいっていうから」
「それで?」
お父さんは私と視線を合わせるようにしゃがむ。
「お母さんが紗羅は今日はそれからずっと落ち込んでるって言ってたんだけど、お友達と喧嘩したのか?」
「してないけど……」
「ん?」
「チョロちゃんを『気持ち悪い』って言われた」
私の頭を叩く手が止まる。
私は唇をとがらせて、チョロちゃんを見る。
「チョロちゃんは気持ち悪くなんてないよね?」
チョロちゃんは流木に隠れたまま、姿が見えない。
私は水槽内のチョロちゃんの姿を目だけで探していると、お父さんのため息が聞こえた。
「みんながそう言ったの?」
「男の子はカッコいいって言ってた」
「じゃあ女の子かな? 言ったのは」
「うん、そう」
「紗羅は」
お父さんがそこで一旦止めたので、視線をお父さんにやる。
お父さんは真剣そうな顔で私の目を見つめていた。
「もしかして犬や猫とかが飼いたいって思ってる?」
「犬……?」
「カナチョロは確かに女の子受けは悪いかもしれない。犬みたいにフサフサしてないし、人に慣れることはあっても懐くことはないって言われてるから」
「……」
あ、いた。流木の裏に回って上ってる……あ。
「もし、紗羅が犬とか別の動物が飼いたいって思って」
「いやーっ! チョロちゃん、すっごくカッコいい!!!」
私はお父さんの話をさえぎって、興奮気味に叫んだ。
この流木はこの前、チョロちゃんのごはん探し(虫取り)を兼ねてお散歩していたときに拾ってきたものだ。
チョロちゃんの水槽にジャストフィットした形に一目ぼれだった。
一生懸命洗って、乾かしてチョロちゃんにプレゼントしたのだけれど、あまり上ってくれなくて最近しょんぼりしていたのだ。
その流木の頂点で、今、チョロちゃんが決めポーズで固まっている。
感激のさなか、私は水槽に引っ付いた。
「さすがチョロちゃん、カッコ可愛いよ。やっぱり犬とか猫とかハムスターとか、目じゃないレベルっ。さいこーーーー!」
他にも賛美を送り続けた私に満足したのか、チョロちゃんは流木からするりと降りてしまった。
「え~、もう降りるの~。また上ってね~」
私は満面の笑みで水槽の中のチョロちゃんにそう語りかけてから、ふと横にいたお父さんの存在を思い出した。
横を見ると、お父さんは人差し指で頬をかきつつ、こちらを見降ろしていた。
「あ、いや。なんでもないよ。
紗羅のチョロちゃんへの愛は良くわかったから、うん」
今更の感想を述べてから、「風呂入ってくる」と言って部屋を出て行った。
お仕事でお疲れだったんだね、きっと。
私はそう思いつつ、チョロちゃん観察に戻ったのだった。
そんなチョロちゃんと私の日常。
とても残念だけど終わってしまった。
だけど私はいつまでもいつまでも――――
――――チョロちゃんのことが大好きだよ。
チョロちゃんの良さ、お分かりいただけたでしょうか?
サラのチョロちゃんへの愛は、まったくぶれませんね。
2013.9.11 サブタイトル修正しました