66 伝響のイロニィ
66 伝響のイロニィ
ホールを出た竹清慶治は手にしていた缶ドリンクで夏の陽射しを遮っては、照りつける太陽を確認するかのように空を見上げてみた。
眩しい。
否応なく照り付けてくる太陽を直視するまではせず、竹清は目線を降ろして日影を探す事にする。
自動ドアが閉まりきる前にまた開いたのは、センサーが竹清に追従する河本秀人に反応したからである。河本も外に出て食らういきなりの眩しさから竹清を真似るように缶ドリンクで直射日光を防ごうとする。
「あそこ、いこっか」
「はい」
二人はホールの建物に沿って植えられている一番手前の樹木が作る陰の部分に入った。それぞれが缶の口を開け、ドリンクを飲んだ。
「いつも通り、らしく、弾けていた」
竹清はそこから大きなガラス窓を通してロビーにいる人たちへと視線を向けている。今日行われたコンクール予選の演奏者やその親御さん、関係者で混みあっていた。
「はい、堂々と、見事でした」
河本は、竹清の言葉を待っていたのか、その後に続いて質実に感想を述べた。
「……みゆきは大丈夫だ」
河本を見据え、自らも納得させるかのように竹清が断言する。
「はい」
河本は、そう言い切ってくれる竹清の声に安心すると同時に、さっきの壇上で黒のワンピースを着て、巻き髪にアレンジされた、普段とは違う容姿でピアノを弾くみゆきを脳裏に浮かべた。会場全体を覆う緊張感の中、気後れした様子も見せず、落ち着いていて、ライトを浴びるみゆきは、その光の中、活き活きと美しくピアノを弾いていた。目を話せない程に惹きつけられた河本は、改めて、竹清会長の彼女にふさわしい人だと思い直しもした。そう感じたことを竹清本人にも伝えたい気持ちもあるが、それは出しゃばりすぎだとも思うから、「堂々と、見事でした」とただ、みゆきに感服したことを表した。なによりも、今日という日に、竹清にお供できたことが何より嬉しかった。
「昨日、みゆきのピアノを傍で聴いていて……うん、なんていうかこの瞬間が、至福のとき、なのかな、なんてことを思ったよ」
竹清が彼女であるみゆきとの話をこうも露骨にできるのは、相手が河本だからということが大きい。
「はい」
二人は本当にお似合いにカップルだと思うから、心からの笑顔を見せて返事をする。
「今日は一緒に来てくれて、ありがとう」
そんな河本に竹清はお礼も言いたくなる。
「とんでもないです、こういうピアノの演奏会、拝聴する機会なんてなかったんで、感激してます」
「そういえば、ひでとの今日の格好、ドクロの模様、入ってないけど平気?」
従順すぎる河本を竹清がさすがに茶化した。
「はい、こういう場ですから。悪目立ちは極力避けたいです」
無地のシャツに黒のパンツの無難な格好の河本は言いながら、自分と似たような着こなしでも長身の竹清会長はオシャレで画になるよなぁと内心思い、そりゃあ、みゆきさん以外にも、とそこまで及んだ所で思考を止め、コーラを口にする。
今日、浅村恵里奈というコを河本は肉眼で初めてみた。
この予選に浅村恵里奈も出場するということを竹清から会場に向かっている最中に聞いたのである。みゆきよりも先に出番が来て紺色のノースリーブのワンピース姿で舞台袖から壇上に現れた浅村恵里奈を一目見て、この人が、か、と思った。隣の席の竹清が無反応に努めていた為、河本も無心でその演奏を聴いた。終わってからも竹清が何も言わないから、河本も触れることはなかった。その次の次に回ってきたみゆきの出番の前に、竹清が「いよいよだな」と自分の方を見て言ってくれたので、河本は、みゆきさんの成功を祈ればいいのだな、と理解した。何かあったのか、どこまでの関係なのか、詳細までは知らない。が、みゆきにはアイドルのコンサートに行くということにして逢っていた人物が、浅村恵里奈だということは知っている。
竹清も焦りが無い訳ではない。
みゆきといるところを浅村恵里奈に見られるのは良くないと思うから、予選終了後、結果発表を待つ間に、ロビーにやってきたみゆきのそばへすぐさま駆け寄っては最大限褒め、みゆきのご両親と初めて顔合わせした河本を簡単に紹介すると、「あー、喉が渇いたな」といっては自販機で飲み物を買い、河本を連れ立ってわざわざ暑い夏の外に出てったのである。
その涼しいロビーにいる水上亜美の視線はガラス窓を通って、外にいる竹清慶治と河本秀人に向けられていた。
そんな気はなくとも、相変わらず眉目秀麗な竹清慶治には、どうしても眼が行ってしまう。緑の葉が茂る樹木の前に河本秀人と一緒にいる竹清の姿は、瑞々しく麗しい。清廉さも感じさせ、竹清がドリンクを飲むのに合わせて、思わず自分も生唾をゴクリと飲んでしまいそうになる。
「今日も手先が一緒なんだ」
「テサキ?」
隣にいる前田楓希の言葉の意味が一瞬判らなくて聞き返してしまう。
「あの二年生さ、会長の手先でしょ」
そこで亜美は意味を理解する。
「手先って、失礼極まりないよ。あのコは来年のうちの部の未来を握ってもいるんだよ」
「え、なんで」
「次期生徒会長候補筆頭でしょ」
「そうなの? そんな器なの?」
「そうだよ、だから手先とか言わないの」
自分がなんで河本を庇っているのか分らないが、楓希にはそれくらい過剰に伝えといても良いとは思うのだ。
「だったら次期部長候補のウチの真悠にも媚び売っとけって言っておかないと」
賢しくも楓希が次期部長に楓希と一緒のパートの真悠を推してくる。
「そうだね」
それでも別に構わないから、そう答えた。
こんな風に楓希との会話は騒々しくなることは分っていたが、それを望んで一緒に行こうと楓希に声をかけたのは亜美なのである。今日、ここに一人はキツイな、と思わずにはいられない理由があった。
亜美の幼馴染である浅村恵里奈は、自分が通う高校の生徒会長である竹清慶治と関係を持ったのだ。その竹清には彼女である高橋みゆきがいる。その二人が参加をする今日のピアノコンクール予選。水上亜美はただの傍観者を一人で務めるのは辛かったのだ。だから、「うん、行く行く」と言ってくれた楓希には助けられたし感謝もしているのである。
その浅村恵里奈はロビーには出て来ず、会場内の客席に母親と座って結果が出るのを待っている。
今の恵里奈がナーバスな状態というのは、疑う余地のないことであるのだから、亜美は、その恵里奈の姿を一度確認すると、こうしてロビーの片隅に楓希と立っていることにしたのである。
演奏と終えたコのピリピリとした空気とそのご両親や先生が談笑する和やかなムードが入り混じる独特な雰囲気のロビー。置かれたソファーのいくつかの一つに、高橋みゆきが両親と座っている。同じ高校の生徒とはいえど、ろくに会話した記憶もない亜美は偶然に視線がぶつかっても居心地が悪くなるだけの気がするので、そこに視線を向けることはなかった。
急に、そのロビーがざわつく。
係りの人間が現れては、審査結果をロビーの横の掲示板に貼ったのである。
ただ恵里奈を応援に来ただけの亜美は、ずっと同じ位置に立ったまま、掲示板に群がる参加者を見つめた。その視界の中に、みゆきもいる。上背のあるみゆきはそれほど近づかなくても結果が確認できたのか、すぐに踵を返しては勢いよく駆けてロビーを出て行った。
亜美がそのみゆきを目で追うと、外にいる竹清と、その隣にいる河本の二人に飛びつくように抱きついた。
「はしゃいでる」
同じようにその光景をみている楓希がポツリと呟いた。
「うん。……金賞獲ったのかな」
「見てやろうよ、関係ないけど」
楓希が歩きだすので、亜美も追うことにする。結果に一喜一憂する参加者、関係者の中、掲示板に近づくまでに、会場内への開いてある扉から恵里奈が出てくるのに気がつく。
あのコより先に自分たちが結果を見てはいけないと直感するから、亜美は楓希の腕を取って、その足を止める。
「え」
「ゴメン、ちょっと待って」
「うん、わかった、待つ」
二人は、少し離れた位置から掲示板の前に立つ恵里奈の様子を窺う。そのまま、ひと時待ったが、恵里奈が何もリアクションをしないままので、亜美はどうしていいか分らなくなる。
同じように参加した昨年、恵里奈は金賞を獲るまではいかなかった。一緒にみた結果に抱き合って泣いた。
その事を思い出しては、こわごわと恵里奈に歩みよった。後ろから、掲示板の結果が見える。
『金賞 高橋みゆき 浅村恵里奈』
その瞬間、亜美は自分のことのように鼓動が高まるを実感する。
「おめでとう」
迷うことなく、背中から声をかける。振り向く恵里奈は目に涙が溢れていた。
「……うん。ありがと」
そんな姿を見せられたら、亜美も一瞬で涙がこぼれしまい、二人は抱き合った。
「……報われたね」
涙声で恵里奈の耳元に語りかける。
「ありがと」
「うん、良かった。エリ良かったよ」
華奢にも感じる恵里奈の体を、嬉しさで力いっぱい抱きしめた。
幼馴染の女の友情が展開されている間に、外に出ていったみゆきが竹清と河本を連れて中へと戻ってきた。
「おめでとうございます」
竹清が彼氏として、みゆきのご両親に祝いの言葉を述べ、河本もお辞儀をする。
「見てみて」
と、みゆきが掲示板を指すので、竹清は結果を目にすることになる。
「おめでとう。やったな、みゆき」
改めて、竹清はみゆきを称える。
「うん」
竹清に褒められて、みゆきは満面の笑みを浮かべる。
「私、どうだった?」
自慢の彼氏にふたたび抱きつきたいのであるが、ロビー内の人の目を気にして躊躇しては、横にいる河本に質問したりする。
「みゆきさんの演奏、本当にすごかったです。感動しました。この結果は当然だと思います」
河本は本当に感動していたので、心から思ったことを自然に述べることができた。
「ふふ、ありがと」
その河本の真剣な感想に、みゆきは河本に抱きついて応えてあげた。異性と思っていないから、むしろできた行為といえよう。
「なんでひでとに抱きつくんだ」
そう竹清が言えば、みゆきのご両親も笑い合うことになる。
「着替えてくる。二人もウチで夕飯食べよ」
河本から離れると、みゆきはそういって、母親と楽屋へ行き、父は、「今日はみゆきの為にありがとう」と竹清と河本にお礼を言って二人を恐縮させると、車を取りに行くといってロビーを出て行った。
そして。
竹清はもう一度、掲示板を見たりする。その視界の少し横。浅村恵里奈が立っている。竹清と目が合う。後ろには水上亜美と前田楓希もいる。その後ろの二人は同じ高校の生徒である。
「お母さんに報告してくる」
恵里奈が独り言のように発しては、会場内へと入っていく。
「水上さん、どうもです」
恵里奈の姿が消えると同時に、気づいたように河本が切り出す。
「うん」
「なんか、横の方、寝癖ついてますよ」
「え? あ、こういう風にしてるんだよ」
急に河本に髪型いじられ、慌てる亜美である。
「はは、そう思うよね、やっぱ」
楓希は自分が内心思っていたことを河本が言ってくれたこともあって愉快に笑う。
「すいません、普段と違うなって思って。わざとなんですね。そういうニュアンスの分らない人間で申し訳ないです」
「ったく」
亜美は髪を触りながら、せっかくセットしてきたのにと思いつつも、いつもとは違うことを触れてくれた河本に対してどこか憎めない気持ちはあった。
そんな風に三人が会話している間に、竹清は恵里奈を追って会場内へと入っていった。
まるで竹清を待っていたかのように、恵里奈は母親のところまで行かずに、入ってすぐの所に立っていた。
「金賞、おめでとう」
竹清がその恵里奈に気づいて声をかける。
「……助かったね……もし、私が金賞でなかったら、あなたの彼女に全部バラしたのに」
恵里奈は竹清の方に振り返ることはしなかった。
「また……逢える?」
竹清は動じることなく問う。
「……また、逢う?」
「君の金賞のお祝い、二人でしなきゃ」
あんな素敵な彼女がいるのにどんな顔でそんなことを言うんだと恵里奈が振り返れば、竹清の方がもう背を向けて、場内から出て行くところであった。
「そりゃリサイクルボックスは劇場内にはないよな」
河本のところに戻って、そんなことを竹清が言えば、捨ててきますと、河本が空になった缶を受け取って、当然そこに設置されている自販機横まで走っていく。
残された亜美と楓希の二人に、竹清は何も言わず、ただ、微笑みをくれた。
それだけで、何も見ていない。誰かに言うつもりはないとそんな気持ちにさせられる、亜美と楓希なのであった。
お読みくださり、ありがとうございます。
更新の遅れ、誠に申し訳ございません。




