65 七月のリカオン
狙ったら簡単に諦めない。
65 七月のリカオン
ベランダのデッキ部分で身を低くし、手すりと壁の隙間の部分から正門付近へとレンズを向ける。
「予め半押しして何かにピントを合わせて置いて、対象がそこを通った瞬間にシャッターを押せば……」
と、細谷稜は話しながらカシャとシャッターを切った。
「はい」
隣で説明を受けている荻野靖貴はベランダの隙間から、細谷がレンズを向けているほうをみている。
二人は三階の視聴覚室のベランダにいるのだ。
「ほら、こうしてピントを合わせられる」
細谷はカメラのモニター部分を荻野に向け、今撮った画像を見せるにようにする。
「あ、ばっちり鮮明。さすがですね!」
自分にはまだできないことを目の前で細谷がみせてくれれば、素直に驚きもする。
「ふふ、この天気だから抜けがもうひとつ甘いけど、置きピンのリョウと言ったら一時期、ある界隈を賑わせたものよ」
上空には雨雲が展開している。
「そうなんですか。オキピンノリョウ。そういう異名を持つなんて特別な能力を持ち合わせている人みたいでスゴイですね」
「探していた能力者はオレだった……?」
「あ、急に違う世界に飛ぶのやめてください」
「は、すまない。オギーのヨイショに気持ちよくなってしまった。ほい。簡単だから、やってごらん」
「はい、やってみます」
元気に返事をし、荻野は細谷からカメラを受け取る。
「じゃ、皆で鑑賞会してるから」
と、細谷は視聴覚室内へと入っていく。
「はい」
荻野はベランダに一人となる。自分だけとなり、細谷がいったヨイショという言葉を思い出しては、確かに、大げさに褒めた気もするが、本人も悪い気もしてないようだし、この写真部のリーダーに対してと考えたら、まぁ良いだろうと結論付けた。
定期試験の最終日の今日。テストとテストの合間の休み時間。教室のベランダに出て最終確認のように寺本利沙と一緒にノートを見直す成瀬萌の姿を窓際の席の荻野はチラチラと目で追ってしまっていた。突然こっちをみてきた萌は、歩み寄っては窓から身を乗り入れるように「度忘れした。オギー、ちょっと教科書を見せて」と言っては荻野の教科書を取り上げ、数ページめくっては、目当ての部分を読むと「ありがと」と言って、すぐに荻野が広げていたように机に元通りにしようとした。そこまで律儀にしなくていいよ、と思いつつも萌の指先が荻野の手に触れるからドキリともしてしまう。その後のテスト中もその指の温もりの余韻が荻野に残った。終了後、テスト期間仕様の席順から、自分の席に戻った荻野はスマホを弄り始めた。「どうだね、出来は?」と通りかかった萌は荻野に話しかけてくる。「うん、まあまあ」と返せば、そのあとには「一体オギーは誰とやり取りしているんだい?」とスマホを覗かれもした。それで慌てて写真部からの「今日放課後集合」というメッセージを既読にしてしまったから、良い言い訳が浮かばない荻野は参加の覚悟をするのである。「あ、写真部の集まりあるのね」とそれで萌は納得したのか、それとも、それ以上会話続けても周りの生徒の視線を集めるだけと察知したのか、荻野の前から立ち去ってしまった。
そんな萌とのやり取りがあったこともあり、写真部のテスト終了後のアニメのエアチェックの会に参加をすることになったのだが、退屈しないよう荻野には細谷が写真のアドバイスをしたりしてくれた。
カメラを構える荻野の、そのレンズの先。
例えば、四人群れて歩く男子生徒たち。前二人、後ろ二人で話しながら歩いては、前を歩く生徒の一人が笑いながら後ろを振り返っては二人の反応を見る。その後ろの二人が良い返しをしたのか、前のもう一人も笑うから、その四人組は全員楽しそうに笑い合って正門を通り抜けていった。どんな話題、情報を共有しあったのか、実に楽しそうだ。と、普段はそこまで気にかけることのない他人のグループの様子を荻野はレンズ越しに眺めていた。なぜ人は群れるのだろう。通り過ぎていく女子の三人組みや二人組みに、あのコたちは本当に楽しくて一緒にいるのだろうか、と疑問が生じたりもした。三人組みのうちの一人は、親が車で迎えに来るのか、バス停先の送迎車用の停車場で二人に手を振って立ち止まった。その二人も、そのコに手を振って別れた。車を待つその女子生徒は、無表情にスマホを弄りだし、歩く二人は、もう二人の世界で何か会話をしている。実際本当に仲が良いなんて問題じゃないよな、高校生活を送る上で、行事やイベントをこなしてく上で、友達らしき人間は必要だもんなと、その方が利便性高く過ごしやすいもんな、と、三階の視聴覚室のベランダから見下ろしてそんなことまで考えたりした。
そのままバス停に並ぶ生徒たちを見れば、その中に萌を発見する。利沙と一緒に何かを話している。
萌の笑顔を望遠レンズ越しに見ては、何かいけないことをしているような気にもなる。この状況は覗き見でしかないよな、と。それでも萌の表情は荻野を惹きつけるから、ついシャッターを切ってしまう。
盗撮、というやましさもあった分、一枚目はうまくピントが合わなかった。どうせ撮るなら、しっかり撮らなくてはと決意し直し、次の一枚はしっかりと半押ししてピントを合わせてから押した。液晶モニターを確認すれば、今度は荻野の納得いったものが撮れたので満足する。二人が立ち止まっていてくれるから出来たことだ。自分のスマホにもいれたいが、これを見られたら軽蔑されるなぁと不安に襲われもする。そんな気持ちの揺れが、いつまでも萌を見ていることを妨げた形となって、バス停の二人から学校へとレンズを移動させた。
「あ」
と、そんな荻野が声を発したのは昇降口から出てくる河本秀人を発見したからである。
河本は一人でいた。
群れを中心にレンズから観察していた分、その一人の姿は目立った。ひとりでいるということが当たり前の人間だから放てるものなのか、堂に入っていた。他人を必要としていない、その状況を享受しきっている。それでいて内に秘める芯の強さを感じる。そうだよな、あの人はひとりで平気になんでもできるんだ、と、河本という人間を身に染みて思い返した。
「ヤバい。マズい」
そこで荻野がそう口にした理由。河本が歩く正門のすぐ先のバス停には萌はいるからだ。が、三階の視聴覚室のベランダからあとに起こる状況を静観することしか出来ない荻野は、ただレンズ越しに河本を追う。
河本はバス停に並ぶ生徒たちに一瞥もくれずその横を通り過ぎる。萌の姿にも気づいていない様子だ。
さすが河本さん。あの人は稀代の孤高の人だよ、と安堵したと同じくらいに、萌へとレンズを向ければ、隣の利沙に何か一言言っては並ぶ列を抜けて河本の方へと駆けて行ってしまう。
そうだよな、そりゃ気づくよな、でも、そんな風に近づいて話かけちゃうのかぁと、荻野は二人の様子を見ながらカメラを持つ手が震えた。
荻野は河本秀人の中学の後輩である。河本に憧れ、その背中を追いかけてこの真倫高校に入学したと断言してもいいくらいのものだ。この高校に河本が通っているから、荻野も通っているのである。中学の初めてあった日に一緒にバスケットボールをした。その際に見せられた河本の類まれな敏捷性。荻野自身も内心自慢であった分、鼻をへし折られたその日からずっと河本を追いかけている。
そんな河本が、荻野のクラスメイトの成瀬萌と親しいのだ。生徒会の活動で仲良くなったらしい。その関係で荻野も萌と関わる内に、萌の魅力にいつしかフォーリンラブしていた。そう、それは紛れもない事実。だから、二人を見る荻野は嫉妬に震えているのだ。
「はー」
と、二人の姿が見えなくなるまで見届けると深くため息をついた。どんな運命なのだと。成瀬さんが笑顔で河本さんとどんな会話をしているのだろうと考えると、身もだえしそうになるので、大事な借り物のカメラを抱えてはベランダに横になった。
同時に雨が降り出した。
すぐにピークに達したように強くなった雨は手すりも濡らした。荻野の頬を雨水が落ちれば、防滴とは聞いているが、細谷さんのこのカメラに何かあったら不味いという思考が働く。壊したりしたら今となっては自分の唯一の居場所であるこの写真部の群れからも追い出されてしまう気がして荻野は立ち上がっては視聴覚室内へと飛び入っていった。
「どうしたオギー?」
他の部員はプロジェクタでスクリーンに投影させてアニメを見ていた最中であったが、一番近くにいた細谷が投げかける。
「雨が、フルテンションで降りだしてます」
「……雨が降るだけにテンションもフルか」
二年生の榎貴裕が荻野の発言を解説した。
「あ、そういうつもりで言ったんじゃないですけど……あ、すいません」
他の部員二人も、笑ってくれているので安心はする荻野であったが、視聴の邪魔はいけないと思うから、視聴覚室からも出ようと扉へ向かう。
「良い写真撮れた?」
座っていた細谷が荻野の追うようにして立ち上がっては聞いてくれる。
「あんまり撮れませんでした。雨もきちゃって」
「そっか。部室にそれ置いて帰るんだろ? あ、これ貸すよ」
とUSBメモリを渡される。
「あ、なんですか?」
「嗜み。二次元じゃなくて、オギーはこっちだろうな」
「あ、なんかありがとうございます」
ある程度予想はつくので受け取る際にお礼を言って視聴覚室を後にする。
写真部の部室となっている図書室奥の部屋へ荻野は一人向かった。単純はことだが、写真部の皆が自分を自然に受け入れてくれている現状は気持ちをかなり助けてくれた。
写真部へ戻ると、ノートパソコンで今撮った画像を見直した。今となってはさっきとったバス停での萌の画像をみても河本に向けた笑顔を再生させてしまうだけで悲しいものだ。テストの合間の時間に萌の指先が触れた手の甲辺りを自分で触ってみても、その感触も温もりも消えてしまっている。もう今日を消し去りたい気分でしかない荻野は、この画像を萌に見られたりもしたら説明に困るだけだと思うから、スマホに移動させることもせずにデリートをした。
それでも、なんだがすぐに帰るには気持ちの整理も付かないので、さっき細谷が渡してくれたUSBメモリを差しては中に入っているものを確かめた。
簡単に言うとエロな動画であった。容量いっぱいに入っていてこれは楽しいぞ、と荻野は笑っては、いくつがシークバーを動かし内容をチェックした。そんなことをしている内に、雨音は聞こえなくなっており、そこの窓から見える中庭には晴れ間も差しているので先ほどのショックも軽くなってきたこともあって、パソコンを落としては帰ろうと部室を出た。
正門を出ると海側に大きな虹が見えた。あ、カメラを持っていれば撮ったのにと残念がった。
駅までぼんやりと歩く。
別に何か変わるわけじゃない。何も変わらない。今日見たことはさっきデリートしたのだ、という辺りの考えに辿りついたころ、駅についた。
改札をとおってホームへ行く。この昼間の時間は中々電車がこなかったりもするんだよな、など思いながら座ろうかとベンチへ歩くと、そこに一人、萌が座っていた。
「成瀬さん!」
荻野は萌の姿を見た瞬間、ただ声をあげた。
「あ、オギー、今帰りなの?」
ベンチに腰掛ける萌は少し元気がないように映る。
「うん、そうなんだ。成瀬さんも?」
萌のそばまでいっても、座らず立ったままでいた。思いがけないことに脚が硬直していたといってもいい。
「うん」
「一人?」
河本さんと帰った姿をみたとはいえない。が、気になるからそんな聞き方になる。
「……うん」
「……あ、お腹すかない? なんか食べない? まだ電車来ないし、一回改札出ない?」
荻野は攻めた。
「ううん、焼きそば食べたから。あとはカキ氷も」
「……誰と?」
判っていて質問する。
「え? ……河本先輩」
萌は正直だ。
「……そっか。で、河本さんは?」
「うん、生徒会の人からの電話で学校戻った」
「……そっか」
「……うん」
「さっき海のほうに大きな虹出てたよ。見た?」
「……ううん。見てない」
「そっか……なんか成瀬さん元気なくない? 大丈夫?」
荻野はそこで萌の隣の席に座った。
「……わかんない」
萌は座った荻野に視線を合わせる。
「なんかさ、オレと河本さんって似てない? キャラとか系統? 絶対同タイプだと思うんだよね」
「……そっかなぁ」
「一緒だよ。五十メートルくらい離れたら区別付かないよ?」
荻野は真顔で語る。
「……そっかなぁ。って何言ってんのオギー?」
言いながら萌は笑い出した。
「その笑顔良い。カメラで撮りたい!」
オギーは両手を使ってスクエアを作り出しながらはしゃぐ。
「オギー、ホント写真ハマってるね」
「……成瀬さんにだよ」
「え?」
「ごめん、困るよね、勢いで言っちゃった」
「……ううん。……ありがと」
さっきまでの今日を消し去って、そこから再び今日が記録されていく。
「成瀬さん、どうだね、テストの出来は?」
さっき聞き返さなかったことを思い出して質問する。
「まぁまぁかな。あ、教科書みせてくれて助かったよ」
少しの同じ真倫の生徒の姿もあったが、もう気にする事なく、二人は電車が来るまでその空間を会話で埋めていった。




