64 あの夏、いちだんと大きな虹
誰もが一度は、忘れられない虹をみる。
64 あの夏、いちだんと大きな虹
河本の指がスマホの画面をなぞる。
アプリのゲームをしながらも、ついさっき交わしたクラスメイトとの会話を思い出していた。
定期テストが今日で終わり、出席番号順だった席からそれまでの席へと戻る際、付近に座っていた田村塁という生徒の使用する筆記用具がNBAのチームのロゴが入ったものだと目に付いた。河本が思わずそれを指差し、昨シーズンはケガでほぼほぼプレイしなかったそのチームの中心選手の名前を挙げ、田村がそれに好感触で応じたこともあり、二人は教室の後ろの個人ロッカーが設置されている辺りに移動をしながら、その選手の魅力を語り、来シーズンの活躍を期待し、展望を話し合った。
「田村君、今日から部活なの?」
「おう、そうだよ。今日から、体育館使えるんだし」
ロッカーからスポーツバックを取り出した田村に、女子が声を掛けてきた。
「お、キャプテン、やる気に満ちてる」
また違う女子が話しかけてくる。
田村という生徒がバスケの主将になったことを今、聴き知った河本は、何か言おうと言葉を探す。が、同時に、田村が、普段クラスでも男女の混合グループで輪を作って楽しそうに会話を繰り広げている光景を思い出し、その中に自分の居場所がないとは分るから、その場を離れ、自分の席へと戻った。
珍しく田村と会話をする自分へ女子から不思議な視線を送られた気もしたが、それでも、田村に思い切って話しかけて良かったという意識の方が強いから、スマホのアプリゲームを気分良く行っていた。
テスト期間中は起動しなかったアプリゲーム。久々な分、惜しみなくアイテムをふんだんに使用した甲斐もあり、かなりのスコアを出せ、満足もする。登録しているフレンドの中で河本のスコアは一位であった。といっても、河本のスマホに登録してある他のフレンドは、もうほとんどプレイしておらず、小坂遥くらいが飽きずにこのアプリゲームを続けている。そんな遥とも倍近いスコア差があるので、ライバルを育成するという目的で、今度あったらじっくり上から目線で意見交換でもしてあげようと考え付いては、無表情のまま、心ではニヤニヤした。
『今日はさすがにみゆきに付き合うよ』
手に持っていたスマホに竹清からメッセージが届いた。会長が、彼女であるみゆきさんと今日の午後をすごすというその内容に、教室に残っている理由がなくなった河本は席を立つ。
その際、まだ残っていたクラスの女子グループから、あからさまに視線が向けられもした。気づかれても良いといった感じの視線だ。その方向へ視線を持っていけば、その誰かと目が合ったりもするのだが、向けられた視線に対してナチュラルに返すということを、以前から意識して行ったことがなかったので、河本はそのまま教室を去った。
田村君のような生徒なら自然な笑顔を返せるんだろうな、など、ふと思い浮かんだりもするが、そのスキルを自分は持ち合わせていないと、何もできなかった河本は実感する。
昇降口を出れば、今にも降り出しそうな空模様を突きつけられる。傘をも持ち合わせていない河本は、今の自分は雨に打たれても、それすら不器用にスルーしてやる、となんだか良く分らない理屈が湧き上がり、バスではなく、徒歩で駅まで行こうと決心する。
「河本さん」
そんな河本であったが、正門を出てはバス停を過ぎたところで、声を掛けられる。
振り返れば、成瀬萌であった。
「あ、メッグ」
バス停に並んでいたのに、自分を見つけて駆け寄ってきてくれたのだ。それをありがたく思いながら、そのコの呼び名を発した分、噛んでしまう。
「なんで促音入れて詰まった感じで呼ぶんですか?」
萌の笑顔は、雨雲を吹き飛ばしそうなくらい明るい。
「なんか久々のメグのその突っ込みが嬉しい」
「え、あ、ですね。久々ですね」
二人はそのまま、並んで歩き出した。
「あれ、そういえばオギーと一緒じゃないの?」
「え? オギー? あ、なんか今日は写真部の活動があるって言ってましたよ。って、一緒に帰ってるの前提にしないでくださいよ」
「え、違うの?」
「そんないつも一緒に帰ってないですよ。あっても数回ですよ、数回。数える程度」
生徒を乗せたバスが会話しながら歩く二人の横を通過していった。
「そっか。あれ、でも、二人が腕組んで帰るとこ見た気がするんだけど」
「え? 私とオギーが? そんなことしたことないですよ?」
「……夢だったのかな」
「夢でしょ。しかも帰るとしても。リサって友達と三人で帰ることのが多いです。オギーと二人でなんか帰ってたらクラスメイトから後で何言われるか。ってか、むしろ河本さんの方こそ生徒会の女の人と良く歩いてますよね」
二人は歩道橋をあがっていく。
「それは、生徒会のお仕事上の……」
「あ、その返答むかつく。こないだ話しかけようと思ったのに、あの背が高くてキレイな人と一緒で、かなり哀しくなったのに」
「背が高くてキレイ。……有紗さんかな」
「うわ、その考えて言う感じ、うっざ。切実にうっざ」
「ごめんごめん、良かったら、焼きそばでも食べない? あ、カキ氷は?」
「あ、行こうって約束してた!」
空模様の怪しさは、上限いっぱいに差し掛かっている。
「ちょうど良いお店知ってるんだ。あ、こっち」
「え、はい」
H型の歩道橋、普段から大抵はそこで駅側の方へそこで渡ってしまうことが常の中、河本が反対側へと歩き出す。
「走れる?」
「え?」
「軽く、走ろ」
「はい」
歩道橋を降りてすぐ、河本が促し、二人は歩道を駆けた。
「雨が今にも」
河本は、このペースで大丈夫か確認をするかのように萌の方を見ながら話しかけた。
「ですね。なんか、これって」
その時。
ポツ、ポツと堪えきれなくなったかのように雨が降り出した。
「スパート。こっち」
案内の意味を兼ねた河本が勢い良くオフィスビルの方へ走っていく。
「え?」
予想外の方へ走っていった河本を、萌が追う。
「ここなんだ」
そこなら雨に濡れないビルのエントランス前で立ち止まった河本は、追いついてくれた萌に説明する。
「……はい」
萌はさすがに切れた息を整えたい。
あっという間にボルテージがマックスまで達した雨は強烈にアスファルトを打ち付ける。突然の夏の雨が発する独特な匂いの中、河本は少しの腕の雨の雫を払った。
「大丈夫? なんかゴメン」
急に走り出しても、それに付いてきてくれた萌に優しい気持ちになる。
「平気です。なんかこれ青春」
萌はガラス扉に映る自分を見ながら前髪を直したりする。
「ん?」
「降り出した雨の中、男の人と走って帰るなんて結構な青春ですよ。青春度チェック項目としての、ポイント高めですよ」
確認が終わり、河本の方に顔を向ける。
「そうだね」
萌からただ無垢な笑顔を見せられ、一瞬ここにいる目的を忘れかけるが、河本は思い出すかのようにガラス扉を開け、二人は中へと入った。
「雨の中、異性の生徒と走って帰ったことがあるにレ点入りました」
そんな無邪気な発言を萌がすれば、抱きしめたくもなる。
「自分もメグとクリアできて嬉しい」
そんな無難な返しをし、カフェへと二人は入った。
大盛りの焼きそば一人前にカキ氷のセットを注文し、河本が萌にシロップの味の決定を促した。
「じゃ、イチゴで。ここは、ど定番で」
「うん」
全額、河本が出そうとしたが、硬貨一枚だした所で、三分の一くらいを萌も出した。番号札を受け取って二人は窓際の席で向かい合って座った。
ガラス窓越しでも、強い雨音は聞こえてきた。
「なんでこんなオシャレなお店知ってるんです?」
萌が改めて店内を見渡しながら言う。
「生徒会の人に聞いたんだ」
「あ、女の人とだ? その人と来たんだ? すでにチェック項目に印ついてるんだ?」
萌が勝手に想像して膨れっ面になる。
「いや、男の先輩。会計の人。その人からここ落ち着いてていいよってこないだ聞いて、それで、今日ちょうどいいタイミングだと思って初めて来た。だから青春チェック項目シートにレ点は入ってない」
河本は丁寧に萌の投げかけを解決する。
「ふーん」
萌は外の景色に目をやっている。
「ふーんて」
店内の間接照明が萌にまだ残る少女の幼さの部分に投射したかのように、その表情を露わに映し出すから、それを見る河本は、守ってあげたいという確かな気を持たされもする。こんなコがヤキモチを妬いてくれるなんてありがたいともいえる。
「ま、私が何か言える立場でもないんですけどね」
当然、付き合っているという訳でもなく、こうして一緒にいる機会もそんなにあるわけでもない。たまに偶然のように会い、そこでちょっと話して楽しい。という関係に、抑えていた部分がある。それでも、萌に立場と口にされると、その可憐な表情も相まって、もう一つなにか進めたい気持ちにもなる。
そのタイミングで番号を呼ばれ、出来上がったものを河本が席を立って取りにいった。
「うん、おいしい」
取り分けた焼きそばを萌が喜ぶように食べてくれるから、河本も張り合うかのように頬張った。
「無類の麺好きで、土曜の昼間とか、三食パックのあるじゃない? あれ一人で作って、全部食べちゃったりしてる」
河本はどうでもよい個人情報を開示していった。
「……へぇ。結構食べるんですね」
「あ、でも動けなくなるよ。その後、高確率で、ソファで昼寝しちゃうよ」
萌の興味がなさそうな相槌に負けずに話しを続けていった。
「あーね」
「うわ、あーねを口語を使うくらい興味ない?」
「そんなことないですけど、今の一連のエピソード広げるの難しくないですか?」
「いや、あると思うよ、焼きそばの調理の段階でも、フライパンで三人前一気に作ると菜箸を使う方の手の疲労感ハンパなくないですか? とか」
「ターナー使お?」
「え? ターナー?」
「うん。知らない? ほぐしやすくて便利だよ。てか大抵の家庭なら他の調理器具と一緒に吊るしてあるか、シンク下に収納されてますよ」
「そんなのあるんだ。見てみる。ありがとう」
二人が焼きそばを平らげ、カキ氷に集中しだした頃、外の雨は嘘のように止んでしまった。
「ひとつのカキ氷を二人でつっつくなんてこれも青春レ点入りますね」
萌が早速明るくなりだした、夏の日差しの外へと目をやりながら、スプーンを加える。
「うん、だね……なんか、そういうムード作れない先輩でゴメン」
やきそばの調理の話のくだりから、会話の雰囲気がただの友達寄りになってしまっていることに気づいた河本は率直に詫びた。
「ううん。面白かったですよ、さっきの焼きそばエピソード」
「……良かった」
そう言われて、気を使わせている気がする河本は、そうではいけないと姿勢を正し、萌を見つめる。
萌は崩れかかったカキ氷の山にスプーンを差し、すくって口へ運びながら、河本の視線に合わせた。
「……一緒にカキ氷食べようって約束守ってくれて嬉しい」
萌は言い終えて、ニコっと笑みを加える。
「うん」
ささいな約束だって、守らなければ傷つく。偶然帰りが一緒になり、結果今回は守った形になったのではあるが、それを嬉しく思ってくれたのなら、その純然たる思いにはっきりと報いるべきだろうとも河本は思う。
「あの時は鉄分足りて無くて、無性に氷を欲してたんです。でも今は大丈夫。普通にカキ氷を味わってます」
「うん。良かった」
その華奢にも見える萌の体を抱きしめてもあげたいが、それをして許されるのは彼女から好意を持たれ、かつ、彼女を裏切らない人間。彼女を愛し、約束を守り、悲しい思いをさせない。それができる人間。
「……でも、はるかには二人でカキ氷食べたことなんていえないですね」
外からの射光が、萌の表情を包み隠さない。無邪気さが消え、むしろそれは大人びて妖しくも映る。
萌の発する言葉から今日という日に何かを先に進めようとする思惑を感じる。クラスメイトの男同士できまぐれにする会話とは訳が違う。男女である二人の関係を進展させる何か。保留、停滞したままは許されない。
結局、自分ではまだ、どうしたいのか決めかねているのに、それでも失望はさせたくはないという、自分本位な答えを探すその間、河本のスマホがヴァイブする。
河本はポケットから取り出し、画面を見れば、『西野有紗』と表示されていた。有紗からの着信など初めてのことだ。
「どうぞ、出て下さい」
向かい側である萌にスマホの画面は見えない。
「うん。ごめん」
萌に甘え、スマホを操作する。
「もしもし」
カキ氷をスプーンでいじる萌を目の前に、河本は着信に応答する。
「あ、河本君。ゴメンね、急に。いま大丈夫?」
電話越しに聴く初めての有紗の声は確かに本人の声だと認識する。
「はい、大丈夫です」
「まだ学校にいる? もう帰っちゃった?」
「あ、駅前にいます」
萌はまた口へカキ氷を運ぶ。
「駅に? 一人?」
「……いえ」
萌は河本の方は見ずに、カキ氷を食べている。
「そうなんだ……」
「どうかされたんですか?」
「……ううん。あ、美咲といるの?」
「いえ、一緒じゃないです。何か用事ですか?」
声だけゆえ、有紗の目的が判らない。
「ううん。いいの。ごめんね」
電話はそこで切れた。
「生徒会の人から……」
「そうですか。……河本さんの話し方からそんな感じしました。頼まれ事ですか?」
萌の表情が沈んだように見えた。
「よく判らなかった」
はっきりと答えられない自分がもどかしい。
「……帰りますか」
萌がそういった瞬間、また河本のスマホに有紗から着信が入った。
「会える? 今から」
出た瞬間に告げられる。
「……はい」
その選択は、何か取り戻せないものを失うことになるのかもしれない。それでも、耳に届いた有紗の誘いを断ることはできなかった。
萌と別れた河本は、今度はバスに乗り学校へと戻った。校内には入らず、海へ向かって歩を進めた。
防風林に入り、そこにいるという小高い丘を目指した。
有紗さんがこんなところに一人で? という疑問が沸きもしたが、丘の頂上には傘を差してベンチに座る人の姿を発見する。あの雨が降っている時から居たのだろうか。そして今は日傘代わりに差しているのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、河本は近づく。
河本の足音に反応して傘ごと体を向ける制服姿のその乙女は、確かに有紗であった。
「ごめんね、いきなり呼び出して」
「いえ」
「まだ見えるよ、ほら」
有紗が指した海の方へ視線を従える。一瞬何を見たらと宙を彷徨うが、明澄な空に大きな虹がかかっていた。
「虹」
河本は見たものをそのまま言葉にする。
「うん。ね、すっごい大きな虹でしょ」
「はい」
記憶に残りそうな虹だ。
「とりあえず、座りなよ」
「ベンチ濡れてますね?」
と気にしつつ、それでも河本は座った。
「うん、下着まで濡れてる。でも乾くよ、すぐ」
有紗が話しながら、肩にかかる傘を河本とは反対側の方へと移してくれる。
「はい」
有紗の潤んだ瞳に見つめられれば、ここに来るまで浮かんだ迷いは打ち消え去った。
もう一度空を見渡して、雲の流れる彼方へと視線をやれば、雨雲も確認できるが、正面の夏空には、まだ虹が見えた。
「虹がね、キレイだから河本君に教えたくなったの」
「ありがとうございます」
その後は二人、虹が消えるまで眺めていた。何かあったのかな、と考えもしたが、それは聞くべきでないと、河本は何も言わず、黙っていた。
こんな虹を、有紗さんの隣で見れるなんて、きっと一生、忘れない。
そんなことを考えていると、突然、ベンチに置いた河本の手に有紗の手が重なった。
思わず有紗の顔を見れば、笑顔をくれ、真顔に変貌しては唇が河本へと接近する。
「……キスは恋人同士でするの」
触れあう直前で動きを止めた有紗はそんな事をいう。その吐息だけが河本にかかった。
「はい」
固まって動けない河本の視界には有紗の瞳しか映っていない。やっぱり潤んでいる。
次の瞬間には、有紗はパッと河本から離れ、また海へ視線を戻した。
有紗には恋人がいる。だからこうして二人で会うことはイケナイことなのかもしれない。それでも、手は重なったままで、そこから感じる温もりは、河本を肯定してくれるようにも感じ取れるから、もう少しこうして居たいと思うのであった。
お読みくださり、ありがとうございます。
更新の遅れ、誠に申し訳ございません。




