58 恋する屋上
58 恋する屋上
「遅い」
河本秀人が、生徒会室前入り口前の台車に持った荷物を気にしつつ、ドア開けて中に入れば、顔を見るなり柳田美咲に即、言い放たれた。
「え、遅い? 遅いんですか?」
河本が確認した相手は美咲ではなく、入り口付近傍に立っていた平井先生である。
「ん、遅い? 遅いのかな」
急に話しかけられ、なんとか答えようとする平井である。
「さっきから、来るの、こっちは待ってたんだから。もう、会長と洋介君はフェンスに取り付けに行ってるんだし。こっちも、さ、屋上行くよ」
言いながら、ラップトップの前に座っていた美咲が立ち上がる。
「……フェンス? 屋上?」
おそらくは、入り口前の荷物が関係しているのだとは推測できるが、もう少し説明がほしい。
「こないだの大会で良い結果を収めた運動部のお祝いの垂れ幕をね、取り付けて欲しいの」
河本が自分の方を見ているので、平井が回答した。
「かしこまりました」
「……先生に甘えてやがる」
美咲が囁くようにいう。
「え、別に判らないから聞いただけで……」
「フフ。はい、屋上の鍵。終わったら職員室に返しに来て」
「あ、はい」
平井から差し出された鍵を河本が受け取る。
「おみやげのお菓子、ひとつ、貰ったよ」
視線が鍵にいっている河本に、平井が喋りかける。
「あ、はい、どうぞお召し上がりください」
生徒会室のテーブルには河本のお土産のお菓子が広げてある。
「よし、行こ」
一刻も早く屋上へ行きたい美咲がドアを開けて、生徒会室を出ていくので、河本と平井も続けて生徒会室を出る。
荷物である幕の載った台車を押すのは河本である。落ちそうな物は美咲が持った。
「……おかえり。顧問として、ちゃんと言ってなかったよね」
少し歩き出して河本の方へ平井が言う。
「あ、はい……無事、戻ってきました」
昨日今日、授業では顔を合わせてはいたが、修学旅行から戻ってきてから生徒会の人間として顔を合わせるのは、この日が初めてなのである。
その後は、対教師向けに、飛行機内でのことや旅先での出来事の感想を述べる河本であり、相槌をする平井である。それは、傍にいる美咲からは、顧問と生徒の会話にしか聞こえない。
「上まで台車あげるの大変だから、エレベーター使っていいよ」
平井がエレベーターの近くで、二人に告げる。
「はい、助かります」
「幕は、しっかり結んで、結束バンドもして、養生テープも貼るのよ」
平井が念を押す。風で一部が外れるという不恰好なことは避けたいのだ。
「はい、がっちり止めてきます」
河本が察知して返答する。
ちょうど、一階にエレベーターが停まっているので、中に河本と美咲だけが乗る。ドアが閉まる前に、平井が「じゃ、お願いね」と胸の前で手を振るので、河本も美咲も手を振り替えした。
生徒会室から、ここまで一部始終、黙って二人のやり取りをみていた美咲は、洋介や綾が噂するように、この河本は平井先生の特別なお気に入りかもしれないとは思うが、やはり異性としてはみていないようにも思った。
「屋上、美咲さんにとって何かあるんですか?」
二人になって、やたら、急き立てるように感じた圧を確認する河本である。
「え、ほら、だって滅多入れないでしょ」
「そうですけど」
「学園もののドラマや漫画だと屋上って当たり前のように開放されてるけど、実際は立ち入り禁止だし」
「はい」
「行けるチャンスなんて早々ないし、ワクワクするでしょ?」
「言われてみたら、そう思います。そう言う理由なんですね。結構、あの、普通で良かった」
宇宙との交信が実は私できるんだ、とか美咲に言い出されたら、どうしていいか困っちゃうな、とまで考えた河本である分、単純な理由でホッとした。
エレベーターが三階に着き、二人は降りる。
また河本が台車を押しては、後は屋上までの階段の所まで二人は移動する。
「こっからは手で持ってくしかないね。二人で持つ?」
「自分、一人で持てますよ」
河本は台車から幕を抱える。
「お、さすが男子」
言いながら、美咲が先に階段を上がっていくので、追うようにして、ふと見上げてしまった河本は、階段を上がりきる直前の美咲の今日の模様が焼きついてしまう。
それでも、自身の動きを止めることはなく、河本が美咲に追いついて、扉の鍵を開けた。
「すげー、屋上だ。至って屋上すぎるッ」
飛び出すように出た美咲が元気な声をあげる。
「……そんなですか?」
広がる初夏の青空の下、少し先には海も見え、潮風も吹いてもくれば、その気持ちは判らないでもないが大げさにも感じる河本である。
「……わかんない」
急に冷静になる美咲である。
「え?」
テンションの上がり下がりが大きい美咲に戸惑う。
「この空。この雲。そして、あの海。ああ、夏が来ちゃうな、って思って」
「はい」
二人、フェンスまで歩く。
「どうにかしなきゃいけないよね……十八歳の夏、とかさ」
美咲はフェンスに手を掛け揺すってみたりする。
「そう……ですかね」
なんとなく言いたいことは伝わるが河本はどう言っていいのか難しい。
「この夏に何かをやり残したりすると、後々とっても後悔しそう。だから、もうすぐ夏が来ちゃうことに焦ってる」
「夏って……そういうもの、なのですね」
「ま、河本君も来年になったら多少分かるよ」
二人は、学校の玄関から見える位置に貼ってあった以前の状況を思い出しては、その通りに貼ろうと決めた。屋上から放課後の帰宅する生徒たちを見下ろしても、歩く生徒たちが立ち寄る機会の無い屋上へと視線を返すことはない。
フェンス内側から、幕の頭だけを外側に出し、両端をそれぞれがヒモを結び出す。
作業に真面目に取り組めば、色々おかしなテンションで、はしゃいで喋ってしまった自分を唐突に恥ずかしいことのようにも感じた美咲は、ひとつめのヒモを縛り終えると、そばにいる河本の様子を窺ってしまう。
河本は、平井先生の言いつけを守ろうと、解けることが無いよう、きつく結んでいる。
見ていた美咲は、その懸命な河本のシャツから覗く鎖骨に、男を感じてドキっともしてしまう。この夏、誰も相手がいないなら、この際、河本君でもいいなとすらまで考えもする。
「美咲さん、手止まってませんか?」
「んなことない」
と、美咲は座り込んで上から二つ目に取り掛かろうとする。
自分が見ている状況での美咲のその動きは、今度は正面からその模様を見てしまうことになる。
「それ、ひとつめ、大丈夫ですか?」
見えた模様には触れずに、美咲の幕の止め方を気にする河本である。
「ちゃんと、やったよ?」
「確かめますよ」
河本は美咲がひとつめにヒモを止めた箇所をみる。
「なんか縛り方、緩いですよ」
「うそぉ。でも、バンドもするから平気でしょ」
と美咲が立ち上がる。
「ヒモも、ちゃんと止めないと」
締め直す河本である。
「なんか私に厳しくない? みゆきや有紗にそんな言い方する?」
「みゆきさんや有紗さんは言わなくても、ちゃんとすると思いますよ」
「うわ、ヒドい」
「……ごめんなさい。言い過ぎました」
幕の同じ箇所をみる二人の距離は密着というくらいに近い。
「あのさ、変なこと聞くけど、私のパンツとか見るとドキドキしたりするの?」
見られたこと前提で美咲は話し出す。
「えっ、あ、その」
見てしまったことがバレていたという焦りが河本に降りかかる。
「ぶっちゃけてどうなの実際?」
「いや、あの、美咲さんって肌白いじゃないですか? それ込みでドキっとはします」
感じたことを素直に話す。これがベストだと河本は思って答えた。
「うわ、ヤラシイ。これは平井先生にチクろうかな」
「それなしですよ、質問に正直に答えて、チクるとかちょっと罠過ぎてキツイんですけど」
そんな冗談めいたやり取りをしつつも、ドキっとしたのは自分だけではなかったと思う美咲ではあるが、河本の鎖骨にときめいたことは言わずに黙っておいた。だいたい、鎖骨って。言ってもこのコには伝わらないと美咲は思うのだ。
「あれですよ、見たっていうより、見えたって感じですよ」
「そういえば……前、キスしそうになったよね」
言い訳を始めた河本は放っておき、別の話をする。
「え?」
「生徒会室で、有紗がさ、河本君の香水が良い香りだよとか言って嗅いだとき」
「……ああ、ありましたね、そんなこと」
河本はすぐそばにある美咲の顔を見ると、美咲も河本を見ていたので、視線がぶつかる。すると、美咲の瞳が揺れる。
「その黒目がキョロキョロするの、美咲さんのクセですか?」
「一応恥ずかしいんだよ」
と、河本の肩をドンと叩く。
叩かれて距離が離れたので、そのままそれぞれの端の作業に戻る二人であった。
「……私さ、内緒だけど、会長とキスしたことあるんだよ」
「……え、そうなんですか?」
「うん、一度だけだけど」
「そう、なんだ……」
「私とキスしたくなった? 会長とキスした唇」
美咲は指先で自分の唇に触れる。
「え、なんでですか。今のその話を聞いて、それ理由でしたいって言ったら自分、変じゃないですか?」
「え、河本君ってさ、会長のことゲイ的に好きなんじゃないの?」
「そんなことないですよ、唐突に鋭い矢を放たないでください」
「私、竹清×河本で良く妄想してるよ。河本君は受けだよね、絶対。右固定。これは多分万人が認めることだろう」
「もう、なんですかそれ、止めてくださいよ。逆に自分が平井先生に相談しますよ?」
「先生に甘えるな」
「そこの厳しさ、何なんですか」
二人、ヒモで縛った箇所を結束バンドでも止め、さらにテープを貼り養生もした。テープがひとつしかない分、一箇所を二人で行うことになる。
美咲は四箇所目を終えた辺りで、隣にいる河本の鎖骨に目が行き、なんだか匂いを嗅いでみたい気持ちになり、思わず、顔を近づけてみるのであった。
「くんくん」
嗅ぐ擬音を口で発したのは照れ隠しである。
「なにしてるんですか、犬ですか」
シャツの胸元に顔を埋めてくる美咲に驚く河本である。美咲の肩を掴んで、制止させる。
「……屋上だし、キスくらいしちゃう?」
動きを止められ、真顔の美咲の発言である。その言葉に河本が美咲と目を合わせれば、また美咲の瞳が揺れる。それを見られたくないのか、瞳を閉じてしまう。その姿を見せられれば、男として美咲の唇に目がいく河本である。
が。
二人が会話を止め、動きも止まったことで、携帯のバイヴ音に気付くことになる。
「電話、鳴ってますね」
竹清会長からかも、と思う河本は、美咲から手を離し、自分のポケットにあるスマホを確認する。河本の手が自分の肩から離れれば、残念な気持ちがあっても、スマホをスカートから取り出す。
「有紗からだ」
美咲は、自分の方であったことを河本に知らせて、電話に出る。
「あ、有紗。え、あ、今、屋上にいるの。うん。幕を飾るのを先生に頼まれて。会長と洋介君が外のフェンスをやってくれてて。私は河本君と。あ、有紗さ、屋上見られるところに出てくれないかな。うん」
河本は電話で話している美咲を見ている。
「あ、河本君、あっちに行こう」
「え、あ、はい」
二人は生徒会室が見える側へと移動すれば、生徒会室前の廊下の窓を開け、手を振る有紗を発見する。
美咲が振り返し、河本も気づいてもらえるよう、大きく手を振る。
美咲は、隣で河本が有紗に笑顔で手を振る様子に、妙に心をざわつかされる。
「有紗、お願いがあるんだけど、玄関側に移動してほしいの。うん、一度切るね。うん、ごめんね」
美咲はスマホを耳から離して通話を終える。
「有紗さんに幕の様子見てもらうんですね?」
「うん。……今さ、河本君、有紗に手を振ってたけど、有紗は友達の私に手を振ったんだよ?」
「その言いよう、何なんですか。同じ役員としてボクも振ってもいいじゃないですか」
「ま……しょうがないな」
玄関が見える所に移動してもらった有紗に下の階の空き教室のベランダに誰もいないことを見ていてもらい、二人は屋上から幕を降ろした。
その後は、下の階の空き教室へと行き、ベランダの一番上のポール部分に縛りつけ、一階にも下りては同じように縛り付けた。一階では有紗も合流し、三人で行った。
「屋上いいなぁ、私も行きたかったな」
有紗は二人に愚痴るように呟く。
「河本君とだと、たいしたことなかったよ」
美咲は有紗を諭す。
「そっかぁ。でも海とか校庭の景色とか色々見渡したいじゃん」
「あ、だね。あーあ、有紗と行けば良かった。河本君ってば幕貼ることに一生懸命でさ」
そんな会話に入れないので、河本は「台車片付けて、鍵を返してきます」と二人に伝えて、その場を後にした。
「失礼します」
職員室に入室して、平井の席へと河本は行く。
「ご苦労様」
河本の姿に気付いた、平井が先に声を掛ける。
「はい、しっかりがっちり貼ってきました。鍵お返しします」
「うん、ありがとう」
「はい」
放課後の職員室、平井の周りには他の教諭は不在であった。
「あ、お土産、美味しかったよ」
「そうですか、良かった」
屋上の作業で振り回され、疲れた気もしないでもない分、平井が優しいので、河本は嬉しい。
「そういえばさ、さっき、河本君が来る前の生徒会室で、堀君が言ってたけど、役員の男子メンバー三人でアイドルのコンサート行くんでしょ?」
「あ、そうなんです。洋介さん、チケット入手してくれて」
「なんか楽しそうでいいね。行った感想、聞かせて」
「はい。……では、失礼します」
一礼して、河本は平井のもとから去った。
後姿を見送る平井は、お土産のお返しに、自分が海外旅行に行った際には、観光地名の入ったTシャツでも買ってきてあげようかな、などと考えては笑みを浮かべるのであった。
お読みくださり、ありがとうございます。




