55 五分前の今日
55 五分前の今日
月曜の朝。
家を出た加藤翔大は、通学の為に毎日利用する最寄り駅へと向かって歩き出す。駅までは歩いて十分弱かかるが、自転車などは用いず、加藤は歩いて行くことに信念をもって選択している。
ズボンのポケットに入っているスマホを取り出せば、部活内の中で出来上がってきたグループを中心にメッセージを返したり、また受け取ったりをする。その中でも、同じ部の一年の女子に根元一花というノリの良いコが居て、やり取りを続けようというのを感じる内容がいつも届くから、加藤もそれに合わせてテンション高く返したりしている。部活で毎日のように顔を合わせ、家でもスマホでのやり取りの繋がりが続けば、いつも頭のどこかでそのコのことを考えるようにもなっており、そのコの笑顔を思い出しては、恋や好き、などが脳内を飛び交っている。
人がまばらな通りに出ると、加藤はダッシュをした。走りながら、あの電柱まで、と目標を決めては駆け出した。いきなりダッシュしたこともあり、怪我をしないということも踏まえ、五割くらいの力で二十メートルくらいを駆けた。
加藤は陸上部の生徒である。短距離を種目とし、一年生でありながら、100メートルなら部内で一番良い記録を出すこともあった。
ハァハァと少し乱れた息を整えながら、それでも、その気になるコの表情が過ぎりもするから、加藤は再びダッシュをした。さっきと同じくらいの二十メートル。
消えない、焼きついたようなそのコの表情や姿にその日の加藤は駅までの間、何本もダッシュをした。
恋をしても、何も問題はない。同じ部内での恋愛なんてまばゆい青春そのものじゃないか。オレ多分そんなのを求めて高校へ入学したといっても過言ではないと、初夏の朝にしたダッシュでの汗をバックから出したタオルで拭いながら加藤は駅構内に入った。
ダッシュを何本も繰り返したことにより、普段より五分早い電車に加藤は乗ることになった。
電車内では席が空いてはいてもドア付近に立ち、周りに人が居なければ、届いているその気になるコへの返信をノリ良く行ったりした。
それでいい。何が気に食わないのだ、と一汗かいてまで振り払おうとした自分を疑問にも思った。
やましい気持ち、不純な気持ちが思い浮かぶから、それを否定したくて、というのではない。それでも頭を空っぽにしたい理由が加藤にはあるのだ。
同じ部活であるから、持っている目標、それに対する向上心も似ている。加え、自然と自分らしく接することが出来る、そのコに踏ん切りきれない理由があるすれば、と加藤は電車の窓から見える街並に目をやりつつ考えた。
礒多香子。
おそらく、それが答えである。
入学して同じクラスになり、席替えをすれば隣になった、いかにも正統派の美少女、という他ないその多香子に加藤は一目惚れをしたのだ。
教室の一番後ろで、席が隣同士という、絶好の機会が訪れたのではあるが、挨拶くらいはできたが、並んだ席であった一ヶ月かそこらの間、加藤に多香子へのそれ以上の接近はできなかったのであった。家や電車内で一人の時には明日は愛想よく、ノリのいい男子生徒という感じで話しかけようと何度も決意したのだが、いざ教室の隣に座る多香子に目をやると固まってしまい、怖気づいてしまうのであった。そんな臆病な面を持ち合わせていたのだと気づかされ、何もできない自分に失望もした。
情けないことに、新たな席替えで、多香子との席が離れてしまったことに、どこかホっとした感情を抱いたまであった。
そんな自分を払拭したい気持ちもあり、部活に精を出し、加藤は頑張っている。
それでも、同じクラスなのだから、多香子の姿が目に入ったりもする。というよりもむしろ気づかれないならずっと眺めていたいくらいであった。それなのに、なぜか、加藤には理解できないことがあった。
多香子を思い出せないのである。
何気なくを装うので、その姿をはっきりと凝視していないからなのか、シルエットくらいは多香子をインプットできるのではあるが、表情を記憶することができないのである。家の自分の部屋でベッドに横になって、ふと多香子を頭に思い浮かべようとしても、不思議と不可能なのである。
近寄りがたいほどの多香子の美貌に畏怖を感じ、気持ちが縮こまっているからなのだと、解釈をしてもみても、それを納得もしたくない部分もあった。それでは、こうして、走っても振り切れないほど、いまもすぐに思い出せる、同じ陸上部のこれから恋の発展が多いに期待できる根元一花に失礼だろうと思うのだ。
乗換が必要となる駅に着き、加藤は電車を降りては、反対のホームへと歩き、黄色の線まで下がっては、先頭で目的の電車の到着を待った。
この高校へ入学して、気になる存在であった多香子を、加藤は自分ではどうにかできる存在ではないのだと思い知らされたことは認めたくはないが事実なのだ、と気づいて来ている。
定刻どおりの電車がホームへと入ってきて、その風圧を、先頭にいる加藤は体に浴びて、一度思考が停止する。
その真っ白になった状態のまま、自分の目の前で停まった扉が開くのを待つ間、ふと車内に乗っている人へと目をやれば、礒多香子がまさかのように立っていた。
そうなんだ、ずっと最初から。礒多香子に恋をして、そしてフられるんだと予め決まっているのかのように、一緒のクラスになり、席も近くなった。何もしないでいれば、こうしてまた、出くわすんだ。
わかったよ、運命から逃げならないのなら、お望みどおり、当たって砕けてやろう、と加藤は決心するかのように一度頷くと、開かなかった方の扉側でスマホを弄っている多香子へと近づく。
「礒さん」
それまでスマホの世界に没頭していたかのような多香子は、加藤からの呼びかけに反応して声の主を探そうと視線を舞わせる。
「おはよう」
多香子のいる扉の傍まで行き、加藤は朝の挨拶をした。
「……おはよう」
長身である加藤とは二十センチ近い身長差からか、隣に立たれて、すぐに目を合わせるまでは行かないまま、多香子は加藤の口の元辺りに視線を送りながら挨拶を返した。
「電車、おんなじ方向だったんだ」
加藤は、話しながらも、多香子が自分の口の動きを見るかのような視線に、別に声を遅らせてしゃべっている、そんな訳ではないのに、という気にもなった。
「うん、そうだったんだね」
答えながら多香子は無意識にスマホの画面を隠すかのように自分の胸へと当てる様にした。
その動きで上から多香子の胸部辺りを見てしまい、ブラウス越しでも判る体型のわりに豊かなそれに、デリシャスなのかエクセレントなのか、それともファンタスティックまでいっているのか、と知ったところでどうともならないのにカップ数を気にする男子高校生らしい短絡思考も加藤の中に芽生えもした。
「いつも、この時間の電車?」
それは多香子からの質問である。
「あ、今日ちょっと五分早い電車乗れて」
多香子からの質問が加藤は嬉しい。
動き出した電車は、窓から朝の日差しを取り入れたりもする。その初夏の光を浴び、眩しさに反応して目を細めたりする多香子の姿に、加藤は強烈に見惚れた。
「眩しいね」
加藤はそう言って、多香子とは反対の方を向いて目を瞑り、今の多香子の姿を思い出そうとした。その時点では今見た多香子を創り出すことはできた。ただ、ぼんやりしている部分があったので、開き直るかのように、もう一度多香子の方を見た。目が合いはしても、びびらず、へこたれもしなかった。口元あたりをみればホクロを発見して、妙な喜びを感じもした。
「礒さんと席、隣だったとき、もっと話しかけたかったんだけど……」
加藤は素直に思っていることを話そうとした。が、その加藤の言葉に、多香子はややキョトンとした様子で、まさか、オレが隣だったこと覚えられていないのかとまで考え、不安にもさせられる。
「……隣だったの、覚えてるよね?」
こうなったらとことん、と思う加藤である。
「え、うん、覚えてる。……最初の席替え、隣だった」
「あー、良かった。忘れられてるかと思った」
「え? まさか。そんな筈、ないよ」
多香子はそこでちょっと笑った。
「礒さんって独特の世界持ってるよね?」
「……え? 独特?」
多香子の顔色が曇る。
「あ、違う。へんな意味じゃなくて。良い方。良い意味で」
このコは普通と思われたい、変ってるコだ、と加藤は認識をする。
「……そう、かな」
「……いや、いまちょっとそう、思っただけだから」
「うん」
その加藤の答えに、もうその話題はそれで終わりにしたい様子で、多香子は窓の外に目をやった。
加藤は、会話がいまひとつ弾まないことに心が折れそうになってはいたが、今日は踏ん張るんだとも思い直す。美少女を前にくじけるのはまだ早い。
「部活さ。……部活。部活やってるんだ、オレ。運動部なんだけど」
「うん」
加藤は、いかにも運動部という、説得力のある、健康的な日に焼けた肌をしている。
「陸上部なんだけど」
「……うん」
多香子の相槌では自分が陸上部だということを知っていたのかどうなのか、加藤は判断付かなかった。クラスが同じなのだから、なんとなく知っていてくれているとは思うが、難しい。なんだか、その辺で加藤はもうこれ以上会話を続けられる自信はなくなって来ていた。
「……なんの競技?」
少しの間があって多香子が質問をしてくれる。それがギリギリのところで加藤を救った。
「種目はね、短距離」
「そうなんだ」
そのやり取りでまた会話が止まった。
「記録がね。記録をね。ベストな記録をだしたい」
加藤は、もう独り言のように呟いた。空調が効いてはいるが、暑さが理由ではない汗を加藤はどっぷりとかいている。
電車は二人が通う真倫高校の最寄り駅に着く。
そこで離れてしまうのも変な気がして、加藤は多香子と一緒に並んで歩き、改札を通った。
駅の広場へと出ると、モニュメントが作り出す日陰の部分に立つ生徒に加藤は気付いた。その生徒をみて、加藤は話す事が思い浮かんだ。
「礒さん、あそこにいる二年の、生徒会の人いるでしょ」
「うん」
加藤の視線の先を多香子も確認して頷いた。
「こないだ、100メートルのタイム計ったら、いい記録出てさ、調子に乗って、オレ学校で一番っすかね、とか先輩にいったらさ、学校で一番はあの人なんだって言われたんだ」
「え、あの生徒会の人って、陸上部のひと、なの?」
「ううん、違うんだけど。去年の体育祭の徒競走、あの人、うちの部の短距離の人に結構大差付けて勝ったらしくって」
「……そうなんだ」
「結局、短距離って才能だから」
「そう、なんだ」
広場を通り抜け、二人は学校へ向かう道を他の生徒に混じりながら歩いている。
「あ、思いついた」
「え?」
「あの人とは学年違うから、競争することないんだけど、オレ、クラスの代表で体育祭、徒競走でるから。もしオレが一位になったら、礒さんにコクろ。決めた」
「え?」
「ホント、マジで告白するから。だから、うまくフる言葉用意しといて。まだ秋まで時間あるし。振る言葉考えてもらうくらい、良いよね?」
「……えっ、と」
「困らせてゴメン。部室に寄ってくから、先行くね」
そういって思いついた用事を口実に、加藤は駆けるよう多香子から離れて先を行った。
自分は何度も礒さんと呼びかけたのに、一度も加藤君と名前を呼んでくれなかった、と男子高校生らしい思考で加藤は小走りしながらも、しょげていた。もう一緒に歩いているのが辛かったのだ。
目を瞑ってみれば、ついさっきまで一緒に居た多香子を思い描くことは、できなかった。不思議なほど、思い描けない。ならばと、もう一度、試すように同じ部の根元一花を思い浮かべれば、その笑顔が見えた。
早く多香子に振られて根元一花と向き合う。そんな事を考えながら、加藤は走った。多香子との距離はどんどんと開いた。
まだまだ一限には充分な時間があるのに、そんな風に走る加藤は、他の生徒には元気な一年生、という風に映ったであろう。
あけましておめでとうございます。お読みくださり、ありがとうございます。




