表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
micelle  作者: Hyro
40/70

39 花しおれても

 39 花しおれても



「では、始め」

 平井紀子の開始の声で、教室の生徒たちは一斉に裏にしていたテスト用紙を表に返し、名前を記入する為にシャーペンを走らせる。すぐにその音も落ち着き、生徒たちが問題に取り掛かれば、平井は一通り教室を歩いてみる。後はまばらにカリカリと解答を記入する音とゴシゴシと消しゴムを使う音が発せられることとなるのである。

 中間テストが行われている。

 平井紀子は、普段は授業を受け持っているクラスの試験管を務めている。二日目の三限目のその時間は河本のいる二年生のクラスであった。とはいっても、出席番号順に並んでいる窓側一番後ろの河本の近くを平井が通りかかっても、覗きこむこともなく、足を止めることもない。教壇横の教卓の椅子に座っても、特に河本に目を留めることもなく、生徒たちの試験を受ける様子を見渡したりするくらいである。河本も試験に集中しているので平井だからといって気にする事もないまま、試験の時間は過ぎていく。

「止め。一番後ろ席の人が集めて下さい」

 そういう方式をとった平井の指示に従い、自分の列の答案用紙を回収した河本が平井に手渡す時も、別段何もなかった。

 平井は、名前の順に答案用紙がすべて回収できたのを確認すると、教室を去っていく。

 職員室に戻った平井は、答案用紙をその教科の担当の教師に渡すと、今日の仕事は終わりであった。別にそれで退勤しても何も問題はなかったが、それではストレートに腰掛け教師という視線を他の教師から向けられる気もするので、荷物は持たずに生徒会室へと向かうことにした。

 花の水でも換えようか、とそう思いもすれば、飾ってからもう二週間も経っている花はもう枯れてしまっているような気もする。

 そんな平井の向かう生徒会室には河本がいた。

 今日のテストをすべて終えて、学校を出る前にここに寄り、花瓶の水を換えたのだ。テスト期間中で生徒会の集まりはなくても、こうして毎日訪れては水を換えていた。

 その時。ガチャと音がして扉が開く。

 開けたのは平井である。

「あ、河本君、居たの」

「はい。この水、換えました」

「換えようと思って来たのにやってくれたんだ。エラいね」

 平井は花瓶を置いた机の前に立つ河本の横へと来る。

「平井先生に、名指しで水換えるよう言われてますんで」

「え、名指し? 私、河本君に限定してた?」

 平井はそんな意識はなかったので自分に驚く。

「え、覚えてないですか? 言われたこっちは絶対守んなきゃって毎日のように換えてたんですけど」

 忘れている平井をみて、河本はやけに純真に振舞ってみる。

「そうなんだ。その時に居たみんなに頼んだつもりだったんだけど。そっか、ゴメンね」

 平井もその時の気持ちを正直に伝える。

「いえ、平気です。でも、花、しおれてきちゃいましたね」

 平井の今日のテンションを確認し終えた河本はそこから普通に話そうとする。

「うん。切り花だから、どうしてもね。しょうがないよ」

 平井もそれにあわせ、波長の調節がうまくいったような空気をそれぞれ共有する。

 そのひととき、確かめる様に二人は、花を見つめる。

「河本君、香水付けてるんだ?」

「あ、匂いますか? みんなに言われるんで軽くしか付けてないんですけど」

 香水のことをいわれ反射的に見た平井の唇は濡れているようで、そそられもする。

「色気づいちゃって。どこに付けてるの? 耳の裏?」

 表情は変えず、言う事だけは無邪気な口調で平井が問う。

「はい」

「そこだと匂いがきつくなるから、この辺につけなよ」

 そういって平井は河本のわき腹辺りを指で軽く突く。

「はい。気をつけます」

 ふいを突かれた河本はそれ以降の平井の指を防御するようにわき腹を抑える。

「今日はもう試験終わり?」

「はい」

「生徒会の集まりもないんでしょ?」

「はい」

「そっか。じゃ、お昼、一緒にどこか食べいこっか」

「え? いいんですか?」

「うん。水を換えてくれてた、お礼」

 そこで平井が微笑して言う。

 平井は美人である。目鼻立ちのいい顔はナチュラルメイクで充分で、肩にかかる巻いた髪は明るくツヤツヤで、高校生の河本にとっては洗練された大人の女性に映る。容姿端麗で自分よりも背が高く見え、ややもすると近付きにくくクールな印象の平井が表情を崩して自分にそんな事を言ってくれると河本は嬉しくもなる。が。

「ありがたいお誘いなんですが、マズくないですか? 先生と生徒ですよ?」

「……あ、そうだよね。顧問と生徒だからいいかなって思ったけど、河本君、男のコだしね。さすがに誰かに見られたりしたらマズいか。不用意な発言だった」

 自分の言った事を可笑しく思ったのか平井は屈託なく笑っている。

「はい。すごくあの、御一緒したいんですけど」

 その自分の発言を河本自身が本当だと思うのは、普段は中々見せない平井の笑った顔が魅力的だからである。

「これから一人でランチもつまらないかな、って思って誘ったんだけどね」

 二人は時々顔を見合い、または花瓶をなんとなく見ながら会話をしている。その挿してある花は確かにしおれている。

「あ、そういえば、彼氏さんとの泊まりでの夢の国はどうだったんですか?」

 こんな先生とお付き合いをしている人、という存在を思い出し、聞いてみる。

「楽しかったよ。部屋でさ、ワイン飲みながらほろ酔い気分でパレード見て」

「その辺、いいですね、大人って感じで」

「でもさ、疲れた。二泊したんだけど、ずっと前から予約してたし、もしケンカとかしたらその二日間がつまんない気分になっちゃうから、お互いに気を使ってた。普段なら言い合いになりそうな事とか我慢してすごい回避してた」

「その辺、大変ですね、大人って感じで」

「一人になって、自分の部屋に着いたら、メイクだけ落としてすぐ寝ちゃったもん。ホッとしたんだと思う」

「あー、なんか分かる気がします。あ、ちなみに先生って一人暮らしでしたっけ?」

「そうだよ」

「……料理とか洗濯とかするんですか?」

「するでしょ。ん? バカにしてる?」

 美人教師は鋭い視線を河本へ送る。

「いや、あのとんでもないです、あんまりそういうイメージがなかったので。できるけど、しない、みたいな。ま、あの一人だとしないといけないとは思いますが」

 年下の男子生徒は平井の詰問に 純朴に答える。

「パスタ作ったり、煮物作ったりしてるよ」

「あ、おいしそう」

「……ホントに思ってる?」

「はい」

 そういって純度の高い愛想笑いを河本が浮かべるので、平井も微笑んでしまう。

「明日の試験もがんばってね」

「はい」

 それは教師としての元気づけである。

「先生」

「なに?」

 部屋を出ようとした平井を河本が呼びとめる。まだ名残惜しい気もしたのである。

「さっきの試験、先生がウチのクラスを担当しましたよね?」

「うん」

「ボク、居たんですけど分かります?」

「うん。居たじゃない。一番後ろの席で」

「気づいてたんですね」

「うん。河本君を見たよ」

「あ、見てました?」

「あ、見てたっていうか、視野には入ってたよ。普段の授業もそうでしょ」

「はい、そうです。良かった」

 そう言い、嬉しそうな表情をする河本に平井はどこかキュンとしてしまう。

「どうして、そんなこと確認するの?」

「なんていうか、普段の授業中もそうだし、今日はまぁ試験っていうのもあるとは思うんですけど、ああいうときの先生をみると、今こんな風に会話できてることが不思議というか。今日なんかプライベートの話とかもしてくれて……」

 平井はなんとなく河本の言いたいことはわかる。

「……今は、君しかいないから」

 平井はそう呟いて河本を見つめた。

 河本は平井と目を合わせてから、一度、頷いた。

「うん、じゃあね」

 そう言い残し、平井は生徒会室を出た。

 職員室まで歩く平井は考える。

 一度、河本に涙を見せ、声を荒げたことを、その後の二人の会話の中で触れたりはしていない。けれど、そのあとの河本からは同じ方向を向こうとしてくれているようなものを感じる。一生徒として。または顧問と生徒の関係として。近付こうとする私には、鈍感な生徒の振りをしてバリアを張る。離れようとすればピュアに近付いてくる。その距離感を私が冗談でも崩そうとすれば、修正してくれる生徒でもあるから安心している部分がある、と平井は感じる。

 学校を出た平井は、車で大型のショッピングセンターに行き一人で和食のランチを食べ、話題になっていて興味があった映画を観てから自宅のアパートへ戻り、着替えると彼氏の住む部屋へ行こうと電車に乗った。

 当然、仕事中の彼はいないので、平井は溜まっていた衣類の洗濯と部屋の掃除をし、近所のスーパーへ行っては晩御飯の食材を購入した。

 旬のお魚やお野菜を使った料理を作り、彼が帰宅すると二人でそれを食べ、お酒なんかも飲んだりして夜を過ごした。

 それは、平井にとって幸せを感じる時間であり、学校を出て以降は河本のことを考えたりすることはない。ただ、寄った先で見かけた花屋に綺麗な花を見つけると、また生徒会室へ飾ろうかと、そんな事は思う女なのである。



お読みくださり、ありがとうございます。ご意見・ご感想をお聞かせください。今後の参考にさせていただきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ