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micelle  作者: Hyro
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38 有紗のターン


 38 有紗のターン




 二限目の授業が終わり、西野有紗が教室の外へ出ると、ジャージ姿の、おそらくは体育の授業を終え、自分の教室へと戻る途中の柳田美咲がすぐ先の方から歩いて来たので、声を掛けようと手を挙げる。が、美咲は話しているクラスメイトの方へと顔を向けてしまい、有紗に気付かないまま通り過ぎて行った。ま、こういうことあるよな、と思いつつ、有紗はさほど気に留めもしなかった。

 美咲と一緒にいた友達は有紗の方を見ていたので、「今、生徒会のコが美咲に話しかけようとしてたよ」と教えてくれる。言われて美咲が振り向くと、有紗はトイレにでも行くのか、初夏を思わせる陽気のその日は既にブラウス姿で、長身でハイウエストに着こなしたスカートの丈は短く、足の長さをこれでもかと強調し、まるで無敵のように闊歩していく後姿はあっかんであった。美咲は一瞬のうちに舌打ちしたくもなったが、「また放課後会うから」とにこやかに友達に返答し、教室へと戻った。


 その日の放課後。

 有紗が生徒会室にやってくると、河本秀人だけがいた。水でも換えてきたのか花瓶の前に立っている。

「他のクラスがまだショートホームルームしたから、一番乗りだと思ったのに。二年生がいたか」

「先に参上していました」

「うん。今日暖かいね」

「はい」

 そんな会話をしながら、有紗が河本の近くを通りバッグをテーブルに置いた。

「うわ、河本君、超良い匂いする」

「あ、そうです? 会長に香水貰ったんです」

「そうなんだ。すっごい良い匂いだよ。耳裏につけてるの?」

 そういい、有紗は河本の肩に手を置きに顔近付ける。有紗の顔がすぐ近くまで来るので、河本もドキリとする。

「有紗さんも良い匂いします」

「でしょ」

 そういって河本は有紗の耳辺りに鼻を近づける。

 二人がそんな風に顔近付けあっていると扉が開き、美咲が入ってくる。

 扉の開く音がした瞬間に二人は離れてはいるが、それが余計に抱き合ってキスでもしていたように美咲からは見えた。

「美咲、やっほー」

「あ、有紗、ごめんね。午前中に挨拶してくれたのに気付かなかったみたいで。友達が教えてくれたんだけど」

「ううん、いい。なんか美咲、アニメかなんかの話に夢中になってたみたいだから」

 その言い方に美咲はカチンと来る。

「アニメじゃないよ。ゲーム。原作はマンガでアニメ化もしたけど、あの時はゲームの話をしてたの」

「あっそう。その辺の違いが分からなくてごめんね」

「っていうか、今二人キスしてた?」

 美咲は、後でモヤモヤするのがイヤなので、この二人が実は出来ていたのか、今はっきりさせておこうと思ったのである。ましてや河本とはこの間一緒にうどんを食べゲームセンターに行った仲で、年下ではあるが、可能性を見出し、今後の淡い妄想を抱きつつあっただけに余計である。

「え? そう見えた? キスなんてしてないよ」

 有紗が笑って否定する。

 キスと言われ、河本は、顔を近づけてきたコにはちゃんとキスしてあげるんだよ、と竹清から言われた事を思い出した。

「二人さ、くっ付いてて、入ってきた私が邪魔した空気を感じたけど?」

 美咲はさらに勘繰る。

「違う違う。誤解だよ。河本君が香水つけてて、超良い匂いするから、顔近付けて嗅いでたんだよ。美咲も嗅いでごらん」

 有紗がそう言うので、美咲は河本に顔を近づける。それを見た河本が首を差し出すようにする。

「……ホントだ。良い匂い……この香り好き」

 美咲が河本の耳元で言う。

 河本はその近くにある美咲の顔を見る。視線に気付いた美咲も河本を見る。目が合うと、その近すぎる距離に美咲の瞳が揺れた。

 それを見た河本は、美咲の肩に左手を置き、右手を美咲の腰あたりに持っていく。その河本の挙動に、もう一度美咲の瞳は揺れ、まぶたを閉じた。

 それは拒否の意味ではないとわかるから、河本は顔近付け、唇を重ねようとする。

「ちょっと河本君、何してるの」

 もう二人の唇どうしが触れてしまいそうな瞬間に有紗が河本の肩を掴み、動きを制した。

 美咲はそこで目を開ける。

「……えっと」

 河本は有紗が止めに入るとは想像していなかった分、戸惑った。

「ほら、有紗もそう思ったでしょ? キスしてるように見えるんだって」

 美咲は平然と答える。

「違うよ、そういうレベルじゃないって。今、もう寸前だったよ? 河本君、する気満々だったよね?」

「それは、あの…」

 竹清会長に言われたからは正直すぎるであろうと河本は思う。

「河本君、そうなの?」

「てか、美咲も目を閉じててさ、待ち構えてたでしょ」

 全然平気で余裕な美咲に、なぜか焦ってしまう有紗である。

 美咲は、二人が出来ている訳でも、キスをしていた訳でもないと分かり嬉しくなる。さらには自分には本気でしようとしてくれた様子の河本に加えて、普段は彼氏持ちで自信満々なクセに、なぜか慌てている有紗に、まるで勝者の気分になる。その甘い香りに誘われ、河本君になら別にされてもいいと、思っていたのだ。

 ガチャと、そこで、また扉が開き、竹清とみゆきが入ってくる。

「お疲れ様。お、河本君、香しく漂わせてるな」

「はい、ありがとうございます」

 河本が嬉しそうにお礼を言うのでプレゼントして良かったと思う竹清であった。

 竹清がいつもの窓を後ろにボードを正面に見据えた席に座れば、他の役員も着席をする。

 洋介と綾の到着を待ちながらも、今後の流れを軽く話し始めれば、それに集中する事になるので、有紗は河本の行為、美咲の態度に腑に落ちないものは感じながらも耳を傾ける。

 程なくして、洋介と綾も揃い、中間試験後に行われる球技大会の打ち合わせを行った。来週後半からは試験の為、一週間前からは公式には集まりは無しになるので、今のうちに進められる話はしておきたいのだ。

 一度、有紗は美咲と目が合った。その時の美咲の表情に、どことなく勝ち誇ったようなものを感じ、有紗は苛立ちを覚える。


 会議が終わると、球技大会で使う備品の確認をしておこうという事になった。

「じゃ、河本君、うちらで体育館を見に行こうか」

 立ち上がった有紗は、さも当然のように河本に声を掛ける。

「はい」

 そこで変に気後れしないのは河本の良さでもある。

 最近、やたらと手分けして何かをするとなると河本と一緒に行う事の多い有紗であった。残った二人、というような事も多く、それを別になんとも思ってはいなかったが、今日はむしろ、率先した。

「さっき、さ」

 生徒会室を出て二人で廊下を歩き出せば、早速聞きたい事の話を始める。

「はい」

 河本はいつも自分に接する有紗とは違うとは感じる。

「美咲に本気でキスしようとしてたよね? 私にはそう見えたよ」

 普段はサバサバしているようにも思える有紗がそういう粘調の質問をしてくるのだから、河本は返答を間違えると軽蔑されるまであるな、と判断する。

「……あの、あれです、美咲さんがボクらに二人キスしてたよねとか言ったじゃないですか? そこで、あ、キスかって浮かんで、キスなのかって思って。だったら美咲さんにそんな感じにしちゃおうかなっていう。でも、もしホントにいきなりしてたら美咲さん、怒り出してたと思うんで。だからあの時、止めて頂いてありがとうございました」

 これなら多分、ギリギリ正直に話している、と河本は言える。

「ふうん」

「だから、なんか有紗さんの時は、そんなキスとか全然頭になくて、香水を良い匂いだって言ってくれて急に嗅ぎ合う感じだったじゃないですか? だから急だったんで。それなんです。急だったんです。有紗さんにはそんな素振りしなかったのに、美咲さんだけにキスしようとしたとかじゃないんですよ。急だったのと、準備していた、の違いです」

 ここまでの言い訳がなぜ必要なのか良く分からなくなってくる河本である。

「なんとなく分かった」

 と言いつつ有紗は、必至に言葉を探し雄弁に語る河本が密かに滑稽にも思えてくる。けれど、このコはこのコなりに関係を悪くしないように頑張っているのだと分かるから、優しい気持ちにさせられる。

 二人は体育館に入る。

 この日は女子のバレーとバスケがネットで体育館を半分に区切り部活動を行っていた。

 練習するバレー部に、河本は小坂遥という知り合ったコがいる、と一瞬思い浮かぶが今はそれ所ではない。

「あ、あれです、ほら、有紗さんは彼氏さんもいらっしゃるじゃないですか? だから、そんなふざけてキスするのもおこがましいというか。マズいじゃないですか。それでも何か、ボクが気に障る事をしていたのならスイマセンでした」

 もう謝って楽になりたい河本である。

 二人は体育倉庫の扉を開け、中に入る。

 暗いので、河本は扉の横にあるだろうと電気のスイッチを探す。

「……キスくらいなら平気だよ」

 有紗はそういうと、背中を向けていた河本の肩を掴んで体を自分の方へと向かせると、唇を重ね合わせた。その有紗の突然の行動には河本もさすがに驚かざるを得ない。

「びっくりした?」

 顔を離した有紗が悪戯に笑って確認する。

「はい。びっくりしました」

 有紗の笑顔につられて河本も表情を緩ませる。

 すると、有紗は真顔になり河本に顔を近づける。唇が触れ合う瞬間に目を閉じる有紗を確認して、思わず河本も目を瞑ってしまう。

 有紗の舌先が河本の口を開かせ、その舌が河本の舌先に触れる。そのまま、舌同士を擦り付け合うのに河本が応える。そのいっとき。今日の放課後からここに来る途中のやり取りなど、そんなのは全てどうでもいいと、吹き飛ばしてしまうようなものが二人の舌を介して疎通する。

「ここまで」

 そう言い、有紗は唇を離した。

 河本もそれ以上は求めない。

 そうして、お互いに俯き合い、気恥しい空気が、うす暗い体育倉庫に流れる。

 それでも、有紗は顔を上げると、片方の手を河本の頬にやり、そのまま指先が唇をなぞる。下を向いていた河本は有紗を見つめる。目が合うとなんだか照れてしまう有紗は顔を肩口へと近付け、耳元にキスをした。

「……ホント、良い匂いだよ」

 それに何かを返そうとした河本の唇を有紗の指が制しする。

「いいの。君がイイコなのは分かるから」

 そういうと有紗は河本から離れる。

「よし、備品チェックしちゃお」

 電気のスイッチを入れ、倉庫内を点灯させた有紗が明るくそう言う。

「はい」

 河本も元気に返事をして、二人はいつものような二人に戻る。

 そもそもは、あの「ヲタクだけど可愛い私」を気取っている美咲の態度が癪に障ったのが原因ではあるが、河本とキスした事は悪いことではなかった、とそんな事を有紗は思いながらも得点表示板を見つけては、得点部分をめくってみたりをしたのであった。




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