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14年も前に別れた恋人が忘れられないなんて、俺は頭がおかしいのかと思った。
シンシアを忘れられないのは、恋ではなくて、ただの郷愁。
そう疑った日もあった。
けれど、今も胸に感じる痛みは、懐古にしては鮮烈で、郷愁にしてはまだ血生臭い。
恋しさを埋めるように、煙草の本数が増えていた。
「そりゃそうですよ!こっちはエースを"9月の切り株"チームに取られてるんですから!」
「ははは、お前、ドアビスがいるから良いとか言ってただろ」
「やっぱり駄目だったんです!ドアビスにはマルヤがいないと!ねぇ!ギルフリート先生!」
その一声で、俺はハッと前を見た。
職員室のシンプルなシャンデリアの下、同僚の先生達が俺を振り返っている。
「……っ、あー、そうだな……?」
「っも゛ぉー!ギルフリート先生ってば聞いてないぃ!」
腕を組んでふんふん怒っているのは一番新米のアディ先生。
大のフットサル好きで、よく職員室で試合について熱弁している。
「もうお前のフットサル議論に付き合ってられないんだろ」
そういって豪快に笑ったのは古株のウィルソン先生だ。
俺より15歳年上で、教員歴も長い。
すると、たまたまアディ先生の談義に巻き込まれたのであろう、スミス先生が首を傾げた。
高い位置で結んだ髪が揺れる。
「……でも、たしかにギルフリート先生、顔色がよくありませんね」
「えぇー!それは割といつものことじゃないですか?」
「確かに!ガハハハッ」
俺は椅子の背もたれに深くもたれながら息を吐いた。
「……大したことじゃないですよ。ちょっと寝不足で」
そう言うと、さっき会ったばかりの長身がアディ先生の後ろから顔を出した。
「へえ〜……別れたカノジョの事考えてたんですか?」
「っ!」
「「「メンテ先生……っ!」」」
しーっ!とメンテ先生に向かって人さし指を口に当てる三人。
そしてアディ先生がメンテ先生の腕を引っ張って耳打ちをした。
「ちょっと!生徒達に散々イジられたんだから、せめて僕らだけは優しく見守ってあげようってこの前話したじゃないですか……!」
「触れてやるな!メンテ!」
「そうですよ、直球すぎます!きっとまだ傷が癒えてないんですから」
「あーそうなんですけど……今日話してた保護者の方と、何やらただならぬ雰囲気でしたよー?」
その一言で、さっきまでメンテ先生に詰め寄っていた三人が、勢いよく俺を振り返る。
「えっ!?」
「保護者?!」
「ギルフリート、不倫はいかんぞ不倫は。しかも保護者と」
ドン引きの三人の後ろでメンテ先生がにやりと笑った。
(あぁ……面倒くさいことになった)
もう特大のため息を隠さない。
俺はやれやれと首を振った。
「はぁー。違いますよ、ウィルソン先生。彼女は保護者の代理で……そういう関係じゃありません」
「えぇー?そうなんですかー?でもお二人で西棟5階のトイレ前にいたから、てっきり……」
「っ、」
「「"マリー王女の鏡"ですね!」」
俺が息を詰めた瞬間、スミス先生とアディ先生の声が重なる。
年嵩のウィルソン先生は首を傾げた。
「何だぁ?それ」
「え!ウィルソン先生知らないんですか?西棟5階の女子トイレの中にある鏡ですよ。何年か前に……ほら、校長がサーマーン国のお土産で買ってきたやつ!なんでも男女で向かい合ってその鏡を見ると、鏡がそれぞれの星に導かれる二人を映し出すとかいう……!」
「生徒達の中で一時期大流行して、夜中にカップルで学校に入り込む事件が相次ぎましたよね」
「そうですそうです♪」
まさか……と俺の顔色を伺うアディ先生とスミス先生。
でも俺が何かを言う前にウィルソン先生が言った。
「なんだ。子供だましか」
「…………」
期待はずれと言いたげな声に、言葉が出てこない。
俺も、そう思っていたからだ。
ついさっきまで。
「もぉー!ウィルソン先生ってば夢ないなぁー!」
「あーくだらね。星が導くだの運命だの言う前に、そろそろ指導計画まとめるぞー」
ウィルソン先生の声で、同僚達が自分の机に帰っていく。
俺もくるりと椅子を回して、目の前のパソコンに向かい合った。
マウスに手をかざし、魔力認証をして、書きかけのページを開く。
でも指が動かなかった。
星に導かれる二人。
死んで星に還ってもまた出会う運命の相手。
今時、フリーペーパーの小説にだって出てこない。
けれど、あの鏡に映ったシンシアを見た時、雷に撃たれたように俺は理解した。
星に導かれる二人。
俺の星はシンシアに繋がっている。
そして――
『貴方が見えるもの』
シンシアの星も俺に。
だから忘れられないのだ。
きっと、死んでも。
(シンシアは受け入れてくれるだろうか……。)
息を吐きながら、机の下で足を組み替える。
まばたきをすれば、まだ目蓋の裏に去っていくシンシアの細い背中が見えるようだった。
何かを恐れるように走り去ったシンシア。
俺がその恐怖に触れれば、彼女を傷つけてしまうのだろうか。
(きっと、そうなんだろうな。)
パソコンの光る画面を見ながら、シンシアの春風のような声を思い出す。
夏の日差しに輝くクスノキの葉のような瞳も、妖精のように淡い亜麻色の髪も、怒った時の眉間に寄った皺も――その全てを見ていたかった。
(もし、シンシアがそう望んでくれるなら……)
もう放さないのにな。
唇がもの足りなくなって、俺は煙草に手を伸ばした。




