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「シンシア……?」


ぽかんと開いた口が、息を切らす私を見てすぐに引き結ばれる。


「どうした?」


その瞬間、私はただのシンシアになっていた。


「っ……手伝って!あの妖精、捕まえたいの!」


アクセスが私の指した方を見る。

もう階段を上りきってしまった、その小さな後ろ足を。


「っ……!」


アクセスが私から手を離して走り出す。

私もその後を追う。

けど流石、アクセスは速い。

ぐんぐん距離が開いていく。

私はあっという間に離れていくその背中に呼びかけた。


「待って!燃やさないで!」

「ああ……っ」


アクセスの家は代々火炎魔法を得意とする家系で、アクセスの得意魔法も、もちろん火炎魔法。

でも、今、奴の周りは火気厳禁だ。


(だって、万が一、王家からの手紙が焦げたりなんてしたら……!)


……処刑?投獄?それともクビ?

せっかく手に入れたこの穏やかな日常を、あんなネズミ妖精に壊されるなんて、冗談じゃない!


「はぁっ、はっ……!」


息を切らしながら、私は階段を駆け上がった。

すると駆け上がった先で、黒いローブを纏った背中が呆然と佇んでいる。


「はぁっ……っ、ど、うしたの……?」

「……いや、その妖精、ここに入って行ったんだけど……」


アクセスの視線の先――そこは灯りのついていない『女子トイレ』だった。


「はぁ……はぁ、ん゛んっ……なんだ、そんなこと……っ」


棒立ちのアクセスの横を通り、私は薄暗いトイレに向かって呼びかけた。


「もしもーし、誰かいますかー?」

「…………」


トイレの中からは返事どころか物音一つしない。

そもそも明かりもついてないし、今日は全学年が面談だから、西棟に残っている生徒なんていないだろう。

私は無言で掃除道具のある扉を開けると、中から立ち入り禁止のコーンを出して、トイレの前に置いた。

そしてアクセスを振り返る。


「さ、これで大丈夫。お願い!」

「いやいや!駄目だろ俺が入ったら!」

「だ、大丈夫よ……!誰もいないし!」

「いや、でも……」

「お願いお願いほんとに!」  


私は必死に両手を合わせた。

だってその手紙の行方次第では、自分のクビ(もしくは首)がかかっているかもしれないのだ。

必死にもなる。

私はちらりと指の先からアクセスを見上げた。


「……だって、ねぇ、私が入っていった所で、あの妖精を捕まえられると思う……?」

「うっ…………」


アクセスは短く唸って目をそらす。

私の魔法が的中しないことは、誰よりもアクセスが一番よく知っている。

昔、特訓に付き合ってくれたのは彼だったのだから。


「「……………………」」


目と目で通じる無言の応酬。

長いようで短いやりとりの後、折れたのはアクセスだった。


「…………はぁ。分かった。なら2人で入ろう。俺だけ入るのは流石に……」 

「ありがとう!うんっ、もちろんよ!二手に分かれて探しましょ?」

「あぁ」


女子トイレはそう広くない。

中央に向かい合わせの手洗い場が4つあり、壁際に個室が8つずつ並んでいるだけ。

中央の手洗い場を挟んで、私は手前の、アクセスは奥の通路を歩いていく。

けれど奥まで行っても、妖精の姿は見当たらない。


「いない……?」

「いや、そんなはずは……」

「……………あ!ねぇ、水栓の裏とか、お花の後ろはどう?」


ケージの中でも、あの妖精はやたらと狭い所が好きだった。

私はさっと手洗い場に近寄って、水栓の裏や鏡の前の花瓶の後ろを見ていく。


「……うーん、いないわ。……あれ?」

「何?」


手洗い場の鏡を見ていて、私はある違和感に気がついたのだ。

中央にある手洗い場の、4つめの鏡。

その鏡に、映るはずの私が映っていない。

私はそれを指さした。


「変ね、そこだけ鏡じゃない……」

「え?」

「ガラスよ。だってほら、貴方が見えるもの」


近寄って覗いてみると、4つ目の鏡に映っているのは、鏡の向こうにいるはずのアクセスだった。

鏡の中のアクセスも全く同じようにそれを見て目を丸くする。


「……変なの。ねぇ、そっちからは私が見える?」

「あぁ……見えるよ」

「なんだ。もう、ビックリしちゃったわ」


私は肩をすくめた。

……というか、今はそんな事をしている場合じゃない。


(どうしよう……。ここにいるのは確実だとしても、どうやって見つければいいの?片っ端から魔法を使ったんじゃあトイレ中も散らかっちゃうし……。姿が見えないと、アクセスだってどうにもできないわ。あぁ、エサくらい持ってきておけばよかった……!)


そう心の中で頭を抱えた時、ふとアクセスが低い声で呪文を唱えた。


来い(エカレイン)、ディアグリ」


ディアグリ。

その名前を呼ぶと、アクセスの足元に召喚陣が現れる。

その陣は外側から中心に向かって、光が流れ込むように発光していき、やがて目が眩むような光を放った。


「っ!」


次に目を開けた時、彼の傍らには黒い肌に赤い模様の虎が控えていた。

炎を司る、アクセスの使い魔だ。

その大きな身体と鋭い爪は、あの頃と比べるとますます立派になって、牙も長く美しくなっている。

思わず見惚れていると、ふいに、アクセスと同じ金の瞳が私の方を見た。

獣でありながら知性を感じる瞳。

懐かしさに息が詰まる。


「ディアグリ」

「グル?」

「このどこかにシンシアの使い魔が隠れているだろ。見つけて連れてきてくれ」 

「グルウゥ」


何だそんなこと。とでも言いたげにディアグリは頭を振ると、ゆっくりと床に鼻を近づけて唸り始めた。


「グ、グルルゥ……グルルゥ……グオゥ……グルルゥ……」


脅すような、低い、低い声が繰り返される。


(あ、これたぶん、人間なら……『出てこいやオラ。そこにおるのは分かっとんねん。そっちから出てこぉへんならウチから行くぞゴラァ』って感じだ……。)


と思った時だった。

急にふくらはぎに何かが飛びついてきた感触がして、私は飛び跳ねる。


「ひゃっ!い、ッ痛!ちょっと、つ、爪……ッ!」


恐怖の表情で爪を立てながらスカートをよじ登ってくるそれは、見慣れた毛玉……じゃなく、ハムスターの妖精だった。

妖精は私のジャケットのポケットに飛び込もうとして、上手く入れず、慌てて口にくわえていた封筒を落とし、中に滑り込む。

私は封筒を拾い上げた。

少し歯の跡がついているけど、破れたりはしていない。

無傷だ。

私は手紙をぎゅっと抱きしめて、ようやく胸をなで下ろした。


「っはぁ〜……」


よかった。

これで一件落着ね。


「グゥ?」


顔を上げると、ディアグリがすぐ近くまで来ていた。

その親しみのある金の瞳を見て、私はたくましい首筋に手を伸ばす。


「見つけてくれてありがとう、ディアグリ。久しぶり、っ、ぁははっ、覚えててくれたの?ゃ、ち、ちょっと、くすぐったいって」 

戻れ(エスペティート)

「ぁ……」


アクセスの一声で、私の手を舐めていた黒虎はひょいと身を翻す。

そして空中で光の粒になって消えてしまった。


「…………」


(なんだ……ちょっと残念。)


そう唇を尖らせると、視界の端で黒いローブが翻った。

アクセスがこちらを振り向く。

金の瞳が静かに私を見据えていた。


「……出ようか」

「……うっ…………………うん」


途端に私はもう、逃げ出したくなるほどの羞恥心に襲われた。


(緊急事態だったとはいえ、わ、私、何をして……?!)


タメ口で話した。

馴れ馴れしくお願いもした。

挙げ句、学生の頃からの彼の使い魔には、「久しぶり」、「覚えててくれたの?」なんて言ってしまった。

もう、こっちはガッツリ覚えている事がバレバレだ。


「「…………」」


明るい廊下に出ると、3歩先で革靴が止まった。

ますます逃げ場がなくなったようで、私は身体を小さくする。


(何て言おう……。)


もう今さら、ただの侍女らしくなんて振るまえない。

でも、ありのままの私として、アクセスの前に立つのは怖かった。


『どうして、旧姓のままなんだ』

『離婚したのか?君の夫は?』

『そんなに前に?シンシア、あの日何があったんだ』


彼が抱いて当然の疑問に、私は答えられない。

答えたくない。


『違うの。あの日、何もなかったの』


そう言った後に彼の目を見るのが、何より怖くて。


(もし、今そんな事を言ったら、アクセスはどう思うだろう……。)


事情があって離婚した昔の彼女が、嘘までついて言い寄ろうとしている。

そんな風に思われてもおかしくない。

だって、書類上は結婚していたのに"何もなかった"なんて、誰が信じるというの。


「……シンシア」


視界の端で、黒いローブの裾が揺れる。

記憶よりも低い、けれど懐かしい声で名前を呼ばれて、つい顔を上げてしまった。


不健康なほど白い、端正な顔立ち。

ペンで描いたような二重まぶたが開き、綺麗な金の瞳が私を見る。


「っ」


アクセスが何かを言おうとしたその時、知らない人の声が響いた。


「っあれー?ギルフリート先生、こんな所でどうされたんですか?」

「「っ!」」


私たちは弾かれたようにそちらを見る。

アクセスの後ろ、階段を上がってくるのは、長い髪を一つに結んで黒いローブを着た背の高い男性とお嬢様だ。


「……メンテ先生」


アクセスがその人を見て小さく呟いた。 

この隙を逃す機会はない。

あの目にまた囚われる前に、私はお嬢様に向かって駆け出す。


「っお嬢様……!」 

「シンシア……ハムちゃんは見つかった?」

「はい、お手紙も無事です。お待たせして申し訳ありませんでした。さ、急ぎましょう」 

「えっ、でも……!」

「遅くなっては奥さまが心配なされますよ。さあ!」 

「えぇ?!シンシア……!」


戸惑うお嬢様の手を引いて、私は強引に階段を下りる。 

懐かしい母校の階段をひとつひとつ、車輪のように駆け下りる。

逃げ切ったようなつもりでいた。

本当は、全ての歯車が回り始めていたというのに。







前話にいいねありがとうございます。

まだ書き出したばかりなのに、嬉しいです。

ここでお礼を言わせてください。


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