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そして面談当日、私は相談室の重厚な扉を正面に見据えた。
深呼吸を一度して、懐かしい母校のにおいを胸に吸い込み、吐き出す。
「……ふぅ」
それから目をつぶって自分に言い聞かせた。
(いい、シンシア。
私はもう大人よ。
全ては昔のこと。
私は使用人で、彼はお嬢様の担任教師。
それ以上でもそれ以下でもない。
はい、終了!)
パンッと、気合を入れるように自分の頬を叩く。
「――よしっ」
作り込みは十分だ。
するとお嬢様が隣で、あわあわと両手を動かした。
「シ、シンシア……そんなに心配しないで!大丈夫よ、わたくし、そんなに素行の悪い事はしていないから!」
「あぁいえ、違うんですお嬢様。これは、その……ル、ルーティーンと言いますか……」
私がそう眉を下げた時、「レドメインさん?」という声が中から聞こえた。
「っ……!」
(アクセスだ。)
「待たせてごめんね、入っていいよ」
「はい、先生」
アクセスだ。
アクセスの声だ。
ビロードみたいな肌ざわりの声なのに、一瞬で体に緊張が走る。
「ローザ・レドメインです。失礼いたします」
お嬢様の白い手がドアノブを握った。
ドアノブが回り、ラッチの動く音がする。
そして開いたドアの向こう、唐草模様の壁を背に、その人が立っていた。
アクセス・フォン・ギルフリートが。
「っ……!」
ベスト越しでも分かる鍛えられた肩がピタリと動きを止め、その金の瞳が大きく見開かれる。
私はその目を避けるように膝を曲げて礼をした。
「失礼いたします、ギルフリート先生。当家の奥さまは体調が芳しくなく、本日は侍女長の私が代理を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「……………………………………………………………………………」
(…………………えっ、無言?)
あまりにも長い沈黙に、私はそろりと顔を上げる。
すると、なんと彼は羊皮紙を握ったまま固まっていた。
まるで彫像のように。
長いまつげさえ、微動だにしない。
「………………………せ、先生?」
お嬢様の一声で、アクセスはハッと我に返って机に羊皮紙の束を置いた。
そして戸惑いながら、大人の男性らしく少しだけ首を傾ける。
「……あっ、いや、失礼。申し訳ない。その……えっ……と、ミ、ミセス…………?」
「ミス・ブラットですわ、先生」
「え…………?」
未婚の女性を勝手に既婚者扱いするなんて失礼な、という憤怒を含んだお嬢様の口調にも気づかず、アクセスはますます目を見開いた。
もう言葉もない、という風に。
「「…………………」」
いつも病人のような白い頬からはますます血の気が引いて、 ネクタイの上の尖った喉仏が上下する。
その目が『どういう事だ』と問いただしているようで、私は嬉しい反面、居たたまれなさを感じていた。
「っ、」
思わず金色の瞳から逃げるように目をそらす。
アクセスに、あの日あった事を知られたくなかった。
(男の人と一晩同じ納屋に入れられて、何もなかったなんて……誰も信じてくれなかったもの)
もし、アクセスも信じてくれなかったら……。
いや、それ以上に、一度他人の手垢がついた女だと軽蔑されてしまったら……。
(きっと、私立ち直れないわ)
アクセスに愛された、あの頃の美しい思い出を汚したくない。
私は拳をぎゅっと握りしめた。
手のひらに爪が食い込む。
でも痛みなんて感じなかった。
私は静かに息を吐いて、にっこりと微笑んだ。
何の感情も乗せずに、ただの侍女らしく。
「…………それでは、お嬢様の学校での様子をお聞きしてもよろしいでしょうか?先生」
(私は、臆病者だ。)
幸運の女神は前髪しか生えていないのだと描いたのは誰だったか。
きっと、その通りなのだろうと私も思う。
幸運はいつも、臆病者の目の前を嘲笑うようにして去っていく。
でも、幸運の女神が騒がしく飛び去った後、その土ぼこりの止んだ後にある諦観と安定。
それらにしか慰められないものもある。
正気に戻ったアクセスと、面談はつつがなく終了した。
相談室を出て、お嬢様の半歩後ろを歩きながら、私は小さく息を吐く。
「……はぁ」
正直、もう緊張で何を話したかあまり覚えてない。
けれど、お嬢様は真面目に授業を受けている優秀な生徒だと言ってくれた事だけは覚えている。
(良かった。それさえ分かれば十分、奥さまに報告できるわ……。)
そうホッと胸をなでおろした時、ふと、窓の外で騎士の一団がずらっと並んでいる事に気がついた。
みんな真っ白な制服に帯剣をして、正門を背に、誰かを待ち構えているように見える。
「……お嬢様、あれはどうしたのでしょうか……?」
「えっ?あぁ、王子様の護衛よ。毎日、登下校の時はあの状態なの」
「まぁ、そうなのですね」
私は少し目を丸くした。
自分の代に王族の在籍者はいなかったから。
まあ、でもそうか。
王子様の登下校なら、あれくらい護衛がつくものだろう。
今この国は平和だけど、政争や宗教絡みの不穏な争いというのは、いつだって尽きないものだ。
(ご苦労さまです……。)
私はそのピンと伸びた背中にそっと目を伏せる。
すると同じく窓の外を眺めていたお嬢様が、くるりと向きを変えた。
「……あの警戒態勢の中じゃあ帰り辛いわね。シンシア、少し時間を潰しましょうか」
「はい、お嬢様」
お嬢様の手に握られた鞄が揺れる。
四角いシンプルな黒い鞄。
その上蓋とマチの隙間から、一瞬、見えるはずのない茶色頭が見えた気がして、私はピタリと足を止めた。
「……っ、お嬢様」
「なぁに?シンシア」
「すみません。今、一瞬、その鞄から……あの妖精の頭が見えたような気がして……」
「えっ?ハムちゃんが?」
お嬢様がキョトンとして、鞄の金具に手をかける。
(まさか……)
と、二人で鞄の中を覗き込んだ瞬間、テキストと仕切りの間から顔を覗かせているそいつと目があった。
「きゃっ!ハムちゃん?!」
「嘘っ!?」
(どうしてこんな所に……?!)
いや、そんな事よりも、まずはこいつを逃さないことが先だ。
私は慌てて鞄の蓋をしめようと手を伸ばす。
しかし、それよりも妖精のほうが速かった。
奴はササッと内壁をよじ登ると、白い紙のような物をくわえたまま、お嬢様の鞄から飛び出してしまったのだ。
「あっ、ダメ!」
「待ちなさい!」
伸ばした私の指先を足場に、華麗なジャンプを決めるネズミ……もとい妖精。
憎らしいそいつはまっすぐに廊下を逃げていく。
「お嬢様はここに!捕まえてきます!」
すぐに走り出した私の背中を、お嬢様の声が押す。
「っ、シンシア!絶対捕まえて!ハムちゃんが持ってるの、王子様から貰った手紙だわ!」
「っつ!」
転けそうになって、思わず振り向いた。
「えっ……?」
お、王子様からの手紙……?
そんな物をなんでお嬢様が……。
足を止めたその一瞬、お嬢様が大きな声を出す。
「はやく!」
「っ……!」
弾かれたように、私は走り出した。
王子様からの手紙。
それはつまり王家からの手紙だ。
そんな重要な物を無くしたなんて、お嬢様の、ひいてはレドメイン家の評判に関わる。
(絶対捕まえなきゃ……!)
けれど、妖精はすばしこい。
羽も使えず、口には自分の二倍はある大きさの手紙をくわえているのに、見失わないようにするので精一杯だ。
妖精が廊下の突き当りを曲がる。
まずい。
この先は階段で、3階には東棟に繋がる廊下がある。
そこまで逃げられたらもう最悪だ。
(あぁ、もう!こんな時、魔法でチャチャッと捕まえられたらいいのに!)
風魔法も水魔法も、一番得意な盾を出す魔法さえ、この距離では当たる気がしない。
舌打ちをしたい気分で、私は突き当りの角を曲がった。
「「っ!」」
するとちょうど、角のところで誰かとぶつかりそうになって、誰かに腕を支えられる。
「っ!すみませ……」
鼻をくすぐる煙草のにおい。
腕を握る力強い手。
「シンシア……?!」
ハッと上を向くと、そこにアクセスがいた。




