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「ん、」


ぼんやりとした明かりに私は眉を寄せる。

暗がりを恋しがるように額を何かに擦り付ければ、その何かがぴくりと動いた。 


「……起きた?」


人の体温。

シャツの感触。

煙草のにおい。


私は目をパチっと開くと、勢いよく顔を上げた。

薄暗い部屋を背景に、アクセスの金の瞳と目が合う。


「体、平気?」


アクセスは目尻を下げて、腕の中の私を覗き込んだ。

私は何度も瞬きを繰り返す。


「……いま、なん、じ?」

「えっ?あー……9時だね」


くじ。

21時。

……レドメイン邸の閉門時間は22時だ。

私はブランケットを跳ね飛ばして起き上がった。


「…………かっ……帰らなきゃ!……っつ!」

「どこに?」


後ろから伸びてきた腕がお腹に絡みつく。

その力強さに内心びっくりしながら、私はその腕をペシペシと叩いた。


「お、お屋敷に!」

「仕事?」

「うんっ!…………あっ。違っ、た、たまたま明日も休みなんだけど……っ!」


口早に話しながら、なんだか変な汗が止まらない。

いつもより低いアクセスの声も、生温かいシーツも、全部がそう……直視できなくて。

何とかお腹に回された腕をこじ開け、少しの隙間を作る。


(やった……!) 


と思った瞬間、また体を引き戻された。


「じゃあ。帰さない」


背中に当たる息。

顔が燃えそうなほど熱い。

私は両手で顔を覆った。


「っ……で、でも、泊まるって言ってきてないし。帰らないと、みんなが心配する……から、」


アクセスの腕が私の胸に回される。

そして柔らかい唇が私の耳朶を食んだ。


「――それ、無断じゃなかったらいいの?」




「……はい、そうなんです。雨に濡れてしまって、今晩はこのまま、し、知り合いのところに……っ」


アクセスの携帯を借りてお屋敷に電話をしていると、後ろからアクセスが顔を寄せる。

黒髪が私の耳をくすぐった。


「っ、……はい、明日帰りますから。では失礼します」


ピッと通話ボタンを押して、真っ黒になった端末をアクセスに渡すと、アクセスはそれを受け取ってすぐ、雑にシーツの上に投げる。


「……俺は知り合い?」


アクセスの腕が胸の前で交差する。


「だって……」


私は顔をそらした。

だって、今朝バツイチとか言われていたのに、今度は朝帰りなんて知られたら……もう、裏で何を言われるか分かったものではない。

ただそれだけの事なのに、唇を引き結ぶ私を見て、アクセスは少し声を落とした。


「誰かに知られるとまずい?前の旦那さんかな」

「っ、ち、ちが……っ!」


振り返って、私は息を呑んだ。

私を見つめるアクセスの瞳が悲しげに揺れていたから。


(今、私……彼を傷つけた……?)


「ぁ、アクセス……」


違うの。と、心が叫ぶ。


『前の夫とは顔もろくに見ないまま、気づいたら離婚が成立してて。だからもうその人は全然関係なくて……』


彼に言おうとした言葉が、喉の奥で止まる。

何かが頭の中で問いかけてくるのだ。


(いいの?)


本当に、言ってしまっていいの?と。


「っ……」


口をつぐんだ私の手に、アクセスの手が重ねられる。

ぶ厚くて大きな手。

意外と几帳面で、深爪がちな指先が、一本、私の指の間に潜り込んだ。

そのまま一つ一つ、指が互い違いになるように組み合わされていく。


「……」


無言のまま。

でも、何があっても離さないと言うように。

私は、きつく目をつぶった。


「っ〜〜〜、てっ、手を……出されなかったの……っ!」


え、というアクセスの声が聞こえた気がした。

けれどもう構ってなんかいられない。

零した水が流れるように私は続けた。


「あの日、男の人と納屋に閉じ込められたけど、何もなかったの……!それどころか泣いてる私に服を貸してくれて……。でも次の日には私は家を飛び出したから、その人とはもうずっと、ずーっと、会ってなくて。だいぶ前に、新聞で女性と子どもと写ってる写真を見たけど、今どこで何してるのかも、そもそも名前すら知らない。さっきアクセスの事を誤魔化したのは、同僚に冷やかされたくなかっただけで……」

「……シンシア」

「しっ、信じてくれなくてもいいの。か、家族も、

信じてくれなかったし。メリルも、たぶん信じてない。本当に、ただそれだけ言いた……っ!」


強く、強く、肩を抱き寄せられて、息が止まるかと思った。


「信じるよ」


アクセスの低い声が胸を打つ。


「っ……!」


たった一言。

その一言で、凍えた胸の内から温かい感情が溢れていく。

ほろり、ほろりと皮が剥がれていくように、熱い涙が止まらない。


「ごめん」

「っ、っ……」

「そんな事になってたなら、あの時、無理にでも攫いに行くんだった」

「ひっく……っ、」

「ごめん」


アクセスの指が何度も何度も髪を撫でた。

優しく、壊れ物に触れるように。

つららが朝日に溶けていくように、心に刺さった棘が消えていく。

とうとう溢れた涙が彼のシャツに大きな池をつくった頃、アクセスはそっと口を開いた。


「……あの時」

「っ……?」

「……シンシアが学校を辞めさせられたって知った時には、もう、何もかもが遅かった。でも、俺は到底納得できなくて。手紙を書いたり、君の地方の知り合いに掛け合ったり……その時、誰だったかな、俺の行動は君の立場を悪くすると言われたよ。君の幸せを思うなら、身を引けって」


身を切られるような声だった。

そのあまりの痛々しさに、私は彼の背中を撫でる。


「当然の指摘だと思った。新妻に同い年の侯爵家の男から手紙が頻繁に届いていたら、良く思う夫なんていない。しかも家同士が納得している結婚で、離婚だってまず出来ない。そうでなくとも、幸運にも妻になった君を手放す男なんていないだろう。……なら、俺ができる事はもう、ただ遠くで君の幸せを祈ることだ」

「っ……」


知らなかった。

アクセスも、そんな風に思ってくれていたなんて。

大きな手が私の頭を抱き寄せる。


「ごめん、シンシア。一人にして、ごめん……」


彼らしくない泣きそうな声。

私は濡れた頬を彼の首筋に擦り寄せた。


「ううん。ひとりじゃなかったよ……私、いつも、あなたを、思い出してたから……っ」


何もかもが辛くなった時、意味も分からないほど悲しい時、思い出すのはいつも、貴方のこと。

貴方に愛された日々のこと。

アクセスと過ごした思い出は、いつも私を支えてくれていた。


「もう離さない」


溶けて一つになってしまいそうなくらい、強く抱きしめられる。

強く、強く。

途絶えさせられた14年の月日を埋めるように、私達はずっと抱き合っていた。




「結婚しよう」


どれだけそうしていただろう。

ぽつりと、しかしはっきりと、告げられた言葉に、私は目を見開く。


「え……っ?」


アクセスは体を離すと、私の目を見ながらもう一度繰り返した。


「結婚しよう」

「っ、きゅ……急に?」

「うん。シンシアの気持ちが同じなら、すぐにでも」

「それは、もちろん同じだけど……そんなに、焦らなくても……」


しかしアクセスは短く頭を振る。


「気が気じゃないんだ。またいつ君の実家や、メンテみたいな奴が現れるか分からない。俺はもう、あんな思いはこりごりだから。シンシアは……嫌?」

「ううん!嬉しいよ、嬉しいのよ。でも、私、もう30歳だし、色々変わった所もあるから……そういうところを見てもまだ好きでいてくれるのかなって」


不安は尽きない。

だって14年ぶりの再会なのだ。

会ってすぐ結婚しようだなんて、嬉しいけど、本当は舞い上がりそうなほど嬉しいけど……まだ頭が追いつかない。


ぐるぐると回る考えを纏めるように、アクセスの胸に頭を預ける。

すると、彼は私のつむじにキスをした。


「俺は……どうせ好きだよ」


囁くような声。

考えるよりも先に、胸がきゅんとする。


「っ!……アクセス、」

「そりゃあ、俺だって、大人になったシンシアを全部知ってる訳じゃない。俺も、君も、あの頃とは違う。でも、全くの別人になった訳でもない、そうだろ?」


口角の上がった薄い唇。

悪ガキみたいな、少し意地悪そうな微笑みが、少しだけ、あの頃と重なる。


(でも、今のほうがもっと素敵だわ。)


「っ!」


そう思ってしまったから、きっと私は彼の思うつぼ。

さっと赤くなる頬に気づかれないよう顔を背ける。

すると、アクセスは見透かしたように喉の奥で笑った。


「くくっ。ほら、シンシアは恥ずかしくなると、すぐあっち向く」

「っ!そ、そんなのじゃないわ!」

「ははっ、意地になってる?」

「なってない!」


私は、アクセスの胸に押し付けていた顔を勢いよく上げた。

すると大きな手が私の顔を固定し、待ち構えていたように優しく唇が重なる。


「もう諦めて。俺にしなよ」


黒豹みたいな目だった。

出会った時からずっと、大好きな目。

それは、今も変わらない。


この14年で、アクセスは、私は、どこが変わったんだろう。

どこが変わっていなくて、これから、どんな風に変わっていくんだろう。

それを知る事ができるのが、幸せというものなのだろうか。

もし、そうなのだとしたら――。


「………うん」


アクセスの腕の中で、私は、小さく頷いた。




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