24
夢を見ていた。
懐かしい夢を。
「……こっちのマルセン銀貨4枚とベアーズ銅貨5枚を仕送りで……」
赤い箒寮、女子部屋。
ランプを机に置いて、私はひたすらお金を数えていた。
丸い銀貨を2枚、進級の雑費用で。
銅貨1枚は仕送りの郵送費用に。
すると、残った銅貨9枚が今月の自由に使えるお金になる。
(よし、これならメリルとお買い物に行って、カフェも行けるわ)
無事仕分けられた硬貨の山を見て、私はうーんと伸びをした。
窓の外は、まだ雪が降っている。
薄闇の中に浮かぶ雪は確かに美しいけれど、こうも雪が降り続くと流石に見飽きるというものだ。
(夕方なのにもう夜みたい。空はいつも暗いし……なんだかカーペットの下にいるダニの気分だわ。)
私は憂鬱に引っ張られそうな気持ちを変えるため、机の引き出しから封筒を取り出した。
仕送りのお金は数えた。
後は、同封するプレゼント選びだ。
「うーん。何にしようかなぁ……」
私は腕を組んで首をひねる。
遠い遠い故郷にいる弟妹達。
少しでもその慰めになるように、郵便料金ギリギリに収まるプレゼントを選ぶのが、私の楽しみだった。
(カードはもう何回も送ったし……。前は綺麗なリボンで、その前は珍しい花の押し花よね……。うぅーん……薄くて軽い、何かみんなが喜んでくれそうなもの…………あ、そうだ)
恋人がいるの。
なんて、書いてみようか。
ふと、そんな邪な考えが頭をよぎる。
「……ふふっ」
もしそんな事を書いて送ったら、ウチは上を下への大騒ぎだろう。
『あのシンシアが……?!』
そう言ってお母様は下手したら腰を抜かすし、お父様はもう一度倒れてしまうかもしれない。
でも、きっとみんな受け入れて喜んでくれるだろう。
アクセスは素敵な人だから。
「雪が解けたら……」
吸い寄せられるように、私は窓の外を見つめた。
ゴシック様式の校舎の屋根に積もる青白い雪。
ライヒンデルツの雪が解けても、きっとまだ故郷は雪だろう。
道の脇に避けられた雪山を見ながら、雪解け水に濡れた道を2人で歩きたい。
日差しは暖かいけど、風はまだ冷たくて。
靴を濡らしながら「ただいま」と玄関をくぐったら、皆が笑顔で迎えてくれて。
そしてあの狭いけど暖かいダイニングルームで、とっておきの鹿肉を出して乾杯するんだ。
あぁ。懐かしい。
あぁ。
「……会いたいなぁ」
そう呟いた時、後ろでメリルの声がした。
「もう?」
「っ……!」
弾かれたように振り返る。
すると、メリルが扉を開けて、眉をぴくぴくさせていた。
その顔には『えっ、本気?』と書いてある。
「……ギ、ギルフリートならまだ談話室にいると思うけど……」
「ち、違うよー!アクセスじゃなくて……!」
「ああ、なんだぁ。ま、流石にさっきの今でそんなこと言ってたら重症よね」
そう言いながら、メリルは茶色い封筒を差し出してくれた。
「はい、これ。さっき談話室に投げこまれたわよ」
「えっ?何だろう……」
立ち上がってそれを見ると、それは速達だった。
故郷の母からの。
(お母様から速達……?料金が2倍かかるのに……?)
どくんと嫌な予感に胸が跳ねた。
私はその場で封を破る。
真っ白い紙には、母の文字が駆け足するかのように書かれていた。
『父、危篤。急ぎ帰られたし』
「っ〜!」
私は足元がすくわれたような衝撃によろめきながら、繰り返される自分の呼吸音を確かに聞いていた。
ペガサスなら間に合うかもしれない。
有り金を全部詰め込んだ鞄を握りしめて、私は女子寮の屋上で馬車を待っていた。
凍える寒さも気にならない。
降りしきる雪の中、首を伸ばしてペガサスの引く馬車を待つ私を誰かが呼んだ。
「――シンシアッ……!」
「ァ、アクセス……?!」
振り返ると同時に抱きしめられる。
私は目をみはった。
「あ、アクセス、どうやって、ここに」
「リアンガーデンが連れてきてくれた。……御父上がご危篤だそうだな」
「っ……!」
私は、目頭が熱くなるのを感じた。
アクセスを見ると、不安で押しつぶされそうな心が溢れてしまう。
「…ぅ、ん……」
「大丈夫だ」
「っ……」
「きっと、大丈夫だ」
頬を流れる熱い涙をアクセスが手で拭ってくれる。
でも、ほろほろ、ほろほろと涙は止まらなくて。
「……氷みたいだ」
アクセスは私の頬を撫でながらそう言うと、自分のローブを脱いで私にかけてくれた。
こんなに寒いのに。
流石に悪いと首を振った時、甲高い馬の鳴き声があたりに響く。
「来たのか」
アクセスが上を向いた。
雪よりも早く、まるで吹き付ける風のように屋上に降り立ったのは、ペガサスの馬車。
それがぴたりと私の前に止まると、ひとりでに扉が開き、中から帽子を被った使い魔が恭しく出てきた。
「ぃ、行かなきゃ」
ローブを返そうとした私の手を、アクセスが止めた。
「これは着ていって。空は寒いから」
「で、でも、」
「いいから。それと、もし何か困ったことがあったら、俺の名前を出して。必ず力になるから」
「ありが、と、う」
私は一歩近寄ると、震えて、うまく動かない唇でキスをした。
外は凍えそうなほど寒くて、もう唇の温もりも分からない。
でも急がなきゃ。
私は愛しい腕から抜け出して、馬車に乗り込む。
そして使い魔に銀貨の入った袋を握らせた。
「ブラッド領、領主の、館、へ」
「畏まりました」
滑らかに動き出す馬車はあっという間にライヒンデルツから遠ざかり、王都の上空へ。
雪のように去っていく灯りを見下ろしながら、私はすがるようにアクセスのローブを握りしめた。
馬車は一昼夜、空を駆け抜けた。
そしてついに寒々しい故郷の雪を踏んだ時、夕暮れのせいか、母の顔はいつになく青白く見えた。
「……シンシア。我が家の危機なの」
「っそんなに、そんなに悪いの……お父様は!?」
玄関先で詰め寄る私の肩をお母様が掴む。
皺の寄った指が、肩に食い込んだ。
「……ついて来てちょうだい」
お母様はそう言うとくるりと向きを変えた。
私は足早にコートを纏ったその背中を追いかける。
家の前をぐるりと回って裏口につくと、ヒイラギの木の下にうちの馬車が止まっていた。
馬の隣で佇んでいるのは、私が赤ちゃんの頃から御者をしてくれている爺やだ。
爺やを見つけ、パッと片手を上げると,爺やはなぜか、ひれ伏すように頭を下げた。
私は思わず駆け寄って、その背中に手を添える。
「えっ!どうしたの爺や?シンシアよ。帰ってきたの」
「…………ぇ、やす……」
「えっ?」
吹き付ける風のせいか、爺やの言葉がうまく聞き取れない。
腰をかがめた私の背中にお母様の声が飛んだ。
「シンシア!早く乗って!」
「っ、はぁい……っ!」
後ろ髪を引かれながらも、私は馬車に乗り込む。
すると、ゴトゴトと音を立てて雪を踏みしめながら進み始める。
亀のような進み方だ。
(こうしている間にも、お父様は……っ)
私は膝の上で両手を握りしめた。
「……お母様、それでお父様の容態は……?ペジェグリーノ先生の所に入院しなきゃいけないほど悪いの?」
丘を下ってすぐの所にある病院の名前を出すと、途端にお母様の顔色が悪くなった。
まさか、最悪の事態がすぐそこまで迫っているのだろうか。
(うちに皆の気配がなかったのも、もしかして……。)
「っ、お母様!」
「……………………………違うの」
長い、長い、沈黙。
その後に付け加えられた言葉を、はじめは理解できなかった。
「……え?」
「ごめんね、シンシア。でも、我が家の危機なの。新しい事業の成功には、絶対に彼が必要で、でも、彼を繋ぎ止められる物なんて、うちには何もないでしょ?ね、分かってくれるわね?」
「えっ……?お、お母様?いったい、さっきから何を……」
押し潰されそうな不安が、得体のしれない恐怖へと変わっていく。
ギシ、と壁がきしんだ時、初めてお母様と目が合った。
「シンシア。今から会う人が、あなたの夫です」
は。とも、え。ともつかない音が肺から出た。
色んな考えが、物すごいスピードで頭の中を駆け巡り……残ったのは、狂いそうなほどの拒絶。
「いやっ!!!」
「シンシア!!」
立ち上がろうとした私の腕をお母様が掴む。
私は髪を左右に振り乱した。
「どうしてっ、お母様!なんでそんな事を言うの……っ?!」
「必要なのよっ!あの人の研究が!新しい事業のためにっ!」
その金切り声に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「……あたらしい、じぎょう、の、ため……?」
(この人は……さっきから……何を言ってるの……?)
「っ、そうよシンシア……!分かってくれるわね……?」
私はお母様の手を振り払う。
みすぼらしい馬車の壁に手がぶつかっても、痛くも痒くもない。
私はお母様を睨みつけ、椅子の背もたれを叩いた。
「まだ懲りないのッ?!お父様が新事業で失敗した時に、もう夢を見るのはやめよう、今まで通りコツコツ働いて、孫の代で借金を返していこうって話したじゃない!!」
「そうだけどッ……でも、チャンスなの!この事業が成功すれば、絶対にお金になる!必ず借金も返せるはずなのよ……っ!」
「ふざけないでっ!」
私は叫ぶ。
喉が、心が、切り裂かれたように痛かった。
最愛の――時には相棒のように思っていた母の、裏切り。
授業中眠くても、他の人みたいに恋人と出かける事ができなくても、頑張れたのは、故郷で母も頑張っていると思っていたからだ。
それが、まさか、こんな事になるなんて……っ!!
(アクセス。ぁあ、アクセス……ッ!)
私は怒りで震えながら、重ねたローブの胸元を握りしめる。
言いたいことは山ほどあるのに、目の奥が熱くなるばかりで、何ひとつ言葉にならない。
ふぅ、ふぅ、と自分の荒い息がやけに大きく聞こえた。
目の前のお母様が、よく知るお母様が、いたずら妖精の作り出した幻像のように見える。
「ぃやよ……どうかしてる……」
すると、突然その幻像の手が動いた。
機織り仕事で傷だらけの指が、私の胸元へ。
ブチブチッ
「我儘言わないで!もう決まってるのよっ!!」
引きちぎられたローブのボタン。
悲鳴を上げる私にお母様の手が迫る。
「いやっ、やめて!やめてよ!私、恋人が……ッ!!」
けれども、ここは馬車の中。
逃げ場なんてない。
ローブを引きはがされ、制服を破られ、下着同然の格好になった私を、お母様は山小屋の一つに押し込めた。
目の前で閉められた扉を叩いても、小娘の力ではびくともしない。
「お母様っ!!お母様ッ!!」
ふいに、扉の前で叫び続ける私の後ろで、物音がした。
振り返ると、そこにいたのは、ボサボサの赤毛の男性。
「っいゃああああああぁあ!!」
つんざくような悲鳴が出た。
体を覆ってうずくまる私を、白衣を着たその人は目を丸くして見ていて。
しばらくして、ハッとしたように我に返ると、慌てて着ていた白衣を脱ぎはじめた。
かと思えば、木の床を踏む音が近づいてくる。
私は震えながら、扉にピッタリと体をくっつけた。
「ッ……触らないで!!」
「……うん。ごめん……あの、ここに置いときますから」
「ッ……!」
その人は熊のようにモソモソと口を動かすと、ゆっくり体を丸めて、畳んだ白衣を足元に置いた。
そして私に背を向けたまま、部屋の隅に腰かける。
「……着てください。でないと、凍死しますよ」
それだけ言って、その人は黙り込んだ。
一晩中、ずっと。
ずっと緊張して、理由も分からない涙が止まらなくて。
カーテンもない窓から朝日が射し込むころ、私は頭がガンガンして倒れそうだった。
すると、トントンと扉がノックされる。
「……」
開けたのは、御者の爺やだった。
爺やは垂れた目で、白衣を羽織っただけの私を見ると、固い雪の上にひれ伏した。
「……ぉめでとうございやす、若奥様」
その瞬間、私は自分の中の何かが、音を立てて崩れていくのを感じた。




