21
一歩近づくごとに、心臓の鼓動が大きくなっている気がする。
(いざその時が来たら、心臓が口から飛び出て死ぬんじゃないかしら……。)
せめて扉の前で死ぬのは止めたい。
私はぎゅっと唇を引き結び、先導してくれる近衛の方の背中を見つめた。
青と白の鮮やかな制服。
左手には黄金色の槍を持ち、歩くたびに兜の尾についた房が揺れている。
死神にしてはずいぶん英雄的な装い。
だが、やっている事は死神と同じだ。
『侍従長長官がお呼びです』
なんて私を呼びに来たのだから。
王城の侍従長長官とは、王族の細かいスケジュールを把握し、王城に勤める全侍女や執事を束ねるえらーい方。
そんな方が私を呼び出す用事なんて……もちろん、一つしかない。
(流石にっ……初めての王子様の招待に遅れるなんてあり得ないもんね……!!)
ははははは。
もう乾いた笑いしか出てこない。
いや、もしここで言い訳をさせてもらえるなら、どうか聞いてほしい。
仕方がなかったのだ。
あれは高位貴族の町家敷が立ち並ぶ区画を過ぎたあたり。
道の少し細くなっているところで、私達の前を走っていた馬車がすれ違いざまに自動車とぶつかってしまったのだ。
突如響いた、馬達の嘶き。
木と車輪のひしゃげる音。
流石に目の前でそんな事故が起きて放ってはおけなかったし、乗客の無事が確認できたところで、後続の馬車や自動車がずらりと並んだ狭い道ではUターンするのもひと苦労で……。
(結局1時間くらい遅れちゃったのよね……。連絡しようにも、連絡先も分からないし……。一か八か、通りすがりの方に門兵まで伝言を頼んだけれど、やっぱり伝わってなかったのかしら)
手持ちのお金をそんなに持ってきていなかったのも痛かった。
喉がひりつくような焦燥感にとらわれながら、肖像画の並ぶ廊下を過ぎ、黄金の獅子像を右に曲がって、庭園の見える廊下をまた右へ……。
そうこうして歩いていると、飾り気のないケヤキの扉の前で、近衛の方が足を止めた。
「ヒューイット長官、レドメイン家の女官をお連れいたしました」
「どうぞ。入ってもらってください」
扉の向こうから聞こえたのは、好々爺のようなしわがれ声。
近衛の方が「どうぞ」と扉を開く。
その瞬間、私は覚悟を決めた。
「失礼いたします。……レドメイン家侍女長、シンシア・ブラットと申します。今夜の件、全て私の責任にございます。この度は大変申し訳ございませんでした」
深く深く、頭を下げる。
もう言い訳はしない。
例え不慮の事故であろうと、主人の予定を狂わせてしまったのは私の失態だから。
すると、侍従長長官はやや間があってから、口を開いた。
「……報告は聞いています。謝ることなど何もございませんよ、ブラット侍女長。顔を上げてください」
恐る恐る顔を上げると、そこには正しく好々爺めいたお爺さんがいた。
禿頭に白い髭を伸ばし、皺ひとつない執事服を着たその人は、私の目を見てゆっくりと微笑んだ。
「私はバリー殿下の侍従長をしております、ウィルソン・ヒューイットと申します。さ、どうぞおかけ下さいな」
えっ。いいのだろうか。
私は目を瞬かせた。
こちとら鞭打ちの一つや二つ、受け入れるつもりでいたのだ。
その優しい態度に頭が追いつかない。
私は戸惑いながら柔らかいソファにそっと座った。
「……失礼いたします」
「ほほ。そんなに緊張なさらずとも。遅れたことを咎めようなどとは、夢にも思っておりません。レディが初めての招待に遅れてくることは、紳士の誉れなどと言われますし」
お気になさいますな。
そんな風に言われると、ますます困ってしまう。
私は落ち着きのなさを感じながら、背筋を伸ばした。
「では……いったい、私のような者に何のご用事で?」
「……ほほ。実は、これをお渡ししておこうかと思いまして」
そう言って、ヒューイット長官が机に出したもの。
それはカードのような大きさの紙だった。
触れてもいいか、目線で確認しながら、表を返す。
するとそこには、見たことのない陣が描かれていた。
円と、中央に描かれた雪の結晶のような精緻な絵。
けれどよく見ると、その絵を描く線の一つ一つが小さい文字になっている。
神業だ。
人の手で描ける物には思えない。
私は指先が震えるのを感じながら尋ねた。
「……これは?」
「転移陣です」
「っ?!」
思わず息を呑んだ。
転移魔法は、火・風・水・土の四系統を全て修めた高位魔法使いしか使えない魔法だ。
呪文を通した四大精霊との交歓。
才能と感覚が物を言うハイレベルな事象を、陣に落とし込んだということは……。
「我が魔法研究所の所長が作り上げた試作品ですが……こちらの陣に手を当てて、移動せよと唱えれば、どなたでも、どこからでも、先程の広間へと瞬間移動できる代物です」
ものすごい発明だ。
それも、魔法史に名前が残るレベルの。
ますます、カードを持つ指が震える。
「っ……そ、んなものを、どうして私に?」
すると、ヒューイット長官は声を落として続けた。
皺の寄った目蓋から、真剣な目が覗く。
「……殿下は敵が多い。幼い頃、名目上にすぎない婚約者殿の命に、金貨5枚の値がつけられたことがあるのです」
「っ……!」
私は静かに目を見開いた。
今まで、ろくに浮いた話を聞いたことのない殿下。
そんな殿下から初めて招待を受けたお嬢様。
正直、まだお嬢様のお気持ちは分からないけれど、周りはお嬢様のお気持ちなど知ったことではないのだろう。
(王子殿下がお嬢様に気がある……。)
それだけで、お嬢様の身を心配される事態なのだ。
「っ!」
私はそこで、さっき見た事故の光景を思い出した。
倒れた馬と、潰れた馬車。
それも、私達の直前を走る……。
(もしかして、あの事故も……?!)
偶然ではなかったのかもしれない。
そう思うと、背筋に氷を落とされたような心地がした。
目を見開く私に、ヒューイット長官は真剣な顔で念を押す。
「受け取っていただけますね?」
「……はい。有り難く……頂戴いたします」
ごくりと唾を飲み込んで、私はそれを受け取ったのである。
(旦那様や奥様に、どう説明申し上げよう……。)
王城の廊下を歩きながら、私は手をそっとお仕着せの胸ポケットにやる。
指に引っかかる分厚い画用紙の感触。
触るたびに、身の引き締まるような、背筋が寒くなるような思いがした。
(必ずお嬢様をお守りしないと……。)
きゅっと唇を引き結び、庭園を見ることもなく独り廊下を歩いていく。
何だか妙に周りが薄暗い気がした。
廊下には私の背丈の倍はありそうな大きな窓がいくつも並び、壁にはランタンが1つ飛ばしについているというのに。
怖い話を聞いたせいだろうか。
まさか、そんな。
夜が怖い少女じゃあるまいし。
(大丈夫よ。)
私はお腹の前で組んだ手をきつく握りしめた。
それでも、母に見つかって連れ戻されるのだろうかと怯えていたあの頃よりはマシだ。
心持ち早足で、黄金の獅子像の角を曲がる。
すると正面から招待客らしき人がやって来るのが見えた。
(あれ?こっちは広間とは反対方向だけど……まあ、とりあえず避けておこう)
王城の夜会に招待されるなら、伯爵家以上の高位貴族なのは間違いない。
壁際に寄って、お辞儀をしたまま待つ。
すると、こちらにやって来たその人は、なぜか私の前で足を止めた。
「あれー、あれれ?」
私の顔を覗き込もうとしたのだろう。
視界の端に、黒い長髪が映り込む。
ハッと顔を上げると、その人は柳の木のような長身を曲げ、目を細めて笑っていた。
「……あ、やっぱり!覚えてます?僕、以前にお会いしたことあるんですけどー」
「……」
細い目、少し西部の訛がある、後ろで束ねた長い髪……。
カンマ一秒。
幾人かの顔が脳内を凄まじい速度で駆け回り、私はすぐに笑顔に切り替えた。
「っ、勿論でございます。お嬢様が、いつもお世話になっております…………先生」
優雅に礼をしつつ、私は心の中で叫ぶ。
(あっぶなー!思い出せて良かったぁあ……!)
また面倒な酔っ払いかと思えば、なんてことはない。
懇談でアクセスとひと悶着あった時にいらした先生である。
すると、そのライヒンデルツの教師もニッコリと笑みを深くした。
「ああ、よかったぁー!覚えていらしたんですね。僕はライヒンデルツ魔法学校、魔性植物担当のメンテです。以後、お見知りおきを〜」
「っ!これは、大変失礼致しました。レドメイン家侍女長をしております。シンシア・ブラットと申します」
まさか一介の侍女相手に名乗るとは思わなくて、私は慌ててお辞儀を深くしようとする。
すると何故かそれを手で止められた。
「いいですいいです、そんなの。僕、貴族じゃないから、そういうの分からなくって」
へらへらと手を振るメンテ先生。
私はリズムを狂わされ、中途半端な角度で頷いた。
「さ、左様でございますか……」
「そうなんです。今日もパーティーって聞いたから来たのに、どこもかしこも作法だ礼儀だ小うるさくて、逃げてきたんですよねぇ」
「それは……まぁ……」
先生も大変ですね。
なんて、愛想笑いを浮かべた時、メンテ先生が何気なくポンと手を叩いた。
「そうだ、一緒に来ますか?ギルフリート先生もいますよ」
「っ!」
ギルフリート。
その名前を聞いた瞬間、胃がひっくり返るかと思った。
「えっ……な、なぜ、っ、ギルフリート先生、を……?」
名指しで?
戸惑う私に、メンテ先生はニッコリとした顔を近づける。
「以前、お二人でお話していた時の雰囲気がなーんか普通じゃありませんでしたから。何かありますよね?ギルフリート先生と」
「っ……!」
つい視線を逸らした私に、メンテ先生はふふっと声を漏らした。
「分かりやすい方ですね〜。実は僕、ギルフリート先生にも頼まれてたんです。次に貴女を見かけたら呼び止めておいてほしいって」
「えっ……?」
「先生もお話したいことがあるみたいですよ。ですからどうですー?これから僕と一緒に――」
「あのっ!」
私は大きな声でメンテ先生の言葉を遮った。
「それは、嘘……ですよね……?」
見上げると、その糸のような目が大きくなっていた。
それがどういう心理の表れなのかは読み取れない。
でも、一つだけ分かる。
アクセスはこんなやり方を好まない。
(少なくとも、私の知るアクセスなら――。)
私達の間に誰かを挟んだりなんてしない。
と、そこで、私はふと我に返った。
「あっ……し、失礼致しました。ただ、その……あまりに突然のお話で……。それに、やはり一侍女が夜会にお邪魔するなんてとても……」
同僚の方相手に、何てことを言ってしまったんだろう。
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、ひたすら恐縮していると、メンテ先生は肩をすくめた。
「……そうですか。いえいえ、僕の方も勇み足でした。ギルフリート先生は僕達にもあまり隙を見せてくれない人ですから。つい」
「あぁ、えぇ……」
確かに。
アクセスは日常生活でも、たまに暗殺者みたいな行動をすることがあった。
足音が無かったり、ただの悲鳴でも素早く警戒態勢に入ったり。
どれだけバカ笑いしていても、自分のグラスに毒を入れられないか目の奥では常に見張っているような。
たぶん、そういう性質の人なのだと思う。
そして、そういうところも好きだった。
(ああ、懐かしい……。)
今も変わらないのだろうか。
なんて、大人になった彼の姿を思い出して、勝手に目頭が熱くなる。
でもほんの少し。
ほんの少しだけだ。
もう散々泣いた後だから。
「……申し訳ありません。お嬢様を迎える用意がありますので、私はここで失礼させていただきます」
この胸の痛みも、馬車に戻る頃にはきっと、馬鹿馬鹿しいと思えるだろう。
ゆっくりと礼をすると、メンテ先生も頭を下げた。
「ええ。すみませんでした、呼び止めて」
「とんでもございません。それでは、失礼いたします」
目を合わせないまま、メンテ先生とすれ違う。
たとえアクセスがすぐそこにいるのだとしても、会わない方がいい。
そうとしか思えなかった。
だって私は、あの美しい思い出を大事に大事に、抱えながら生きてきたのだから。




