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一歩足を踏み入れると、そこはまるでおとぎ話の世界のよう。

煌々と輝く燭台。

螺旋を描く階段。

その中央には真紅のカーペットが引かれ、階段下のロビーはパートナーを探す人でいっぱいだ。

私がゆっくりと手すりに手を伸ばすと、階下にいる人達が一斉に顔を上げたような気がした。


『いい?探さないの。あっちに見つけさせるのよ』


そんなメリルの助言を思い出して、私は視線を彼らの顔の上――壁にかけられた首だけの女神像に向けた。


――コツ。

一歩降りるたびに、私を見上げる彼らの顔が近くなる。

でも、この中の誰がアクセスかなんて探しちゃいけない。

それは不安の現れだから。

背筋を伸ばして、顎を引いて。

そして最後の一段を降りた時、私の前にいた人達が自然と道を開けた。

人の群れの奥から姿を現したのは、アクセスだ。 


「……シンシア」


白いシャツにシンプルな黒い上着と蝶ネクタイ。

前髪を後ろに流していて、見かけはまるっきり、頭の先からつま先まで争い事など知らない上流紳士。

けどやっぱり、足音がしない。

アクセスはやがて私の前で片膝をつくと、そっと一輪の白い花を差し出した。

赤ちゃんの手くらいの小さな胡蝶蘭だ。

私は静かに息を呑んだ。


「綺麗だ」


その金の瞳が満月みたいに微笑んでいる。


「――俺と踊っていただけますか、レディ」

「はい。よろこんで」


指先がアクセスの手に触れる。

その瞬間、まるで何かの糸が解けたように、私はホッとしてしまった。

ただ指先が触れただけなのに。

もしかしてまだ、あの子が見ているかもしれないのに。


(大丈夫。)


そう言われたみたいに、自然と肩から力が抜けてしまう。


「……ふふっ。ずるいなぁ」

「何が?」

「ううん……何でも」


肩をすくめて照れ笑いを誤魔化すと、アクセスが立ち上がって私の髪に花を挿した。


「行こうか」

「うん」


差し出された手を取れば、不思議なくらい体が軽かった。

足が迷うことなく先へ進む。 

使い魔達が開けてくれた大講堂の扉。  

一瞬、目を開けていられないほどの光に包まれる。

でも、もう何も怖くなかった。

誰かの視線も、目がくらみそうな天井も、眩しいシャンデリアも怖くない。

アクセスがいれば――。


アクセスは大講堂の中心へと私をエスコートしていく。

そこはダンスの中心。

オーケストラの演奏に合わせて、色とりどりのドレスが揺れる。

アクセスがそっと耳元で囁いた。


「踊れる?」

「うん。それなりに。アクセスは?」


そう言って、すぐに愚問だったことに気付いた。

しまったと思った時、アクセスはフッと笑う。


「まぁ、それなりに?」


むっ。このしれっと上流階級め。

唇をとがらせると、アクセスは笑いながら私の背中に添える。

流れるようなその動きに、私は自分の負けを悟りをながら最初の一歩を踏み出した。



4曲。

どうしてそんなに長く踊り続ける事ができたのか、自分でもよく分からない。

ただ頭にのぼった熱に浮かされるように、私たちは中庭に転がり出た。


「っ、はぁ〜アハハっ、あ~すずしーい!」

「っ、あぁ。本当だな」


薔薇の木立の向こう、見つけたベンチの背もたれに体を預けると、アクセスも隣に座る。

ヒールに体重をかけないと、どこかふわふわとして、足が勝手に踊りだしそうだった。

心臓がまだどきどきしている。


ふと横を見ると、アクセスがこっちを見ていた。

講堂から漏れる光に照らされて、まるで妖精が人間になりすましたような雰囲気があった。


(格好いいなぁ)


素直にそう思う。


「アクセスってエスコートも上手いんだね」

「そう?初めて言われたな」

「本当!?すっごく踊りやすかったよ!何かね、次はターンだよって教えてくれてるみたいだった」


それも息ぴったりに。

何も言葉にしなくても伝わるような、あのクセになる感覚。

それがまだ心臓に残っている。

私は息を整えてから微笑んだ。


「すごいよ。先生になればいいのに」

「俺が?」

「うん」

「ははっ。ミゲルが聞いたら大笑いしそうだ」

「えぇーそうかなぁ?だって私が魔法実技をパスできたのも、アクセスの教え方がうま――」


その時だった。


「「「「キャアァアアアア」」」」


衝撃波のような黄色い悲鳴が背後から聴こえて、私は振り返る間もなく、アクセスに頭を下げさせられる。


「っ、」

「ひゃっ」


後頭部に感じる手の重み。

庇われたのだとすぐに分かった。

黒一色の視界の中そろそろと顔の向きを変えると、まず鋭利な顎のラインが、それから、後ろに厳しい視線を向けるアクセスが目に入る。


「……アクセス?」

「……」


姦しい悲鳴はまだ聞こえていた。

それでもオーケストラの音楽は止まないし、先生達が動く気配もない。

それを確認して、アクセスはやっと手の力を緩めた。


「……たぶん、ザハロフ先輩かな」

「……あぁ。あの、会場でばら撒いた花をゲットできた子と一曲ずつ踊るってやつ?」


『僕が一人としか踊らなかったら、他の子がかわいそうだろう?』

そう、長いまつ毛を伏せて言う光景が目に浮かぶ。

本当に、あの無駄にキラキラした顔と声でなければ許されない言動だ。


「懐かしいー。白い薬草(ホワイト・ハーブス)寮の恒例行事だったわ。いつもすごい人だったけど、まさか夏至祭でもやるなんて……」

「……」

「……アクセス?」


急に黙ったアクセスを不審に思って、顔を見上げる。

すると、アクセスは何故か顔を逸らした。

そして銃を突きつけられた門番のように両手を上に掲げる。


「……いや、ごめん。そろそろ……離れて、ほしい」


そろそろ()()()()()()

言われた言葉をもう一度脳内で復唱して、私は目を見開いた。


「えっ……なんで?!」

「それは……」

「か、彼女なのに……?」


ついでに言うなら、もうハグもキスもした仲だ。

こんな距離感、今さら何ともないはずなのに。

私はアクセスの太腿に手を置いたまま、首を伸ばす。

すると、アクセスはよそ見したままで深いため息を吐いた。


「……下心があるから」

「……へ」


下心。したごころ。

一拍遅れて、私はすごい勢いで姿勢をもとに戻した。


「ごっ……ごめん!」

「……うん」


顔から火が出そうだ。

ドレスの上で手を握りしめると、手に残る彼の太腿の感触がさらに生々しく感じられた。

もうアクセスの方なんて見れない。

絶対に。

うつ向く私の隣で、彼が笑った。


「そんなに身構えなくても、流石に今は違うって分かってるよ」

「……うん」

「せっかくのドレスだもんな」


優しい声音。

そっと隣を振り返ると、ばっちり目が合った。


「綺麗だ」

「っ……!」

「誰よりも1番」

「あっ……ありがとう」


ここで、アクセスも格好いいよ、とか言えたらいいのに。

恥ずかしさと嬉しさで頭が上せてしまって、言いたいことが上手くまとまらない。

そんな私を見透かしたように、アクセスが優しく眉を下げた。


「……シンシアのことだから、夏至祭を忘れてる場合もあるかと思ってたんだけど、ちゃんと用意してたんだな」


ぎくり。

突然固まった私に、アクセスが目を見開く。


「……もしかして」

「……ごめん。このドレス、メリルの……」


嘘はつけない。

素直にそう白状すると、アクセスはぷっと噴き出した。


「ハハッ!えっ、本当に?」

「うん……」

「この手袋は?」  

「デイジーが貸してくれたやつ……」

「髪飾りは?」 

「白いのがアンヌので、緑のがプリシラの……」

「ッ……く、靴は?」

「それも、メリルが……」

「ハハハッ。君は、ずいぶん人望のあるシンデレラだな……っ!」


そう言いながら、アクセスは肩を震わせている。

夏至祭は、普通のカップルなら指折り数えて待つようなイベントだ。

それを前日に思い出したなんて、怒られても仕方がないのに。

器が大きいと思うべきか、私なら忘れかねないと思われている事を反省すべきか……。


「うぅ……本当にごめん。再試験の事で頭がいっぱいで……」


身体を小さくしながらそう言うと、アクセスは微笑んだ。


「分かってるよ」

「でも……」

「見てたから」


その優しい眼差しに、きゅっと胸が絞られるように痛んだ。

見ていてくれたのは、偶然じゃない。

彼の優しさだ。


「っ……!」


過ごす時間が増えるたび、この人を好きだと強く思う。

もう戻れないくらいに。

すると、おもむろにアクセスが立ち上がった。

そして私の前で片膝をつく。


「あっ、アクセス……?」

「シンデレラ。魔法が解ける前に、もう一曲踊っていただけますか?」

「……はい」


夢を見ているような心地で、その白い手に自分の手を乗せる。

そうすれば、私は今日一番幸せな女の子。

静かな風が芳醇な薔薇の香りを運んでくる。

開け放しの窓から、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。


「これ……」

「ああ。談話室でよく流れてるよな」

「うん、そうそう。前にメリルに聞いたんだけど……だめ。忘れちゃった」


主旋律を奏でるバイオリンの音が高く響く。

くるりと回れば、黄色いドレスが妖精の羽のように広がった。

照らすのは、講堂から漏れるシャンデリアの光と、月明かりだけ。

アクセスとの距離が近くなる。


「今度は俺に贈らせて」

「えっ?」

「花もドレスも靴もアクセサリーも、全部」


私は目を見開いた。

ドレスや靴を贈るのは、婚約者以上の関係でしかしない事だ。

ただの恋人のその先。

アクセスが当然のように提示してくれた未来。

嬉しくて、つい目が潤んでしまう。


「うんっ……うん、嬉しい。楽しみにしてる」

「今度はシンシアが好きなのを選ぼう」

「いいの?」

「もちろん。来年はどんな花がいい?」

「花?……えー?うーん……そうだなぁ……あっ、エリソニウム!」

「エリソニウム?」

「誕生花なの」

「ふーん……?」


それはどんな花なんだと、アクセスは難しい顔をする。

私は腕の中で回りながら、クスクスと笑った。


「紫色の花よ。少し標高の高い所によく咲いてるの。私の実家の方じゃ、チューリップよりもよく見るわ」

「へー。また、シンシアの実家にも行ってみたいな」

「うん、ぜひ。来るなら春がいいわ。雪解けの頃が一番綺麗だから」


そう言うと、アクセスは微笑んだ。


「じゃあ、また来年の春に」

「うん、また来年」


指切りをするように手を握る。

美しい幸せの旋律。

ただお互いだけを見て、私たちは夢の城を空に描いていた。

叶わなかった二人の夢の城を――。




「――ょう、――ちょう、侍女長……っ!」


私は、ハッと後ろを振り返る。

狭い通路の途中で、新人のマリーが息を切らして走って来ていた。


「っ、どうしたのマリー?」

「お休み中、すみませんっ……奥様の、至急のお呼びです……っ!」

「っ!すぐ行きます」


懐かしい旋律に背を向けて、私はワンピースの裾を翻す。

ローヒールの靴でよかった。

とびきりお洒落なわけでも、流行なわけでもないけど、使用人の暮らしにはちょうどいい。

ゆるやかな坂道を駆け上がって、さっき出たばかりのお屋敷に戻る。

すると、ちょうど玄関から出てきた奥様と遭遇した。


「っ奥様……!」

「ああ、よかったシンシア!お休みの日なのにごめんなさいね。あの子ったら今になって手紙を開けたものだから、もう全然時間がなくって。貴女も来て、知恵を貸して頂戴。我が家の大事件なのよ」


奥様はいつになく焦った様子でそう仰った。

ここ最近腰が痛いと杖を手放せなかったのに、そんな事も頭にないようだ。


「いったい、何が起きたのですか?」


急いで奥様に手を差し出しながらそう尋ねると、奥様は小さく頭を振りながら答えた。


「夜会よ」

「夜会……」

「あの子が、王家の夜会に呼ばれたの……っ!」


震える声で差し出された封筒は、王子様からの手紙だという……いつぞやあのネズミ妖精が咥えて逃げたものだった。




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