19
一歩足を踏み入れると、そこはまるでおとぎ話の世界のよう。
煌々と輝く燭台。
螺旋を描く階段。
その中央には真紅のカーペットが引かれ、階段下のロビーはパートナーを探す人でいっぱいだ。
私がゆっくりと手すりに手を伸ばすと、階下にいる人達が一斉に顔を上げたような気がした。
『いい?探さないの。あっちに見つけさせるのよ』
そんなメリルの助言を思い出して、私は視線を彼らの顔の上――壁にかけられた首だけの女神像に向けた。
――コツ。
一歩降りるたびに、私を見上げる彼らの顔が近くなる。
でも、この中の誰がアクセスかなんて探しちゃいけない。
それは不安の現れだから。
背筋を伸ばして、顎を引いて。
そして最後の一段を降りた時、私の前にいた人達が自然と道を開けた。
人の群れの奥から姿を現したのは、アクセスだ。
「……シンシア」
白いシャツにシンプルな黒い上着と蝶ネクタイ。
前髪を後ろに流していて、見かけはまるっきり、頭の先からつま先まで争い事など知らない上流紳士。
けどやっぱり、足音がしない。
アクセスはやがて私の前で片膝をつくと、そっと一輪の白い花を差し出した。
赤ちゃんの手くらいの小さな胡蝶蘭だ。
私は静かに息を呑んだ。
「綺麗だ」
その金の瞳が満月みたいに微笑んでいる。
「――俺と踊っていただけますか、レディ」
「はい。よろこんで」
指先がアクセスの手に触れる。
その瞬間、まるで何かの糸が解けたように、私はホッとしてしまった。
ただ指先が触れただけなのに。
もしかしてまだ、あの子が見ているかもしれないのに。
(大丈夫。)
そう言われたみたいに、自然と肩から力が抜けてしまう。
「……ふふっ。ずるいなぁ」
「何が?」
「ううん……何でも」
肩をすくめて照れ笑いを誤魔化すと、アクセスが立ち上がって私の髪に花を挿した。
「行こうか」
「うん」
差し出された手を取れば、不思議なくらい体が軽かった。
足が迷うことなく先へ進む。
使い魔達が開けてくれた大講堂の扉。
一瞬、目を開けていられないほどの光に包まれる。
でも、もう何も怖くなかった。
誰かの視線も、目がくらみそうな天井も、眩しいシャンデリアも怖くない。
アクセスがいれば――。
アクセスは大講堂の中心へと私をエスコートしていく。
そこはダンスの中心。
オーケストラの演奏に合わせて、色とりどりのドレスが揺れる。
アクセスがそっと耳元で囁いた。
「踊れる?」
「うん。それなりに。アクセスは?」
そう言って、すぐに愚問だったことに気付いた。
しまったと思った時、アクセスはフッと笑う。
「まぁ、それなりに?」
むっ。このしれっと上流階級め。
唇をとがらせると、アクセスは笑いながら私の背中に添える。
流れるようなその動きに、私は自分の負けを悟りをながら最初の一歩を踏み出した。
4曲。
どうしてそんなに長く踊り続ける事ができたのか、自分でもよく分からない。
ただ頭にのぼった熱に浮かされるように、私たちは中庭に転がり出た。
「っ、はぁ〜アハハっ、あ~すずしーい!」
「っ、あぁ。本当だな」
薔薇の木立の向こう、見つけたベンチの背もたれに体を預けると、アクセスも隣に座る。
ヒールに体重をかけないと、どこかふわふわとして、足が勝手に踊りだしそうだった。
心臓がまだどきどきしている。
ふと横を見ると、アクセスがこっちを見ていた。
講堂から漏れる光に照らされて、まるで妖精が人間になりすましたような雰囲気があった。
(格好いいなぁ)
素直にそう思う。
「アクセスってエスコートも上手いんだね」
「そう?初めて言われたな」
「本当!?すっごく踊りやすかったよ!何かね、次はターンだよって教えてくれてるみたいだった」
それも息ぴったりに。
何も言葉にしなくても伝わるような、あのクセになる感覚。
それがまだ心臓に残っている。
私は息を整えてから微笑んだ。
「すごいよ。先生になればいいのに」
「俺が?」
「うん」
「ははっ。ミゲルが聞いたら大笑いしそうだ」
「えぇーそうかなぁ?だって私が魔法実技をパスできたのも、アクセスの教え方がうま――」
その時だった。
「「「「キャアァアアアア」」」」
衝撃波のような黄色い悲鳴が背後から聴こえて、私は振り返る間もなく、アクセスに頭を下げさせられる。
「っ、」
「ひゃっ」
後頭部に感じる手の重み。
庇われたのだとすぐに分かった。
黒一色の視界の中そろそろと顔の向きを変えると、まず鋭利な顎のラインが、それから、後ろに厳しい視線を向けるアクセスが目に入る。
「……アクセス?」
「……」
姦しい悲鳴はまだ聞こえていた。
それでもオーケストラの音楽は止まないし、先生達が動く気配もない。
それを確認して、アクセスはやっと手の力を緩めた。
「……たぶん、ザハロフ先輩かな」
「……あぁ。あの、会場でばら撒いた花をゲットできた子と一曲ずつ踊るってやつ?」
『僕が一人としか踊らなかったら、他の子がかわいそうだろう?』
そう、長いまつ毛を伏せて言う光景が目に浮かぶ。
本当に、あの無駄にキラキラした顔と声でなければ許されない言動だ。
「懐かしいー。白い薬草寮の恒例行事だったわ。いつもすごい人だったけど、まさか夏至祭でもやるなんて……」
「……」
「……アクセス?」
急に黙ったアクセスを不審に思って、顔を見上げる。
すると、アクセスは何故か顔を逸らした。
そして銃を突きつけられた門番のように両手を上に掲げる。
「……いや、ごめん。そろそろ……離れて、ほしい」
そろそろ離れてほしい?
言われた言葉をもう一度脳内で復唱して、私は目を見開いた。
「えっ……なんで?!」
「それは……」
「か、彼女なのに……?」
ついでに言うなら、もうハグもキスもした仲だ。
こんな距離感、今さら何ともないはずなのに。
私はアクセスの太腿に手を置いたまま、首を伸ばす。
すると、アクセスはよそ見したままで深いため息を吐いた。
「……下心があるから」
「……へ」
下心。したごころ。
一拍遅れて、私はすごい勢いで姿勢をもとに戻した。
「ごっ……ごめん!」
「……うん」
顔から火が出そうだ。
ドレスの上で手を握りしめると、手に残る彼の太腿の感触がさらに生々しく感じられた。
もうアクセスの方なんて見れない。
絶対に。
うつ向く私の隣で、彼が笑った。
「そんなに身構えなくても、流石に今は違うって分かってるよ」
「……うん」
「せっかくのドレスだもんな」
優しい声音。
そっと隣を振り返ると、ばっちり目が合った。
「綺麗だ」
「っ……!」
「誰よりも1番」
「あっ……ありがとう」
ここで、アクセスも格好いいよ、とか言えたらいいのに。
恥ずかしさと嬉しさで頭が上せてしまって、言いたいことが上手くまとまらない。
そんな私を見透かしたように、アクセスが優しく眉を下げた。
「……シンシアのことだから、夏至祭を忘れてる場合もあるかと思ってたんだけど、ちゃんと用意してたんだな」
ぎくり。
突然固まった私に、アクセスが目を見開く。
「……もしかして」
「……ごめん。このドレス、メリルの……」
嘘はつけない。
素直にそう白状すると、アクセスはぷっと噴き出した。
「ハハッ!えっ、本当に?」
「うん……」
「この手袋は?」
「デイジーが貸してくれたやつ……」
「髪飾りは?」
「白いのがアンヌので、緑のがプリシラの……」
「ッ……く、靴は?」
「それも、メリルが……」
「ハハハッ。君は、ずいぶん人望のあるシンデレラだな……っ!」
そう言いながら、アクセスは肩を震わせている。
夏至祭は、普通のカップルなら指折り数えて待つようなイベントだ。
それを前日に思い出したなんて、怒られても仕方がないのに。
器が大きいと思うべきか、私なら忘れかねないと思われている事を反省すべきか……。
「うぅ……本当にごめん。再試験の事で頭がいっぱいで……」
身体を小さくしながらそう言うと、アクセスは微笑んだ。
「分かってるよ」
「でも……」
「見てたから」
その優しい眼差しに、きゅっと胸が絞られるように痛んだ。
見ていてくれたのは、偶然じゃない。
彼の優しさだ。
「っ……!」
過ごす時間が増えるたび、この人を好きだと強く思う。
もう戻れないくらいに。
すると、おもむろにアクセスが立ち上がった。
そして私の前で片膝をつく。
「あっ、アクセス……?」
「シンデレラ。魔法が解ける前に、もう一曲踊っていただけますか?」
「……はい」
夢を見ているような心地で、その白い手に自分の手を乗せる。
そうすれば、私は今日一番幸せな女の子。
静かな風が芳醇な薔薇の香りを運んでくる。
開け放しの窓から、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。
「これ……」
「ああ。談話室でよく流れてるよな」
「うん、そうそう。前にメリルに聞いたんだけど……だめ。忘れちゃった」
主旋律を奏でるバイオリンの音が高く響く。
くるりと回れば、黄色いドレスが妖精の羽のように広がった。
照らすのは、講堂から漏れるシャンデリアの光と、月明かりだけ。
アクセスとの距離が近くなる。
「今度は俺に贈らせて」
「えっ?」
「花もドレスも靴もアクセサリーも、全部」
私は目を見開いた。
ドレスや靴を贈るのは、婚約者以上の関係でしかしない事だ。
ただの恋人のその先。
アクセスが当然のように提示してくれた未来。
嬉しくて、つい目が潤んでしまう。
「うんっ……うん、嬉しい。楽しみにしてる」
「今度はシンシアが好きなのを選ぼう」
「いいの?」
「もちろん。来年はどんな花がいい?」
「花?……えー?うーん……そうだなぁ……あっ、エリソニウム!」
「エリソニウム?」
「誕生花なの」
「ふーん……?」
それはどんな花なんだと、アクセスは難しい顔をする。
私は腕の中で回りながら、クスクスと笑った。
「紫色の花よ。少し標高の高い所によく咲いてるの。私の実家の方じゃ、チューリップよりもよく見るわ」
「へー。また、シンシアの実家にも行ってみたいな」
「うん、ぜひ。来るなら春がいいわ。雪解けの頃が一番綺麗だから」
そう言うと、アクセスは微笑んだ。
「じゃあ、また来年の春に」
「うん、また来年」
指切りをするように手を握る。
美しい幸せの旋律。
ただお互いだけを見て、私たちは夢の城を空に描いていた。
叶わなかった二人の夢の城を――。
「――ょう、――ちょう、侍女長……っ!」
私は、ハッと後ろを振り返る。
狭い通路の途中で、新人のマリーが息を切らして走って来ていた。
「っ、どうしたのマリー?」
「お休み中、すみませんっ……奥様の、至急のお呼びです……っ!」
「っ!すぐ行きます」
懐かしい旋律に背を向けて、私はワンピースの裾を翻す。
ローヒールの靴でよかった。
とびきりお洒落なわけでも、流行なわけでもないけど、使用人の暮らしにはちょうどいい。
ゆるやかな坂道を駆け上がって、さっき出たばかりのお屋敷に戻る。
すると、ちょうど玄関から出てきた奥様と遭遇した。
「っ奥様……!」
「ああ、よかったシンシア!お休みの日なのにごめんなさいね。あの子ったら今になって手紙を開けたものだから、もう全然時間がなくって。貴女も来て、知恵を貸して頂戴。我が家の大事件なのよ」
奥様はいつになく焦った様子でそう仰った。
ここ最近腰が痛いと杖を手放せなかったのに、そんな事も頭にないようだ。
「いったい、何が起きたのですか?」
急いで奥様に手を差し出しながらそう尋ねると、奥様は小さく頭を振りながら答えた。
「夜会よ」
「夜会……」
「あの子が、王家の夜会に呼ばれたの……っ!」
震える声で差し出された封筒は、王子様からの手紙だという……いつぞやあのネズミ妖精が咥えて逃げたものだった。




