18
「かーんぱーい!」
「おめでとう、シンシア」
夜10時。
女子部屋の臙脂色の天井に、金の燭台が輝く。
それはシャンパングラスに注いだカルヴァドス味のジュースと同じ色だ。
「「っぷはー」」
せーのでひと息に飲み干せば、甘酸っぱい風味が口の中に広がった。
間違いなく、この数週間で1番おいしい。
私がぎゅっと目を閉じて、はじける炭酸を味わっていると、メリルが向かいのベッドに座って、片手でグラスを回した。
「それにしても無詠唱魔法とはねぇ。すごいじゃない。流石は特待生」
「っ、ううん!違うの、それはもう本当にほんっとうに何から何までアクセスのおかげで!毎日毎日アクセスが……う゛ぅ……特訓、してくれたから゛ぁ……!」
私はつい熱い涙がこみ上げそうになって、目頭を押さえる。
濃い、ジュース屋さんのオレンジジュースよりも濃い、1週間だった。
するとメリルが「ふふっ」と笑う。
「そうね。でもシンシアだって本当によく頑張ってたわ。また明日が楽しみね。頑張った分、たくさん楽しみましょ」
「う、うん……えっ、明日?」
(はて……。)
私はきょとんとした。
「明日って……何かあったっけ?」
今日の再試験のことばかり考えていたから、試験が無事終わった後の事なんて何も考えていなかった。
心当たりもまるでない。
首をかしげる私に、メリルはグラスを落としそうなほど顔を青くした。
見開かれた両目が私を見つめる。
その目が『信じられない』と雄弁に語っていた。
「げ……」
「げ?」
「げ……夏至祭でしょうっ……!?!」
「……あっ、」
ああああああああ!という絶叫が、その夜、赤い箒寮の女子部屋を揺らした。
夏至祭。
それはライヒンデルツの前期日程が修了した日に大講堂で開かれるダンスパーティーの事だ。
普段の授業やイベントは寮や学年で分かれている事が多いけれど、この日ばかりは寮も学年も関係ない。
男子生徒はパートナーにしたい女子生徒に花を差し出し、女子生徒がその花を受け取れば、無事、パートナーが成立。
花の数だけ踊り明かすも良し、一輪の花を胸に語り明かすも良し。
人気者も、引っ込み思案も、この日ばかりはローブを脱ぎ捨て、ネクタイを締め、ヒールを履いて大講堂へ――。
そんな一大イベントを前日の夜に思い出すという失態。
けれど、こんな時でも神様は私の味方だった。
メリル・リアンガーデンという最高の友人を与えてくれたのだから。
「メリル……こんな……綺麗なドレス……」
次の朝、私の目の前には、見たこともないくらい素敵な黄色のドレスがあった。
光沢のあるシルク生地、ウエストの切り替え部分には大粒のパールがあしらわれ、揺らすたびにドレープが優雅に波うつ。
今まで手にしたこともない素敵なドレスだ。
「……」
「ふふっ、綺麗でしょ?去年のだけど」
言葉もなく見入る私に、メリルは満足そうに笑った。
「ふふっ。こんな事もあろうかと、町家敷から取り寄せておいてよかった。あなたったら再試験の事しか頭にないみたいだったから。私ったらファインプレーね」
「で、でもメリル、いいの……ほんとに?」
「えぇ。私は新しく仕立てた方を着るわ。私の体は1つしかないのに、ドレスが2着あっても仕方ないでしょ?もし、シンシアが良ければ使って?」
「っ……」
私はその美しいドレスに吸い寄せられるように近づいた。
(こんな素敵なドレスを着て、アクセスと踊れるかもしれないの……?)
夢みたいだ。
恐る恐るスカートのドレープに触れると、水のように滑らかなシルクの感触がする。
私は振り返って、勢いよくメリルに抱きついた。
「ありがとう、メリル……ありがとう!」
「ひゃっ!っもうー、びっくりした」
「っ……だって……」
「うふふっ、いいのよ。私たち友だちでしょう」
これくらい、なんて事ないわ。
と、メリルは言う。
その時、偶然私はベッドの下に並んだ2足のハイヒールを見つけた。
ペールイエローと、シルバーのハイヒール。
高さも大きさも同じだけど、ペールイエローの方にだけ、踵に大きなパッドが敷いてある。
私はつい泣きそうになった。
すると、メリルが口角を上げて笑う。
「やだ、シンシア。ドレスを貸したくらいでそんな顔しないで。それに泣いてる暇なんてないわよ。舞踏会の日は朝から大忙しなんだから」
「っ……うん!」
目頭を押さえて、私ははにかみながら頷いた。
狭い女子用の部屋の中で、人が行き交い、メイクブラシや化粧品が宙を飛ぶ。
あちこちでコルセットを締められるうめき声が聞こえる中、私はヘアゴムを唇に挟んだまま、艶々の赤髪を手際よく結んでいた。
「リボン、真ん中に大きく作る感じ?」
「えぇ!そう、ありがとうシンシア。本当に助かるわ。自分だとうまく出来なくて」
「ううん全然!」
そう言いながら、細い櫛と指でリボンを作る髪を引き出し、ワックスで飛び出した細い毛を撫でつけていく。
巻いた横髪とのバランスを見ながら、仕上げに銀製の髪飾りをバランスよくつけていけば、完成だ。
「はい、どう?」
「……すごいわ。魔法も使わずに、こんなに綺麗に」
「ふふふっ」
そんな風に惚れ惚れと見られたら、つい照れてしまう。
好きでやっているだけなのに。
するとそこに、メリルが帰ってきた。
散りばめられたビーズが星のように光る紫のドレス。
編み込みを駆使して華やかに纏められた紺色の髪は、私の自信作だ。
「あら、シンシア。まだ着替えてないの?」
「うん、今から」
そう言うと、メリルは綺麗に整えられた眉を下げた。
「もう、誰かのフェアリー・ゴッド・マザーになるのはそろそろおしまいにして?あなたも着替えなきゃ」
「はーい」
とはいえ、もう髪はまとめてあるし、隣室のイザベラがあれこれメイクしてくれたから、後はドレスを着るだけだ。
その前にワックスのついた手を洗いに行こうと部屋を出たところで、どんと誰かにぶつかってしまった。
「っ、ごめんなさ……!」
急いで振り返る。
すると、相手はどこか見覚えはある……でも話したことのない女の子だった。
「……あら」
その子は、私だと分かるなり明らかに目をすがめる。
本能で首の裏がぴりりとした。
「ねぇ」
「……?」
「そのヘアスタイル、素敵ね。誰に手伝ってもらったの?」
「えっ……?」
私は何度か目をぱちくりとさせた。
それからすぐに笑顔を作る。
「あっ……あぁ、ありがとう。これは自分で」
「まあ!自分で?流石、貧乏人は手先が小器用なのねぇ」
「っ……!」
軽蔑したような視線。
小馬鹿にしたような声音。
思わずカッと顔が熱くなる。
でも、「貧乏人」も「貧乏だから小器用」なのも、事実だ。
何も言い返せない。
頭が真っ白になったその瞬間、部屋の中からメリルの声が飛んできた。
「っちょっと、貴女失礼よ」
「そうそう!というか、シンシア相手にひがむのは止めなさいよね」
「いくらギルフリートに相手にされなかったからって、ねぇ?」
「まあ。それじゃあ嫉妬?お可哀想……」
次いで開けっ放しの扉から次々に出てくる顔、顔、顔。
みんな態とらしく口に手を当てて、メリルだけ怒り心頭といった顔でこちらを見ている。
振り返れば、その子の顔は真っ赤だ。
「フンッ……!!」
オーバーキル。
オーバーキルすぎる。
とうとうその子は顔を真っ赤にして、カツカツと廊下を歩いて行ってしまった。
私は何も言えずにその背中を見送る。
「……」
「……大丈夫?シンシア」
「う、うん……」
正直、心臓がドキドキと早鐘を打っていた。
背中にはじんわりと嫌な汗をかいている。
それでも、私は胸に手を当てて小さく息を吐いた。
そりゃ、彼女みたいな人もいるだろう。
私たちの恋は身分違いも良いところだから。
「ふぅ……」
(……でも、嫌味くらいじゃ止められないわ。)
私は息を吸って、大きく息を吐き出す。
そして胸の前で強く手を握りしめた。
将来はまだ分からない。
でも、この宝物みたいな日々を積み上げていって、そのうち誰も認めざるを得ないほど高く積み上がったら、その先の未来にも手が届く気がするのだ。
アクセスと一緒にいられる未来に。
私は、今日をその第一歩にする。
「メリル」
「なに?」
「私、会場で1番綺麗な子になる」
前を見据えながらそう呟く。
すると、メリルは口の端を上げて笑った。
「いいわよ。そういうの大好き」




