17
(……あれ?……わたし、どうして……)
見覚えのない暗い天井を見上げること数秒後。
壁だと思っていたカーテンがシャッと開いて、そこからキャップを被った看護師さんが顔を出した。
「あら、目が覚めた?」
薄暗くても分かるティーポットのような体型と、沸いたケトルのような声。
私はベッドに肘をついて起き上がった。
「……ミセス・トンプソン……わたし……」
「ああ、そのままで。ちょっと脈を測らせて頂戴ね。失礼……えぇ、はいはい、魔力切れですよ。ちょうど夕方にギルフリートくんが運んできて、それからずっと救護室で寝てたんです。はい。脈も正常。気分はどう?」
「普通です。もうすっかり」
「それは良かった。大丈夫そうね。歩いて帰れる?」
「はい」
起き上がると、ミセス・トンプソンが靴を用意してくれる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
礼を言いながら前に落ちてきた髪を耳にかけた時、私はハッとした。
「そういえばっ、ギルフリートくんは怪我とかしてませんでしたか……?」
私の記憶はアクセスが黒虎と向き合う所で終わっている。
だから万が一を考えたのに、なぜかミセス・トンプソンは笑いながら手を振って、それを否定した。
「アッハッハ。いやぁね。怪我なんてひとっつも。あの子はピンピンしてたよ」
「そ、そうですか……」
「えぇ。さあ、早くお帰りなさいな。もう夜中の0時を回ってるんだから」
「えっ!」
ミセス・トンプソンが腕時計を見せてくれる。
カーテンから漏れる光の中で、小さな針は真上を指していた。
道理で暗いわけだ。
それに身体が軽いのにも納得がいく。
だってたぶん5、6時間は寝ていたのだから。
私は踵をローファーに入れて立ち上がると、扉の前で礼をした。
「遅くにありがとうございました」
「はぁい。お大事にー」
ガチャ
ミセス・トンプソンの声を聞きながら、救護室のドアを閉じる。
明かりが届かない廊下は真っ暗だ。
まるで真っ暗な空間に一人取り残されたような心地がして、私は胸の前で手を組んだ。
「……」
ゴーストも、怖い話も別に苦手ではない。
が、得意でもない。
目をパチパチさせると、少し遠くにぼんやりと月明かりが差し込んでいるのが見える。
(少し遠回りになるけど、仕方ない)
小さく息を吐いて、そっちの方へ一歩踏み出した時、ふいに暗がりから声がした。
「……シンシア?」
「ひッ!………ぁ、あれ?」
私は聞き覚えのある声に目を瞬かせた。
のそりと暗がりの中で何かが動く。
「……ぁ、アクセス……?」
瞬きをするごとに、目が暗闇に慣れていく。
ただのシルエットが見慣れた制服に、黒い髪に、そして、あの金の瞳になった時、思わず私は口に出していた。
「――どうしたの?」
大丈夫?
その言葉を言う前に、その胸に強く抱きしめられる。
息が止まるほど強く。
「ッ、く、苦し」
「シンシア」
「っ……な、なに?」
「シンシア」
「……あの、アクセス……?」
何やらアクセスの様子がおかしい。
私はもぞもぞと手を動かして、広い背中を優しく擦った。
「どうしたの……?」
男の子の背中だ。
私より腕1本分広い肩幅。
骨張っていて、板みたいに固い。
その肩にぎこちなく頬を寄せると、ぴくりと腕が震えた。
「シンシアが」
「……?」
「呼んでも、揺すっても、目を開けないから」
「うん……」
「死んだのかと思った」
ぽつりと溢れた、迷子の子どもみたいな声。
そんな訳ないじゃんと笑い飛ばすには、その声はあまりにも途方に暮れたようで。
私は中途半端に開いた口を閉じて、その背中を優しく撫でる。
抱きしめる腕の力がほんの少し強くなった。
(こんなアクセス、初めて見る……)
そう思った時、ゆっくりとアクセスが私の肩から顔を上げた。
「変だと思ってる?」
「えっ。う、うん……」
「ははっ、正直だな。でも、さ、シンシアは――」
アクセスはそこで一度言葉を区切った。
「――前に話した俺の実家のこと、覚えてる?」
「えっ?……う、うん……竜のいる山で、サバイバルしてたって……」
サバイバル。
そう言うと、アクセスはまた、息だけで笑った。
私は瞬きをくり返す。
「どうしたの……?」
「いや、ごめん。前は、魔獣が相手だなんて誤魔化したけど……うちはこの国の最南端、ドライキア島。相手は、密猟者か国境侵犯者だ」
「っ……!」
「だから、死体の方が見慣れてる」
私は静かに息を呑んだ。
代わりにアクセスの腕から力が抜けていき、やがて額が肩に押しつけられる。
肩に乗るのは、頭蓋骨1個分の重さ。
「あの時……シンシアが、死んだのかと思った」
初めて聞く、無感情な声。
その声が重石のように私の胸に落ちていく。
私は、アクセスのローブを握りしめた。
(アクセスは、どんな気持ちでいたんだろう。)
ピクリとも動かない私を抱えて、薄暗い森の中を、どんな気持ちで――。
「……」
棒立ちになったアクセスの頬に手を伸ばす。
滑らかな頰をそっと撫でると、彼は目を伏せた。
きっと、これは彼の傷だ。
誰にでも等しく優しい彼が、初めて見せてくれた心の洞。
(……もっとよく見せて。)
私は背伸びをして顔を近づける。
「ごめんね」
そう言うと、アクセスは瞬きを一つして、泣き出しそうな顔をした。
「……本当だよ。気絶するまでやるなんて……もう二度とやらないで」
「うん。もうしない」
「約束だよ」
「うん」
頷くと、アクセスは特大のため息を吐いた。
「っはああー……」
侯爵家らしくない粗野な仕草。
その"らしくなさ"に、思わず笑みが溢れてしまう。
「っ、ふ、ふへへっ」
「シンシア?」
「は、はい……っ」
「あのさ……怒られてる自覚ある?」
「あ、あるよ!?」
じーっと金の瞳に睨まれて、私は堪えきれずに笑ってしまった。
不謹慎だろうか。
でも嬉しいのだ。
私にその傷口を晒してくれたことが。
「……」
「ねぇ、その……ごめんね?」
「っ……」
そう微笑んで、背伸びをして、キスをする。
すると、アクセスは少し驚いた顔をして、それから私の腰を引き寄せた。
おでこが胸板に当たる。
いつもの、優しい力加減だ。
私は、大好きだと伝えるように頬を擦り寄せる。
「はぁ……。妖精は妖精でも、妖精じゃなくていたずら妖精の方だったか……」
「なぁにそれ」
「君の話だよ」
くすくすと笑うと、その笑い声にさえ、アクセスが聞き耳を立てているようだった。
(もう。怖いもの知らずなのに。変な所で心配性なんだから)
私は何だか恥ずかしくなって、その背中のローブを引っ張った。
すると何を勘違いしたのか、唇にキスが降ってくる。
柔らかい、重ねるだけのキス。
「っ、ん」
「……」
「んっ……も、だめ。戻らなきゃ。見回りの先生に見つかっちゃう」
「……シンシア」
押しのけた手の上で、アクセスの目が夜空の星みたいに光る。
「……」
言いたい事は、声にしなくても分かった。
(あと、ちょっとだけ。)
アクセスの手が私の手を退ける。
「っ、」
せめて、この温もりが移るまで。
一枚、一枚、傷口に包帯を重ねるように、私たちは優しいだけのキスをした。




