16
アーチ型の回廊に、夏の光が差し込んでいた。
格子模様の床に伸びる影は2つ。
試験範囲はもう終わったからと、早く授業が終わったせいだろうか。
心が弾み、つい大きな音を立てて歩きたくなる。
メリルも同じ気分だったのだろう、ふいにメロディを口ずさんだ。
「♪〜♫〜〜」
「何だっけ、その曲」
「ブルー・レディよ」
「えー……どこかで聞いた事あるような?」
でも、場所も曲名も思い出せないでいると、メリルが驚いたように片眉を上げた。
「え?談話室で死ぬほどかかってるでしょ。壁の皆のお気に入りだから」
「あぁー。談話室!そうそう!」
「もう、シンシアったら。ちゃんと準備してる?もうすぐ夏至祭で――」
「シンシア」
突然、後ろから名前を呼ばれて振り返ると、廊下の真ん中にアクセスが立っていた。
「アクセス!いつの間に……?」
「ついさっきだよ」
「本当?気がつかなかった」
そう言うと、アクセスは困ったように笑いながら近づいてきた。
低い、革靴の音。
石灰岩の床に夏用のローブの影が揺れる。
「今日はリアンガーデンも一緒なんだ」
「うん。あ、でもメリルはこれからお買い物だって」
「なんだ。特訓に付き合わないのか?」
「馬鹿言わないで。カップルの時間を邪魔しに行くほど阿呆じゃないわ」
(か、カップル……ッ)
ぽっと頬を染めた私を見て、メリルは肩をすくめながら後れ毛を耳にかけた。
「じゃ、そういうことだから。再試験は明後日でしょ?頑張ってね」
「うん。あ、ありがと……」
正門の方へ向かっていくメリルに手を振り、私はアクセスの方におずおずと体を向けた。
「「……」」
カップルだ。
私たちは間違いなく、恋人同士。
でも面と向かって言われると、何だか無性に顔が熱い。
(あああ何だろ、この恥ずかしさ!もうキスだってしたことあるのに……!)
うつ向いて、両手の指を何度もお腹の前で組み合わせる。
すると、アクセスが私の手を取った。
「行こうか」
「っ、うん」
繋がれた手。
心臓が、静かに跳ねる。
私は少し高い位置にあるその横顔を見た。
蝋みたいに白い肌。
林檎のように蠱惑的な、でも、喋ると年相応の男の子の唇。
もう何度も、あの唇とキスをしたことがあるのに……まだ手を繋いで歩くと緊張するなんて、アクセスに言えば笑われるだろうか。
夏の太陽が西の地平線で粘り強く踏ん張る中、ついに私は地面に座りこんだ。
「っ……あぁ!も、ちょっと休憩……っ!」
「すごい。よく粘ったな」
ドクドクと耳の奥で心臓の鼓動が聞こえる。
私は呼吸が整わないまま、力なく後ろに倒れ込んだ。
そして奥歯を噛み締めながら空を見上げる。
「はぁ、はぁ……うぅ……あと、もう、ちょっとな、気がするのにぃ……っ!」
特訓を始めて今日で5日。
一番得意な風魔法の、『盾の魔法』を唱え続けること、ウン万回。
どんどん詠唱から魔法が発現するまでのスピードが速くなっている実感はあるけれど、まだ無詠唱は成功していない。
(あーもうこのまま何もできなかったら……できなかったら……?!?!)
「うぅ〜……っ」
私は身悶えしながら顔を手で覆う。
もちろん、アクセスのなんちゃってプロポーズを真に受けてはいけない事くらい分かっていた。
結婚は家同士の契約だ。
それに、例えもし、万が一にも、アクセスが将来の伴侶に私を選んでくれたとしても……こんな流れではいやだ。
だから、やっぱりもっと練習するしかないのに。
「シンシア、もう今日は止めとこう」
アクセスはあっさりと不死鳥を消して、そう言った。
「えっ!なんで!?」
私は横向きに肘をついて起き上がろうとする。
でも、その瞬間、ぐらりと揺れる視界。
「っ、」
アクセスの手が待ち構えていたように背中に回る。
「ほら。もう魔力も限界だろ。今度こそ本当に倒れるぞ」
「うっ……でも……あとちょっとな気がするの!お願い……あとちょっとだけ……!」
「……シンシア」
アクセスが首を横に振る。
その後ろに、何か白い物が見えた気がした。
「……?」
最初は見間違いかと思った。
森の薄闇にあるはずもない、白い、ナイフのようなそれは――。
(牙だ)
私がそれに気づいた瞬間、それもアシビの茂みの中から飛びかかってきた。
宙に浮かぶ、闇に紛れるための黒い巨体。
アクセスも後ろを振り返る。
その大きな黒い爪がアクセスに迫っていく。
(虎だ)
私はその光景をコマ送りの映画か何かのように見ながら、ただ"防がなきゃ"と思った。
盾になれ。
声には出ていない。
そんな余裕はなかった。
でも、ピシッと音がした。
確かに、自分の背骨で。
まるで何かが繋がったような音が。
バシン!
「っ!」
「グギャゥウ!」
盾の魔法が、アクセスの前に広がり、黒虎の不意を狙った初撃を弾く。
けれど、大きな黒い虎は身を翻して、綺麗に着地した。
当たり前だ。
盾の魔法は所詮、防御するだけの魔法。
攻撃の勢いでぶつかって自滅してくれるような小物ならともかく、こんな大きな魔獣では、まずダメージは与えられない。
(……でも、いいの……)
視界が回る。
体から力が抜けていく。
もう、起きてさえいられない。
どさり。
全身で静かに衝撃を受け止める。
(ほんとに、魔力、切れ……)
私は遠のいていく意識の中、アクセスの落ち着き払った背中を見ていた。
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