15
アクセスと呼ぶ事が当たり前になってきた頃、その壁はやって来た。
『実践魔法Ⅰ 再試験 シンシア・ブラット』
「はぁあ〜」
でかでかと掲示板に貼られた知らせに、私は机に突っ伏して絶望のため息をつく。
ただのため息ではない。
絶望のため息だ。
「そう悲観することないわ。たまたま調子悪かったんでしょ?さくっと終わらせて来なさいな、特待生さん」
メリルが談話室の灯りで爪をチェックしながらそう言った。
私は難問を解く時のように眉を寄せる。
「う゛ー……ちがうの」
「なに?」
「違うの」
「なにが」
「その……た、たまたまじゃないの。私、昔から狙って撃つみたいなのが苦手で……」
なぜか相手が息も絶え絶えになるキャッチボール。
ゴミ箱に一度もシュートされたことのないゴミ。
魔法で箒に掃かせようとしたら、水の入ったバケツにかかってしまって、水浸しになった玄関。
それこそたぶん、母や妹に聞いたら枚挙にいとまがない。
「……うそ」
メリルは信じられないと言うように目を見開いた。
「……本当なの」
「だって今まで……」
「今までは、その、座学中心だったし……動かない物に魔法をかける試験で何とかなってたの。でも今回の試験は……」
いたずら鳥を制限時間内に魔法で捕まえること。
いたずら鳥とはカラスに似た灰色の鳥で、ずる賢く、他人(他鳥)をおちょくるような声で鳴く事からその名がついたらしい。
試験は森中にいるいたずら鳥を一匹でも捕まえられたら合格というものだったが、いかんせん、私の魔法が野生の鳥に当たるはずもない。
「まさか私の渾身の罠が撃沈するなんて……っ」
「あー……あの鳥、知能は高いから罠にかからないって有名よ」
「うん、そうらしいね。正直ナメてたわ……。だから私、今度は奴らの知らない魔法罠を仕掛けてやろうと思ってるの!見て、この害獣駆除の本!きっと専門家の知恵があればいたずら鳥の一匹や二匹……!」
拳を握る私に、メリルは首を傾げた。
「……いや、普通に魔法で攻撃すればいいんじゃないの?」
「それは……そうなんだけどー!」
そう大きな声を出した時、不意に談話室の垂れ幕が揺れた。
「あ、やっぱり。荒れてると思った」
ビニール袋を片手に、幕を除けて入ってきたのはアクセスだ。
私はむっと唇を尖らせる。
「べつに……荒れてないし……」
「ははっ、まあまあ。前回はツイてなかったんだろ。ほら、差し入れ」
そう言って差し出された袋の中にあったのは、食堂の限定プリンだ。
しかも私の好きな焦がしキャラメルのやつ。
「えっ!……いいの?」
「うん。頑張って、来週の試験」
「わあ〜アクセス!ありがと……ぅっ……」
手のひらに小さい器の重みを感じるのと同時に、現実が両肩に伸しかかってくる。
(そういえば来週じゃん……っ?!うわあどうしよう、もう7日しかないなんて……)
思わず遠い目をする私に、アクセスはきょとんとした。
「どうした?シンシア?」
「あははは……」
たぶんアクセスは想像もしていないだろう。
まさか私の命中率がゴミカスだなんて。
「実は……」
そろりと顔をあげた時、パン!という乾いた音が響いた。
「「っ!」」
見れば、メリルが両手を合わせてニヤリと笑っている。
「ちょうどいいじゃない」
「え……?な、なにが?」
「コントロールが苦手なら、得意な奴に教えてもらえばいいのよ。ねぇ、実戦魔法の成績トップさん?」
メリルの目は、私の隣――アクセスを見ていた。
ライヒンデルツ魔法学校の裏手、植物園と白い薬草寮の間の細道を通り抜け、壁を越えると、そこには立派な森がある。
"知れずの森"。
一度道を見失ったら二度と元の道には戻れないというその森で、私は両手を握りしめながら、隣のアクセスを見上げた。
「ねぇ、これで……分かってくれる?」
「あぁ……シンシアって、本ッ当にノーコンなんだな」
もはや感嘆するようなその声に、ふつふつと沸き起こる羞恥心。
でも事実だ。
私はぐっと奥歯を噛み締め、口を閉じる。
アクセスは片手で火球を回しながら、顎に手を当てた。
「……不思議だな。シンシアの魔法は、ちゃんと俺の火球の威力や速度に対応できてる。なのに、魔法自体が当たらないなんて」
「ぐぐ……」
「当たらない……というか、勝手に軌道がずれるのか……?もしかしてシンシアの意識が作用して……
?いや。確かに、相性は悪くないから……」
アクセスは真剣な表情で何事かぶつぶつと呟いている。
私はその横顔から視線を外し、ろくに魔法を当てられない自分の両手に目を落とした。
(結構、練習頑張ったんだけどなぁ……)
そして拳をぐっと握りしめる。
そもそも、一般的な魔法とは、森羅万象に宿る精霊の力を借りて発動するものだ。
火炎魔法なら火の精霊、風魔法なら風の精霊というふうに、それぞれの精霊に呪文で働きかけ、力を借りることで魔法が発動する。
だから例えば、呪文が上手く言えなくて精霊に言葉が伝わらなかったり、その精霊との相性が良くなかったりすると、暴発したり、魔法が不完全な形で発動する事になる。
けれど、私はそうじゃないのだ。
魔法はきちんと発動している。
ただ当たらないだけ。
(しくじらないよう、冷静に、丁寧に、狙いを定めてるのに……。)
私は、はぁと大きく息を吐いた。
「……なんで上手く出来ないんだろう」
「っ!」
進歩のない自分が嫌になる。
ライヒンデルツ魔法学校は、一教科でも再試験に落ちたら特待生ではいられない。
それは私の場合、退学を意味する。
(退学なんて……)
無意識のうちに唇を噛んだとき、ふと温かい何かが私の頭に乗っけられた。
アクセスの手だ。
「大丈夫」
「っ……」
そして固い手のひらが、優しく私の頭を叩く。
壊れ物に触れるかのように、何度も、何度も。
「シンシアは出来るさ」
ぐっと喉の奥が鳴った。
(どうしてこの人はいつも欲しい時に欲しい言葉をくれるんだろう。)
天性の優しさか、恋人への気遣いか。
その温かい手が触れる度、私は今までどうやって一人で頑張ってきたのかも忘れてしまう。
「っ……うん」
「やっと笑ったな」
そう言って眉を下げるアクセスが、私は誰よりも好きだった。
「逆に、無詠唱魔法はどうだろう」
少し落ち着いてから、アクセスがふいにそう言った。
私はびっくりして、素っ頓狂な声をあげる。
「へっ!?……む、無詠唱!?」
「あぁ。シンシアはずっと、慎重に、外さないように、狙いを定めて魔法を発動させてただろ?」
「うん……」
「それが逆に良くないんじゃないかと思うんだ」
「えぇ……?」
確かに。
自分でも当たらない自覚はあるから、つい『当たりますように、当たりますように』と念じながら呪文を唱えている節はある。
「でも、そんなことあるの……?」
私が首を傾げると、アクセスは小さく頷いた。
「あり得ない話じゃないと思うよ。精霊が呪文以外の、魔法使いの意識や性質に影響を受けてる事はほぼ確実らしいし」
「……」
私は思わず黙ってしまった。
考えたこともなかったのだ。
今まで、狙いを定める度に"当たれ、当たれ"と念じてきた。
でももし、その念が私の魔法の軌道を歪ませてるんだとしたら……。
「……私が、意識しなきゃいいってこと?」
「ああ。ただ、今まで刷り込まれてきた苦手意識が、7日で払拭できるとは思えない」
「うっ……」
私は言葉を詰まらせた。
その通りだ。
するとアクセスは、私の考えを見通したように微笑んだ。
「だから無詠唱魔法ならどうかなって。力技だけど。あれなら反射みたいなものだし」
「えっ……アクセス、できるの?」
「うん、もちろん」
そう言うと、アクセスは唇を結んだまま片手に炎を出した。
頭上の木の葉まで燃やしそうなその炎が、みるみる内に丸くなり、やがて頭と尾と羽根が現れる。
炎の中から現れたのは――不死鳥だ。
「っ……!」
「俺はギルフリートだからね。この程度の火炎魔法なら無詠唱でもできるんだ」
「えぇ……すごい……」
私は思わず息を漏らした。
無詠唱魔法では呪文に頼らない分、すべては精霊との相性にかかっているそうだ。
アクセスのお家は代々火炎魔法を使う一家とはいえ、学生がおいそれと使えていい魔法ではない。
(やっぱりアクセスって、すごいんだ……。)
すると、不死鳥が頭をアクセスにすり寄せた。
その優雅な動きに見惚れていると、ふいにその目と目が合う。
赤い炎が目の中で揺れていた。
「じゃあシンシア。風魔法でこいつを捕まえてみようか」
「えっ?!待って、いきなり?!」
「うん。時間もないし、練習も本番に近づけなきゃ。吹いて巻きとれでも、盾になれでも、何でもいいよ。シンシアが一番使いやすい魔法で捕まえてみて」
「っ……!」
その言葉を合図に、ばさりと羽を広げた不死鳥が一瞬で木の上に舞い上がる。
私からしたら、ターンを習得するつもりが、急にアクロバットを習得することになったようなものだけど、再試験は7日後。
何でもやってみるしかない。
(得意魔法ね……)
私は両手を前に出して、心の中で呪文を唱えた。
(盾になれ!)
「「……」」
けれど、もちろん何も起こらない。
(うぅー……っ。盾になれ、盾になれ、盾になれ!)
「っ……け、気配すらない……!」
「シンシア、最初は声に出してとにかく魔法を撃ちまくるんだ。それが一番早く体に馴染むから」
「わ、分かった!盾になれ!っ、盾になれ、盾になれ、盾になれ……」
でも、結局その日は、魔力も気力も底を尽きても、無詠唱魔法を会得することはできなかった。
「う゛ぅ〜……ぐすっ……」
「シンシア、大丈夫。大丈夫だから」
耳を打つ穏やかな声。
魔力切れの私を背負って、アクセスが帰り道を歩いて行く。
「シンシアはもともと筋がいいんだ。きっとできるようになるさ」
「……ぐすっ……すん、」
アクセスが一歩動くたび、私のおでこを夜風が撫でる。
頬に当たるのは他の人よりも高い体温。
私は鼻先をその肩に押しつけた。
少し布が焦げたような匂いがする。
「……もし、再試も落ちちゃったら……どうしよう……わたし、学校、やめなきゃ……っ」
ぽろりと目尻から溢れた涙がその肩を濡らした。
学校を辞めたくない。
まだアクセスとメリルと、何でもない日々を過ごしていたい。
別れたくない。
不安に押し潰されるように額を預けた、その時――。
「そうなったら、結婚するか」
アクセスは明日のランチを決めるみたいにそう言った。
まるで、当たり前にやってくる未来の事を話すみたいに。
私は鳩が豆鉄砲をくらったように目をパチパチさせた。
「な、っ……なに言ってるの?!」
「え。何って、プロポーズ……?」
「あっ……あなた、ギルフリート侯爵家の跡取り息子でしょ?!」
「じゃあ、その侯爵家の跡取りを足に使ってるのは誰なんだ?」
「うっ……」
はい。私です。
かといって、もう歩くどころか立てる気もしない。
だから大人しくその首にしがみつくと、私の太ももに回った腕に力が入った。
「……シンシアはさ、俺が誰にでもこんなことすると思ってるだろ?」
「えっ、違うの?」
「……違うよ、流石に」
呆れたような声でそう言って、アクセスが足を止める。
私はそろりと顔を上げた。
「好きな子にしかしない」
「っ!」
目の前で指ざわりの良い黒髪が揺れる。
アクセスは振り返って、私の顔を愛おしそうに見る。
「それも――とびっきり好きじゃないと」
そして、黒豹みたいな目を細めながら、濡れた目尻にキスをした。




