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アクセスと呼ぶ事が当たり前になってきた頃、その壁はやって来た。


『実践魔法Ⅰ 再試験 シンシア・ブラット』


「はぁあ〜」


でかでかと掲示板に貼られた知らせに、私は机に突っ伏して絶望のため息をつく。

ただのため息ではない。

絶望のため息だ。


「そう悲観することないわ。たまたま調子悪かったんでしょ?さくっと終わらせて来なさいな、特待生さん」 


メリルが談話室の灯りで爪をチェックしながらそう言った。

私は難問を解く時のように眉を寄せる。


「う゛ー……ちがうの」

「なに?」

「違うの」

「なにが」

「その……た、たまたまじゃないの。私、昔から狙って撃つみたいなのが苦手で……」


なぜか相手が息も絶え絶えになるキャッチボール。

ゴミ箱に一度もシュートされたことのないゴミ。

魔法で箒に掃かせようとしたら、水の入ったバケツにかかってしまって、水浸しになった玄関。

それこそたぶん、母や妹に聞いたら枚挙にいとまがない。


「……うそ」


メリルは信じられないと言うように目を見開いた。


「……本当なの」

「だって今まで……」

「今までは、その、座学中心だったし……動かない物に魔法をかける試験で何とかなってたの。でも今回の試験は……」


いたずら鳥(フォルシー・ガー)を制限時間内に魔法で捕まえること。

いたずら鳥(フォルシー・ガー)とはカラスに似た灰色の鳥で、ずる賢く、他人(他鳥)をおちょくるような声で鳴く事からその名がついたらしい。

試験は森中にいるいたずら鳥(フォルシー・ガー)を一匹でも捕まえられたら合格というものだったが、いかんせん、私の魔法が野生の鳥に当たるはずもない。


「まさか私の渾身の罠が撃沈するなんて……っ」

「あー……あの鳥、知能は高いから罠にかからないって有名よ」 

「うん、そうらしいね。正直ナメてたわ……。だから私、今度は奴らの知らない魔法罠を仕掛けてやろうと思ってるの!見て、この害獣駆除の本!きっと専門家の知恵があればいたずら鳥(フォルシー・ガー)の一匹や二匹……!」


拳を握る私に、メリルは首を傾げた。


「……いや、普通に魔法で攻撃すればいいんじゃないの?」

「それは……そうなんだけどー!」


そう大きな声を出した時、不意に談話室の垂れ幕が揺れた。


「あ、やっぱり。荒れてると思った」


ビニール袋を片手に、幕を除けて入ってきたのはアクセスだ。

私はむっと唇を尖らせる。


「べつに……荒れてないし……」

「ははっ、まあまあ。前回はツイてなかったんだろ。ほら、差し入れ」 


そう言って差し出された袋の中にあったのは、食堂の限定プリンだ。

しかも私の好きな焦がしキャラメルのやつ。


「えっ!……いいの?」

「うん。頑張って、来週の試験」

「わあ〜アクセス!ありがと……ぅっ……」


手のひらに小さい器の重みを感じるのと同時に、現実が両肩に伸しかかってくる。


(そういえば来週じゃん……っ?!うわあどうしよう、もう7日しかないなんて……)


思わず遠い目をする私に、アクセスはきょとんとした。


「どうした?シンシア?」

「あははは……」


たぶんアクセスは想像もしていないだろう。

まさか私の命中率がゴミカスだなんて。


「実は……」


そろりと顔をあげた時、パン!という乾いた音が響いた。


「「っ!」」


見れば、メリルが両手を合わせてニヤリと笑っている。


「ちょうどいいじゃない」

「え……?な、なにが?」

「コントロールが苦手なら、得意な奴に教えてもらえばいいのよ。ねぇ、実戦魔法の成績トップさん?」


メリルの目は、私の隣――アクセスを見ていた。



ライヒンデルツ魔法学校の裏手、植物園と白い薬草(ホワイト・ハーブス)寮の間の細道を通り抜け、壁を越えると、そこには立派な森がある。

"知れずの森"。

一度道を見失ったら二度と元の道には戻れないというその森で、私は両手を握りしめながら、隣のアクセスを見上げた。


「ねぇ、これで……分かってくれる?」

「あぁ……シンシアって、本ッ当にノーコンなんだな」


もはや感嘆するようなその声に、ふつふつと沸き起こる羞恥心。

でも事実だ。

私はぐっと奥歯を噛み締め、口を閉じる。

アクセスは片手で火球を回しながら、顎に手を当てた。


「……不思議だな。シンシアの魔法は、ちゃんと俺の火球の威力や速度に対応できてる。なのに、魔法自体が当たらないなんて」

「ぐぐ……」

「当たらない……というか、勝手に軌道がずれるのか……?もしかしてシンシアの意識が作用して……

?いや。確かに、相性は悪くないから……」


アクセスは真剣な表情で何事かぶつぶつと呟いている。

私はその横顔から視線を外し、ろくに魔法を当てられない自分の両手に目を落とした。


(結構、練習頑張ったんだけどなぁ……)


そして拳をぐっと握りしめる。

そもそも、一般的な魔法とは、森羅万象に宿る精霊の力を借りて発動するものだ。

火炎魔法なら火の精霊、風魔法なら風の精霊というふうに、それぞれの精霊に呪文で働きかけ、力を借りることで魔法が発動する。

だから例えば、呪文が上手く言えなくて精霊に言葉が伝わらなかったり、その精霊との相性が良くなかったりすると、暴発したり、魔法が不完全な形で発動する事になる。

けれど、私はそうじゃないのだ。

魔法はきちんと発動している。

ただ当たらないだけ。


(しくじらないよう、冷静に、丁寧に、狙いを定めてるのに……。)


私は、はぁと大きく息を吐いた。


「……なんで上手く出来ないんだろう」

「っ!」


進歩のない自分が嫌になる。

ライヒンデルツ魔法学校は、一教科でも再試験に落ちたら特待生ではいられない。

それは私の場合、退学を意味する。


(退学なんて……)


無意識のうちに唇を噛んだとき、ふと温かい何かが私の頭に乗っけられた。

アクセスの手だ。


「大丈夫」

「っ……」 


そして固い手のひらが、優しく私の頭を叩く。

壊れ物に触れるかのように、何度も、何度も。


「シンシアは出来るさ」


ぐっと喉の奥が鳴った。


(どうしてこの人はいつも欲しい時に欲しい言葉をくれるんだろう。)


天性の優しさか、恋人への気遣いか。

その温かい手が触れる度、私は今までどうやって一人で頑張ってきたのかも忘れてしまう。


「っ……うん」

「やっと笑ったな」


そう言って眉を下げるアクセスが、私は誰よりも好きだった。




「逆に、無詠唱魔法はどうだろう」


少し落ち着いてから、アクセスがふいにそう言った。

私はびっくりして、素っ頓狂な声をあげる。


「へっ!?……む、無詠唱!?」

「あぁ。シンシアはずっと、慎重に、外さないように、狙いを定めて魔法を発動させてただろ?」 

「うん……」

「それが逆に良くないんじゃないかと思うんだ」

「えぇ……?」


確かに。

自分でも当たらない自覚はあるから、つい『当たりますように、当たりますように』と念じながら呪文を唱えている節はある。


「でも、そんなことあるの……?」


私が首を傾げると、アクセスは小さく頷いた。


「あり得ない話じゃないと思うよ。精霊が呪文以外の、魔法使いの意識や性質に影響を受けてる事はほぼ確実らしいし」

「……」


私は思わず黙ってしまった。

考えたこともなかったのだ。

今まで、狙いを定める度に"当たれ、当たれ"と念じてきた。

でももし、その念が私の魔法の軌道を歪ませてるんだとしたら……。


「……私が、意識しなきゃいいってこと?」

「ああ。ただ、今まで刷り込まれてきた苦手意識が、7日で払拭できるとは思えない」

「うっ……」


私は言葉を詰まらせた。

その通りだ。

するとアクセスは、私の考えを見通したように微笑んだ。


「だから無詠唱魔法ならどうかなって。力技だけど。あれなら反射みたいなものだし」

「えっ……アクセス、できるの?」

「うん、もちろん」


そう言うと、アクセスは唇を結んだまま片手に炎を出した。

頭上の木の葉まで燃やしそうなその炎が、みるみる内に丸くなり、やがて頭と尾と羽根が現れる。

炎の中から現れたのは――不死鳥だ。


「っ……!」

「俺はギルフリートだからね。この程度の火炎魔法なら無詠唱でもできるんだ」

「えぇ……すごい……」

 

私は思わず息を漏らした。

無詠唱魔法では呪文に頼らない分、すべては精霊との相性にかかっているそうだ。

アクセスのお家は代々火炎魔法を使う一家とはいえ、学生がおいそれと使えていい魔法ではない。


(やっぱりアクセスって、すごいんだ……。)


すると、不死鳥が頭をアクセスにすり寄せた。

その優雅な動きに見惚れていると、ふいにその目と目が合う。

赤い炎が目の中で揺れていた。


「じゃあシンシア。風魔法でこいつを捕まえてみようか」

「えっ?!待って、いきなり?!」

「うん。時間もないし、練習も本番に近づけなきゃ。吹いて巻きとれ(リピュマレ・アデ)でも、盾になれ(リニョン・エクスド)でも、何でもいいよ。シンシアが一番使いやすい魔法で捕まえてみて」

「っ……!」


その言葉を合図に、ばさりと羽を広げた不死鳥が一瞬で木の上に舞い上がる。

私からしたら、ターンを習得するつもりが、急にアクロバットを習得することになったようなものだけど、再試験は7日後。

何でもやってみるしかない。


(得意魔法ね……)


私は両手を前に出して、心の中で呪文を唱えた。


盾になれ(リニョン・エクスド)!)


「「……」」


けれど、もちろん何も起こらない。


(うぅー……っ。盾になれ(リニョン・エクスド)盾になれ(リニョン・エクスド)盾になれ(リニョン・エクスド)!)


「っ……け、気配すらない……!」

「シンシア、最初は声に出してとにかく魔法を撃ちまくるんだ。それが一番早く体に馴染むから」

「わ、分かった!盾になれ(リニョン・エクスド)!っ、盾になれ(リニョン・エクスド)盾になれ(リニョン・エクスド)盾になれ(リニョン・エクスド)……」




でも、結局その日は、魔力も気力も底を尽きても、無詠唱魔法を会得することはできなかった。


「う゛ぅ〜……ぐすっ……」

「シンシア、大丈夫。大丈夫だから」


耳を打つ穏やかな声。

魔力切れの私を背負って、アクセスが帰り道を歩いて行く。


「シンシアはもともと筋がいいんだ。きっとできるようになるさ」

「……ぐすっ……すん、」


アクセスが一歩動くたび、私のおでこを夜風が撫でる。

頬に当たるのは他の人よりも高い体温。

私は鼻先をその肩に押しつけた。

少し布が焦げたような匂いがする。


「……もし、再試も落ちちゃったら……どうしよう……わたし、学校、やめなきゃ……っ」


ぽろりと目尻から溢れた涙がその肩を濡らした。

学校を辞めたくない。

まだアクセスとメリルと、何でもない日々を過ごしていたい。

別れたくない。


不安に押し潰されるように額を預けた、その時――。


「そうなったら、結婚するか」


アクセスは明日のランチを決めるみたいにそう言った。

まるで、当たり前にやってくる未来の事を話すみたいに。

私は鳩が豆鉄砲をくらったように目をパチパチさせた。


「な、っ……なに言ってるの?!」

「え。何って、プロポーズ……?」

「あっ……あなた、ギルフリート侯爵家の跡取り息子でしょ?!」

「じゃあ、その侯爵家の跡取りを足に使ってるのは誰なんだ?」

「うっ……」


はい。私です。

かといって、もう歩くどころか立てる気もしない。

だから大人しくその首にしがみつくと、私の太ももに回った腕に力が入った。


「……シンシアはさ、俺が誰にでもこんなことすると思ってるだろ?」

「えっ、違うの?」

「……違うよ、流石に」


呆れたような声でそう言って、アクセスが足を止める。

私はそろりと顔を上げた。


「好きな子にしかしない」

「っ!」


目の前で指ざわりの良い黒髪が揺れる。 

アクセスは振り返って、私の顔を愛おしそうに見る。


「それも――とびっきり好きじゃないと」


そして、黒豹みたいな目を細めながら、濡れた目尻にキスをした。




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