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それから、ギルフリートくんと話す機会が増えた。
たとえば移動教室ですれ違う時、講義棟から赤い箒寮へ帰る時、そして寮生ばかりの朝のランチルームで。
「おはよう。ここ空いてる?」
風にそよぐように、斜め向かいの椅子が動く。
椅子を引いたのはギルフリートくんだ。
私はさんざんチェックした前髪を気にしながら微笑んだ。
「うん、空いてるよ」
これも毎日のやり取りだ。
でも心がそわそわして、自然と背筋が伸びる。
隣でメリルが意味深な目配せをした。
その目配せに顔を赤くする前に、ギルフリートくんが頭をこちらに寄せる。
「昨日のホーム試合見た?」
「えっ?あぁ!うん!バイトがあって、途中までだけど……」
「そっか、お疲れ。ドルゲネスの4人抜きは見れた?」
「見た見た!すごかったね!私、箒の残像しか見えなかったよ」
昨日の興奮のままにそう言うと、ギルフリートくんも微笑んだ。
「うん、俺も」
「っ……」
その時、なぜか胸がぎゅっとなって、思わず胸を押さえる。
時々、こんな風に恋心が溢れそうになって困る。
ギルフリートくんをこれ以上好きになりたくないのに。
私は自分を落ち着かせるように小さく息を吐いた。
「ブラットさんは今日もバイト?」
「ううん、今日はオフだよ」
「じゃあ談話室で昨日の続き見る?」
「あー……ううん」
私はさっと視線をそらす。
「今日は、郵便局に行かなきゃ」
その瞬間、ギルフリートくんの目が探るように光った気がした。
肩に力が入っていることに気づかれただろうか。
私は貼り付けた笑みを深める。
『大丈夫だよ』
そう口を開く前に、ギルフリートくんが言った。
「じゃあ一緒に行くよ」
有無を言わせないその強さに、私は目を見開く。
「でもっ……」
「何時に出るつもりだった?」
「えっ。た、食べ終わったら……?」
「分かった。用意ができたら正門前で待ってるね」
「あっ、や、そんないいよ!流石にそんな迷惑は……」
「迷惑じゃないよ」
ギルフリートくんはそこで言葉を区切った。
「……俺が心配なだけ」
下げられた眉と優しい口調。
そして、どことなく強い思いを忍ばせたその瞳から、私は目をそらした。
「さあデートよ、デート!シンシア!どの服にする!?」
バタン!
メリルは部屋に戻るなり、自分と私のクローゼットを全て開いてそう言った。
「ちょっと落ち着いて、メリル」
「はぁ?シンシアったら何のんきな事言ってるの?!初デートでしょ?サクッとギルフリートを落とすのよ!」
「いやぁー落とすなんて……」
そう言いながら、私は力なくベッドの上に腰かける。
するとメリルが片方の眉毛を上げた。
「もうシンシアったら変な事言うのね。あんな風に誘われて、今更かまととぶるつもりじゃないでしょうに……」
「……」
「えっ、正気?!」
そう言ってメリルは手に持っていたワンピースをベッドに叩きつけた。
「どうして?!シンシアもその気なんじゃなかったの?!」
「や、でもね、その……」
「何……?」
私は苦笑いを浮かべ、身体を小さくする。
そしてぽつりと呟いた。
「私、家が借金まみれなのに……デートなんて、行っていいのかなって……」
「っ!」
メリルが小さく息を呑む。
私はわざと明るい声を出した。
「あはは、困っちゃうよね。ごめん。本当はね、私、恋なんてしてる場合じゃないの。空いた時間はちょっとでもバイトして仕送りしたいし、将来良いお家に雇ってもらいたいなら、あまり男の子と遊ばない方がいいでしょ?」
名家であればあるほど、貞節を尊ぶ。
素行が悪いという噂さが立てば、きっと侍女として雇ってもらうことは難しいだろう。
私は手のひらに爪を立てた。
「ギルフリートくんとデートなんてしたら、きっと他の女の子の顰蹙を買うわ。それに侯爵家の名門と貧乏子爵家じゃ、つり合いが取れないし。ギルフリートくんが誘ってくれたのも、それこそ一時の気の迷いかも……」
ぎゅうっと指に力が籠もる。
すると、ふいに柔らかな手が私の手に乗せられた。
「でも、好きなんでしょ……?」
メリルだ。
私はその優しい瞳を見ながら、頷く。
「ぅん……」
「もう、シンシア。お馬鹿さんね。なら答えは一つ。行くべきよ。あなたが将来のことを考えて、いろいろ気をつけている事は知ってる。でも、私達、まだ学生なのよ。身分も将来も関係ない。欲しいなら、何に手を伸ばしても許される年頃なの」
「っでも……」
すると両手で頬を挟まれて、うつ向いていた顔を上げさせられる。
その正面にメリルがいた。
真剣な顔で、メリルは私の顔を覗き込む。
「それにね、例えこの世の有象無象があなたを何て言おうと、リアンガーデンは絶対にあなたの味方よ。私はあなたをよく知ってる。何があっても、絶対力になるわ。絶対によ」
「メリル……」
「だから、怖がらないでほしいの。ギルフリートは確かに無自覚に思わせぶりな所があるけど、頼まれもしないのにただの友達の心配をしたりしないわ。そんなに軽薄な奴じゃない。信じて?大丈夫よ」
「っ、」
メリルの目が力強く頷く。
ふと、私は不安だったのかもしれないと思った。
故郷を離れ、爵位という後ろ盾もなく、一人王都で暮らさなければいけない不安。
角を立てずに生きていかなきゃ。
上手くやり過ごさなきゃ。
知らず知らずのうちに背負っていた気負いが、跡形もなく崩れていく。
「……っ、あり、がと……」
歪んだ唇でそう言うと、メリルも口の端をニッと上げた。
「友達だもん。当然でしょ」
「っ、うん」
「さあ立って。鏡の前に。何を着ていくか決めなくちゃ」
「うん……っ!」
待ち合わせは正門前。
ノースリーブの薄紫色のワンピースに、メリルが貸してくれた白いヒールの靴を履いて向かうと、ギルフリートくんはもう待っていた。
欅から落ちる木漏れ日が、その濃いグレーのシャツに模様をつける。
彼が静かに目を見開いて、私は首を傾げた。
「変じゃない?」
「……可愛いよ」
「ふへへ……っ」
少し、あざとかっただろうか。
はにかみながら反応を確かめるように彼の顔を見上げる。
すると正面に手が差し出された。
エスコートというには無骨なタイミング。
私は小さく首を傾げる。
「ごめん、ちょっと早足でもいい?」
「えっ?なんで……?」
「君のそんな可愛い格好、あんまり他の連中に見せたくないから」
そう言うギルフリートくんの耳は、少し赤い。
私は思わず吹き出した。
「ぶふふっ……!やだ。ギルフリートくんったら、そんなの誰も見てないよ……!」
「見てるよ。ほんと自覚ないんだね。他の男が君をどんな目で見てるか、教えてあげようか?」
へ。という間抜けな声が漏れた。
ぐいっと腕を引っ張られて、流れるように正門の壁に押しつけられる。
背中には壁、前にはギルフリートくん。
「ぎ、ギルフリートくん……」
その目に映る剣呑な光に、私はたまらず退路を探す――横だ。
木陰に遮られない陽の下へ。
と、視線を走らせた瞬間、目の前を白い腕が遮った。
私の逃げ道を、壁とギルフリートくんの腕で塞がれる。
覆い被さるような姿勢に、思わず声が上ずった。
「っ、ぎ、ギルフ……」
「アクセス」
前髪にかかる低い囁きに、悲鳴が出そうになる。
「ひっ、ぇ……?」
心臓がドキドキしていた。
私はまばたきを繰り返して、何とか今起きている事を整理しようとする。
でもギルフリートくんの体温が近くて、頭がうまく回らない。
「アクセスって呼んで」
前髪をくすぐったその言葉を、今はっきりと理解する。
この国で異性のファーストネームを呼べるのは家族か恋人、もしくは婚約者だけだ。
だから、つまり……。
「ア、クセス……」
乾いた舌でそう呼べば、ギルフリートくんは口の端を歪めて笑った。
そして悪戯をして楽しんでいる子どもみたいに、甘く聞く。
「何?」
「っ……!」
ちゅ、と柔らかい感触が前髪の生え際に触れた。
一瞬触れただけの、マシュマロみたいなその柔らかさに、顔がどんどん熱くなっていく。
「どうかした?」
「ぁっ……」
優しく覗き込まれて、私は両手で顔を庇った。
「……」
恥ずかしい。
でもそれ以上に嬉しくて。
「シ……っ、シンシアって、呼んで……」
蚊の鳴くような声でそう言うのが精一杯だった。




