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つま先をつけると、指の先からじんわりとした温もりが広がった。


「っ〜!最高だよー!ギルフリートくん!」


足を伸ばして、うんと夜空を見上げる。

すると、少し離れた所から返事が返ってきた。


「ああ…うん、そう。……よかったね」


その声がくぐもっているのは、ギルフリートくんが大きな岩の後ろで背を向けているせいだろう。

私は振り返って、お風呂の縁に肘を乗せた。


「ねぇ、ギルフリートくん……怒ってる?」

「っ、怒ってない……」

「そう?」


でも絶対にいつもの――誰にでも優しいギルフリートくんじゃない。


(もしかして、これがギルフリートくんの素なのかなぁ。)


なんだか嬉しくなって、じっと後ろの岩を見つめる。


「ブラットさん……お願いだから前向いて」


えっ、すごい。 

何で分かったんだろう。


「はーい」


私は大人しく前に向き直った。

こんな感じのギルフリートくんは新鮮だけど、怒らせてばかりは良くない。

摘んできたお花が水面に揺れている。

お湯を手ですくって肩にかけると、甘い匂いがふわりと漂ってきた。

パシャン パシャ

私のお湯をすくう音だけが辺りに響く。


「……………ごめん。やっぱり何か話して」

「え?なにかって何?」

「何でもいいから」


どうしたんだろう。

今日のギルフリートくんはなんだか注文が多い。

私は腕をさすりながら首を傾げる。


「えーっと……?」

「……そういえば、あの手紙を渡してきた奴はどうなった?あれから本当に大丈夫だったの?」

「あっ、うん」 


私は目を伏せながら頷いた。


「おかげさまで。大丈夫だったよ。お金もちゃんと届いてたみたい」

「お金……?」

「うん。仕送りしてるの。うち、借金があるから」


ギルフリートくんは少し言葉に詰まったようだった。

別に隠すことではない。

知っている人は知っている話だ。

手をお椀の形にして水をすくう。

パシャンと水が跳ねる。


「うちはね、麦も生えない、細々と織物をやるぐらいしか仕事がない土地なの。それでも何とか豊かにしたくて、2年前に大きな機械を買ったんだけど……すぐに父が倒れちゃって」

「……」

「しかもその年は小麦も不作で、すごく高かったの。でもうちは小麦が育たないから、買うしかないでしょ?そしたらもう、借金が膨れ上がっちゃって……」

「それは……」

「ツイてない?」

「……あぁ」


その歯に物が挟まったような言い方に、私は小さく笑った。


「ふふっ、ほんとにね。でも母が言ってたわ。人生って流されることしかできないんだって」


私は隣を流れる川のせせらぎに耳をすませる。

そして何度も自分自身に言い聞かせた言葉を繰り返した。


「だから、私は私のできる事をするの。寮なら食費も家賃もかからないし。仕送りもそう。このまま卒業できたら、良いお家に雇ってもらって、もっと稼ぐつもりよ。……なんて。品がないって怒られそうだけど」

「いや。ブラットさんは立派だよ」


はっきりとした口調に、私は目を瞬かせた。


「ふふっ、びっくりしちゃった。稼ぐために入学したなんて、あまり大きな声で言えないから」

「……まぁ、ここはそういう面で苦労してない生徒が多いからね」

「うん」 

「でも、家族のために頑張れるブラットさんは素敵だと思うよ」


お湯をすくう手が止まった。

引かれこそすれ、素敵だなんて言ってもらえると思っていなかったのだ。


(素敵……)


その言葉を頭の中で繰り返すうち、なんだか顔が熱くなってくる。


「……そ、そう?そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいなー!あっ、そろそろ上がるね」

「っ、」


ザパッと音を立てて湯から上がる。

肌に張り付く水着を引っ張って、私は頬に手を当てた。


(っはぁー!育ちが良いって怖ー!言葉がぜーんぶ優しいんだもん!)


勘違いしないようにしないと。

パタパタと顔を手で仰ぐ。

今なら多少顔が赤くても、お湯のせいに出来るかもしれない。

そんな事を考えながら、魔法で身体と髪を乾かしていく。

砂と土まみれの制服も適当に洗って、風魔法で乾かすと、見事にごわごわになった。

でも、もう着るしかない。


「……お風呂、ありがとう」

「っ、あぁ、うん」


岩の横から顔を出すと、ギルフリートくんは一瞬私を見て、すぐに顔をそらした。

それから目も合わせないまま立ち上がる。


「……俺も入って来ようかな」

「そ、そうする?あっ、私の後のお湯で大丈夫?」

「俺は全然。ブラットさんは平気?」

「?うん」


平気じゃない事があるのだろうか。

聞かれた意味が分からなくて、首を傾げる私に、ギルフリートくんはため息を吐く。


「はぁ。……それじゃ遠慮なく」

「うん。いってらっしゃい」

「……」

「……」

「……ブラットさん」

「なーに?」

「あっち向いといてくれると嬉しいんだけど……」


恥ずかしそうに眉を下げるギルフリートくん。

私はハッとして、飛ぶように岩の向こうに隠れた。

もう顔が熱くて熱くてたまらない。


「っ!ご、ごめん!そうだよね!ぼーっとしちゃってた!」


私はそう声を張り上げて、膝の間に顔を埋める。

そりゃそうだ。

ギルフリートくんは水着なんて持ってきてないんだから。


(えっ、ちょっと待って……!じゃあこの岩の向こうは……は、裸……?!)


ピシャンと雷に打たれた気分だった。

裸……。

当たり前だ。

ギルフリートくんが服を着てお風呂に入る習慣でない限り、お風呂に入る時、裸になるのは当たり前。

なのに何だろうこのドキドキは。

しかも、この距離。

遮蔽物は背中の岩のみ。


(み、見てみ……いやいや、犯罪!痴女でしょそんなの!だめだめ!)


そう頭を振って邪な考えを追い出す

でもやっぱり想像してしまうのだ。 

初めて出会った時、私に覆いかぶさった広い胸板とか、差し出してくれた手の、手首からその先を。


「っ……!」 


(っひいあああー!早く上がってぇええ!)


私は祈るように目をつぶって、顔を手で覆った。



「はぁー……」


パチパチと細木の燃える音に、私のため息が加わる。

なんでだろう。

お風呂に入れて身体はさっぱりしたはずなのに、心はどっと疲れたような気がするのは。 


「疲れた?」


焚き火を囲んだギルフリートくんがそう言った。

いつもきっちり止められているシャツのボタンが、少しだけ開いている。

鎖骨が見えそうでみえない開け方。

何だろう、ずるい。


「……うん」


私は地べたに座り込んだまま、隣の岩にもたれかかった。

夜の闇が辺りを包み、森と土と、ほんの少し花の匂いが鼻をくすぐる。

私の故郷の山にはない、生き物の息吹だ。


「ブラットさんって、兄弟はいるの?」


ふと、ギルフリートくんがそう聞いた。

私はのっそりと顔を起こして頷く。


「うん。いるよ。弟が1人と、妹が3人」

「へぇ、にぎやかだろうね」


そう言って、その薄い唇が穏やかに微笑むから、つい私も笑ってしまう。


「あははっ。それはねーもうねー……」


私は色んなことを話した。

聞かん気が強い上の妹と、おもちゃを譲ってばかりの弟、1番幼いのに、1番しっかりしている双子の妹達のこと。

母と家中の繕い物をしたら、3日かかったこと。

小さい時、織物を売る商人の馬車に乗って、父と遠くの町まで行ったこと。 

その人の多さに圧倒されたこと。

――そんな昔の、誰かに話すまでもない事まで。


パキッ


「「っ!」」 


ふいに、森の方から小枝の折れるような音がして、話を中断する。

じっとそちらを警戒していると、1匹のリスが地面から木の上へ駆け上っていった。

ギルフリートくんの視線が私に移る。


「……リスだね」

「っ、よかった…………って、ごめん!こんな、私ばっかり話しちゃって……」 

「そんな事ないよ。ブラットさんの話は面白いから」


ギルフリートくんはそう言って、またじっと私を見た。

私は思わず頬が熱くなって、視線を宙へさ迷わせる。


「え、えぇ……?そ、それなら良かった。けど……あっ!ねぇ見て!すごい星空!」


私は遥かな夜空を指さした。 

黒い布の上に箱いっぱいのダイヤモンドを零したみたいな空だ。


「綺麗ー……」

「本当だね」


ギルフリートくんもそう言った。

不思議だった。

星なんて故郷の空で見飽きてるのに、何故かこの星空から目が離せない。  


「――けどさ」


ふと、穏やかな声がそう続いて、私は視線をそちらへ向けた。

彼は目尻を下げて、微笑んでいた。

豹みたいな瞳がまっすぐに、私を見ている。


「俺は星よりも、ブラットさんの話を聞きたいな」

「っ……!」


息を呑んだ音がした。

でも、それはもしかして、恋に落ちた音だったのかもしれない。




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