13
つま先をつけると、指の先からじんわりとした温もりが広がった。
「っ〜!最高だよー!ギルフリートくん!」
足を伸ばして、うんと夜空を見上げる。
すると、少し離れた所から返事が返ってきた。
「ああ…うん、そう。……よかったね」
その声がくぐもっているのは、ギルフリートくんが大きな岩の後ろで背を向けているせいだろう。
私は振り返って、お風呂の縁に肘を乗せた。
「ねぇ、ギルフリートくん……怒ってる?」
「っ、怒ってない……」
「そう?」
でも絶対にいつもの――誰にでも優しいギルフリートくんじゃない。
(もしかして、これがギルフリートくんの素なのかなぁ。)
なんだか嬉しくなって、じっと後ろの岩を見つめる。
「ブラットさん……お願いだから前向いて」
えっ、すごい。
何で分かったんだろう。
「はーい」
私は大人しく前に向き直った。
こんな感じのギルフリートくんは新鮮だけど、怒らせてばかりは良くない。
摘んできたお花が水面に揺れている。
お湯を手ですくって肩にかけると、甘い匂いがふわりと漂ってきた。
パシャン パシャ
私のお湯をすくう音だけが辺りに響く。
「……………ごめん。やっぱり何か話して」
「え?なにかって何?」
「何でもいいから」
どうしたんだろう。
今日のギルフリートくんはなんだか注文が多い。
私は腕をさすりながら首を傾げる。
「えーっと……?」
「……そういえば、あの手紙を渡してきた奴はどうなった?あれから本当に大丈夫だったの?」
「あっ、うん」
私は目を伏せながら頷いた。
「おかげさまで。大丈夫だったよ。お金もちゃんと届いてたみたい」
「お金……?」
「うん。仕送りしてるの。うち、借金があるから」
ギルフリートくんは少し言葉に詰まったようだった。
別に隠すことではない。
知っている人は知っている話だ。
手をお椀の形にして水をすくう。
パシャンと水が跳ねる。
「うちはね、麦も生えない、細々と織物をやるぐらいしか仕事がない土地なの。それでも何とか豊かにしたくて、2年前に大きな機械を買ったんだけど……すぐに父が倒れちゃって」
「……」
「しかもその年は小麦も不作で、すごく高かったの。でもうちは小麦が育たないから、買うしかないでしょ?そしたらもう、借金が膨れ上がっちゃって……」
「それは……」
「ツイてない?」
「……あぁ」
その歯に物が挟まったような言い方に、私は小さく笑った。
「ふふっ、ほんとにね。でも母が言ってたわ。人生って流されることしかできないんだって」
私は隣を流れる川のせせらぎに耳をすませる。
そして何度も自分自身に言い聞かせた言葉を繰り返した。
「だから、私は私のできる事をするの。寮なら食費も家賃もかからないし。仕送りもそう。このまま卒業できたら、良いお家に雇ってもらって、もっと稼ぐつもりよ。……なんて。品がないって怒られそうだけど」
「いや。ブラットさんは立派だよ」
はっきりとした口調に、私は目を瞬かせた。
「ふふっ、びっくりしちゃった。稼ぐために入学したなんて、あまり大きな声で言えないから」
「……まぁ、ここはそういう面で苦労してない生徒が多いからね」
「うん」
「でも、家族のために頑張れるブラットさんは素敵だと思うよ」
お湯をすくう手が止まった。
引かれこそすれ、素敵だなんて言ってもらえると思っていなかったのだ。
(素敵……)
その言葉を頭の中で繰り返すうち、なんだか顔が熱くなってくる。
「……そ、そう?そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいなー!あっ、そろそろ上がるね」
「っ、」
ザパッと音を立てて湯から上がる。
肌に張り付く水着を引っ張って、私は頬に手を当てた。
(っはぁー!育ちが良いって怖ー!言葉がぜーんぶ優しいんだもん!)
勘違いしないようにしないと。
パタパタと顔を手で仰ぐ。
今なら多少顔が赤くても、お湯のせいに出来るかもしれない。
そんな事を考えながら、魔法で身体と髪を乾かしていく。
砂と土まみれの制服も適当に洗って、風魔法で乾かすと、見事にごわごわになった。
でも、もう着るしかない。
「……お風呂、ありがとう」
「っ、あぁ、うん」
岩の横から顔を出すと、ギルフリートくんは一瞬私を見て、すぐに顔をそらした。
それから目も合わせないまま立ち上がる。
「……俺も入って来ようかな」
「そ、そうする?あっ、私の後のお湯で大丈夫?」
「俺は全然。ブラットさんは平気?」
「?うん」
平気じゃない事があるのだろうか。
聞かれた意味が分からなくて、首を傾げる私に、ギルフリートくんはため息を吐く。
「はぁ。……それじゃ遠慮なく」
「うん。いってらっしゃい」
「……」
「……」
「……ブラットさん」
「なーに?」
「あっち向いといてくれると嬉しいんだけど……」
恥ずかしそうに眉を下げるギルフリートくん。
私はハッとして、飛ぶように岩の向こうに隠れた。
もう顔が熱くて熱くてたまらない。
「っ!ご、ごめん!そうだよね!ぼーっとしちゃってた!」
私はそう声を張り上げて、膝の間に顔を埋める。
そりゃそうだ。
ギルフリートくんは水着なんて持ってきてないんだから。
(えっ、ちょっと待って……!じゃあこの岩の向こうは……は、裸……?!)
ピシャンと雷に打たれた気分だった。
裸……。
当たり前だ。
ギルフリートくんが服を着てお風呂に入る習慣でない限り、お風呂に入る時、裸になるのは当たり前。
なのに何だろうこのドキドキは。
しかも、この距離。
遮蔽物は背中の岩のみ。
(み、見てみ……いやいや、犯罪!痴女でしょそんなの!だめだめ!)
そう頭を振って邪な考えを追い出す
でもやっぱり想像してしまうのだ。
初めて出会った時、私に覆いかぶさった広い胸板とか、差し出してくれた手の、手首からその先を。
「っ……!」
(っひいあああー!早く上がってぇええ!)
私は祈るように目をつぶって、顔を手で覆った。
「はぁー……」
パチパチと細木の燃える音に、私のため息が加わる。
なんでだろう。
お風呂に入れて身体はさっぱりしたはずなのに、心はどっと疲れたような気がするのは。
「疲れた?」
焚き火を囲んだギルフリートくんがそう言った。
いつもきっちり止められているシャツのボタンが、少しだけ開いている。
鎖骨が見えそうでみえない開け方。
何だろう、ずるい。
「……うん」
私は地べたに座り込んだまま、隣の岩にもたれかかった。
夜の闇が辺りを包み、森と土と、ほんの少し花の匂いが鼻をくすぐる。
私の故郷の山にはない、生き物の息吹だ。
「ブラットさんって、兄弟はいるの?」
ふと、ギルフリートくんがそう聞いた。
私はのっそりと顔を起こして頷く。
「うん。いるよ。弟が1人と、妹が3人」
「へぇ、にぎやかだろうね」
そう言って、その薄い唇が穏やかに微笑むから、つい私も笑ってしまう。
「あははっ。それはねーもうねー……」
私は色んなことを話した。
聞かん気が強い上の妹と、おもちゃを譲ってばかりの弟、1番幼いのに、1番しっかりしている双子の妹達のこと。
母と家中の繕い物をしたら、3日かかったこと。
小さい時、織物を売る商人の馬車に乗って、父と遠くの町まで行ったこと。
その人の多さに圧倒されたこと。
――そんな昔の、誰かに話すまでもない事まで。
パキッ
「「っ!」」
ふいに、森の方から小枝の折れるような音がして、話を中断する。
じっとそちらを警戒していると、1匹のリスが地面から木の上へ駆け上っていった。
ギルフリートくんの視線が私に移る。
「……リスだね」
「っ、よかった…………って、ごめん!こんな、私ばっかり話しちゃって……」
「そんな事ないよ。ブラットさんの話は面白いから」
ギルフリートくんはそう言って、またじっと私を見た。
私は思わず頬が熱くなって、視線を宙へさ迷わせる。
「え、えぇ……?そ、それなら良かった。けど……あっ!ねぇ見て!すごい星空!」
私は遥かな夜空を指さした。
黒い布の上に箱いっぱいのダイヤモンドを零したみたいな空だ。
「綺麗ー……」
「本当だね」
ギルフリートくんもそう言った。
不思議だった。
星なんて故郷の空で見飽きてるのに、何故かこの星空から目が離せない。
「――けどさ」
ふと、穏やかな声がそう続いて、私は視線をそちらへ向けた。
彼は目尻を下げて、微笑んでいた。
豹みたいな瞳がまっすぐに、私を見ている。
「俺は星よりも、ブラットさんの話を聞きたいな」
「っ……!」
息を呑んだ音がした。
でも、それはもしかして、恋に落ちた音だったのかもしれない。




