12
大事なのは勘違いをしないことだ。
ギルフリートくんは優しい。
でもそれは私に特別な感情があるからじゃなくて、彼の育ちの賜物。
いいですか?もう一回言います。
(育ちが良いだけだから!)
「ブラットさん」
「ありがと、っぅ」
こんなことを心の中で叫んでいるとは気取らせず、私は目の前に差し出された手を取る。
そして足場にしていた枝を蹴ったタイミングで、ぐいっと岩場の方に引き寄せられた。
体が浮遊感に包まれ、危なげなく岩場に飛び移る。
「っ!」
すると、途端にさっきまで足場にしていた木がミシミシと倒れていった。
まさに間一髪。
ホッとするよりも、先ず背筋が凍る。
(だって、あと少し遅かったら……)
私は身を固くして、恐る恐る岩場の下を覗き込んだ。
ドシン、ドシン、と地団駄を踏みながら、倒れた木の周りをぐるぐると回る大イノシシ。
あんな大きな蹄に踏まれていたら、私はきっと木っ端微塵だ。
(いくら寸前で転送してくれるって言っても、怖すぎる……!)
思わず身震いをする私の隣で、ギルフリートくんがけろりとした顔で言った。
「危なかったね」
「………?!」
(な、なんでそんな余裕なの……っ?!)
私はぱくぱくと口を動かして、ギルフリートくんを凝視する。
そもそも何でこんなサバイバルをしているのかと言うと、理由は簡単。
実践魔法授業のテストが「この"知れずの森"で朝まで生き延びる事」だからだ。
そう。
この、魔物だらけの森で。
……朝まで。
聞いた瞬間、私はもう補習でもいいやと思った。
こんな引っ張ったら千切れそうなブレスレットで強制転移できるなんて信じられないし、痛いのも怖いのも、何かの間違いで死ぬのも嫌だ。
でも、先生曰く、死ぬほど怖い目に合う以外、リタイアする方法は無い。
本当にやってられない。
(楽しいキャンプだって、聞いてたのに……!)
私はとある先輩の顔を思い出して、眉を寄せた。
無事に帰った暁には絶対に文句を言おう。
絶対、絶対、言ってやる。
そう指に力を込めたとき、初めてまだギルフリートくんの手を握ったままだった事に気がついた。
「ご、ごめん……!」
「え?いや?……どうやら生き残ったのは俺達だけみたいだね」
「っ……!」
ハッとして周りを見渡せば、確かに誰もいない。
4、5人は一緒の方向に逃げて来たはずなのに……。
みんなあの魔物に踏まれそうになって、転移させられたのか。
静かに唾を飲みこむと、ギルフリートくんが身を翻した。
「すぐにここも危なくなる。移動しよう」
「うん……」
向かう先はいくつか岩が重なった先の頂上だ。
折り重なった木々の葉の隙間から青い空が見えている。
(メリルは無事……かなぁ)
私はギルフリートくんの後に続いて岩を登りながら、一瞬、親友の事を考えた。
その途端につま先が岩肌を滑って、慌てて全神経を残りの手足に集中させる。
「っ、大丈夫?」
「うん、平気!」
これでも、草も生えない岩山ばかりの土地で育った女だ。
登るのは得意な方である。
左足を踏ん張って、ずれた右足の位置を調整し、もう一度岩肌をよじ登る。
「っはぁ〜」
「……ブラットさん、意外と登れるんだね」
頂上に両膝をつけると、ギルフリートくんが意外そうにそう言った。
その右手の中途半端な位置からして、もしかして、また手を貸してくれるつもりだったのかもしれない。
「ふふっ、秘密だよ」
そう人差し指を唇に当てると、ギルフリートくんは少しだけその瞳を見開いた。
この童顔と少し低めの背丈のせいか、よく男の子に変な幻想を抱かせてしまうことがある。
虫が苦手そうとか。
大きな声出さなそうとか。
それこそ、こんな高い岩場を一人で登り切っちゃったのは、イメージと違ったのかもしれない。
(がっかりしたかな……)
そう思って目線だけ上げると、その目は変わらず穏やかに微笑んでいた。
「分かった。秘密だね」
「っ……」
(はいー!ときめかないーっ!)
パンッ!と自分で両膝を叩いて、喝を入れる。
あの気持ち悪い手紙の件があって以来、やっぱりおかしい。
浮ついているというか、妙にそわそわするというか。
教室でも、廊下でも、ギルフリートくんをつい目で探してしまって……。
(……って何考えてるの?!いやいや!違うから!あのギルフリートくんだよ?!南の!大貴族!ないない!身分も何もかも釣り合わないし!ないないないない!ギルフリートくんもそういうつもりじゃないから!絶対!)
私は大きく息を吸って吐き出す。
みんなに優しいという事は、誰にも興味がないという事だ。
冷静になれ、私。
「……ギルフリートくんは、これからどうするの?」
「そうだな……とりあえず、寝る場所を探そうかな。ブラットさん、まだ歩ける?」
「えっ……私も行っていいの?」
目を丸くする私に、ギルフリートくんも同じように目を見開く。
「うん、せっかくここまで逃げて来たんだし。それに一人でいても暇だから、ブラットさんが話し相手になってくれたら嬉しいな」
(話し相手……)
それなら出来そうだ。
私は片手を差し出した。
「……危なくなったら見捨ててね?」
「ははっ、了解」
森の中で握手を交わす。
その余裕のある振る舞いが、やっぱりとても同い年の男子には思えなかった。
"知れずの森" のどこか奥深く。
日が沈み始め、ありとあらゆる物に影が落ちる。
ザァと風が木の葉を揺らす音が、巨大な魔鳥の羽音に聞こえた。
(もしも一人だったら、きっと不安でたまらなかったわ……。)
そんなことを思いながら、私は細枝にさした魚の身に齧り付いた。
美味しい。
すぐに2口目を齧りながら、向かいのギルフリートくんを見る。
「ギルフリートくんって、どうしてそんなに慣れてるの……?」
「えっ、そう?」
「うん。どんな魔獣が来ても全然びっくりしてない」
「あー……」
ギルフリートくんの火炎魔法で焼いた魚は絶品だ。
舌の上で身がほろりと崩れて、皮はパリッと香ばしい。
お店が開けるな〜と思いながら私は3口目を頬張る。
焚き火の小枝がパキッと音を立てた。
ギルフリートくんの白い頬に焚き火のオレンジ色が映る。
「……実家でもこんな感じだったからかな」
「嘘っ……」
ご実家でこんなサバイバルを……?
目を白黒させる私に、ギルフリートくんは小さく笑った。
「うちは火山島とその周辺が領地なんだ。火山島には竜がいてね。その保全もうちの仕事だったから、物心ついた時から山に放り込まれてたんだよ」
「えっと……竜がいる……山に……?」
「うん。でもまぁ竜が人を襲うことは滅多にないから。大体ああいう大猪とか火虎……が相手だったかな」
ヒッと私は息を呑んだ。
大猪も火虎も、年に数人は死人が出ている大型魔獣だ。
この年でそんな魔獣を相手にするなんて、彼のポテンシャルが恐ろしい。
「よく無事だったね……」
「ははっ、まぁひとり立ちするまではチームで動いてたから。あ、ごめん。岩胡椒取ってくれる?」
「はい」
黒いキャップの小瓶を渡せば、ギルフリートくんはそれを2匹目の魚にかけた。
どうやらギルフリートくんは辛口が好きらしい。
使いどころのない知識ばかりが増えていく。
「ありがとう。にしても準備がいいね」
「うん……先輩に教えてもらってたから」
「そうなんだ。赤い箒の?」
「ううん。白い薬草寮の。でもその先輩、キャンプみたいなものだーって言ってたから……。だから私、本当に今回、色々楽しみにしてたのに……」
つい唇を尖らせると、ギルフリートくんは愉快そうに笑った。
「ははっ、キャンプかぁ。まあ……確かに?」
「どこがっ?!そりゃあギルフリートくんのおかげで寝るところも見つかったし、魚も美味しいけどっ!」
「罠を作ったのはブラットさんだけどね」
「いいのそんなの!川にちょっと細い通路作っただけだから!そうじゃなくって私はもっと……!」
「キャンプファイヤーする?」
「っ…………………する」
すとんと腰を落ち着けると、辺りにギルフリートくんの笑い声が響いた。
「はははっ」
「……」
(うぅ、私ったら。何をムキになってるの……。)
私は無性に恥ずかしくなって、黙って魚を咀嚼する。
ほんとに何言ってるんだろう……。
でも後悔先に立たずだ。
言ってしまった言葉は口の中に戻せない。
私はちらりとギルフリートくんを盗み見た。
その口角は少し上がっている。
気の所為じゃなければ。
(ギルフリートくんって、すごいお家の嫡男なのに……変な人。)
はぁ、とよく分からないため息が出た。
骨だけになった魚を小枝ごと焚き火に投げ入れ、ぱんぱんと手を叩く。
それでも、指の間が何となくザラザラしているような感じがした。
手が土埃っぽいあの感じだ。
途端に眉間がかゆくなって手の甲で擦ると、手にじっとりとした汗がつく。
(あー。お風呂入りたい……。)
私は心のなかでそう愚痴った。
それこそこんな夜空の下で、薔薇のお風呂でもあったら最高なのに。
「…………あっ」
「ん?」
その時、私の脳裏にある閃きが降ってきた。
風のように素早くギルフリートくんの手を掴む。
「ギルフリートくん!」
「えっ、なに……」
「お湯!沸かしてくれる?!」
「えっ……?」
戸惑う彼の手を引いて、川岸へ寄る。
そこはさっき魚を捕まえるために魔法で小さな水路を作った場所だ。
「壁になれ、壁になれ、土に戻れ、壁になれ……」
「……ブラットさん?」
私は土魔法でその水路を人間が入れるくらいの水槽に作り変えると、ギルフリートくんに手を合わせた。
「お願い!この中の水、お湯にしてくれない?40℃くらいの!」
「えっ?いや、待って、ブラットさん。もしかして風呂にしようとしてる?」
「うん!」
私がそう頷くと、ギルフリートくんは一度顔を覆って天を仰いだ。
「いや、待って。いやさ、気持ちは分かるけど……………ほら。突然、魔獣が来ないとも限らないよ?」
「大丈夫、一緒に入ればいいじゃん」
「そうだよね、一緒には……えっ???」
ぐだぐだと煩いギルフリートくんは置いておいて、私はローブを脱ぎ捨てた。
何で今までこんな嵩張るものを着ていたんだろう。
うーんと伸びをして、私はリボンタイを解いていく。
「な……っ」
「大丈夫だよ。私、下に水着着てるから」
『キャンプなら、川で遊べるかもね』と、メリルと話していたおかげだ。
制服のシャツのボタンを3つ外し、ほら、と制服の下から水着の肩紐を出そうとした時、驚くほどの力で肩を掴まれた。
「へっ……」
「……だから?」
目を点にすると、ギルフリートくんが低い声で言う。
うつ向いていて、その表情はよく見えない。
「あ、えっ?あっ……だから、水着だよ?私」
「だからっ?!」
大きな声を出すギルフリートくんに、私は目を見開いた。
その白い頬が薄闇でも分かるほど赤い。
なぜか、心臓がドキンとした。
私まで顔が熱くなっていく。
「水着とか関係ないから!ダメなもんはダメだろっ?!分かってる?!もう夜だし、今は俺以外誰もいないんだって!」
「あ……っ」
肩に置かれた手が熱い。
私は狼狽えながら顔を背けた。
金色の瞳が肉食獣のように鋭くなる。
「……ブラットさん」
鼓膜を震わせる低い声。
私はドキリとした。
ニヤけそうになる顔を必死に耐える。
自分でも訳が分からなかった。
(あ、あれ?私、怒られてるのに……こんな……)
嬉しいなんて。




