11
ギルフリートくんは優しい。
「アクセス〜!なぁ月曜の魔性植物学のレポートやったかよー!?」
「っ、げほっ……お前さぁー首絞まるだろ」
首がもげそうなほど勢いよく抱きつかれても、笑いながら眉を下げるだけ。
ナチュラルに扉は開けてくれるし、重い物を運んでたら持ってくれるし、この前なんて、メリルとノリッジタウンへ行こうとしたら、「気をつけて」って2回も言われちゃった。
(えっ、彼氏……??)
いや、そんな訳ないんだけど。
そう自分でツッコミながら、私は食後の紅茶を口に含む。
時間はお昼どき。
南北に整然と並んだ長机の一つに、ギルフリートくん達がいる。
私達がいるのは一つ手前の机だ。
数人の女の子がギルフリートくん達に近づいていった。
すると、彼が一番最初に彼女達に気がついて、さり気なく彼女達に話を向ける。
女の子から話しかけさせまいという気遣いか。
(こ、これがナチュラルボーン上流階級……。)
全く持って恐ろしい。
私は静かにまた紅茶を飲んだ。
こんなにスマートな彼のこと。
初対面ですがりついてしまった事なんて、きっと屁でもない。
あんな優しさは彼にとって当たり前の習慣なのだ。
息を吸ったら吐くような、ごく当たり前の。
(あーときめいちゃう所だった……っ!)
私はぎゅっと目をつぶる。
恥ずかしくてもう顔から火が出そうだ。
谷底に落ちながら背中に感じた腕の温かさなんて、早く忘れてしまいたい。
ぐっと紅茶を飲み干すと、メリルが向かいの喧騒を一切感じさせない落ち着いた声で言った。
「ねぇシンシアは午後……あっ、そういえばノリッジ・タウンに行くんだった?」
「……えっ?あっ、あぁ、うん。用事が済んだらすぐ帰るけど、どうしたの?」
「ううん。何でもないの。なら寮で待ってるわ。戻ってきたらもう1回ルノルマンゲームをやらない?」
「ふっふー、いいよ。まだまだ箱入りメリルには負けないんだから」
ルノルマンゲームは仕事、家族、借金など人生の様々なマスを経て最終的に1番お金を持っている人が勝ちというボードゲームだ。
誰かが持ってきて、昨日は、赤い箒寮の女子達で遅くまで熱中していた。
その中で、メリルは本当に、あの手この手で借金まみれになっていたのだ。
まるで運に見放されたように。
「次こそ保険に入るわ……!」
「あはははっ」
本気で悔しがるメリルに思わず笑ってしまう。
2年生になって1ヶ月と少し。
けれどメリルとは。もうずっと昔からの友達のようになっていた。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
「うん!ルノルマンゲームを広げて待ってて!」
正門まで見送りに来てくれたメリルに手を振って、私は乗り合い馬車に乗り込む。
ノリッジタウンまで僅か10分。
行って帰って、用事を済ませても、1時間もかからないだろう。
帰ったらメリルとルノルマンゲームをやろう。
他に誰か誘おうか……なんて事を、この時は考えていた。
なのに――
「…………」
「…………」
黙り込むメリルと私。
向かい合う私達の目の前には机に置かれた白い封筒がある。
何の変哲もないただの封筒だ。
右に傾いた癖字で"シンシア・ブラット様"という表書きがある。
裏に差出人の名前はない。
ただそれだけ。
でもそれが、今はとても恐い。
「……知らない人なのよね?」
「うん……」
渋い顔のメリル。
私は項垂れるように頷いた。
ことの発端は、ノリッジタウンの郵便局へ行ったことだった。
私はバイトで得たお金の大半を毎月故郷に仕送りしていて、今回もその手続きのために窓口へ向かったのだ。
しかしいつものように手続きを終えた所で、窓口の係員に突然、声をかけられた。
『君さ、毎月来てるよね?俺、初めて見たときから君のこと可愛いなと思ってて。これ、読んでくれない?』
そう言って、パーテーションで隠すように出されたのがこの封筒。
表書きに書かれた私の名前に、ひゅっと背筋が寒くなる。
(どうして私の名前……っ!)
そう思って、ハッとした。
この人は盗み見て覚えたのだ。
故郷に送金する私の送り状を。
一瞬で鳥肌が立った。
私はつっかえながら首を振る。
『……い、いりません。結構です。知らない人からの手紙は、ちょっと……っ!』
一歩後ろに引いた私の手。
その手首にかかっていたトートバッグを強引に開けられる。
『っ?!』
声の出せない一瞬の間に、その人は手紙を私のバッグに入れると、サッと郵便物の並ぶ奥の部屋へと消えていった。
『あ、あの……!』
そう呼びかけると、電話中の他の係員さんがちらりと顔を上げる。
『ぁっ……』
呼び出そうにも名前も知らない。
顔だって見たのは一瞬の事で。
20代後半の……眼鏡をかけていたような、いなかったような……。
(だ、ダメだわ……)
恐怖のせいか、その微かな記憶もどんどんボヤケて消えていく。
どうしよう。
本当は今すぐ突き返したいのに。
私はトートバッグの持ち手を握りしめた。
勝手にカバンを開けられた恐怖で心臓がバクバクしていた。
それに、名前も知られている。
送り状を見たのなら、きっと住所も知られているだろう。
私は震えながらうつむく。
(どうしよう……どうやったら、事を荒立てずに断れる……?)
必死に考えても、いい案は浮かばない。
そのうち、ただ突っ立っているのを誰かに見られているような気がして、私は急いでライヒンデルツに戻って来たのである。
そして今、赤い箒寮の談話室で、メリルと私は頭を悩ませていた。
「……名前を知ってるって事は、そいつ……シンシアがブラット子爵家の令嬢だって分かってるってことよね?」
「……ん、たぶん……」
一応、毎回仕送り先はブラット子爵だ。
それにライヒンデルツ魔法学校はほぼ全ての生徒が貴族出身だから、ライヒンデルツのローブを着ていて、平民だと思われることはまずない。
メリルは眉間の皺をますます濃くした。
「子爵家を侮れる……相手は同じくらいかそれ以上の家格の三男、四男。もしくは力のある成金ね」
「そんな……どうしようメリル……私、勝てる要素がゼロなんだけど……」
私は椅子に座ったまま頭を抱えた。
するとメリルが慌てて両手を振る。
「だ、大丈夫よシンシア!私、お兄様に話してみるわ。お兄様、結構顔が広いから、その失礼なクソ野郎にも心当たりがあるかもしれない」
「失礼なクソ野郎?」
その時、耳馴染みのいい声がした。
顔を上げると、赤い天幕の後ろに、ギルフリートくんが立っていた。
「ひどい言い方だな、リアンガーデン。またミゲルと喧嘩?……あれ、ブラットさん?どうしたの」
「あぁ……ううん、何でもないの」
私は驚きながら空元気でそう言った。
その時、ギルフリートくんは私達の間に置かれた封筒に気づいたらしい。
「……何?それ」
私宛の、切手のない封筒。
目をそらす私に、メリルが問いかける。
「……シンシア。話してもいい?」
「うん……」
気まずさと申し訳なさを感じながら、私は頷いた。
メリルから話を聞いたギルフリートくんは冷静だった。
メリルのいた椅子に腰かけると、ちらりと私の顔を伺う。
「これ、読んでいい?」
「っ、うん……」
触るのも気持ち悪い封筒を、ギルフリートくんは指で乱暴に開ける。
そして中の便箋を手に取ると、文字を目で追い始めた。
すると、ギルフリートくんの表情がどんどん厳しくなっていく。
「成る程」
「……何て?」
メリルが隣で私の手を握りながらそう尋ねた。
「まあ、告白だよ。大体は。……それで、返事を聞かせてほしいって電話番号が書いてあるけど、どうする?」
私は思わず、うげぇ。という顔をした。
こちとら軽くトラウマになっているのに、電話なんてしたくない。
私の顔を見て、ギルフリートくんも頷く。
「……だよね」
「ごめん、ギルフリートくん。やっぱり私、それ捨てちゃおうと思うの。もう見なかったことにしよう?名前とかバレてるけど。違う郵便局に行けば、きっともう会うこともないだろうし」
けれどギルフリートくんは、しばらく考えた後にそれを否定した。
「いや。それはあまり良くないと思う。手紙を無理やり君のカバンに入れた事からして、相手は自信家で、人の話を聞かないタイプだ。君が返事をしない事を了承だと都合よく捉えかねない」
「……そうね」
ギルフリートくんの言葉に、メリルも苦々しく頷く。
私はぐっと唇を引き結んだ。
そうは言っても、あの係員の声なんてもう二度と聞きたくないし、関わりたくない。
でも、二度と関わらないでいるためには、もう一度話さないといけないのだ。
あの人と。
「…………分かった。それ、貸して?」
私は唇を固く結んだまま、ギルフリートくんに手を差し出した。
電話番号の書いてある手紙がいるからだ。
するとギルフリートくんは小さく頭を振った。
「ううん、俺がかけるよ」
「え?」
私はたっぷり間を開けて、目を瞬かせた。
「えっ、いや、でも、嫌な事とか言われるかもしれないし……っ!」
ギルフリートくんは有名な貴族のお坊ちゃんだ。
話してても思う、育ちが良い。
だからそんな事をさせるなんて恐れ多いし、そんな事をしてもらっても私は何も返せない。
手紙を取り返そうと手を伸ばすと、ギルフリートくんはひょいと手紙を頭上に掲げた。
私の指が空を切る。
「だからだろ?」
「っ……!」
「変な男と話すのは俺がするよ。怖いでしょ?ブラットさんは。俺なら平気だから」
「っ……で、でも……」
「大丈夫」
その目は優しい、親切心100%の目だった。
借りを作るなんて考えた自分が恥ずかしくなるくらい。
そう、ギルフリートくんは優しい。
(あああ!分かってる!分かってるけど、ときめいちゃう……!)
「っぅぅ…………」
「ブラットさん?」
突然呻き声を上げた私を、ギルフリートくんが覗き込んだ。
ほんのり赤い顔のまま見つめ合うこと数十秒。
「……何してるの?」
メリルの一声で、私達は揃ってそちらを向く。
「メリル!どこ行って……ってそれ……」
「電話機。事情を軽く話して借りてきたの。あんまり人が多いところでする話でもないでしょ?」
「あぁ、ありがとう。リアンガーデン」
メリルはコードを引きずったまま歩くと、机の上にひと抱えの電話機を置いた。
そして受話器を取ると、当然のようにギルフリートくんに渡す。
(……もう何も言うまい。)
私も覚悟を決めて、元のソファに座り直した。
ギルフリートくんの指がダイヤルを回し始める。
カチャ、シャー、カチャ、シャー……。
番号をスライドする音が響く。
「シンシア、大丈夫?」
「……うん」
本当はちょっと気持ちが悪い。
けれど二人を巻き込んだ側の私が逃げ出す訳にもいかない。
そう静かに拳を握った時、低い声音が響いた。
「……失礼」
繋がった。
私はパッと顔を上げる。
ギルフリートくんはゆっくりと太ももに肘をつきながら言った。
「僕、今日貴方に手紙を渡された女性の婚約者ですけど」
「っ?!」
(今、流れるようにとんでもない嘘が聞こえてきたけど……)
私は平然と嘘を吐くその涼しい顔を凝視する。
「彼女、怖がってるので、今後一切こういう事は止めて頂けますか?……えぇ。そうです。……えぇ、僕ですか?」
黒い前髪が揺れて、ギルフリートくんと目が合う。
"見といて"
というように瞬く長いまつ毛。
「僕は、アクセス・フォン・ギルフリートと申します」
「っ、」
悪ガキのように輝く瞳。
口角の上がった薄い唇。
その意地悪な微笑みが、強烈に私を引き付けた。
まるで見えない力で引っ張られているかのように、その顔から目が離せない。
「……えぇ。はい、そうです。はい。良かった、ご理解頂けたようで」
頷きながらギルフリートくんが目を伏せる。
もう勝負がついた事を確信している笑みだ。
首か心臓か、どちらに牙を立てようか迷っている豹のように、白い犬歯の先が覗く。
「それで、貴方が送り物から彼女の名前や住所をを知った件ですが――えぇ。あぁ、なんだ。そうでしたか。それはよかった。えぇ、彼女も安心して眠れるでしょう。もちろん貴方も。えぇ、はい。それでは……さようなら」
ガチャンと受話器を置いて、ギルフリートくんは目を細めた。
「もう大丈夫だよ、ブラットさん」
「っ、」
私はぐっと息を呑んだ。
分かってる。
分かってるけど。
これでときめかないのは、流石に無理だ。




