8.女性らしさとアリアナの心
「今度王家主催の夜会があるのだが」
貴族の義務として昼のお茶会と夜の夜会は社交における重要な役割を担う。
結婚して数か月経過してそろそろ慣れてきたころ、その時が訪れた。
「よろしいかと思います」
食後のお茶を含み、心を落ち着かせる。
「だからきみの……アリアナのドレスを買いに行く。料理長には伝えてある」
先日の歌劇デートのときのやり取りを封印するかのように、ブルルはテーブルに両肘を突き組んだ手の上に顎を乗せて私をじっと見ている。
……見ているというより、じっとりと睨まれている気がするのは気のせいかしら。
「私のパートナーはアリアナだ。他にいないのできみの物を買う」
有無を言わせない圧力で、断ることは難しそうだ。
セバスさんたちも相変わらず生温かい眼差しを送ってくれる。
本音としてはお家でのんびりとしていたいのだけれど。
「そうと決まったら、きみ、夜会までにアリアナを磨き上げてくれ」
「かしこまりました。存分に腕を振るわせていただきます」
私の後ろに立っていたマージが心得たとばかりに返事をした。
戸惑う私を置き去りにして。
「どうしても行かなきゃだめ?」
夜会のドレスを買いに出掛ける準備を手伝ってもらいながら、マージに聞いてみる。
「お嬢様も結婚して奥様になられたのですから、侯爵夫人として顔を覚えてもらう為にも社交は必要です」
実家にいるときは貧乏だったので夜会などは両親だけで私は留守番をしていた。
手入れだって植物のことは好きだけれど自分を飾ることは苦手だ。
それもあって、ブルルに第二夫人を、と思っていたのだけれど。
「お飾り妻でいいんだけどなぁ」
ぽつりと呟くと、髪を結っていたマージから小さくため息が聞こえた。
「お飾り妻ならしっかりと飾っていただかなければなりませんね」
「……そうか、お飾り妻を飾るのね。そういうことなら行くのもやぶさかではないわ」
「本当はちょっとは楽しみなのでは?」
「黙秘します」
きっとマージには私がブルルに惹かれているなんてお見通しなのだろう。
けれどね、マージ。私がブルルの隣にいてもきっと指をさされるだけだわ。
だから華やかな人の方がいいんじゃないか、って思ってるの。
なんだかんだ言いながら私の好きにさせてくれているし、妻として接してくれているのは分かるもの。悪い人ではないと思う。初夜のあれさえなければね。
「今日のところはこんな感じでしょうかね」
鏡を見れば私ではないような女性が写っている。
いつもの少し泥のついた顔じゃなくて、きれいに化粧を施された私だ。
「奥様はお肌がきれいです。お化粧のりもいい。以前は真っ直ぐだった髪も今はふわふわして可愛らしいです。磨けば光る原石なのですから自分には畑しかないと思い込まないでくださいね」
思わずぐっと言葉に詰まる。マージはこう言ってくれるけれど、……ブルルはどう思っているのだろう、なんて気になりだしたら止まらない。
支度を終えて階段の下で待っていたブルルは、私を見るなり固まってしまった。
やっぱり変だったかな。
「わたし……やっぱりお留守番してます!」
「なぜだ!?」
「旦那様、そこは奥様を褒めるところですよ」
セバスさんが援護しているけれど、私は羞恥から逃げ出したくて踵を返した。
「アリアナ、似合ってる。先日もおめかしした姿は見たはずだが、今日もきちんとめかしこまれている」
顔を真っ赤にしたブルルの言葉は事実を述べただけでちっとも響かない。はずなのに、思わず俯いてしまった。……ブルルのくせに。
「あー、違う。その、先日も、今日も、よく似合っていて、その……つまりだな、可愛らしいと思う」
そんな風に言うのはズルい。
こっちは慣れていないし、返答に困る。
こんなとき私がトマトならその言葉で顔が真っ赤になってもごまかせるのに……!
「と、とにかく行こうか。先日は結局買い物もできなかったし、ちゃんと考えてドレスも決めたい」
「だ、大丈夫です。ちゃんとお飾り妻として飾られますから」
前のめりになったブルルの顔を直視できず、後ずさる。
それからしん、とおとなしくなったので見てみれば、何だか使命感に燃えているような顔つきだった。
「行こう」
そのままエスコートをされ、着きましたるは侯爵家御用達というブティックだった。
「あらあらあらあらいらっしゃいませ! ディスティニア侯爵様自ら奥様とお出ましになるなんて……結婚式のときは張り切ってドレスを作らせていただきましたがあれから音沙汰が無いので心配しておりました」
入るなりマダムから熱烈な歓迎を受けた。
内容からすると、結婚式のドレスを作られたのがこのブティックなのね。
……初夜を思い出してずぅんと沈みかけたけれど、ブルルの言葉に阻止された。
「今度の夜会で着るドレスを作りたい。時間はあまり無いが大丈夫だろうか?」
「ほかでもない、ディスティニア侯爵様からのご依頼ですもの。お針子を総動員させましょう。
さあさ、奥様はこちらへ」
「めいっぱい着飾ってくれ」
きらんと二人の目が光る。
私の戸惑いをよそに、あれよあれよと着せ替え人形と化してしまった。
「こちらの色がいいかしら。ああん、可愛らしいから何でも似合うわぁ。旦那様のお色は入れなさる?」
「当然だ」
「じゃあこっちとそっちで差し色はこんな感じで」
「それだとアリアナの可愛らしさが引き立たない。もっと明るい色にしてくれ」
ああでもない、こうでもないという二人のやり取りを目まぐるしく見ながら文字通り何度も試着を繰り返し、ようやく目処がたったところで休憩と称してお茶を出された。
「つ、疲れました……。麦の刈り取り作業より疲れました……」
「相変わらず基準が独特だな」
カマを持って腰を曲げての地道な作業より、ドレスを合わせる方が疲れるなんて思ってもみなかった。
思えば今まで既製品だったし、平均的な体型で困らなかったから初めての体験だ。
ウェディングドレスは用意してもらったからサイズは、と思ったけれど侯爵家の美味しいご飯によって少しばかり増えたらしい。
改めてサイズを測り直し、それに合うよう仕立てたのだ。もうへろへろである。
更に言えばブルルがあれこれ口を出すとは思わなかった。
自分の色を入れたり、私にも似合う物を考えてくれたり、まるで……飾るのが好きみたいな行動に思わず胸が高鳴った。
「このあとはスイーツでも食べに行くか」
「スイーツですか?」
「ああ。女性が好みそうな店を聞いたんだ。きみがよければ……」
「あら、誰かと思えば……ブルーじゃない」
声のした方を見れば、真っ赤な薔薇をあしらったドレスを着たご婦人が、周りに若い男性を侍らせながら近寄ってくるのが見えた。
「マゼンダ夫人……」
「ごきげんよう。そちらのお嬢様は奥様? ……ふふっ、可愛らしい御方ね」
真っ赤なルージュはブルルの名を表しているかの様だ。
まさか……
「お気を付けなさい、お嬢さん。ブルーは社交界ではとてもとても令嬢たちからもてていたのよ」
「マゼンダ夫人! 何を言っているのですか!」
ブルルの慌てようを見れば過去に何かあったのかもしれない。
「ご忠告、感謝いたしますわ。しかしながら、私はきちんと弁えておりますのでご心配は無用です」
そうだわ。
最近は何だかんだで絆されかけていた。
危ない危ない。
私にはブルルの愛する人を探す使命が残っている。
マゼンダ夫人は妖しい笑みを浮かべて私の頬をなぞり、男性たちと奥へと進んだ。
「アリアナ、すまない。彼女は……」
「スイーツ、食べに行きましょう」
なるべくニッコリと笑ってみせる。
お飾り妻としての心得は、正妻の威厳を保つことだ。
感情に揺らされてはいけない。
踏まれても立ち上がる麦穂のように、強くあらねばと改めて誓うのだった。




