3.領地へ視察……待ってました!
あの日から使用人たちと食事をしていれば、なぜかブルルも混ざり始めた。朝食のときの楽しそうな雰囲気に釣られたらしい。
最初は使用人たちも緊張気味だったけれど、黙々と食べるブルルが空気と一体化していったので段々気にならなくなったようだ。
チラチラ見てくるから気にはしているのだろうけれど、何も言わないのでそっとしておいた。
「三日後、領地へ視察に行くことにした」
いつものように食後のお茶を嗜んでいると、ブルルがボソッと言い出した。
その言葉にしゃきん、と私の中の何かが鳴った。
来たわ、来たわ、とうとう来たわ。政略結婚の成果を見せるときがやってきたのだわ!
私とブルルは政略結婚だ。そこに愛はなくても侯爵家の広大な農地がなければ意味がない。
ディスティニア侯爵家の農地は元々小規模だったが、隣の領地を持つ貴族が没落した為、仕事に邁進し王太子殿下の覚えめでたいブルルが国王陛下から一緒に治めるよう命令が下されたのがつい最近。
既に家督をブルルに譲っていた侯爵がいつまでも結婚しない嫡男の相手に農業に適した女性を探し、私に打診がきたというわけだ。
そのおかげで私が合法的に介入できるのだからお義父様グッジョブですわ。
「では、準備しなくてはなりませんね」
どんな土地だろう。どんな作物が育てられているのだろう。
うっきうきで想像をしていると、呆気にとられたブルルは困惑したような表情を浮かべていた。
「きみも……来るのか?」
「もちろんですわ! ……なにか不都合でも?」
はっ!
もしや領地に片思いの相手がいるとか……!?
使用人たちとの会話を聞いていると、彼らの中にはいないようだった。身分差があるから片思い、というわけではなさそうだけれど、領地に囲われているのかもしれない。
「思考が全部口から出ているが、大外れだ。私に不都合などない。愛人なんかも一切いない」
「そうなのですか? でも初夜で……」
ブルルは気まずそうにゲホゲホと咳払い、目を逸らして続けた。
「女性はそういうのは好きではないと思っていたから意外だな、と思ったんだ」
これは……おそらく、今までブルルの周りの女性は領地経営よりも社交を主体と考える方ばかりだったのだろう。領地は地方の一部、地方は王都よりも控えめなのが常だ。
だから女性たちに人気が無い、つまり私もそうだと思われたのかもしれない。
「ご安心くださいませ、旦那様。この結婚は侯爵家の広大な農地があるからこそ承諾した政略的なもの。私は仕事をする為に嫁いで来たのです。視察にはぜひともお供いたしましょう」
でんっと胸を張って言えば、さらに困惑気味のブルル。
「きみは……農地があるから結婚を承諾したのか……?」
「もちろんですわ!」
「わ、私と、結婚を、したかったのではなく……?」
ナニヲイッテイルノダロウ?
「もちろん、フェイト伯爵家への資金援助はありがたくいただいておりますが、決め手は未開の農地があるからですわ」
だからブルルから愛されなくても平気です、と胸を張って言えば、昨夜のようにしゅんとした顔になってしまった。
「だ、だから、旦那様はご遠慮なく第二夫人を探して構いませんからね」
「うぐっ……」
「片思いのお相手さんか愛する方が早く見つかるよう、私も尽力いたしますね」
「ぐふっ」
なぜか胸を押さえだしたブルルに今度は私が困惑する番だった。
近くにいたセバスさんに目線で助けを求めても、つい、と目を逸らされた。
旦那様をじとっとみて、小さくため息まで吐いている。
「……分かった。視察はきみと行こう。出発は三日後だ」
「やったー! 旦那様ありがとうございます! 早速準備いたしますね!」
楽しみだなぁ。一面の麦畑に憧れ、ハウス栽培の果実に恋をして侯爵家に来てよかった。
うっきうきで食堂をあとにし、マージと二人の侍女さんと一緒に荷物を詰めているとあっという間に三日が経過した。
「旦那様、朝ですよ! 朝! 起きてください領地に行きますよ!」
「ゔ……待って、もう少し……睡眠を……」
「何を呑気なことをおっしゃっているのですか! 領地が私たちを呼んでおりますわ。早く支度なさってくださいませ! 睡眠は馬車の中でなさいませ!」
清々しい朝を迎え、掛布をひっぺがせばブルルはぶるっと身じろぎをした。
迷惑そうに顔を歪め、体を丸めるがそれでも体を起こして眠そうに目をこする。
「きみは朝から元気だな」
「ええ、おかげさまでぐっすり眠れましたので」
「それは何よりだ」
ははは、と笑いながらブルルの目の隈はより濃くなっている気がする。
何度か寝室を分けようと提案したけれど、頑なに一緒に寝るのは譲らない。慣れるまでは放っておくしかないのかも。
それから私たちは支度をして、いざ出発というとき。
「なぜ別々の馬車なんだ?」
「旦那様は睡眠不足でしょう? 馬車の中で気楽に過ごしていただきたいと思いまして」
「夫婦なのだから気にせずに二人で乗るべきではないか?」
「そうでしょうか……?」
「夫婦は家族だ。きみの実家では家族は同じ馬車ではないのか?」
言われてみれば、一台の馬車にみんなで乗っていたわ。
狭いけれど、わいわい会話しながらだったから長時間の移動も苦痛ではなかった。
「それに新婚早々別の馬車に乗っていては疑われてしまうかもしれない」
疑われるもなにも、というのは喉元で止めておいた。
ブルルと何を話せばいいか分からないけれど、会話に困ったら女性のタイプや片思い相手の探りを入れればいいか。
「……そろそろ起きたらどうだ」
「へぁっ……? もう食べられませんよ」
「そんなに腹が空いたのか。もうすぐ着くから起きろ」
るんるん気分で結局ブルルと同じ馬車に乗ったのだけれど、気付けば私は夢の中。
よだれを垂らしたまま窓の景色を見てみれば、一面の青い麦畑が拡がっていた。
それを見ればしゃきんと覚醒、今までの眠気が吹っ飛んだ。
「わあああああ! 麦ー! 広い! 麦畑! ほあー! すごい……」
眼下に拡がる広大な麦畑を前に、ときめかないなんてありえるだろうか。否、無理だ。
寒さに耐え、うららかな木漏れ日を浴び、焼き尽くさんばかりの日の光に立ち向かい、涼しくなってからその身をお食べと言わんばかりに頭を垂れる、健気なあなた。
待っててすぐ行くわ!
「……というか、もう着いたの? 早いですね」
「我が侯爵家の馬車は羽馬だからな。それに領地は王都から近い。すぐそこだ」
羽馬とは名の通り羽を持った馬型の魔物だ。私の実家であれば通常ひと月ほどはかかるだろう領地への道を、なんと侯爵家の馬車が異次元に高性能過ぎて短時間で到着してしまった。
「馬車羽馬……恐ろしい子……」
この世界にいる魔物を使役して生活を便利に、というのは知っているけれど、羽馬は高級すぎて私の実家にはいなかった。これが……これが豊富な資金力というものか。
「今回は新婚旅行も兼ねているんだ。近場でしかも領地ですまない」
「いえ、王都の食糧庫に合法的に来れたのですもの。旦那様と結婚した甲斐がありましたわ」
「……そうか」
複雑な表情をしたブルルは置いといて、私は焦がれた麦畑に思いを寄せるのだった。




